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佐藤博_(ミュージシャン)の情報 (さとうひろし)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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佐藤 博_(ミュージシャン)さんについて調べます

■名前・氏名
佐藤 博_(ミュージシャン)
(読み:さとう ひろし)
■職業
ミュージシャン
■佐藤博_(ミュージシャン)の誕生日・生年月日
1947年6月3日
亥年(いのしし年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

(昭和22年)1947年生まれの人の年齢早見表

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佐藤博_(ミュージシャン)の情報まとめ

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佐藤 博_(ミュージシャン)(さとう ひろし)さんの誕生日は1947年6月3日です。鹿児島出身のミュージシャンのようです。

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特徴・作風、評価などについてまとめました。テレビ、ドラマに関する情報もありますね。亡くなられているようです。

佐藤博_(ミュージシャン)のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

佐藤 博(さとう ひろし、1947年6月3日 - 2012年10月26日)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日本のトップ・キーボーディストとして知られる。

1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた。

その際、たまたまギターに触る機会を得、その開放弦の音色に未知の世界への希望を見出し「音楽と関わっていられたら、生きて行ってやってもいいかな?」と思い直すようになる。その後高校に進むにつれベースやドラム演奏を習得するようになり、高校1年生で自宅の蔵にて多重録音を始める。高校2年生の時に、ソニーのオープンリールの4トラック・レコーダーを入手する。

当初、演奏家ではなく作曲家、編曲家志向であったが、そのためには鍵盤のほうが有利だと東京ユニオンの藤尾正重(p)のアドバイスがあり、20歳より独習でピアノを始める。後に「20歳当時、もしもプロになれなければこの世とおさらばしてもいいと思えるくらい練習した」と語っている。

ソロ・デビューから2・3年後、佐藤は煮詰まっていると感じる。スタジオ・ミュージシャンとしての仕事も増え、ギャラも上がっていくが、自分が興味を持てない歌謡曲や歌謡ポップスばかりで、我慢できなくなった佐藤は日本を飛び出すことを決断した。細野晴臣よりイエロー・マジック・オーケストラへ参加を呼びかけられるも、1979年の夏に渡米。この時の心境について、本人は以下の通り吐露している。

「自分はスタジオ・ミュージシャンをやるために東京に来たのでもないし、ましてや音楽を始めたのではない。アメリカへ行きたかったというよりは日本を出たいという方が大きかったですね」

「日本の音楽状況、ジャズ、クラシック、ニュー・ミュージック、R&B、あらゆるジャンルが猿真似の域をでてないと思っていた。それに対する抵抗がすごくあったから、自分だけは過去に影響を受けないオリジナリティがあるものを追求したいという思いが強かった。それで余計ぼくが影響を受けたビートルズやジャズを排除しようとしたんですね。そうすればするだけ自分のやりたいことが見えにくくなるし、範囲が狭まってくる。それでアルバムを2枚つくったあと、このまま日本で音楽をつづけていくのは精神的にも持たない、自分のアルバムなのに心底楽しんでない。これは頭を冷やしに日本から出なければいけないと思ってロスにいったんです」

アメリカでマリア・マルダーやランディ・クロフォードらと活動した。

そのうちにロジャー・リン(英語版)の発明したドラムマシン・Linn Drum LM-1(英語版)の音色を、ハービー・ハンコックの『Mr. Hands』を通じて聞き、衝撃を受ける。このドラムマシンがあれば、今まで実践してきた多重録音と同様の方法が日本でもできる・海外のミュージシャンに依頼する必要がないと考えた佐藤は帰国を決断する。当時アルファレコード社長であった村井邦彦に同機の購入を依頼して『awakening』の制作を始める。1982年にデモテープを携え帰国し、このデモテープをもとにした4thソロアルバム『awakening』を発表する。

後に佐藤はLM-1について「ロジャーの会社が家から近かったので見せてもらいに行くと、それまでのリズム・マシンとは成り立ちの異なるPCM音源のサンプリング系(サンプリングレートが8ビット)のリズム・マシンで、これ(Linn Drum LM-1)だったら何でも出来ちゃうなあと思いましたね。これを使ってアルバムを使って日本に帰る決心がついたんです。それまでは、日本に帰ってまた以前と同じようなことをするのもいやだなあ、と煮え切らない気持ちだったので、ロジャー・リンに帰国の背中を押してもらったようなものですね」と振り返っている。

帰国後の1980年代以降はCM音楽やテレビ番組のテーマ曲を多数発表、ベスト・アルバム『記憶の中の未来』(1988年12月)は、その提供曲が多数収録されており、テレビ・グラフィティのサブ・タイトルを付している。

2000年代はプロデュース活動および新人アーティストの発掘に注力し、代表作として2007年のDREAMS COME TRUE『史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007』の音楽監督や、同じく2007年のSoulJa「DOGG POUND」、2008年の青山テルマ「そばにいるね」、2011年2月発売のふくい舞「いくたびの櫻」のサウンド・プロデュースが挙げられる。2008年に大ヒットした青山テルマの「そばにいるね」では、編曲とサウンド・プロデュースのみならず、自身のプライベート・スタジオ“Studio SARA”で自ら録音、ミックスダウン、エンジニアリングとマスタリングを手掛けキーボード、リズム・プログラミング、シンセ・ベースの演奏を行い、「第50回日本レコード大賞」【優秀作品賞】を受賞する。2011年2月発売の作曲・編曲およびサウンドプロデュース(演奏、ミックス、エンジニアリング共)を手がけたふくい舞の「いくたびの櫻」が「第44回日本有線大賞」を受賞した。

2012年10月26日、横浜市港北区のプライベートスタジオ“Studio SARA”で出血性大動脈瘤により死去。享年65。

特徴・作風

エルヴィス・プレスリーやレイ・チャールズ、ビートルズに影響され音楽を始めたものの、ブルースをルーツとしている度合が大きいのが特徴である。

ピアニストとしての佐藤博の顕著な演奏は、初期の山下達郎作品や大瀧詠一の『NIAGARA MOON』、細野晴臣の『トロピカル・ダンディー』、『泰安洋行』、『はらいそ』といったトロピカル三部作、吉田美奈子の初期作品等で聴く事ができるが、キーボード奏者ではあるものの、ピアニストとしても評価が高い(その参加作品は、その他参加作品に後述)。

日本に拠点を移した後、1970年代後半から取り組んでいたシンセサイザーや打ち込みを基調にした、ブラックミュージック/ジャズ/フュージョン色のあるポップスを追求している。音楽制作の特徴は、一人多重録音というスタイルが基本である。

いち早くシンセサイザーやシーケンサー、パーソナルコンピュータといった最新の機器を表現の道具として駆使したミュージシャンとして知られているが、特筆すべきはシンセサイザー、多重録音、音響エフェクトに関しても、執筆原稿が1983年7月20日発行の『KEYBOARD BOOK』(自由国民社、新譜ジャーナル別冊)や雑誌『キープル』(自由国民社)にて展開されたように、これらの分野の国内における先駆者的存在である。

MIDI規格に関しても、その導入からアドバイザー的立場として関わっている。

特筆すべき点は、「コンピューター」を自分がイメージしたサウンドを具現化するための「道具」として捉えている事であり、機械の制約に合わせて作るのではなく、まずこういうものが作りたいというのが優先であると語っている。

リズム・トラックの制作においても、一人多重録音の成果はリズム・プログラミングという形として特に顕著に現れており、生涯を通じてオリジナル作品へのドラマーの参加は、1990年2月発表の『Good Morning』(ドラム:ジョン・"JR"・ロビンソン(英語版))が最後である。

リズム・プログラミング、ハイハット・シンバルのアーティキュレーションの凝った付け方には定評がある。

レコーディング・エンジニアリングとしては、デジタル録音における音響のスタンダードを確立するため、その初期からレコーディングに際して、自らミキシング・コンソールを駆使しているのも大きな特徴である。アルバム『AQUA』(1988年6月1日)では、シンセ・パートなどの演奏は音質が劣化せぬようテープには録音せず、ミックスダウンの際に、マッキントッシュ+1985年に発売されたMIDIシーケンサー・ソフトのPerformer(パフォーマー)を使用して同期演奏させるなど、一種のデジタルMTR的使用をしている。ミキシング・コンソールを操作することは、楽器を演奏することと同じだと解釈している。ミックスダウンに関しては、思い入れが深く、演奏や歌うこと以上に一番好きであるとまで語っている。

ミックスダウンの時には、エンジニア的要素よりもコンダクター的要素の方が重要であり、そういう意味でもトータル的にその音楽に責任を持つ人がエンジニアリングまでやる方が一番良いと語っている。その為、作品には「機械任せ」や「他人任せ」といった「おまかせ」の要素が一切ない。

エンジニアリング関係まで自分で関わる理由として、佐藤本人は、結局は自分のイメージしている音に近づける為であると語っている。中でも1990年に建設された、プライベートスタジオ“Studio SARA”ではトラックダウンからマスタリングまで行えることは特筆すべき点である。

評価

村上秀一は、「白玉の響きが美しいピアノ」の評価の他、「YOU'RE MY BABY」(『awakening』に収録)のドラムが彼が打ちこみで作ったものであると知って衝撃を受けており、「こんな人間くさい打ちこみ作れる奴はいない!」と評価している。

2024/06/11 01:00更新

satou hiroshi


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