八幡一郎の情報(やわたいちろう) 経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
八幡 一郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
八幡一郎と関係のある人
森浩一: 若い頃から当時の考古学界をリードする梅原末治、末永雅雄、八幡一郎、水野清一、江上波夫などと交流があり、独自の観点から研究発表を行った。 山内清男: 1946年、民族研究所の調査のため満蒙・北支方面で調査中、江上波夫らとともに安東で終戦を迎え、帰国が困難となった八幡一郎に代わり、山内は東京帝国大学理学部人類学教室非常勤講師になり、翌年には委託講師となった。 山内清男: 考古学的な調査では、1921年に鳥居が主導して行なわれた堀之内貝塚の発掘調査や、一年後輩の八幡一郎、宇佐美定憲とともに松戸方面へ採集旅行に赴き上本郷貝塚を発見し、翌1922年、大里雄吉とともにX地点を発掘調査した。 江上波夫: 日本の古代国家の起源を東北アジアの騎馬民族に求めた壮大な説である騎馬民族征服王朝説は戦後間もない1948年、東京・お茶の水駅近くの喫茶店に江上と岡正雄、八幡一郎、石田英一郎の学究仲間3氏が集った座談会で披露され、「日本民族=文化の源流と日本国家の形成」という特集記事で発表された。 山内清男: この頃になると、山内や八幡一郎、そして甲野勇ら鳥居龍蔵の弟子達(いわゆる「編年学派」、「三羽烏」)による土器の編年に基づいた相対年代の決定は、特に大山柏が主催する大山史前学研究所や、山内らよりも下の世代の考古学徒のなかで支持を得始めていたが、これより上の世代には不審の目を持って受け取られていた。 山内清男: 1924年、山内は八幡一郎、松村瞭などと共に小川貝塚・三貫地貝塚(福島県新地町)を調査したが、同じ頃、仙台でモンテリウス著『考古学研究法』を原著で読み地層累重の法則を知ったほか、東北帝国大学教授松本彦七郎の層位学的研究法に興味を持ち、小川貝塚の調査を終えた後、八幡とともに仙台の松本彦七郎を訪れている。 |
八幡一郎の情報まとめ
八幡 一郎(やわた いちろう)さんの誕生日は1924年3月12日です。東京出身の経営者のようです。
1987年に亡くなられているようです。
八幡一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)八幡 一郎(やわた いちろう、1902年4月14日 - 1987年10月26日)は、日本の考古学者。 専攻は縄文時代、民具の研究。 長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)に生まれる。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)時代に鳥居龍蔵に随行して長野県諏訪地方の考古学調査に同行、その後、東京帝国大学(現・東京大学)理学部人類学科にて同じく鳥居に人類学を学ぶ。1924年東京帝大選科修了、同副手。各地の考古学調査に参加し、1931年に東大人類学教室助手。1934年(昭和9年)に日本民族学会創立、発起人となる。後同科講師、東京国立博物館学芸部考古課長、1962年東京教育大学教授、1966年上智大学教授を歴任し、中国やミクロネシアでも考古学調査を実施した。 「土器・石器」(古今書院 1930) 「日本石器時代文化」(鎌倉書房 1947) 「日本史の黎明」(有斐閣 1953) 「日本文化のあけぼの」(日本歴史叢書 吉川弘文館 1968) 「年譜・著作目録」(上智史学18号 1973) 『南佐久郡の考古学調査』1928年 『北佐久郡の考古学的調査』 1934年 『日本石器時代文化』1947年 日本の乳棒石斧(「人雑」53の5)昭和13年,槇山次郎「中部地方」(「日本地方地質誌」)昭和25年 越後中魚沼郡芋坂の土器概報(「人雑」51) 八幡一郎、「貝殼を押捺した土器片」 『人類學雜誌』 1924年 39巻 7-9号 p.285-287, doi:10.1537/ase1911.39.285, 日本人類学会 八幡一郎、「磨製石斧の石質に就いて」 『人類學雜誌』 1931年 46巻 5号 p.198-200, doi:10.1537/ase1911.46.198, 日本人類学会 八幡一郎、「先史考古學に於ける分類」 『人類學雜誌』 1931年 46巻 9号 p.330-332, doi:10.1537/ase1911.46.330, 日本人類学会 石刀の分布 人類学雑誌 Vol.48 (1933) No.4 八幡一郎、「越後に於ける繊維土器」 『人類學雜誌』 1937年 52巻 1号 p.20-26, doi:10.1537/ase1911.52.20, 日本人類学会 八幡一郎、「満蘇國境珠爾干附近發見の遺物追加」 『人類學雜誌』 1939年 54巻 10号 p.464-466, doi:10.1537/ase1911.54.464, 日本人類学会 八幡一郎、「マリアナ北部諸島の遺跡遺物」 『人類學雜誌』 1940年 55巻 6号 p.257-262, doi:10.1537/ase1911.55.257, 日本人類学会 八幡一郎、「南洋群島の笋貝製圓鑿」 『人類學雜誌』 1941年 56巻 5号 p.292-294, doi:10.1537/ase1911.56.292, 日本人類学会 八幡一郎、「下野國那須郡石林の發見物」 『人類學雜誌』 1941年 56巻 9号 p.479-484, doi:10.1537/ase1911.56.479, 日本人類学会 八幡一郎、「パラウ島の貝製尖斧」 『人類學雜誌』 1941年 57巻 1号 p.35-38, doi:10.1537/ase1911.57.35, 日本人類学会 八幡一郎、「北海道の石冠類」 『人類學雜誌』 1942年 57巻 4号 p.177-180, doi:10.1537/ase1911.57.177, 日本人類学会 八幡一郎、「北海道の石冠類追補」 『人類學雜誌』 1942年 57巻 6号 p.266-269, doi:10.1537/ase1911.57.266, 日本人類学会 八幡一郎、「ボルネオの石斧」 『人類學雜誌』 1943年 58巻 2号 p.71-73, doi:10.1537/ase1911.58.71, 日本人類学会 八幡一郎、「マリアナ石柱列遺構の特殊型式」 『人類學雜誌』 1944年 59巻 11号 p.418-424, doi:10.1537/ase1911.59.418, 日本人類学会 『越後古代文化研究の盲点』 越佐研究 (1), 1-5, 1952-05, NAID 40000254461, 新潟県人文研究会 八幡一郎、「土器表面の新検査法」 『人類學雜誌』 1959年 67巻 1号 p.46-47, doi:10.1537/ase1911.67.46, 日本人類学会 八幡一郎、「東南アジアの犂(第二回研究大会)(第二回研究大会(1963)報告要旨, 日本民族学協会第一回研究大会(1962))」 『民族學研究』 1964年 29巻 1号 p.76- , NAID 110001838752, doi:10.14890/minkennewseries.29.1_76_1, 日本民族学会(現・日本文化人類学会) 八幡一郎、「日本稲作起源論の意義」 『上智史學』 1967年10月 12号 p.20-23, NAID 40001810029, 上智大学史学会 八幡一郎、「『朝鮮半島の古代紡錘車資料』 朝鮮学報 (49), 435-456, 1968-10, NAID 40002433231 八幡一郎, 矢島榮一、「相模國中郡寺山の敷石遺跡」 『人類學雜誌』 1935年 50巻 12号 p.461-471_1, doi:10.1537/ase1911.50.461, 日本人類学会 浅井恵倫, 河辺利夫, 松本信広, 八幡一郎 ほか、「東南アジア稻作民族文化綜合調査 : 座談会(その1)」 『季刊民族學研究』 1959年 22巻 3-4号 p.245-268, doi:10.14890/minkennewseries.22.3-4_245, 日本民族学会(現・日本文化人類学会) ^ 日本史研究者辞典 p.337 ^ 「諏訪史」大正13年 序文 ^ 「八幡一郎著作集」より 『日本史研究者辞典』(日本歴史学会編 吉川弘文館) 『来し方の記〈6〉』(信濃毎日新聞、1983) ナンマトル 八幡和郎 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 日本の考古学者 上智大学の教員 東京教育大学の教員 東京大学出身の人物 長野県諏訪清陵高等学校出身の人物 長野県出身の人物 1902年生 1987年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 日本の歴史関連のスタブ項目
2025/01/24 04:13更新
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yawata ichirou
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