大橋建一の情報 (おおはしけんいち) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
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大橋建一
大橋 建一(おおはし けんいち)さんの誕生日は1946年6月22日です。和歌山出身の政治家のようです。
著書などについてまとめました。卒業、退社、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。76歳で亡くなられているようです。
大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月22日 - 2022年〈令和4年〉11月8日)は、日本の政治家。元和歌山市長。和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)出身。父は元和歌山県知事の大橋正雄。お茶の水女子大学名誉教授の原ひろ子は従姉。「健一」は誤記(名前の由来については後述)。 1946年(昭和21年)6月22日、大橋正雄の長男として和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)にある母の実家で生まれる。「建一」という名前には、姓の「大橋」と掛けて「廃墟となった戦後の日本に、復興の大きな橋を一番に建てる」という父の願いが込められている。 父が和歌山県庁に入庁したため、1949年(昭和24年)12月に和歌山市に転居。1959年(昭和34年)に和歌山大学教育学部附属小学校を卒業し、附属中学校に進学するが、1962年(昭和37年)に世田谷区立北沢中学校に転校。東京都立戸山高等学校を経て東京大学文学部国史専修課程卒業後、毎日新聞社記者となる。毎日新聞社では東京本社製作技術局次長、社長室委員などを務め、2002年(平成14年)7月に退社。 旅田卓宗前市長の辞職に伴う出直し選挙(同年8月25日投開票)にて、父が元県知事ということで推されて立候補し、自由民主党・社会民主党・保守党が推薦、日本共産党の支援を受けて当選した。 2005年(平成17年)12月5日 11月に発生した広島小1女児殺害事件や、12月に発生した栃木小1女児殺害事件による子どもの安全対策を問われた事に触れ「広島もかなり郊外ですし、栃木の今市もイマイチのまちであります。そういうところで事件が相次いで起こる。我々のまちも全くひとごとではない」と発言した。大橋市長は、6日の本会議で発言を取り消した上「不用意な、配慮を欠いた発言だった」として謝罪した。 2006年(平成18年)7月30日の和歌山市長選では、戦後最多の6人が立候補する激戦となったが、次点に大差をつけて2選を果たしている。2010年(平成22年)8月1日の市長選では3選を果たしたが、目立った争点のない選挙戦で有権者の関心は低く、投票率は和歌山市長選挙としては過去最低の36.45%を記録した。 2011年(平成23年)6月2日、全国の中核市の市長で構成される中核市市長会第8代会長に就任。 2014年(平成26年)の市長選挙には立候補せず、同年8月24日をもって3期12年の任期を終えた。和歌山市では辞職、死去などで任期途中での市長退任が多く、退庁式を行った市長は、戦後では大橋が初であった。(なお、同年8月10日の市長選挙では尾花正啓が当選した。) 2017年(平成29年)4月、旭日中綬章を受章。 2022年(令和4年)11月8日、内筋腫瘍のため、和歌山市の自宅で死去。76歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 著書『元記者市長の雑学自典』(毎日新聞社、2007年) ISBN 978-4620906607 『元記者市長の百歌自典』(アガサス、2012年) ISBN 978-4901056205 2024/05/16 19:26更新
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