寺尾悟の情報(てらおさとる) スピードスケート/ショートトラック 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


寺尾 悟さんについて調べます
■名前・氏名 |
寺尾悟と関係のある人
スティーブン=ブラッドバリー: さらにその後の審議で、1位でゴールしていた日本の寺尾悟が「ターコットを妨害して李も巻き込んで転倒させた」と判断され失格となったため、ブラッドバリーも結果1位となったため決勝に進出した。 スティーブン=ブラッドバリー: 前述の経緯でソルトレークシティオリンピックショートトラック1000m1回戦・準々決勝を勝ち上がったブラッドバリーと共に準決勝にて同じ組になった寺尾悟によると、この「棚ぼたの勝利」が一因となり、勝負に大きく関わる転倒が起きれば、公平性の観点から、たとえゴール直前でもレースを一旦止めた上で再度やり直しにさせることが国際スケート連盟のガイドラインにより定められているため、この様な珍事は無くなったとしている。 |
寺尾悟の情報まとめ

寺尾 悟(てらお さとる)さんの誕生日は1975年7月25日です。愛知出身のスピードスケート
ショートトラックのようです。

卒業、引退、結婚、テレビに関する情報もありますね。寺尾悟の現在の年齢は49歳のようです。
寺尾悟のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)寺尾 悟(てらお さとる、1975年7月25日 - )は、日本のショートトラックスピードスケートの元選手、指導者。 愛知県豊田市出身。足助町立足助中学校(現・豊田市立足助中学校)、愛知県立足助高等学校、中京大学社会学部卒業。トヨタ自動車所属で2002年までトヨタ自動車のシンボルアスリートだった。 1984年にアイスホッケーでスケートリンクデビュー、翌1985年ショートトラックに転向。 1993年、世界選手権に初出場(5000mリレー)。全日本選手権で初の総合優勝を達成(以後引退まで優勝12回)。1994年世界選手権で5000mリレー日本チームの一員として金メダルを獲得。 1994年リレハンメルオリンピックに18歳で出場し、男子1000mで4位入賞を果たした。以後、1998年長野オリンピック、2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピックと、計4度の冬季オリンピックに出場。 世界選手権では1997年大会で種目別500mで3位、3000mで2位に入り、総合成績で3位。1999年大会では1000mで金メダルを獲得。さらに1500mと3000mでも2位に入り、総合成績で2位となる。また1999年ワールドカップ第3戦では500m、1000m、1500mの3種目で優勝、3000mでも3位に入り、日本人初の総合優勝を達成。 2009年、生涯のパートナーと一緒に2010年バンクーバーオリンピックを目指すため、4歳年下の会社員と結婚。 2009年12月20日、バンクーバーオリンピック出場を賭けた全日本ショートトラックスピードスケート選手権大会で決勝に残れず、オリンピック代表を逃したことから、10年以上に亘って牽引し続けてきたショートトラック競技の第一線を退く意向であることを表明した。2010年3月14日に銀河アリーナでのアジア選手権後に引退レースを行った。 オリンピックでは最後までメダル獲得がなかったものの世界選手権やワールドカップでの好成績は多くてその功績は輝かしく、日本を代表するショートトラック選手であった。 引退後は指導者に転じ、トヨタ自動車スケート部の監督を務めている。また、2013年からショートトラック日本代表コーチに就任している。岡崎市在住。 2002年のソルトレークシティオリンピックの男子1000mで寺尾は予選、準々決勝を通過して準決勝へ進出した。準決勝レースは前回長野の同種目の金メダリストである韓国の金東聖と同じく長野の同種目の銀メダリスト中国の李佳軍が先頭争いを展開。しかしファイナルラップで金が転倒し、最終コーナーで2番手だったカナダのマシュー・ターコットが李を巻き込んで転倒となり巻き込まれなかった寺尾はガッツポーズし、1位でゴールした。 寺尾の決勝進出は確実と思われたがこのレースの審議の結果、全く接触に関係のなかった寺尾がターコットを後ろから押して転倒させ、李を巻き込んで転倒させた原因として寺尾もまさかの失格となった。接触直前の映像を見る限り、寺尾とターコットとの間には完全に空きスペースがあり、寺尾は前の選手に触れてもいなかった 。 しかし、当時のショートトラックの審判判定にはビデオ判定が導入されていなかったため、このような事態が起きてしまった。日本チームの抗議も却下され、結局判定は覆らず李が繰り上がりでターコットが救済措置によって決勝へ進出となり、寺尾は審判の誤審によって不可解な失格となった。この誤審が起こったことにより、日本は国際スケート連盟にルール改正を求める文章を提出した。その後、次のトリノオリンピックではルールも改正し、ビデオ判定も導入されている。 ちなみにこのレースで寺尾についで2着でゴールしたのは、この後の男子1000mの決勝で思いもよらない大波乱のレースを制し金メダルを獲得したオーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーだった。 1994年リレハンメルオリンピック
1000m/4位 1998年長野オリンピック
1000m/9位 2002年ソルトレークシティオリンピック
1000m 1500m 2006年トリノオリンピック
1000m 1500m/9位 1994年
1997年 - 総合3位
3000m/2位 1998年 -
1999年 - 総合2位
1500m/2位 3000m/2位 2000年
3000m/3位 2001年
テレビスポーツ教室 スピードスケート・ショートトラック(2013年12月1日、NHK Eテレ) - 講師 ^ だが、国際映像で見ると寺尾は前の選手の転倒時に転倒選手のすぐ後ろで手を振っており、角度によっては前の選手を突き押して転倒させているようにも見える。 ^ “寺尾悟選手講演会”. 鈴木アキラ 議員奮闘記 (2010年7月13日). 2021年4月7日閲覧。 ^ 寺尾が第一線退く意向 サンケイスポーツ 2009年12月20日閲覧 ^ 寺尾氏 ショートトラック日本代表コーチに スポーツニッポン 2014年2月16日閲覧 ^ “『月報 岡崎の教育』2019年11月号” (PDF). 岡崎市教育ポータルサイト OKリンク. 岡崎市教育委員会. 2023年1月16日閲覧。 ^ https://www.youtube.com/watch?v=ImcoCs0dtwMの1:00 ^ 「特別な舞台」で世紀の大誤審! 寺尾悟さんに聞く五輪ショートトラック=プレーバック五輪 第5回スポーツナビ2014年2月10日 Satoru Terao's Page[1] JOCプロフィール寺尾悟 寺尾悟 - 国際オリンピック委員会 (英語) 寺尾悟 - オリンピックチャンネル 寺尾悟 - Olympedia (英語) 寺尾悟 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語) 寺尾悟 - ShortTrackOnLine.info (英語) 日本の男子ショートトラックスピードスケート選手 オリンピックショートトラックスピードスケート日本代表選手 アジア冬季競技大会メダリスト ショートトラックスピードスケート指導者 トヨタ自動車のスポーツ関係者 中京大学出身の人物 愛知県出身の人物 1975年生 存命人物 ウィキデータのスポーツ識別子を使用している記事
2025/03/31 04:44更新
|
terao satoru
寺尾悟と同じ誕生日7月25日生まれ、同じ愛知出身の人

TOPニュース
寺尾悟と近い名前の人


話題のアホネイター

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「寺尾悟」を素材として二次利用しています。