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小田滋
小田 滋(おだ しげる)さんの誕生日は1924年10月22日です。北海道出身の国際法学者のようです。
来歴、研究活動などについてまとめました。卒業、事件に関する情報もありますね。
小田 滋(おだ しげる、1924年(大正13年)10月22日 - )は、日本の法学者。専門は国際法。学位はDoctor of the Science of Law(イェール大学・1953年)、法学博士(東北大学・1962年)。東北大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。文化勲章受章、瑞宝大綬章受章。弁護士。 東北大学法学部教授、国際司法裁判所判事、国際司法裁判所副所長などを歴任した。 北海道札幌市出身の国際法や海法を専攻する法学者である。イェール大学法科大学院にて1953年にDoctor of the Science of Lawを取得し、博士論文「海洋資源の国際的規制」により1962年に東北大学から法学博士を授与された。 東北大学で教鞭を執ったのち、1976年2月6日から2003年2月5日まで3期27年間にわたり国際司法裁判所の判事を務め、副所長にも就任した。のちに東北大学より名誉教授の称号が贈られた。文化功労者として顕彰され、日本学士院会員にも選任された。文化勲章や瑞宝大綬章も受章している。 来歴北海道札幌市生まれ。10歳から台湾・台北市で育つ。台北高等学校尋常科・高等科を経て、1947年(昭和22年)9月東京帝国大学法学部政治学科卒業。1953年(昭和28年)、イェール・ロースクール博士課程修了、Doctor of the Science of Law取得。 1953年(昭和28年)6月、東北大学法学部助教授。1959年(昭和34年)4月、東北大学法学部教授。1968年(昭和43年)、国際司法裁判所ドイツ政府弁護人。1969年(昭和44年)、万国国際法学会準会員。1975年(昭和50年)、アメリカ国際法学会名誉会員。1976年(昭和51年)2月、国際司法裁判所判事。1979年(昭和54年)、万国国際法学会正会員、財団法人東北大学研究教育振興財団副会長。1985年(昭和60年)2月、東北大学名誉教授。1991年(平成3年)、国際司法裁判所副所長。1994年(平成6年)12月12日、日本学士院会員。 研究活動海洋法を特に専門とした。今となっては常識となった「shared resources」理論は当時は革新的なものであった。初めて国際司法裁判所(ICJ)に登場したのは、1968年の「北海大陸棚事件」における西ドイツの弁護人としてである。第三次国連海洋法会議には日本代表団のメンバーとして活動する。ICJ判事には、東北大学教授時代に登用された。学者出身の裁判官である。27年という任用期間は、常設国際司法裁判所以来からも史上最長記録である。ICJの裁判所所長への機会もあったが、本人は一裁判官としてずっと任務を続けるという意思で、これを断ったという。判決に付随する個別意見、反対意見を多数書いた。本人は、これは他の裁判官を説得出来なかった自分の未熟さゆえんであると回顧している。 2024/05/20 01:12更新
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oda shigeru
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