中藤敦の情報(なかふじあつし) 写真家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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小石清: 晩年の小石と話をした中藤敦によれば、小石からは「昔程の作画意欲と夢が喪失した」と感じたという。 |
中藤敦の情報まとめ
中藤 敦(なかふじ あつし)さんの誕生日は1902年10月15日です。
卒業、結婚に関する情報もありますね。1966年に亡くなられているようです。
中藤敦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中藤 敦(なかふじ あつし、1902年10月15日 - 1966年10月18日)は関西で活躍した写真家である。 キリスト教の伝道師から 転職後、小石清との出会いにより、1937年(昭和13年)に、浪華写真倶楽部に入会し、戦時中は、小石清らと共に内閣情報局の元で写真協会(日本報道写真家協会)に属し、「写真週報」などで 報道写真を撮った。特に戦後の浪華写真倶楽部再建を花和銀吾、田中正規、本庄光郎らと共に労し、復活させた一人である。小石清、安井仲治等から指導・刺激を受け、独自のゴム印画を制作した。 中藤敦(旧姓:山口)は1902年広島市生まれ、広島県立工業学校を卒業後、就職したが病を得、療養生活中にキリスト教に出会い、1922年(大正11年)10月に洗礼を受けた。その後セブンスデー・アドベンチスト教団神学校「天沼学院」を卒業し、札幌で伝道生活を送る。1923年(大正12年)の関東大震災では東京の教会にて被災。結婚後、東京市外大森町にある大森講義所で伝道師として従事する。1929年(昭和4年)~1931年、門司教会で副牧師として働いた。七年間の伝道生活の後、大阪砲兵工廠に就職。職場にあった写真クラブO.C.G.(小石清指導)に顔を出し、写真と接点を持つ。プラモデル屋、豆乳屋、などを営む。浪華写真倶楽部に入会後、同会展も含めて、いくつかの写真展で入選を果たし、「飛騨の顔」「飛鳥路」「淡路島」「隠岐の島」等の個展開催した。戦後の同倶楽部で、指導員、浪展審査員として後輩を育成した。その中には津田洋甫、高田誠三などがいる。また独自の暗室技術によりカラーのゴム印画制作に取り組んだ。報道写真、風景写真などの作品を写真雑誌等に多数発表。「アサヒカメラ」では撮影地案内などを、「カメラ毎日」では、指名質問というコーナーで交代で愛読者からの質問に答え、撮影のコツなどを回答した。写真画材店の経営もしていた。戦後、日本報道写真連盟の創設に参加して昭和37年まで理事として活躍、カラー写真展では日本で先鞭をつけた。関西カラーラボ協会理事長、また毎日広告デザイン賞では審査員を務め、大阪府職業補導所写真科講師、大阪写真材料商組合理事などを歴任した。浪華写真倶楽部で、戦後間もない時期の代表格の一人として活躍し、関西写壇に欠かせない写真家の一人であった。キリスト者としては1948(昭和23)年、日本基督教団玉出教会に転入会し、1966年、64歳で召天した。死後妻の中藤まつゑも写真家となった。 「バレエ」1939年、ゼラチン=シルバー・プリントに着色、40x43cm、ネガ表現によるバレーの動きとデカルコマニーの効果を巧みにモンタージュし幻想的空間を創り出した作品。 「無題」(ゴム印画)昭和35年 (全日本写真連盟関西本部 60周年記念名作展60名による代表作の60品に出品) 戦前は日本写真美術展(毎日新聞主催)に入選、文部大臣賞、情報局賞を得た。 「国際写真サロン」に「砂丘」を出展 1940年第14回日本写真美術展に「初秋」が入選。 1943年第16回日本写真美術展、第三部(報道写真)にて推薦一席を得た。 戦後3回目の第12回全日本寫眞連盟主催「日本写真サロン」にて「秋の藍田」と「秋色」が特選(第一部)を得た。1950年(昭和25年) 横浜美術館に作品数点(トルソ、十一面観音、石仏、春の窓、静物、スフィンクスほか)を寄贈。同美術館カタログに掲載される。 2007年度、東京都写真美術館に作品3点を寄贈。「バレー」(1939)「花」(1950)「仏頭」(1961)全てゼラチン・シルバー・プリント 大阪中ノ島美術館コレクション中藤敦作品8点 『北陸への旅』教養文庫 中藤敦著 社会思想社 1963年6月 200円 49回浪展 中藤敦遺作展併催 大阪そごう2Fギャラリー 1967年6月29日~7月4日 故・中藤敦 回顧展 大阪 心斎橋ニコンサロン(Nikon Salon) 1975年2月9日(日)~15日(土) 関西写真家たちの軌跡100年前期展 兵庫県立美術館ギャラリー 2007年5月3日~5月10日 「アートと人と。美術館 meet the collection」 横浜美術館、「仏像」が展示される。2019年4月13日~6月23日(作品リスト) ^ 北陸の旅. 社会思想社. (1963年6月). p. 奥付. "著者略歴" ^ “「写真週報」261号(1943年)「大型焼夷弾はどうして消すか」”. アジア歴史資料センター. p. 3. 2020年8月26日閲覧。 ^ 情報局監修、写真協会編纂, ed (1944年7月). 写真集『銃後の戦果』. 育英出版. p. 57p. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123695 ^ “EEカメラ”. 実業往来 134: 117. (1962). ^ 『基督教年鑑1927Christian year-book』(大正16年)日本基督教連盟 438頁 ^ 梶山積著 (1982年11月). 『使命に燃えて : 日本セブンスデー・アドベンチスト教会史』. 福音社. p. p.165 ^ 『使命に燃えて:日本セブンスデー・アドベンチスト教会史』. 日本セブンスデー・アドベンチスト教会. (昭和57年11月). p. p.251 ^ 『浪展:浪華写真倶楽部創立100周年記念』浪華写真倶楽部、2005年、177頁。 ^ 浪華写真倶楽部会報1号、1955年1-2月号、6頁 ^ いまを生きる : 現役写真家津田洋甫85年の軌跡. 津田洋甫写真事務所. (2008年4月). p. 82-84 ^ 特集「写真家」とは誰か(写真空間1). 青弓社. (2008年3月). p. 182. ISBN 978-4-7872-7244-7 ^ 「べらんめえレンズ放談」再録木村伊兵衛対談、長岡正男「アサヒカメラ」2002年1月特大号(通巻902号)179頁 ^ “毎日広告デザイン賞第80回記念特集”. 2020年8月15日閲覧。 ^ 『源流をたずねて : 天王寺教会百周年記念日本キリスト教団玉出教会』日本キリスト教団玉手教会、2005(平成17)年11月、32頁。 ^ 『関西写真家たちの軌跡100年写真展図録』兵庫県立美術館、2007年、170頁。 ^ “スクラップ、全日本寫眞連盟だより”. アサヒカメラ 35巻1号: p.104. (1950年1月). 『写真週報』とその時代:戦時日本の国民生活』(上)玉井清編著、慶応義塾大学出版会、2017年、図版一覧,340p, 図7-20 『写真週報』とその時代:戦時日本の国防・対外意識』(下)玉井清編著、慶応義塾大学出版会、2017年、図版一覧 pp.344-345, 図2-12, 図4-5 「新興写真の時代 第3回 浪華写真倶楽部」関西シンポジウム1997年11月記録「日本写真芸術会誌」6巻2号 1997(平成9)年 pp,63-101 『世界写真全集 第5巻 (日本)』平凡社, 1956年, p93-94 『近代写真の群像』(日本写真全集(3巻), 小学館, 1986年3月, p187 『 浪展 : 浪華写真倶楽部創立90周年記念』 [大阪] : [浪華写真倶楽部] 1994年 「浪華写真倶楽部創立60周年記念回顧座談会」『浪 : Selected Works of NANIWA SHASHIN CLUB 60th anniversary 創立60周年画集』浪華写真倶楽部、1966年、頁付け無 「浪」第70回浪展記念写真集」 1991年 付録 浪華写真倶楽部沿革史, p121-138 「浪華写真倶楽部会報」第10号(昭和39-41年)中藤敦氏追悼「浪」出版記念号 1967、p.1-7 「前衛寫眞を語る座談会:西」『写真手帖』2巻5号、国際写真出版社、1955年1月、頁付け無 『カメラ年鑑1952年版』(日本カメラ臨時増刊)写真人名簿 p.275 『アサヒカメラ年鑑』1954年(昭和29年)、1964年(昭和39年)、1965年(昭和40年):写真関係者名簿 再録 木村伊兵衛対談 べらんめいレンズ放談「アサヒカメラ」2002年1月増大号(通巻902号p.178-186) 『全関西写壇五十年史』 『全関西写壇史Ⅱ:60年のあゆみ』 全日本写真連盟関西本部発行 『関西写真家たちの軌跡100年展覧会図録』2007年 『キリスト教年鑑』 キリスト新聞社 『日本人物情報大系宗教編 基督教年鑑(大正一四年版~昭和七年版)「フースフー」』日本基督教連盟編 『使命に燃えて : 日本セブンスデー・アドベンチスト教会史』梶山積著, 福音社,1982年11月, p165,p206,p251 日本報道写真連盟 昭和時代・日本の写真家・クリスチャン・ゴム印画・浪華写真倶楽部・新興写真・モダニズム・サロン写真 浪華写真倶楽部について 中藤敦について ISNI VIAF 日本 写真家識別目録 20世紀日本の写真家 日本のフォトジャーナリスト 広島市出身の人物 伝道者 日本のプロテスタントの信者 1902年生 1966年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 PIC識別子が指定されている記事
2024/11/24 02:12更新
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nakafuji atsushi
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