服部四郎の情報 (はっとりしろう) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
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国広哲弥: 『日本語学を斬る』の「あとがきに代えて―私が言語学の道に入るまで―」に自伝的な記述があり、恩師として旧制中学時代の岩本義雄、旧制山口高校時代の田中美輝、東京大学時代の服部四郎をあげている。 日比野朱里: も〜っと! おジャ魔女どれみ(服部四郎) 仲宗根政善: 『伊波普猷全集』(全11巻、平凡社)の編集委員(服部四郎、外間守善と) 安田徳太郎: 言語学者の服部四郎は、『人間の歴史』を「興味深い内容が平易に書かれている」として高く評価している一方で、その中の日本語の起源に関する部分において、安田の学説批判が政治的な背景や、個人的見解に基いており、研究過程を無視していることや、研究手法の誤りを指摘している。 |
服部四郎
服部 四郎(はっとり しろう)さんの誕生日は1908年5月29日です。三重出身の言語学者のようです。
職歴、業績・評価などについてまとめました。卒業、現在に関する情報もありますね。
服部 四郎(はっとり しろう、1908年〈明治41年〉5月29日 - 1995年〈平成7年〉1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。 1908年、三重県鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)生まれ。第一高等学校時代に読んだ安藤正次の『言語学概論』で、日本語の起源が不明であることを知り、言語学を志すようになった。 1931年、東京帝国大学文学部言語学科卒業。言語学、国語学、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル語、満洲語、トルコ語、中国語などを、藤岡勝二、橋本進吉、金田一京助、小倉進平らに教わる。大学での同期には有坂秀世がいた。また、学部時代に、琉球(沖縄)出身の仲宗根政善をインフォーマントとして言語調査を行っている。 1933~1936年には、日本学術振興会の援助を受け、旧満洲国北部ハイラルなどで、モンゴル語、ブリヤート語やタタール語などのアルタイ諸語の研究を行った。1943年、文学博士の学位を取得(学位請求論文:「元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究」)。 職歴1936年 - 東京帝国大学文学部講師 1942年 - 同助教授 1942年 - 慶應義塾大学語学研究所スタッフ 1949年 - 東京大学教授 文学部勤務 言語学講座担当 1950年 - ミシガン大学交換教授 1955年 - 琉球大学 招聘教授 1966年 - 榊原陽により東京言語研究所創設 初代運営委員長 1969年 - 東京大学名誉教授 1972年 - 日本学士院会員 1975年 - 日本言語学会会長(1977年3月まで) 1982年 - 国際言語学者会議(第13回)会長 業績・評価言語学者として、日本語、琉球語、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル諸語、満州語、テュルク諸語(アルタイ諸語)、中国語、英語、ロシア語など多岐に渡る言語を研究した。これは言語学を「各個別言語を通して究極的に人間の言語能力の解明を目指す学問」と捉えていたからとされる。それら研究対象言語には話者(インフォーマント)に直接学び、フィールドワークでの言語学の方法論を取った。また、無文字社会の言語の研究のみならず、万葉集や元朝秘史などの文献に基づく言語学も行っていることから、文献学もまた言語の解明に不可欠なものと見ていた。歴史言語学・比較言語学の方面においても、日本語諸方言アクセントの比較研究、厳密な音声学に基づく日本語と琉球語の同系関係の証明、古モンゴル語の音韻史の解明などもある。 従来の外国の言語理論や学説をただ輸入するのではなく、厳密な実証主義や経験科学に基づき、独自に理論や学説を修正、精密化した。輸入学問の側面が強かった言語学を改め、日本におけるサイエンスとしての言語学の確立を成したとされる。業績は、国内外を問わず、言語学そのものの進展に貢献した。 1955年頃からは少数言語として、アイヌ語・琉球語の研究に本格的に着手している。危機に瀕する言語としての認識を持ち、精力的に研究を行ったほか、急務を要する重要性の高い研究であることを度々主張した。危機言語研究の先駆けをなすものとして評価されるものである。1964年に公刊された『アイヌ語方言辞典』はその成果である。教育者としても多くの研究者を指導した。 デニス・サイナー(英語版)は「東方学」(2002年)所収の「常設国際アルタイ学会(PIAC)の四十五年――歴史と回想」の中で、1995年には「二人の偉大な日本人アルタイ学者、服部四郎と村山七郎が亡くなった。」と述べている。2003年に国際日本文化研究センターより刊行された『日本語系統論の現在』(アレキサンダー・ボビン/長田俊樹 共編)の冒頭にも、「This book is dedicated to the four scholars who contributed the most to the study of the origins of the Japanese language in the 20th century: Hattori Shiro, Samuel E.Martin, Murayama Shichiro, and Osada Natsuki.」(本書を20世紀における日本語の起源・系統研究に最も貢献した服部四郎、サミュエル・E・マーチン、村山七郎、長田夏樹の4人の先達に捧ぐ。)とある。 2024/05/16 21:20更新
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hattori shirou
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