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新浦壽夫の情報 (にうらひさお)
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【4月5日】今日誕生日の芸能人・有名人

新浦壽夫の情報(にうらひさお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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新浦 壽夫さんについて調べます

■名前・氏名
新浦 壽夫
(読み:にうら ひさお)
■職業
野球選手
■新浦壽夫の誕生日・生年月日
1951年5月11日 (年齢73歳)
卯年(うさぎ年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
静岡出身

(昭和26年)1951年生まれの人の年齢早見表

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新浦壽夫の情報まとめ

もしもしロボ

新浦 壽夫(にうら ひさお)さんの誕生日は1951年5月11日です。静岡出身の野球選手のようです。

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卒業、事件、引退、テレビ、病気、現在、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。新浦壽夫の現在の年齢は73歳のようです。

新浦壽夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

新浦 壽夫(にうら ひさお、1951年5月11日 - )は、東京都世田谷区出身(静岡県育ち)の元プロ野球選手(投手)・解説者。

出自は在日韓国人で、韓国名は「金日融(キム・イリュン、김일융)」である。NPB入り後の1978年に長男が誕生したことを機に、知己の国会議員である稲葉修や立川談志の協力を得て日本国籍へ帰化して韓国系日本人となったことを自ら明かしている。

在日韓国人2世として東京都世田谷区二子玉川で出生した。その後すぐに静岡市へ転居した。小学校時代はプロレスが好きで、力道山がヒーローだった。静岡市立安倍川中学校に進学し、いろいろな運動部から誘われたが最終的に野球部に入った。大橋功男というピッチャーがいたため、自分は2番手で、投げる機会はほとんどなかった。3年生のとき御前崎中学校に転校してからはエースとして活躍し、県南部大会優勝を果たした。秋の地区大会を見に来た静岡商業高校OBから誘われ、同校に進学した。 同校定時制の1年次を修了後、同高校全日制の(2年次ではなく)1年次に編入した。1年次の1968年に夏の甲子園へエースとして出場すると、決勝までの5試合で、完封3試合、1失点完投2試合を記録。決勝に進み興國高の丸山朗と投げ合うが、0-1で完封を喫し準優勝にとどまる。この時のチームメイトには池谷公二郎、1年上に藤波行雄、当時三塁手でのちに大洋で同僚となる松島英雄らがいた。前述の経緯で卒業を待つと全日制3年次には年齢制限で公式戦出場資格を逸するうえに当時新浦は韓国籍であり、この頃のドラフト制度では、日本の学校を卒業しても外国籍選手はドラフト会議にかける必要が無かったため、国内の6球団及びメジャーリーグも巻き込んだ争奪戦となった。この結果、新浦は秋季県大会の期間中に高校を中退して読売ジャイアンツにドラフト外で入団し、8月22日の甲子園決勝から18日後の9月9日に入団が発表された。これがきっかけとなり、その後「日本の学校に所属する選手はすべてドラフトにかける」というルールに変更されたが、当の新浦は後年、「日本語しか分からない俺が日本人じゃないと意識した数少ない機会がこのときだった」と回想している。

巨人での最初の2年間は、入団時に肩を痛めており、年齢も17歳と若かったことから、一切ボールを握らずランニングのみの指令が川上哲治監督から出ていた。肩には小さなひびが入っていたこともあり、新浦は広島の住田整骨院に通う傍らで酒屋で配達のアルバイトをしながら体を作っていった。

1971年に一軍に昇格したあと、V9最終年の1973年に先発ローテーション入りし、威力のある速球とカーブを武器に、1973年に3勝、翌1974年に7勝6敗1セーブで頭角を現す。

1975年に長嶋茂雄監督が就任すると、先発と救援の両方で失敗する場面が多く2勝11敗と低迷した。大量リード時にリリーフしても打ち込まれて逆転されるなど、「ノミの心臓」が話題となり、マウンドを囲んだ王貞治が「(リードしている)スコアボードを見ろ」と指さし叱咤する等のエピソードもあった。防御率3.33で新浦は「いつもめった打ちを食らった印象はなく運が悪くて打線の援護に恵まれなかった。試合もあったと思います。同点で降板したら次の投手が打たれて負け投手になったこともあります。罵声も浴びたし、球団史上初の最下位はお前のせいだと言われましたね。シーズン中、肩も肘も痛くないのに結果が出ない。」と述べている。長嶋監督自身も新浦の起用には疑問を持たれたほどであったが、この時期に打たれても打たれても長嶋監督が登板させ続けたことが新浦を成長させたともいわれている。同年8月、一度2軍で調整になり、1軍復帰すると8月31日のヤクルト戦で1安打完封して初勝利。長嶋監督の進言で禁煙を決意、これが76年の飛躍につながっていく。

1976年願掛けの意味で正月から禁煙すると太ってしまい長嶋から「どうしたのその体は?」と聞かれ、「タバコ辞めたんです」と答えたら「お前はそんなの気をつかうなよ。勝ち負けは俺の責任だ。お前は吸え。ケツの中にヤニを突っ込んでも吸え」と言われ、再び喫煙すると体が絞れボールが速くなってキレが出てきた。初の規定投球回(3位、防御率3.11)に達し、同年以降は1979年まで202試合に登板(そのうち77試合に先発)し、大車輪の活躍で4年連続2桁勝利と2桁セーブポイントを同時に挙げる。1976年、1977年の連覇に貢献。「具体的な優勝の思い出はないのですが良かったと思います。長嶋監督に恩返しができてありがとうございましたという気持ちです。長嶋さんが使ってくれなければトレードに出されていもおかしくない存在でしたから」と述べている。1977年、1978年は2年連続で最優秀防御率と最多セーブを同時に記録した(1978年には最優秀救援投手、ベストナイン。1979年には当時タイトルではなかった時代だが、最多奪三振も記録している)。ベンチで長嶋に「新浦、今日(登板が)ないからと言われ、試合中に翌日の為にブルペンに行って他の投手の投球練習の合間に軽く投げていたら電話がかかってきて「新浦、登板だ。」と言われたこともあり、絶対的な「左のエース兼リリーフエース」として長嶋監督に信頼された。1977年5月31日の対中日戦での打席で、戸田善紀から12球連続してファウルボールを打っている。結果は、カウント2-2から17球目で三振であった。江川事件では阪神タイガースはトレードの相手に新浦を指名したが長嶋が断って小林繁が阪神に移籍したが新浦は「私の代わりです。阪神は私を要求したらしいですが、長嶋監督が断って小林さんが行くことになったと聞いています。私なんか大した成績ではなかったのですが阪神戦はいいところで抑えた印象があるみたいで。それでも彼は反骨心の強い人間ですから、移籍1年目に巨人戦で活躍したでしょう。」と述べている。

1980年は肘を痛めて、「ファームに行ってもいいんだぞ」と言われたが、「そういうわけにいきません」と答え、3勝4敗1セーブに終わった。

1981年に藤田元司が監督に就任すると肘は治っていたが江川卓・西本聖・定岡正二の先発3番柱を確立した為使われなくなった。1982年8月28日の大洋戦、優勝争いの最中に先発登板するも、2番手鹿取義隆とともに初回から3回まででそれぞれ2点、2点、6点を奪われて大敗を喫し、戦前のクーデター事件に倣って「226事件」と呼ばれた。新浦は「江川はエースになるだろうと思っていましたが私にとって「あーあ」ですよね。使いづらかったと思います。怪我していたわけではなくまだ力はあったので下手に移籍させても巨人戦で活躍され、巨人がメンツを失う可能性があると思われたのではないですか。閉鎖的な球団でしたね。1983年の西武との日本シリーズは7試合あったのに登板機会がなくさすがにトレードかと思ったら長嶋さんから電話が来ました。「お前、韓国プロ野球行けと」と述べている。その後、長嶋のすすめもあり、1983年シーズン限りで巨人を退団し、新設されたばかりであった韓国プロ野球のサムスン・ライオンズへ移籍した。

韓国では韓国名金日融(キム・イルユン、김일융)として、サムスンのエースとして1984年から3年間活躍。3年間で54勝20敗、とくに1985年には25勝6敗と圧倒的な成績を残す。かつては速球派投手であったが、韓国球界在籍時に技巧派へと変身した。しかし、日本語しか話せなかったためにチームでは苦労を重ね、チームメイトからも年長者に対する敬称である「ヒョン」(hyeong=「兄」)と呼ばれることはなく、終始よそ者扱いされていたと告白している。新浦は「もうかってないですよ。出稼ぎにもならなかった。(同時期に三美スーパースターズに在籍していた)福士敬章選手はウォン契約だったので外貨を日本に持ち帰れなかったり、私自身も、3年間でたくさん勝った割に給料が一切上がりませんでした。でも成績は残したしチームの優勝に貢献した(1985年は三星は韓国一)。技術的な事も教えてくれと言ってきた選手には教えた。やることはやったと思っています。」と述べている。

1987年に横浜大洋ホエールズで日本球界に35歳で復帰。かつての球威は鳴りをひそめたが、高橋一三とバレンズエラに習ったチェンジアップと多種類の変化球による老練な投球をみせ11勝(4完封、107奪三振)をあげカムバック賞を受賞。

1988年は10勝した。

1989年に8勝と大洋の左のエースとして活躍した。8月4日には、横浜スタジアムで古巣の巨人を相手に13安打を浴びながらも完封勝利を挙げ、最多被安打完封のプロ野球記録となっている。この試合でイニング別の被安打は2、1、3、3、2、1、0、1、0で、5回までに11安打を打たれた。1990年に監督が須藤豊に変わると、先発から中継ぎで起用されることが多くなった。

1992年に大塚義樹との交換トレードで福岡ダイエーホークスに移籍。しかし監督の田淵幸一と衝突し、本人から移籍を申し入れたこと異例ではあったが在籍わずか半年で同年のシーズン途中にヤクルトスワローズに再度移籍。ヤクルトでは優勝争いも佳境に入った8月16日の対巨人戦で斎藤雅樹に投げ勝って5回2失点で2年振りの勝利投手となり、同25日の大洋戦でも勝利投手にはなれなかったものの5回無失点でチームの勝利に貢献するなど、この年14年ぶりのリーグ制覇を達成するチームにあって数少ない経験豊富なベテランとして最後の輝きをみせて花道を飾った。シーズンが終わって翌年の契約が話がなく、巨人の監督に復帰した長嶋に電話したら「左投手は多いからな」と言われ引退した。

引退後は、日本テレビ・福岡放送・ラジオ日本(1993年 - 1998年)に次いで東北放送(2005年 - 2012年)で解説者を務め、韓国の縁から東亞日報グループ「スポーツ東亞」の日本駐在通信員も兼任する。プロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャスに参加した。

2013年7月にスポーツニッポン紙上で「我が道」を、2024年3月に産経新聞で「話の肖像画」を連載した。

2015年11月から同い年ながら1学年先輩の藤波行雄とともに、母校の静岡商野球部で外部コーチを務めた。

韓国球界時に糖尿病を発症し、インスリン注射が毎日欠かせない生活になったが、現役時代は糖尿病であることを知られないために、ホテルのトイレなど一切人目につかない場所で注射を打っていた。しかしいつしか注射器を持っていることがばれ、さらに病気の影響で痩せていたこともあって「新浦は覚醒剤を打っている」という噂になったこともあった。2013年放送の番組で、現在も糖尿病と格闘している姿が放映された。

若い頃の好物は白飯とサイダーで、サイダーを横に置いて白飯を食しているとコーチの牧野茂に「ご飯にサイダーをかけて食うのか」とからかわれたと新聞が記事にした。「サイダーをご飯にかけて茶漬けにして食べる」という噂されるほどに甘物を好み、糖尿病を患う一因とも疑われた。

新浦は結構な汗っかきで、付けられたあだ名は「カッパ」。ある日、堀内恒夫が汗だくの新浦を見て、「あっ、カッパだ、カッパ…」と叫んだことに由来。

2003年、日本テレビ系のバラエティ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の罰ゲーム「ウラジオストク」編に出演した。「裏を読めない」烙印を押された浜田雅功を「ウラ」のつくものづくしで責め立てる趣向で、ギャグのひとつとして新浦が登場した。

妻の登志恵は1歳年上で、白百合学園高、フェリス女学院短大卒の才媛。ラジオで巨人情報番組のパーソナリティーをしていた毒蝮三太夫のアシスタントとして後楽園球場をおとずれ、選手のインタビューをしていた。新浦のファンだと知った関本四十四が仲をとりもったという。2年の交際の末、1976年1月30日に結婚した。披露宴には毒蝮も出席した。いい時も、悪い時も陰で支えてもらい、「今、私がこうしていられるのは妻のおかげです。」と述べている。

各年度の太字はリーグ最高

最優秀防御率:2回 (1977年、1978年)※2年連続は菅野智之に次ぐセ・リーグ2位タイ

最多奪三振:1回 (1979年) ※当時連盟表彰なし

最高勝率:1回(1977年)

最優秀救援投手:1回 (1978年)

最多勝:1回 (1985年)

ベストナイン:1回 (1978年)

最優秀投手:1回 (1978年)

月間MVP:1回 (1978年7月)

カムバック賞 (1987年)

初登板:1971年4月13日、対中日ドラゴンズ2回戦(中日スタヂアム)、6回裏に3番手で救援登板・完了、3回無失点

初奪三振:同上、6回裏に島谷金二から

初先発・初勝利:1971年4月29日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、6回無失点

初完投勝利・初完封勝利:1971年6月1日、対中日ドラゴンズ9回戦(後楽園球場)、6回1/3を無失点(降雨コールド)

初セーブ:1974年7月31日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、9回裏2死に3番手で救援登板・完了、1/3回無失点

1000奪三振:1981年4月9日、対大洋ホエールズ3回戦(横浜スタジアム)、3回表に前泊哲明から ※史上60人目

100勝:1988年7月18日、対読売ジャイアンツ16回戦(横浜スタジアム)、9回1失点完投勝利 ※史上97人目

1500奪三振:1989年8月29日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤ球場)、2回裏に中村武志から ※史上31人目

500試合登板:1990年8月5日、対中日ドラゴンズ18回戦(横浜スタジアム)、9回表2死に3番手で救援登板・完了、1/3回無失点 ※史上63人目

オールスターゲーム出場:5回 (1976年、1978年、1979年、1987年、1988年)

42 (1968年)

40 (1969年 - 1972年)

28 (1973年 - 1992年途中)

49 (1992年途中 - 同年終了)

新浦 壽夫(にうら ひさお、1968年 - 1970年、1981年 - 1983年、1987年 - 1992年)

新浦 寿夫(にうら ひさお、1971年 - 1979年)

新浦 壽丈(にうら ひさお、1980年)

金 日融(キム・イリュン、김일융、1984年 - 1986年)

「ぼくと野球と糖尿病」(文藝春秋、1994年) ISBN 978-4163493909

侍プロ野球(現在のところ東北放送の楽天主催ゲームローカル中継のみ)

TBCパワフルベースボール(JRN・NRNの楽天主催ゲーム全国中継にもごくまれに登場)

^ ブルペンでは良い球を投げるが、ひ弱な性格が災いして、マウンドに立つと委縮することが有った。

^ 2013年7月23日付のスポーツニッポン「我が道」より

^ 「ヒーローはプロレスの力道山 話の肖像画 元プロ野球選手 新浦壽夫(72)3」『産経新聞』2024年3月3日。

^ “ドラフト「国籍」消滅 静岡商・新浦/静岡2”. 日刊スポーツ (2018年7月13日). 2018年7月13日閲覧。

^ “【8月31日】1975年(昭50) 0勝7敗左腕新浦寿夫の突然変異!1安打完封勝利”. スポーツニッポン (2007年8月31日). 2012年7月5日閲覧。

^ YOMIURI GIANTSホームページ、「おやG」コーナーの本人談話

^ 週刊ベースボール2023年11月20日号、レジェンドを訪ねる、昭和時代の言い残し、新浦壽夫60-61頁

^ “第1期「長嶋巨人」のエース左腕 甲子園準V、韓国移籍…波乱万丈の野球人生を経て次世代に伝えたいこと” (2020年7月15日). 2022年4月10日閲覧。

^ 宇佐美徹也『プロ野球データブック'84』(講談社文庫、1984年)P105

^ 新浦氏は“手切れ金127円”お守りに復活 巨人退団時の“仕打ち” zakzak 2013年8月2日

^ 「みのもんたの朝ズバッ!」(2006年3月20日放送)

^ 週刊ベースボール2023年11月27日号、レジェンドを訪ねる、昭和時代の言い残し、新浦壽夫、57頁

^ 「江川と対決したかった 新浦寿夫 聞き手:赤瀬川隼」『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史〈第3巻〉』文藝春秋、1988年、532-539頁。ISBN 9784163629100。 

^ 新浦寿夫さん、先発に救援フル回転!ミスターに鍛えられた サンケイスポーツ 2018年1月27日。1981年の日本シリーズ第5戦で巨人の西本聖も13被安打完封を記録している。

^ 毎日新聞1991年8月5日19面

^ 「話の肖像画 元プロ野球選手 新浦壽夫(72)」『産経新聞』2024年3月1日。

^ 『週刊ベースボール』 2023年11月20日号、ベースボール・マガジン社、59頁。

^ 4年目の初勝利とV9戦士の仲間入り 話の肖像画 元プロ野球選手・新浦壽夫<8> 2024年3月8日 産経新聞閲覧。

^ 「最大の感謝は妻へ 話の肖像画 元プロ野球選手 新浦壽夫(72)30」『産経新聞』2024年3月31日。

静岡県出身の人物一覧

読売ジャイアンツの選手一覧

横浜DeNAベイスターズの選手一覧

福岡ソフトバンクホークスの選手一覧

東京ヤクルトスワローズの選手一覧

個人年度別成績 新浦壽夫 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)

1974 石岡康三

1975 安仁屋宗八

1976 船田和英

1977 浅野啓司

1978 野村収

1979 三村敏之

1980 谷沢健一

1981 藤田平

1984 鈴木孝政

1986 津田恒実

1987 杉浦享, 新浦壽夫

1988 有田修三

1989 西本聖, 中尾孝義

1990 吉村禎章, 遠藤一彦

1992 伊東昭光

1993 川崎憲次郎

1994 彦野利勝

1996 加藤伸一

1997 伊藤智仁

1998 斎藤隆

1999 遠山奬志

2000 種田仁

2001 成本年秀

2002 前田智徳

2003 平井正史, 鈴木健

2004 小久保裕紀

2008 平野恵一

2012 大竹寛

2015 館山昌平

2017 岩瀬仁紀

2018 松坂大輔

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 梶岡忠義

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 渡辺省三

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 村山実

1960 秋山登

1961 権藤博

1962 村山実

1963 柿本実

1964 G.バッキー

1965 金田正一

1966 堀内恒夫

1967 権藤正利

1968 外木場義郎

1969 江夏豊

1970 村山実

1971 藤本和宏

1972 安田猛

1973 安田猛

1974 関本四十四

1975 安仁屋宗八

1976 鈴木孝政

1977 新浦寿夫

1978 新浦寿夫

1979 平松政次

1980 松岡弘

1981 江川卓

1982 斉藤明夫

1983 福間納

1984 小林誠二

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 大野豊

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 盛田幸妃

1993 山本昌広

1994 郭源治

1995 T.ブロス

1996 斎藤雅樹

1997 大野豊

1998 野口茂樹

1999 上原浩治

2000 石井一久

2001 野口茂樹

2002 桑田真澄

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 三浦大輔

2006 黒田博樹

2007 高橋尚成

2008 石川雅規

2009 チェン

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 前田健太

2013 前田健太

2014 菅野智之

2015 K.ジョンソン

2016 菅野智之

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 大野雄大

2020 大野雄大

2021 柳裕也

2022 青柳晃洋

2023 村上頌樹

2024 髙橋宏斗

1950 杉下茂

1951 金田正一

1952 金田正一

1953 金田正一

1954 杉下茂

1955 金田正一

1956 金田正一

1957 秋山登

1958 金田正一

1959 金田正一

1960 金田正一

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 金田正一

1964 金田正一

1965 村山実

1966 村山実

1967 江夏豊

1968 江夏豊

1969 江夏豊

1970 江夏豊

1971 江夏豊

1972 江夏豊

1973 高橋一三

1974 金城基泰

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 池谷公二郎

1978 斉藤明雄

1979 新浦寿夫

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 江川卓

1983 遠藤一彦

1984 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 遠藤一彦

1987 川口和久

1988 槙原寛己

1989 川口和久

1990 木田優夫

1991 川口和久

1992 仲田幸司

1993 今中慎二

1994 桑田真澄

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤隆

1997 山本昌

1998 石井一久

1999 上原浩治

2000 石井一久

2001 野口茂樹

2002 井川慶

2003 上原浩治

2004 井川慶

2005 門倉健, 三浦大輔

2006 川上憲伸, 井川慶

2007 内海哲也

2008 C.ルイス

2009 C.ルイス

2010 前田健太

2011 前田健太

2012 杉内俊哉, 能見篤史

2013 R.メッセンジャー

2014 R.メッセンジャー

2015 藤浪晋太郎

2016 菅野智之

2017 M.マイコラス

2018 菅野智之

2019 山口俊

2020 大野雄大

2021 柳裕也

2022 戸郷翔征

2023 今永昇太

2024 戸郷翔征

1974 星野仙一

1975 鈴木孝政

1976 鈴木孝政

1977 鈴木孝政

1978 新浦寿夫

1979 江夏豊

1980 江夏豊

1981 角三男

1982 山本和行

1983 斉藤明夫

1984 山本和行

1985 中西清起

1986 斉藤明夫

1987 郭源治

1988 郭源治

1989 津田恒実

1990 与田剛

1991 大野豊

1992 佐々木主浩

1993 石毛博史

1994 高津臣吾

1995 佐々木主浩

1996 佐々木主浩

1997 佐々木主浩

1998 佐々木主浩

1999 高津臣吾

2000 E.ギャラード

2001 高津臣吾

2002 E.ギャラード

2003 高津臣吾

2004 五十嵐亮太

2005 岩瀬仁紀

2006 岩瀬仁紀

2007 藤川球児

2008 M.クルーン

2009 岩瀬仁紀

2010 岩瀬仁紀

2011 藤川球児

2012 岩瀬仁紀, T.バーネット

2013 西村健太朗

2014 呉昇桓

2015 T.バーネット, 呉昇桓

2016 澤村拓一

2017 R.ドリス

2018 山﨑康晃

2019 山﨑康晃

2020 R.スアレス

2021 R.スアレス

2022 R.マルティネス

2023 岩崎優

2024 R.マルティネス

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 藤村隆男

1953 大友工, 石川克彦

1954 杉下茂

1955 大友工

1956 堀内庄

1957 木戸美摸

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 伊藤芳明

1962 小山正明

1963 山中巽

1964 石川緑

1965 山中巽

1966 堀内恒夫

1967 堀内恒夫

1968 島田源太郎

1969 高橋一三

1970 村山実

1971 坂井勝二

1972 堀内恒夫

1973 倉田誠

1974 松本幸行

1975 星野仙一

1976 加藤初

1977 新浦寿夫

1978 鈴木康二朗

1979 藤沢公也

1980 福士敬章

1981 江川卓

1982 都裕次郎

1983 津田恒美

1984 江川卓

1985 北別府学

1986 北別府学

1987 川端順

1988 小野和幸

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 北別府学

1992 斎藤雅樹

1993 山本昌広

1994 紀藤真琴

1995 石井一久

1996 斎藤雅樹

1997 三浦大輔

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 入来祐作

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 安藤優也

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 館山昌平

2009 D.ゴンザレス

2010 久保康友

2011 吉見一起

2012 杉内俊哉

2013 小川泰弘

2014 山井大介

2015 M.マイコラス

2016 野村祐輔

2017 薮田和樹

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1971 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 堀内恒夫

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 新浦寿夫

1979 小林繁

1980 江川卓

1981 江川卓

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1984 山根和夫

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 山本昌

1998 佐々木主浩

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 藤井秀悟

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 S.グライシンガー

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 内海哲也

 投  新浦寿夫

 捕  大矢明彦

 一  王貞治

 二  D.ヒルトン

 三  掛布雅之

 遊  高橋慶彦

 外  山本浩二 / 若松勉 / C.マニエル

1936夏 沢村栄治

1936秋 沢村栄治

1937春 沢村栄治

1937秋 沢村栄治

1938春 V.スタルヒン

1938秋 前川八郎

1939 川上哲治

1940 V.スタルヒン

1941 須田博

1942 広瀬習一

1943 須田博

1944 藤本英雄

1946 近藤貞雄

1947 川崎徳次

1948 川崎徳次

1949 多田文久三

1950 藤本英雄

1951 別所毅彦

1952 藤本英雄

1953 別所毅彦

1954 大友工

1955 別所毅彦

1956 別所毅彦

1957 大友工

1958 藤田元司

1959 伊藤芳明

1960 伊藤芳明

1961 中村稔

1962 城之内邦雄

1963 伊藤芳明

1964 高橋明

1965 金田正一

1966 金田正一

1967 城之内邦雄

1968 金田正一

1969 金田正一

1970 高橋一三

1971 渡辺秀武

1972 堀内恒夫

1973 堀内恒夫

1974 高橋一三

1975 堀内恒夫

1976 堀内恒夫

1977 堀内恒夫

1978 堀内恒夫

1979 新浦寿夫

1980 江川卓

1981 西本聖

1982 江川卓

1983 西本聖

1984 江川卓

1985 西本聖

1986 江川卓

1987 西本聖

1988 桑田真澄

1989 桑田真澄

1990 斎藤雅樹

1991 槙原寛己

1992 槙原寛己

1993 斎藤雅樹

1994 斎藤雅樹

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 斎藤雅樹

1998 桑田真澄

1999 B.ガルベス

2000 上原浩治

2001 上原浩治

2002 上原浩治

2003 上原浩治

2004 上原浩治

2005 上原浩治

2006 上原浩治

2007 内海哲也

2008 高橋尚成

2009 S.グライシンガー

2010 内海哲也

2011 東野峻

2012 内海哲也

2013 宮國椋丞

2014 菅野智之

2015 菅野智之

2016 菅野智之

2017 M.マイコラス

2018 菅野智之

2019 菅野智之

2020 菅野智之

2021 菅野智之

2022 菅野智之

2023 T.ビーディ

2024 戸郷翔征

2025 戸郷翔征

82 朴哲淳

83 張明夫

84 崔東原

85 金始真 / 金日融

86 宣銅烈

87 金始真

88 尹学吉

89 宣銅烈

90 宣銅烈

91 宣銅烈

92 宋津宇

93 趙啓顯

94 趙啓顯 / 李尚勲

95 李尚勲

96 具臺晟 / 朱炯光

97 金玄旭

98 金龍洙

99 鄭珉台

00 鄭珉台 / 金守経 / 林仙東

01 申潤浩 / 孫敏漢

02 キーファー

03 鄭珉台

04 リオス / 裵英洙 / ラス

05 孫敏漢

06 柳賢振

07 リオス

08 金廣鉉

09 曺正訓 / 尹盛桓 / A.ロペス

10 金廣鉉

11 尹錫珉

12 張洹三

13 セドン / 裵英洙

14 バンヘッケン

15 ハッカー

16 ニッパート

17 梁玹種 / ヘクター

18 フランコフ

19 リンドブロム

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2025/03/30 20:33更新

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