宇佐元恭一の情報 (うさもときょういち) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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宇佐元恭一
宇佐元 恭一(うさもと きょういち)さんの誕生日は1959年11月29日です。福岡出身のシンガー ソングライターのようです。
エピソード・その他などについてまとめました。卒業、映画、現在、テレビに関する情報もありますね。宇佐元恭一の現在の年齢は64歳のようです。
宇佐元 恭一(うさもと きょういち、1959年11月29日 - )は、日本のシンガーソングライター。福岡県福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校、 九州大学経済学部卒業。浅井企画所属。 5歳の時にヤマハオルガン教室に入る。初めてのオリジナル曲「私の夢」を作詞・作曲。6歳よりピアノの個人レッスンを受ける。11歳で初めてギターを購入、クラシック以外の音楽にも興味を持ちはじめる。中学2年の夏ごろからビートルズをはじめ、国内・外の音楽、映画音楽などあらゆるジャンルの音楽を聴くようになり、「朝の通学電車」などのオリジナル曲の作詞・作曲をする。高校1年の秋、ハードロック・バンドにキーボーディストとして加入。クラシックでは無いものに興味を持ち、バンド活動に入る。一時期、ニューミュージックに魅せられ、TVのテーマソングやCMソングのコピーに興じる。九州大学入学と同時にフォークグループやロックバンドを結成するが、その秋にはソロとして独立。ピアノ弾き語りの基礎作りに励む。大学在学中を通して、コンテストやオーディションといった、華やかな音楽状況に背を向け、ひたすらピアノ弾き語りのコンサート活動中心に動く。大学卒業後、1982年にロンドンレコードから「人生晴れたり曇ったり」でデビュー。同年10月24日に福岡郵便貯金会館にてデビューコンサートを行う。 現在も自らの歌手活動(作詞・作曲)の傍ら、ラジオ番組のDJも務める。地元の福岡だけでなく、レギュラー番組を持っていたことから名古屋や京都にも縁がある。 編曲・プロデュース等を手がけ、淺井ひろみ、石井明美、今井美樹、織田裕二、小堺一機、酒井法子、酒井美紀、坂本ちゃん、田中有紀美、CHAGE、前田愛、前田亜季、久松史奈、時任三郎、Little Baby、和田アキ子など多数の歌手に楽曲提供を行う。 かつてはヤマハ音楽院研究科にてレパートリーチェックを担当し生徒の指導にあたったこともあった。 2002年に宮沢賢治の『雨ニモマケズ』にメロディを付け曲として発表。その後新潟の被災地や 愛知万博で絶賛され、2005年の自費発売を経て、2006年9月6日に11枚目のシングルとして日本クラウンからメジャー発売された。2008年10月7日に日本テレビ系「誰も知らない泣ける歌」で『雨ニモマケズ』が制作秘話と共に取り上られ、2万枚を超えるヒットとなり2012年5月12日公開映画『一遍上人』のエンディングテーマおよび2014年11月からスパークス・グループの企業CM曲となった。 『雨ニモマケズ』をレパートリーとしたことから岩手県にも縁ができ、同地でのライヴも行う。特に学校からの要請が多く、宮沢賢治の地元・岩手の小・中学校、2009年11月にはマレーシアで初の海外日本人学校訪問も実現した。この活動が認められ、岩手県知事達増拓也より『希望郷いわて文化大使』(2008年1月 - )、新たに2011年には『花巻イーハトーブ大使』、2013年6月には『普代村観光大使』も委嘱された。 2011年3月11日に起こった東日本大震災では、同年4月11日にいわき市の避難所に入り、炊き出しとコンサートを行った。以後、釜石の青葉公園仮設商店街、久慈市、野田村、普代村など被災地でのコンサート等、心の震災復興を願い、被災地支援活動を続けている。 他にも太鼓とのジョイント、松山ではミュージカル劇団とコラボなど、全国各地で精力的に弾き語りライブにこだわって活動している。 浅井企画の社歌も作曲(作詞は関根勤)。 2021年3月11日、公式ブログに東日本大震災から10年を迎える思いを綴ったその日、体調の異変を訴え、意識を失い、救急搬送された。診断結果は脳内出血、緊急手術となり、手術は成功したが、合併症や後遺症の影響なども含め、入院にて経過観察を行い、その後はライブ、イベント、その他の出演も当面の間は休養することとなった。 妹が、本人の所属事務所である浅井企画公認で設けた「宇佐元恭一オフィシャルファンクラブサイト」によれば、リハビリを懸命に頑張り出来ることがひとつづつ増えていき、復帰に向けて日々努力を重ねている。 エピソード・その他子供の頃の夢は、電車の運転手・天文学者、その後プロボウラー(「マイボール」を持っていた)。 1986年1月5日、プロモーターの鈴置雄三(→ハイヤングKYOTO)によって、コンサート会場の穴埋めのため急遽結成したソロ歌手3人組音楽ユニットのパフォーマンスが好評となり、「GAN-BA-RUNDA CLUB」名義としてレコード・リリースも行った。 過去存在した原宿のライブハウス「ペニーレイン」で「Friday Night Live」とのタイトルで、宇佐元が即興で弾くピアノ演奏に小堺一機・関根勤が即興コントを作るという、ピアノとコントを合わせるライブを行なっていた。その様子は、1985年10月7日、フジテレビ系列「冗談画報」で放送された。 個人のコンサートでは、1984年9月23日 京都府円山野外音楽堂にて「夢IN円山」と題したワンマンコンサートを行い、3000人の動員を集めた。また、個人のコンサートとは別に数多くのイベントにも出演している。 1984年8月4日・5日 福岡県恋の浦で行われた第4回サマーピクニック出演 1989年3月28日 渋谷公会堂で行われたアコースティック・ムープメント'89出演 1990年8月11日・12日 福岡県シーサイドももちで行われた第10回サマーピクニック出演 1990年8月19日 長野県北安曇郡池田町で行われた第1回あづみ野池田音楽祭出演 2005年8月3日・4日・5日 愛知万博にて九州・沖縄の日 in EXPO DOME「伝わる、九州・沖縄の熱き鼓動」のステージを総合演出。宇佐元率いる、愛・地球博スペシャルユニット「鼓動楽房」として出演、九州・沖縄各県自慢の芸能とコラボするステージを作り上げた。 2006年4月29日 日比谷野外音楽堂で行われた第15回グリーンパラダイス出演 2007年5月4日 日比谷野外音楽堂で行われた第16回グリーンパラダイス出演 2008年7月20日 第6回湯沢フィールド音楽祭2008 出演 2024/05/14 02:04更新
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usamoto kyouichi
宇佐元恭一と同じ誕生日11月29日生まれ、同じ福岡出身の人
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