中司得三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
中司 得三(なかつかさ とくぞう、1953年5月18日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
近大附高では、1971年にエースとして春の選抜に出場。1回戦で水谷新太郎、新谷嘉孝を擁する三重高、2回戦で芦別工業高を降す。しかし、準々決勝では坂出商業高の岩崎良夫と投げ合い、延長13回の熱戦の末に0-1で惜敗。
高校卒業後は、近畿大学に進み、左翼手として活躍。関西六大学野球リーグでは、同期のエース森口益光を擁し、1974年春季リーグ、1975年秋季リーグで優勝。ベストナイン3回。1975年阪急ブレーブスに6位指名されるもこれを拒否。
大学卒業後、社会人野球の日本生命に入社し、1976年から3年連続で都市対抗野球大会に出場。
1978年オフ、ドラフト外で読売ジャイアンツ入団。
1979年にはイースタンリーグの打点王となり、同年オフの長嶋茂雄監督による「地獄の伊東キャンプ」にも参加する。
1981年の日本ハムファイターズとの日本シリーズでは2試合に守備固めとして出場。
1982年9月には2試合に右翼手として先発出場。
1984年限りで現役引退。その後は会社員。
詳細情報
初出場:1979年10月20日、対広島東洋カープ26回戦(後楽園球場)、7回裏に山本功児の代打で出場
初先発出場:1982年9月13日、対阪神タイガース26回戦(後楽園球場)、7番・右翼手で先発出場
初安打:1982年9月14日、対中日ドラゴンズ22回戦(後楽園球場)、3回裏に都裕次郎から
45 (1979年)
23 (1980年 - 1984年)