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中川一政
中川 一政(なかがわ かずまさ)さんの誕生日は1893年2月14日です。東京出身の洋画家のようです。
作品、評伝・その他などについてまとめました。結婚、現在に関する情報もありますね。
中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年(明治26年)2月14日 - 1991年(平成3年)2月5日)は、日本の洋画家、美術家、歌人、随筆家。東京府生まれ。 1893年 東京市本郷に生まれる。 1914年 巽画会展に出品した作品が岸田劉生に見出されて画家を志す。 1915年 草土社を結成。 1920年 初の個展(油彩)を開く。また、同年2月千家元麿、宮崎丈二らと雑誌『詩』を創刊。 1922年 小杉放庵らと「春陽会(しゅんようかい)」設立に参加。 1923年 伊藤暢子(伊藤為吉の娘)と結婚。 1931年 水墨画の個展を開く。 1949年 神奈川県足柄下郡真鶴町にアトリエを構える。 1961年正月、宮中歌会始の召人となる。 1975年11月、文化勲章を受章。文化功労者表彰。 1984年 東京都名誉都民に顕彰。 1986年10月10日、母の故郷である石川県松任市(現:白山市)に松任市立中川一政記念美術館(現在は白山市立松任中川一政記念美術館)が開館。 1989年3月 真鶴町に真鶴町立中川一政美術館が開館。 墓所は東京・雑司ヶ谷霊園。 作品洋画、水墨画、版画、陶芸、詩、和歌、随筆、書と多彩な作品を制作した。作品のすべてが独学であり、自ら「在野派」と称した。洒脱な文章でも知られた。 絵画作品 「漁村凱風」「薔薇」「箱根駒ケ岳」等。 和歌 1961年に歌会始の召人となり詠進した。 挿絵 都新聞に連載された尾崎士郎『人生劇場』 随筆 文集全5巻、全文集全10巻がある。 評伝・その他97歳と長命であったが、晩年まで創作活動を続けた。視力が衰えたため、家政婦に絵の具の色の名を大きく書かせて描く時に見分けたという。絶筆はかねてから好んで描いていたバラであった。バラを題材にした作品は判明しているだけで800点を超える。 遺した美術品コレクションが競売にかけられた際、それまで判明していなかったがゴッホの油彩画であることが判明した絵画があった。当初は落札予想価格が1万円とされていたものが、6600万円でウッドワン美術館に落札された。中川がゴッホ作であったことを知っていたかどうかは不明。 俳優の緒形拳は、中川のファンと公言しており中川を「真鶴の巨人」と称していた。 2024/05/17 08:40更新
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