冠松次郎の情報(かんむりまつじろう) 登山家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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冠松次郎の情報まとめ

冠 松次郎(かんむり まつじろう)さんの誕生日は1883年2月4日です。東京出身の登山家のようです。

1970年に亡くなられているようです。
冠松次郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)冠 松次郎(かんむり まつじろう、1883年〈明治16年〉2月4日 - 1970年〈昭和45年〉7月28日)は、日本の登山家であり、黒部峡谷の地域研究、山岳紀行文でも知られる。東京本郷生まれ。 1902年(明治35年)頃より登山を開始し、奥多摩、日光、富士山などの山を登った。日本アルプスの初登山は、1909年(明治42年)。1911年(明治44年)、白馬岳に登り、祖母谷を流れに沿って下り、初めて黒部峡谷に入る。その後、黒部の虜となり、本流を中心として支流・尾根を踏査し、秘境黒部の谷や山の全貌を明らかにした。1917年(大正6年)、早月尾根より剱岳に登攀。1918年(大正7年)には、立山一ノ越より御山谷を下降した。1919年(大正8年)は、赤石山脈の聖岳にある遠山川西沢を初下降する。1925年(大正14年)、黒部川下廊下を鐘釣より平まで完全遡行(上流登山)に成功する。 その他にも、日本アルプスや奥秩父の渓谷の多くを遡行し、多くの探検記録や紀行文を書き、その魅力を広く紹介、登山の中に沢登りという日本独自の分野を開いた。「黒部の父」とも呼ばれる。1953年(昭和28年)、日本山岳会名誉会員。 『黒部渓谷』アルス、1928年7月。
『立山群峯』第一書房、1929年5月。 『劔岳』第一書房、1929年6月。 『黒部』第一書房、1930年5月。
『双六谷』第一書房、1930年。 『日本アルプス大觀 立山・黒部・後立山』木星社書院、1931年。 『後立山連峰』第一書房、1931年6月。 『破片岩』耕進社、1933年6月。 『白馬連峰と高瀬渓谷』梓書房、1935年6月。 『日本北アルプス登山案内』第一書房、1936年6月。 『渓からの山旅』改造社、1937年5月。 『冠松次郎随筆 峰・瀞・ビンカ』三省堂、1939年。 『廊下と窓』三省堂、1940年12月。 『徒歩旅行の指針 附・東京近郊推薦コース』高千穂書房、1941年7月。 『わが山わが渓』墨水書房、1942年。 『雲表を行く』墨水書房、1942年12月。 『山への味到』墨水書房、1943年4月。 『紀行と随筆 渓想』山と溪谷社〈山溪山岳叢書 1〉、1946年12月。 『富士山の旅』富士箱根厚生文化協会、1948年7月。 『山の味谷の味』文徳社、1952年。 『四季のたかね』山と溪谷社〈山溪山岳新書〉、1955年4月。 『渓』筑摩書房、1962年。
『渓』中公文庫 改版、2003年9月。ISBN 978-4122042667。 『峰と渓』日本文芸社〈日本岳人全集〉、1968年10月。
『新編 山渓記 紀行集』山と溪谷社〈ヤマケイ文庫クラシックス〉、2022年。ISBN 978-4635049597。 ^ “冠 松次郎(かんむりまつじろう 1883-1970)”. 黒部市. 2020年7月28日閲覧。 冠 松次郎(かんむりまつじろう 1883-1970) 未知の渓谷美に魅せられて 黒部渓谷探検(※1)|黒部市
奇跡の景観「十字峡」の発見 幻の滝へ 北海道大学山岳部・山の会 - 黒部渓谷/冠松次郎/1928 室生犀星著『冠松次郎氏におくる詩』:新字旧仮名 - 青空文庫 VIAF WorldCat ドイツ 日本 19世紀日本の登山家 20世紀日本の登山家 山岳写真家 1883年生 1970年没 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2025/03/30 02:44更新
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kanmuri matsujirou
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