吉野源三郎の情報 (よしのげんざぶろう) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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吉野源三郎と関係のある人
飯島宗一: 『核廃絶か破滅か 被爆30年広島国際フォーラムの記録』具島兼三郎、吉野源三郎共編、時事通信社(市民の学術双書)、1976年 清水幾太郎: 1960年5月26日に『世界』依頼原稿を執筆したが、進歩的文化人の反安保改定阻止運動の『反安保』から『民主主義擁護』に目標転換されかけているている現状に反して、「本気で頑張っているのは全学連ぐらいなものである」という主旨のことを書き、進歩的文化人の目標転換に水をかける内容であり、吉野源三郎を含む『世界』編集部から原稿の掲載を断られる。 緑川亨: 立教大学卒業後の1950年(昭和25年)9月5日に岩波書店に入社し、当時勤務していた吉野源三郎に師事した。 石井桃子: 1934年6月から1936年6月まで新潮社に勤務し、吉野源三郎や山本有三らと『日本少国民文庫』の編集にあたった。 古田足日: 翌年には『サクラ読本』の見本誌を読み、編者の芦田恵之助に感想をのべると、芦田は後日この感想を著書に記している、1935年(昭和10年)、「いじめられっこの優等生」と称された小学生時代にカレル・チャペックや吉野源三郎の作品を読み、グリム童話やアンデルセン童話と異なる内容に衝撃を受ける。 山口昭男: “『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎はどういう人だったか、岩波書店の山口前社長に聞く”. 山本有三: 編集主任には、以前から親交があり、当時は失業中だった吉野源三郎を登用した。 |
吉野源三郎
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう)さんの誕生日は1899年4月9日です。東京出身の編集者のようです。
評価などについてまとめました。卒業、事件に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。 1899年(明治32年)、東京府(現・東京都)出身。父は株式取引所仲買人であった。 1912年(明治45年)、東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)卒業。1917年(大正6年)、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。 1918年(大正7年)、旧制第一高等学校に入学。1922年(大正11年)、2留の末第一高等学校を卒業し、東京帝国大学経済学部に入学。思索の中で哲学への思いが高じて文学部哲学科に転部した。 1925年(大正14年)、26歳で東京帝国大学文学部哲学科を卒業。思い立って陸軍に入隊する。歩兵少尉で除隊後の1927年(昭和2年)、東京大学図書館に就職。このころから政治に関心を持ち、社会主義系の団体の事務所に出入りするようになる。1931年(昭和6年)に治安維持法事件で逮捕、懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受ける。これにより正八位返上を命じられる。このとき抱いた軍国主義への不信感が、後年の反戦活動、理想主義的な思想体系を形作ったと考えられる。 1935年(昭和10年)、山本有三の「日本少国民文庫」編集主任に就任。1937年(昭和12年)には明治大学講師に就任。この年、『君たちはどう生きるか』を刊行し、岩波書店に入社。1938年(昭和13年)、岩波新書を創刊。1939年(昭和14年)、明治大学教授に就任。戦時中も一貫して独自のヒューマニズム論を展開した。 1946年(昭和21年)、雑誌『世界』を創刊し、初代編集長に就任。いわゆる「戦後民主主義」の立場から、反戦・平和の姿勢で論陣を張った。1950年(昭和25年)4月15日に平和問題談話会を結成し、1951年(昭和26年)の対日講和条約に関しては、米国を含む52ヶ国との単独講和ではなく、ソ連や中国も含めた全面講和論を主張した。1959年(昭和34年)、「安保批判の会」結成に参加し、1960年(昭和35年)の安保闘争で活躍。この間、1949年(昭和24年)に岩波書店取締役、翌年に岩波書店常務取締役、1965年(昭和40年)に岩波書店編集顧問に就任した。 1975年(昭和50年)に広島で開催された「被爆30年広島国際フォーラム」の世話人を務めた。 1981年(昭和56年)、肺気腫症のため、82歳で死去。 評価反戦への思いを熱く秘めたその作風は多くの支持を集め、『君たちはどう生きるか』は、刊行から70年経過した2003年(平成15年)の「私が好きな岩波文庫100」で5位にランクされた。岩波少年文庫各冊の終わりによせた「岩波少年文庫発刊に際して」という一文は、今もって評価が高い。また、温厚な人徳者として知られ、各方面に知己が多かった。2017年(平成29年)には、羽賀翔一によるマンガ『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)が人気を博し、原作の『君たちはどう生きるか』がブームとなった。 2024/05/17 03:07更新
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yoshino genzaburou
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