小城錦康年の情報(おぎにしきやすとし) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小城錦 康年さんについて調べます
■名前・氏名 |
小城錦康年と関係のある人
小城ノ花昭和: 父は元関脇・小城ノ花正昭、弟は元小結・小城錦康年。 |
小城錦康年の情報まとめ
小城錦 康年(おぎにしき やすとし)さんの誕生日は1971年7月8日です。千葉出身の相撲のようです。
現在、趣味、引退、兄弟に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小城錦康年の現在の年齢は53歳のようです。
小城錦康年のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - )は、千葉県市川市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は小岩井 康年(こいわい やすとし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東小結(1997年7月場所)。現在は年寄・中立。身長186cm、体重141kg。父は元関脇・小城ノ花正昭、兄は元前頭・小城ノ花昭和、趣味はサッカー、スポーツ観戦、血液型はA型。 1987年3月場所初土俵、1991年11月場所新十両、1993年5月場所新入幕、2004年1月場所限りで引退した。 新入幕を果たした1993年5月場所では9勝6敗と勝ち越したものの、翌7月場所は4勝11敗と大敗して十両に陥落。再入幕の11月場所(前頭16枚目)で11勝を挙げて敢闘賞を受賞。東前頭5枚目で迎えた1994年1月場所は7勝8敗と惜しくも負け越したが、続く3月場所で、優勝した横綱曙から金星を奪うなど9勝を挙げて技能賞を獲得、当時新鋭だった武双山、魁皇とともに「若手三羽烏」と呼ばれ、3人で相撲雑誌の表紙を飾ったこともある。東前頭筆頭で迎えた5月場所は7勝8敗と惜しくも負け越して、三役昇進を逃す。以降は、故障がちで低迷を続ける。幕内下位では勝ち越すものの、横綱・大関との対戦がある上位では大負けする時期が長く続いた。 復調の兆しを見せたのが、東前頭4枚目で迎えた1996年11月場所である。6勝9敗と負け越しはしたものの、優勝した武蔵丸と若乃花、貴ノ浪の3大関に勝利した。幕尻(前頭15枚目)で迎えた1997年3月場所では、三賞こそ逃したものの11勝を挙げる。西前頭5枚目で迎えた5月場所にも11勝を挙げて技能賞を獲得し、完全復活を印象づけた。この頃から小城錦の左四つから一気に寄る相撲の取り口は「速攻相撲」と呼ばれるようになる。 同年7月場所では念願の小結昇進を果たす が、5月場所千秋楽の土佐ノ海戦で負けた際に傷めた膝の故障の影響で、4勝11敗と大負けし、以降三役に復帰することはなかった。それでも上位ではたびたび善戦し、西前頭3枚目で迎えた1998年5月場所では横綱貴乃花(金星)、優勝した大関若乃花、大関貴ノ浪に勝利し、8勝7敗で殊勲賞を受賞している。 しかし、同年7月場所で右上腕三頭筋筋挫傷により途中休場すると、再度低迷するようになる。1999年7月場所でついに十両に陥落した(この十両陥落で出羽海部屋の幕内力士が100年以上振りに途絶えた)。同部屋の金開山が幕内に復帰して1場所で解消されたとはいえ、自らのせいで部屋の記録を101年ぶりに途絶えさせてしまったという思いがあったようで、そのため十両では格の違いを見せ2場所連続優勝、2000年3月場所に幕内復帰を果たす。しかし今度は左上腕三頭筋断裂の不幸に見舞われ、2001年7月場所に十両陥落。以降は幕内と十両を行ったり来たりした。2002年5月場所に十両に陥落すると、以降幕内に復帰することはなかった。幕下陥落が決定的になった2004年1月場所限りで引退し、中立を襲名。親方としては部屋の稽古場で若い衆への細かい指導を重点的に行っている。 横綱・大関戦に善戦し、特に貴ノ浪に強かった(幕内対戦成績は6勝10敗であり、そのうち5勝については貴ノ浪は大関であった)。なお、貴ノ浪とは同期である。また、優勝力士に4度土をつけている(曙、若乃花、武蔵丸、貴ノ浪)。 東前頭15枚目で迎えた1997年3月場所で11勝を挙げて三賞候補に挙がりながら受賞を逃した。審査では「十両力士?」と悪い冗談が出たほど当時の小城錦は長期に渡り低迷していた。その翌場所、上位でも11勝をマークして雪辱を果たすこととなる。 西前頭5枚目で迎えた1997年5月場所の千秋楽に土佐ノ海戦で勝利していれば技能・敢闘のダブル受賞に加え新三役は小結を飛び越えて父と並ぶ関脇での昇進が約束されていた。 西十両13枚目で迎えた2004年1月場所8日目に新十両で東十両12枚目であった白鵬と対戦したが、小手投げで敗れている。小城錦はこの場所の12日目に引退している。 通算成績:605勝585敗107休 勝率.508 幕内成績:299勝359敗47休 勝率.454 現役在位:102場所 幕内在位:47場所 三役在位:1場所 (小結1場所) 三賞:4回
敢闘賞:1回 (1993年11月場所) 技能賞:2回 (1994年3月場所、1997年5月場所) 金星:2個(曙1個、貴乃花1個) 各段優勝
小岩井 康年(こいわい やすとし)1987年3月場所-1989年5月場所 小城ノ洲 康年(おぎのしま-)1989年7月場所-1990年7月場所 小城錦 康年(おぎにしき-)1990年9月場所-2004年1月場所 小城ノ洲の四股名は1989年5月場所限りで引退した兄弟子の元十両・出羽の洲から由来している。小城錦は従兄の四股名を継承したものである。 新聞(主に漢字2文字分しか表記スペースがない星取表)などでは頭文字の付かない城錦の略称も見られた。これは小錦や兄の小城乃花(小城)が先に幕内に昇進し、同時に在位しており重複を避けるためである。兄が引退した後(特に城錦康允が入門した2003年1月場所以降)は、兄と同じ小城の略称が使われたこともあった。 中立 康年(なかだち やすとし)2004年1月-2005年3月 中立 康照( - やすとし)2005年3月- ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK) ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p27 ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p70 ^ 公傷 ^ 右上腕三頭筋筋挫傷により11日目から途中休場 ^ 左上腕三頭筋筋断裂により2日目から途中休場 ^ Dewanoumi Beya Nihon Sumo Kyokai Official Grand Sumo Home Page(2024年3月27日閲覧) 小結一覧 現役年寄一覧 小城錦 康年 - 日本相撲協会 表 話 編 歴 出羽海 中立 高崎 境川 関ノ戸 山科 振分 立田川 武隈 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 玉ノ井 雷 入間川(停年後再雇用) 藤島 大鳴戸 山分 待乳山 錦島 武蔵川 二子山 山響 小野川 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 千田川 尾上 千賀ノ浦 北陣 式守秀五郎(式秀) 立浪 二所ノ関 中村 佐渡ヶ嶽 粂川 白玉 浜風 荒磯 尾車 押尾川 鳴戸 秀ノ山 片男波 熊ヶ谷 田子ノ浦 西岩 放駒 松ヶ根 芝田山 峰崎(停年後再雇用) 高田川 花籠(停年後再雇用) 大嶽 阿武松 不知火 常盤山 湊川 湊 錣山 時津風 中川 枝川 荒汐 浦風 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 鏡山(停年後再雇用) 音羽山 陸奥(停年後再雇用) 追手風 立田山(停年後再雇用) 高島(停年後再雇用) 高砂 若松 錦戸 九重 谷川 佐ノ山 大山 八角 陣幕 東関 君ヶ濱 伊勢ヶ濱 楯山 宮城野 間垣 安治川 大島 玉垣 浅香山 友綱 朝日山 桐山 出来山 表 話 編 歴 出羽海 中立 高崎 御嶽海 出羽ノ龍 清田 出羽大海 小城ノ浜 出羽ノ城 山藤 小城ノ正 清の花 龍成山 翠桜 永田 清の山 出羽の空 岡ノ城 小城虎 播磨海 若狹 海龍 木村千鷲 陽平 床力 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。 千葉県出身の大相撲力士 出羽海部屋 1971年生 存命人物 日本相撲協会の役員 ウィキデータにある日本相撲協会識別子 すべてのスタブ記事 相撲に関するスタブ
2024/11/20 02:31更新
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oginishiki yasutoshi
小城錦康年と同じ誕生日7月8日生まれ、同じ千葉出身の人
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