末松義規の情報 (すえまつよしのり) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
末松 義規さんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
末松義規
末松 義規(すえまつ よしのり)さんの誕生日は1956年12月6日です。北海道出身の政治家のようです。
政策・主張・発言などについてまとめました。卒業に関する情報もありますね。現在の年齢は67歳のようです。
末松 義規(すえまつ よしのり、1956年12月5日 - )は、日本の政治家、外交官。立憲民主党所属の衆議院議員(7期)。 復興副大臣・内閣府副大臣(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・東日本大震災復興特別委員長・消費者問題に関する特別委員長・青少年問題に関する特別委員長などを歴任。 祖父は日本統治時代の朝鮮で京畿道知事補佐官を務めた末松武生。外祖父は元南満州鉄道社員。また縁戚に伊藤博文元総理の娘婿である末松謙澄がいる。 福岡県北九州市八幡西区引野生まれ。北九州市立引野小学校、北九州市立引野中学校、福岡県立東筑高等学校を経て、一橋大学商学部卒業。中学校では柔道部、高校ではラグビー部、大学では少林寺拳法部に所属し、少林寺拳法は黒帯。大学在学中は法学部の皆川洸ゼミ(国際法)に所属していた。 1980年、外務省に入省。同期に石井正文、片上慶一、越川和彦、井出敬二、須永和男、小原雅博、高橋礼一郎、山田文比古、山崎純、水谷章らがいる。大学では中国語を学んでいたが、アラビア語研修を命じられた。おりしもイラン・イラク戦争が勃発し、担当課に配属された。その後、シリア・エジプトでの語学研修を経て、プリンストン大学中東学部大学院修士課程に留学し、1986年に修了した。その後、在イラク日本国大使館二等書記官。帰国後の1986年、資源エネルギー庁石油部計画課に出向。1990年、外務省中近東アフリカ局中近東第二課に配属された直後、湾岸戦争が勃発した。 1994年、政治家を志し、外務省を退官した。同年、調布市長選挙に無所属で立候補したが、現職の吉尾勝征に敗れた。 その後、旧東京7区選出の菅直人から後継指名を受け、1996年の第41回衆議院議員総選挙に東京19区(旧7区は18区・19区に分割され、菅は18区から出馬した)から旧民主党公認で出馬し、新進党前職の渡辺浩一郎らを破り、初当選した。 2000年の第42回衆議院議員総選挙、2003年の第43回衆議院議員総選挙では、東京19区で再選。 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、東京19区で自由民主党新人の松本洋平に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、4選。同年9月12日、民主党代表の岡田克也が、総選挙大敗の責任をとり辞任を表明。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた。 2006年3月31日、民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明。前原の辞任に伴う代表選挙(4月7日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた。 2008年、衆議院青少年問題に関する特別委員長に就任。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では、東京19区で前回敗れた自民党の松本を比例復活すら許さない大差で破り、5選。同年、衆議院消費者問題に関する特別委員長に就任。 2010年、菅直人第1次改造内閣で内閣府副大臣(消費者問題・沖縄政策・北方領土対策、海洋政策、食品安全、少子化対策、男女共同参画、ワーク・ライフ・バランス推進、自殺対策、共生社会政策)に任命され、菅直人第2次改造内閣まで務める。 内閣府副大臣在任中の2011年3月11日、東日本大震災が発生し、6月27日より東日本大震災復興対策本部宮城現地対策本部長。同年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日実施)では鹿野道彦の推薦人に名を連ねた。同年9月、野田内閣発足に際し、内閣総理大臣補佐官(東日本大震災復興対策担当)に起用され、10月からは復興担当に加え、少子化対策及び自殺対策も担当。野田第1次改造内閣でも留任した。 2012年2月10日、復興庁の発足により首相補佐官を退任し、内閣府副大臣及び初代復興副大臣に任命され、野田第2次改造内閣でも留任。10月、野田第3次改造内閣の発足に伴い内閣府副大臣、復興副大臣を退任し、衆議院東日本大震災復興特別委員長に就任。12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京19区で自民党元職の松本洋平に敗れ、比例復活もできず落選した。 2014年の第47回衆議院議員総選挙にも民主党公認で東京19区から出馬したが、自民党前職の松本に敗れ、落選した。 2016年3月27日、民進党が設立。末松は同党に所属する。 2017年9月28日、民進党の前原誠司代表が、民進党を事実上解党し、希望の党に合流する方針を表明。それに先立ち、末松は9月25日に民進党に離党届を提出した。10月2日、枝野幸男は新党「立憲民主党」を結党すると表明。10月3日、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が東京19区に女子美術大学短大部非常勤講師の佐々木里加を擁立したことが明らかとなった。末松は立憲民主党に入党し、10月6日、同党から東京19区で公認を受けた。10月22日、衆院選執行。選挙戦では「誠実なリベラルの復活」を掲げ、選挙区では自民党前職の松本に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、5年ぶりに国政に復帰した。 2018年10月24日、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会の委員長に選出された。 2020年9月15日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で新「立憲民主党」を結成。末松も新党に参加。 2021年の第49回衆議院議員総選挙で前回敗北した松本に競り勝ち7選(松本は比例復活で当選)。 政策・主張・発言日本国憲法第9条の改正に反対。外交官時代に直面したイラン・イラク戦争を契機に、護憲に転じた。「元外交官として、戦争が想像を絶するものだと知っている。安保法廃止を訴えていく」としている。 憲法への緊急事態条項の創設に反対。 安全保障関連法は「廃止すべき」としている。 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としており、非核三原則の「持ち込ませず」の部分の見直しについても「議論する必要はない」としている。 日本の国防について、将来的に高度電磁波バリア、高度レーザー、サイバー高度技術などを用いて攻撃国の中枢機能・兵器体系を無力化することで、日本本土を防衛することを提案しており、日本をレーザー防衛する構想(エア・ボーン・レーザー)の研究開発を行うよう、国会質疑で石破茂防衛庁長官(当時)に要請した。 消費税0%の実施 。 防災等の大規模公共事業。 最低賃金1500円を政府負担で実現。 農業分野を中心とした雇用拡大。 アベノミクスを評価しない。 高収入の一部専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」の創設に反対。 原子力発電は日本に「必要ない」としている。 カジノの解禁に反対。 国旗及び国歌に関する法律の採決でに反対票を投じた。 参議院議員通常選挙で隣接する県を一つの選挙区にする「合区」をなくすための憲法改正に反対。 女性宮家の創設に賛成。 2007年7月18日、新潟中越沖地震に自党の民主党議員らによる被災地視察を自身のブログで報告した際、渡部恒三を水戸光圀、古賀一成を佐々木助三郎、自身を渥美格之進になぞらえて、「黄門様の珍道中」と表現した。その後、「被災されて困ってらっしゃる方々のいる地へ『珍道中』ですか?」「珍道中?被災者を馬鹿にしているとしか思えませんね」などと表現の軽率さを批判する意見が殺到したことで、「私の不用意な表現のために、不愉快なお気持ちをもたれた皆様並びに被災地の皆様に、改めて心からお詫び申し上げます」などと謝罪する文章をブログに掲載した。 ロシア関連 2022年2月26日、2月24日開始されたロシアによるウクライナ侵攻について、自身のTwitterアカウントで元外務省国際情報局長の孫崎享の「ウクライナ国民の大誤算はアメリカが軍事的に助けてくれると信じ込まされたこと。信じた事。そしてロシアに喧嘩腰でもいいと思ったこと。軍事的な助けになんか来やしません」というツイートをスクリーンショット引用しながら、ウクライナ大統領であるウォロディミル・ゼレンスキーに対し「ゼレンスキー大統領のケースは、人気者だし魅力もある方ですが、ロシアという獰猛な国家から国を常に防衛せざるを得ない立場を考えると、『若さ』が『馬鹿さ』となったようにも感じます。しかし、当然ながら、最大の憤りを感じるのは、ウクライナ侵略をしたロシアのプーチン大統領の方ですが!! 」と投稿を行った。後に批判を受け投稿は削除された。 2022年11月29日の衆議院予算委員会において台湾問題について「台湾が独立するというような動き、これは封じて行かなければならない」と発言し、岸田首相に対し「台湾の独立は支持しない、と総理の口からはっきりおっしゃっていただきたい」と要求した。これに対し在日台湾人団体である全日本台湾連合会(全台連)は12月5日に公式SNSにて「これら一連の発言は正に台湾に対する著しい内政干渉で、台湾人の人権や国民感情を蹂躙するものだ」と抗議声明を投稿した。 2024/05/14 07:43更新
|
suematsu yoshinori
末松義規と同じ誕生日12月6日生まれ、同じ北海道出身の人
末松義規と近い名前の人
話題のアホネイター
話題の芸能人・有名人
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「末松義規」を素材として二次利用しています。