松本正雄の情報(まつもとまさお) 建設官僚、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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松本正雄の情報まとめ
松本 正雄(まつもと まさお)さんの誕生日は1917年6月1日です。富山出身の建設官僚、政治家のようです。
卒業、退社、事件、現在に関する情報もありますね。1996年に亡くなられているようです。
松本正雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松本 正雄(まつもと まさお、1902年12月6日 - 1996年1月4日)は、日本の弁護士、最高裁判所判事。第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、最高裁判所判事、国家公安委員等を務め、1972年勲一等旭日大綬章受章。 愛媛県出身。1919年神奈川県立第一横浜中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)卒業。1926年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)卒業後、古河電気工業に入社するも、「自由を志し」同社を退社し、1929年東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)講師に着任。1930年に弁護士登録。弁護士としては、保全経済会事件で破産管財人を務めるなど、主に民商事事件を手がけた。法曹一元制論者としても知られる。 1934年如水会理事。1946年に、松本正雄法律事務所を設立、1967年に松本が最高裁裁判官に就任したことから、事務所の名称は丸の内総合法律事務所に変更されたが、同事務所は現在でも続いている。 1950年大学の同級生であった田中外次別子鉱業社長らと大平正芳後援会結成に参加。1956年第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、法務省法制審議会委員。1961年法務省法制審議会商法部会委員。 1964年に池田勇人首相から、最高裁判所裁判官への就任要請を受けたがいったん断り、3年後の1967年に、再び要請を受け、五鬼上堅磐判事の退官に伴い、最高裁判所判事に就任した。裁判官退官後は、名川保男の後任として、1972年に国家公安委員に就任し、1982年に退任するまで10年間、警察庁の管理、日本の警察行政の調整等にたずさわった。 ロッキード事件に絡む衆議院での議員辞職勧告決議案では1983年3月25日に議院運営委員会に参考人として出席して「判決確定前派無罪推定を受けるべきで、求刑の段階で辞職勧告するのは、法治国家にあるまじき行為。国会議員の身分は憲法等に保障されており、国会決議で辞職を迫るのは悪例を残す」と意見を述べて、議員辞職勧告決議案の提出には問題があるとの立場を取った。 1902年(明治35年) 愛媛県出身 1926年(大正15年) 旧制東京商科大学(一橋大学の前身)卒業、古河電気工業入社 1930年(昭和5年) 弁護士登録(第二東京弁護士会) 1950年(昭和25年) 松本正雄法律事務所開設 1956年(昭和31年) 第二東京弁護士会会長 兼 日本弁護士連合会副会長 1967年(昭和42年) 最高裁判所判事 1972年(昭和47年) 最高裁判所判事定年退官、丸の内総合法律事務所に復帰、国家公安委員 1982年(昭和57年) 国家公安委員退任 1996年(平成8年) 死去 「会社更生法の運用と問題点」(小川善吉と共著)(東洋経済新報(通号 2587)、1953年) 「法曹一元要綱に寄せて」(自由と正義5(12)、1954年12月) 「嘗て衆議院を通過した法曹一元法案」(自由と正義14(2)、1963年2月) 「弁護士法等の一部を改正する法律案についての概要」(自由と正義. 9(1)、1958年1月) 「松本正雄氏に聞く--法曹一元論と在野精神(法曹あの頃-43-)」(野村二郎と共著)(法学セミナー(通号 292)、1979年6月) ^ 朝日新聞1967年1月18日 ^ 「松本正雄先輩の『年譜』」酉松会 ^ 池田さんと大平さん公益財団法人大平正芳記念財団 ^ 朝日新聞1966年12月30日 ^ 野村二郎 1986, p. 144. ^ 朝日新聞1969年12月8日 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403。 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。 VIAF 日本 日本の最高裁判所裁判官 日本の弁護士 国家公安委員 神奈川県立希望ケ丘高等学校出身の人物 一橋大学出身の人物 愛媛県出身の人物 勲一等旭日大綬章受章者 1902年生 1996年没 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2025/01/25 01:33更新
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