もしもし情報局 > 3月12日 > 探検家

松浦武四郎の情報 (まつうらたけしろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【1月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

松浦武四郎の情報(まつうらたけしろう) 探検家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

松浦 武四郎さんについて調べます

■名前・氏名
松浦 武四郎
(読み:まつうら たけしろう)
■職業
探検家
■松浦武四郎の誕生日・生年月日
1818年3月12日 (年齢1888年没)
寅年(とら年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
三重出身

松浦武四郎と同じ1818年生まれの有名人・芸能人

松浦武四郎と同じ3月12日生まれの有名人・芸能人

松浦武四郎と同じ出身地三重県生まれの有名人・芸能人


松浦武四郎と関係のある人

川喜田半泥子: また、同郷出身の松浦武四郎の後援者でもあった。


横山孝雄: 『北の国の誇り高き人びと 松浦武四郎とアイヌを読む』 (かのう書房、1992年)


江口洋介: 永遠のニㇱパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年6月7日、NHK-北海道-/同年7月15日、NHK) - 大久保利通 役


宮部金吾: 生家が探検家松浦武四郎の住居に近く、松浦から蝦夷地(北海道)のことを聞かされていたことが北海道へ向かう動機になったといわれる。


更科源蔵: 『松浦武四郎 アイヌ人物誌』吉田豊と現代語訳、農山漁村文化協会 1981/平凡社ライブラリー 2002、青土社 2018


石倉三郎: 永遠のニㇱパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎(2019年(令和元年)6月7日) - 新堂佐七郎 役


更科源蔵: 『松浦武四郎 蝦夷への照射』淡交社(日本の旅人14)1973、新版2018.11


合田一道: 「北海道」の名づけ親松浦武四郎 北海道科学文化協会 2008.4 北国に光を掲げた人々


木村彰吾: 永遠のニシパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年) ‐ ウテルク


石井正則: 永遠のニㇱパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年7月15日、NHK総合) - 堀井出雲守 役


松本潤: 永遠のニㇱパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年7月15日 北海道は6月7日先行放送、NHK総合) - 主演・松浦武四郎


佐江衆一: 『北海道人 松浦武四郎』新人物往来社 1999 のち講談社文庫


有薗芳記: 永遠のニシパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年) - 六之助 役


正垣湊都: 永遠のニㇱパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年、NHK総合) - イチニカ(幼少期) 役


野間口徹: 歴史秘話ヒストリア(2015年6月24日、NHK) - 松浦武四郎


本田大輔: 永遠のニシパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年)- 河田重吉 役


斎藤歩: 永遠のニシパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(7月15日、NHK札幌・NHK総合) - 湊屋彦兵衛


ヴァサイェガ渉: 永遠のニㇱパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年7月15日、NHK総合)- 市助 役


小日向文世: 永遠のニシパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年7月15日、NHK) - 鍋島直正 役


松浦武四郎の情報まとめ

もしもしロボ

松浦 武四郎(まつうら たけしろう)さんの誕生日は1818年3月12日です。三重出身の探検家のようです。

もしもしロボ

現在、父親、兄弟、趣味、結婚、ドラマに関する情報もありますね。1888年に亡くなられているようです。

松浦武四郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日〈1818年3月12日〉 - 明治21年〈1888年〉2月10日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家・浮世絵師・著述家・好古家。名前の表記は竹四郎とも。諱は弘。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)、多気志楼など多数。蝦夷地を探査し、北加伊道(のちの北海道)という名前を考案したほか、アイヌ民族・アイヌ文化の研究・記録に努めた。

文化15年(1818年)、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)にて郷士・松浦桂介ととく子の四男として生まれる。松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ移住してきたといわれ、別書では、代々百姓で、父・桂祐の次男として生まれたとしている。父親は庄屋を営んでおり、比較的恵まれた中、武四郎は13歳から3年間、平松楽斎(漢学者・伊勢津藩士)のもとで学び、猪飼敬所、梁川星巌らの知己を得るなど、後の探検家として役に立つ文化的な素養を身に付けたとされる。

山本亡羊に本草学を学び、16歳から日本国内の諸国をめぐった。天保9年(1838年)に平戸で僧となり文桂と名乗るが、故郷を離れている間に親兄弟が亡くなり天涯孤独になったのを契機に、弘化元年(1844年)に還俗して蝦夷地探検に出発する。1846年には樺太詰となった松前藩医・西川春庵の下僕として同行し、その探査は北海道だけでは無く択捉島や樺太にまで及んだ。蝦夷では詩人の頼三樹三郎と旅することもあった。安政2年(1855年)に江戸幕府から蝦夷御用御雇に抜擢されると再び蝦夷地を踏査し、「東西蝦夷山川地理取調図」 を出版した。明治2年(1869年)6月に「蝦夷開拓御用掛」となり、蝦夷地に「北海道」(当初は「北加伊道」)と命名した。 更にアイヌ語の地名を参考にして国名・郡名を選定している。

また、武四郎は単なる地理や自然の記録に留まらず、アイヌ民族やその文化に対しても敬意を表しており、民族と文化を守るために、まずアイヌ文化を正しく知って、理解してもらうことが必要として、アイヌ民族・文化の紹介を熱心におこなった。武四郎が出版した『蝦夷漫画』ではアイヌの文化がありのままに紹介されている。また、武四郎は、圧政に苦しむアイヌ民族の窮状を見聞きしたことで、幕府に対し、開発の必要性はもちろん大事であるが、それよりもまず今日のアイヌ民族の命と文化を救うべきであると、調査報告書の随所で訴えた。『近世蝦夷人物誌』では、百数十人のアイヌの人々が実名で登場し、アイヌ民族の生き様を紹介した。しかし、ここでは松前藩や和人による圧制もそのまま記されていたことから、武四郎の生前には出版が許可されなかった。武四郎の訴えにより、場所請負制は1869年(明治2年)9月に明治政府の島義勇によって一旦は廃止が決定されたものの、場所請負人や商人らが反発したため、同年10月「漁場持」と名を変えて旧東蝦夷地(太平洋岸および千島)や増毛以北の旧西蝦夷地(日本海岸およびオホーツク海岸)で存続が決定。これに失望した武四郎は、翌明治3年(1870年)に、開拓使の職を辞すると共に、従五位の官位を返上した。この間、北海道へは私人として3度、公務で3度の合計6度赴き、およそ150冊の調査記録書を遺した。

2022年4月29日に放送された「NHK歴史発掘ミステリー」の番組では、武四郎が北海道の地名9,000をインタビューによって収集したこと、10,000キロを踏破したこと、その歩行は通常の倍の踏破力であり、独特の疲れにくい古武術の「神足歩行術」という歩行術を会得していたこと、などが磯田道史などによって語られた。

余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊を続けたと言われている。武四郎は天神(菅原道真)を篤く信仰し(天神信仰)、全国25の天満宮を巡り、鏡を神社に奉納した。好古家としても知られ、縄文時代から近代までの国内外の古物を蒐集し、64歳のときには、自分を釈迦に見立て古物コレクションに囲まれた「武四郎涅槃図」を河鍋暁斎に描かせている。また、明治3年(1870年)には北海道人と号して「千島一覧」 という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。

明治21年(1888年)、東京神田五軒町の自宅で脳溢血により死去した。享年71(満70歳没)。遺骨は染井霊園の1種ロ10号2側に埋葬されているほか、武四郎が最も好きだったという西大台・ナゴヤ谷に明治22年(1889年)に建てられた「松浦武四郎碑」 に分骨されてもいる。

なお、ピアニストの関孝弘は武四郎の玄孫にあたる。

生地の三重県松阪市小野江町には、生家と武四郎の遺した資料を保管する「松浦武四郎記念館」 があり、多彩な活躍と広い人脈を紹介する展示を2ヶ月ごとに入れ替え、また講演会や「武四郎講座」 と題した座学を開いている(平成6年(1994年)開館)。松浦武四郎記念館は2022年4月24日にリニューアルオープンし、記念行事として武四郎の玄孫にあたる関孝弘のピアノリサイタルが開催される。

また、公益財団法人静嘉堂文庫には、武四郎が収集した古物資料約900点が保存されている。

北海道音威子府村物満内 には「北海道命名之地」の記念碑があり、釧路市の幣舞公園、安政4年(1857年)の天塩川流域調査で立ち寄った地点のうち出発点の天塩町鏡沼海浜公園 (銅像・歌碑)など、小平町鬼鹿広富のにしん文化歴史公園 には銅像がある(武四郎の身長は4尺8寸(4.8尺 (150 cm))、足の大きさは24cm)。北海道勇払郡厚真町富里の松浦武四郎記念碑 を始め、道内に50基に余る記念碑があるといわれる。天塩町鏡沼海浜公園に立つ松浦の歌碑に2首刻まれている。

「蝦夷人の みそぎなしたる 天塩川 今宵ぞ夏の とまりをばしる」 「ながむれば 渚ましろに 成にけり てしほの浜の 雪の夕暮れ」

武四郎が1886年に五軒町の自宅の片隅に造った一畳敷の書斎が、東京都三鷹市の実業家・山田敬亮の別荘「泰山荘」の茶室に移築され、現在は国際基督教大学構内「泰山荘高風居(こうふうきょ)」として国の登録有形文化財に登録されている。武四郎が記した目録『木片勧進』によると、法隆寺、熊野本宮、春日大社、久能山稲荷神社、伊勢神宮外宮、東福寺仏殿といった全国の社寺の白鳳時代から江戸時代後期に渡る古材を譲り受けて組み上げたもので、武四郎は「死んだら一畳敷を解体してだびに付してほしい」と遺言した。

ところがその死後、徳川頼倫の南葵文庫に移築、次に代々木上原の徳川家別邸「静和園」の茶室「高風居(気高い人の住まいの意で、武四郎を称えて命名)」に移され、さらに三鷹の山田敬亮別荘に移築される。戦時中に同別荘地を買い取った中島飛行機が戦後に大学用地として売却したことから、国際基督教大学構内に保存された経緯がある。特別公開は、大学祭の期間中のみ。

『四国遍路道中雑誌』1844年。  19歳の天保7年(1836年)に四国八十八ヶ所霊場をまわった紀行文をまとめた3巻からなる弘化元年(1844年)の草稿

「蝦夷大概之図」1850年。  (嘉永3年)松浦武四郎記念館所蔵

「蝦夷変革図」1851年。 (嘉永4年)

「蝦夷語便覧 (校正) 後方羊蹄於路志」(版本・1鋪)1855年。  (安政2年)石水博物館所蔵

「新選 末和留辺志」(版本・1鋪)1857年。  (安政4年) 同上

「東西蝦夷山川地理取調図」(版本・28鋪)1859年。  (安政6年)同上

『天鹽日誌』(木版)多氣志樓、1862年。 NCID BN16020465。  33丁

『アイヌ人物誌』 47巻、更科源蔵; 吉田豊 (翻訳)、農山漁村文化協会〈人間選書〉、1981年。ISBN 454081026X。 NCID BN01680631。  342p

「千島一覧」(大判 錦絵3枚続)、和泉屋市兵衛版、1870年。  松浦武四郎記念館所蔵

『蝦夷日誌』吉田常吉 編、時事通信社、1959年。  新版1984年 ほか

『三航蝦夷日誌(上)』吉田武三 (校註)、吉川弘文館、1970年。doi:10.11501/9490701。全国書誌番号:73017676。 

『三航蝦夷日誌(下)』吉田武三 (校註)、吉川弘文館、1971年。doi:10.11501/9490702。全国書誌番号:73017677。 

毎年2月最終日曜に、松浦武四郎記念館をメイン会場とした「武四郎まつり」が開催されている。

2018年には北海道命名150年を記念した「北海道150年事業」が行われ、その一環として武四郎に関するイベントを各地で開催。また同年は松浦武四郎の生誕200年にも当たり、松阪市は平成30年(2018年)2月24日の開会式に始まり一連の記念事業を行った。

武四郎の大首飾り(静嘉堂文庫所蔵)のレプリカ作製(松阪市、2018年10月13日に武四郎フォーラムで一般公開)

記念講座(松浦武四郎記念館、同年3月–2019年2月)

松浦武四郎生誕200年記念競輪(松阪競輪、2018年3月26日–同28日)

大杉谷訪問記念の看板除幕式(大台町、同年4月10日)

劇団わらび座ミュージカル「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ」(ニトリ文化ホール、同年8月22日–同23日を皮切りに全国12会場) - テーマは武四郎とアイヌ民族の交流

松浦武四郎生誕200年記念イベント(国際基督教大学)

松浦武四郎 生誕二百年記念シンポジウム「一畳敷の世界を探究する」(国際基督教大学、2018年10月8日)

特別展「ICUに残る一畳敷」(大学博物館湯浅八郎記念館、2018年9月11日–同年11月9日)

企画展「パイオニアたれ—松浦武四郎と明治知識人の系譜」(大学歴史資料室、2018年10月6日–2019年6月14日)

泰山荘の特別公開 (2018年10月20日–同21日)

北海道150年特別功労賞贈呈式(北海道、同年10月12日)

武四郎フォーラム「武四郎の道は未来へとつづく」(松阪市、クラギ文化ホール)

小学生対象体験型講座「まちをあそぼう—武四郎さんをさがせ」(松浦武四郎記念館、10月27日–同28日)

北海道150年 松浦武四郎講演会「松浦武四郎、北の大地に立つ」(鷹栖町、同年11月18日)

巡回展

第4回特別展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎—見る、集める、伝える」(北海道博物館、2018年(平成30年)6月–8月) - 情報収集家・古物収集家としての松浦像—幕末の志士や政治家、知識人・文人たちとの交友
特別展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」(三重県総合博物館、同9月15日–11月11日)
「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎 Matsuura Takeshiro Exibition」(北海道立帯広美術館、2018年12月15日—2019年2月11日)- 地図や日誌、絵画、書簡、収集した古物(書画骨董品)など展示

『開拓と探検』高倉新一郎 (編)、三一書房〈明治の群像8〉、1971年、23-50頁。doi:10.11501/2991246。全国書誌番号:73000066。 

日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年、129頁

日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第3巻 大修館書店、1982年

フレデリック・スタール『The Old Geographer — Matsuura Takeshiro』1916年。 

横山健堂『松浦武四郎』北海出版社、1944年。 

吉田武三『白い大地 北海道の名づけ親・松浦武四郎』さ・え・ら書房、1972年。 

更科源蔵『松浦武四郎』淡交社「日本の旅人」、1973年。  新版2018年11月

新谷行『松浦武四郎とアイヌ』麦秋社、1978年。 

花崎皋平『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』岩波書店、1988年。 

佐江衆一『北海道人 松浦武四郎』新人物往来社、1999年。 

中村博男『松浦武四郎と江戸の百名山』平凡社新書、2006年。 

早川禎治『アイヌモシリ紀行 松浦武四郎の『東西蝦夷日誌』をいく』中西出版、2007年。 

合田一道『松浦武四郎 北の大地に立つ』北海道出版企画センター、2017年。  他多数刊

北海道出版企画センターから、下記のほか多数の著作と関連書籍が翻刻・復刊されている。

『松浦武四郎選集』北海道出版企画センター。 

    『蝦夷婆奈誌・東西蝦夷場所境取調書・下田日誌』 1巻、1996年12月。 

    『蝦夷訓蒙図彙・蝦夷山海名産図会』 2巻、1997年12月。 

    『辰手控 1-8 (安政3年)』 3巻、2001年10月。 

    『巳手控 1-7 (安政4年)』 4巻、2004年6月。 

    『午手控 1 1-11 (安政5年)』 5巻、2007年9月。 

    『別巻』2008年4月。 

    『午手控 2 12-18・外1-3 (安政5年)』 6巻、2008年8月。 

    その他の翻刻や復刊・複製された著作は以下を含む(本文に出現の順)。

    ^ 『東西蝦夷山川地理取調紀行天鹽日誌 : 多氣志樓蔵版』丸山道子、凍土社、1974年。 NCID BN05540543。  84p

    ^ 『多氣志樓蝦夷日誌集』與謝野寛; 正宗敦夫; 與謝野晶子 (編纂校訂)、日本古典全集刊行會〈日本古典全集〉、1928年。 NCID BA62838272。  3冊

    ^ 『多気志楼蝦夷日誌集』現代思潮社〈覆刻日本古典全集〉、1978年。 NCID BN00938520。  3冊

    ^ 『天塩日誌 : 現代語版』国土交通省北海道開発局旭川開発建設部名寄河川事務所、北海道上川総合振興局、2018年。 NCID BB26493276。  59p

    ^ 『アイヌ人物誌』 423巻、更科源蔵, 吉田豊 (翻訳)、平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2002年。ISBN 4582764231。 NCID BA55082788。  367p

    ^ 『アイヌ人物誌 : 松浦武四郎原著『近世蝦夷人物誌』』(新版)更科源蔵, 吉田豊 (翻訳)、青土社、2018年。ISBN 9784791770960。 NCID BB27036451。  365p

    ^ 吉田常吉『松浦武四郎蝦夷日誌 (上)』時事通信社〈時事新書〉、1962年。doi:10.11501/2975422。全国書誌番号:62011044。 

    ^ 吉田常吉『松浦武四郎蝦夷日誌 (下)』時事通信社〈時事新書〉、1962年。doi:10.11501/2975423。全国書誌番号:62011044。 

    ^ 吉田常吉『蝦夷日誌 上』時事通信社、1984年。doi:10.11501/9490881。ISBN 4-7887-8427-0。全国書誌番号:85014155。  『東蝦夷日誌』『西蝦夷日誌』 (昭和37年刊) の改題新版

    ^ 吉田常吉『蝦夷日誌 下』時事通信社、1984年。doi:10.11501/9490882。ISBN 4-7887-8427-0。全国書誌番号:85014155。  『東蝦夷日誌』『西蝦夷日誌』 (昭和37年刊) の改題新版

    ^ (オンデマンド版 全国書誌番号:21398274ISBN 978-4-642-00925-6 2007年)

    ^ (オンデマンド版 全国書誌番号:21398275ISBN 978-4-642-00926-3 2007年)

    ^ 横山健堂『松浦武四郎』260号、大空社、東京〈伝記叢書〉、1997年5月。ISBN 4-7568-0471-3。全国書誌番号:98054365。  北海出版社昭和19年刊の複製

    ヘンリー・スミス『泰山荘―松浦武四郎の一畳敷の世界』国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館、1993年。 

    高木崇世芝、安村敏信、坪内祐三『幕末の探検家松浦武四郎と一畳敷』INAX出版〈Inax booklet〉、2010年。 

    真山隼人 (浪曲師・歌); 渡邊八尋 (作詞); 森悦彦 (作曲); 吉田まゆみ (編曲)『紅蓮の旅人 (歌謡曲)』。 

    永遠のニㇱパ 〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜(2019年、NHK、演:松本潤)

    ^ 秋葉実 著『松浦武四郎上川紀行』 掲載の略年譜より。ただし、この略年譜の出典は松浦武四郎記念館編『松浦武四郎記念館図録』 による。三雲村(当時)に史跡指定 (昭和37年 (1962年) )を受けた生家 は、現在、松阪市指定の史跡である。

    ^ 明治2年6月、松浦武四郎は、会計官判事である「島 五位(五位は勲等)」と軍務官判事の「櫻井慎平」と共に、蝦夷開拓御用掛へ任命される。この事は、「 開拓使日誌(明治二年)六月 」の項目に記載されている。内容は、『会計官判事 島 五位(五位は勲等)  軍務官判事 櫻井慎平  當官ヲ以蝦夷開拓御用掛 被 仰付候事  六月 松浦武四郎 佐原志賀之介 相良偆斎(斎は旧漢字) 蝦夷開拓御用掛 被 仰付候事』という記載となっている。

    ^ 北方四島も含め極めて詳細な地図を制作した松浦は、調査をアイヌの人々と共に行い、地図に記載したアイヌ語の地名はおよそ9,800におよぶ。

    ^ 西大台は、環境庁により「利用調整地区」(自然公園法)に指定され1日あたりの立入り人数に制限があり、立入り前の申請ならびに事前レクチャー受講が義務化されている。また利用調整を行う期間を設け、平成22年(2012年)の例で年間合計89日間を利用集中期に指定。

    ^ 静嘉堂文庫美術館は松浦の生誕200年を記念し、探検家と古物蒐集家の両面に光を当てた展覧会『幕末の北方探検家 松浦武四郎展』を開催。会期は2018年9月24日から同12月9日まで。ウェブ版の展示品目録が閲覧できる。

    ^ 現在の音威子府村でアイヌ語の「カイ」が「この土地で生まれた者」を意味すると教わると、1869年に「北カイ(加伊)道」などを提案したとされる。

    ^ 書籍『松浦武四郎入門 : 幕末の探検家』より訪問しやすい34箇所を抜粋してパンフレットに掲載してある。

    ^ 山田敬亮は日本産業重役などを務めた。

    ^ 『四国遍路道中雑誌』の復刻は『松浦武四郎紀行集(中)』(昭和50年)に収録。

    ^ 同時代ライブラリー と岩波現代文庫 に改版。

    ^ 「松浦武四郎幕末書簡および関連文書:吉永孝雄氏所蔵「松浦武四郎翁尺牘」」、1982年、2015年4月28日閲覧。 

    ^ 秋葉実『松浦武四郎上川紀行』 28巻、旭川市中央図書館 (編)、旭川振興公社〈旭川叢書〉、2003年。 

    ^ 『松浦武四郎記念館図録』松浦武四郎記念館 [編)、1996年。 

    ^ 「松阪市指定史跡 松浦武四郎誕生地」、松浦武四郎記念館、 オリジナルの2018年11月9日時点におけるアーカイブ、2018年12月8日閲覧。 

    ^ 「18. 蝦夷の探検者松浦武四郎—人生は限りあり栄誉は夢」『立志美談』天福堂主人 (編)、警醒社、1894年、180-181頁。doi:10.11501/758498。NDLJP:758498/94。  (コマ番号94/134)

    ^ 山本慶史 (2004年7月18日). 三浦泰之 (道開拓記念館). “8.趣味人の原点 — 市川団十郎や勝海舟の"団扇サイン"も 芸術に親しみ江戸文人と交流 (蝦夷地を愛し趣味に生きた漢 自由人 武四郎)”. 十勝毎日新聞. オリジナルの2004年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040803075509/https://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/04takesirou/8.html 2015年4月28日閲覧。 

    ^ 岡本勝・雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、392頁。 

    ^ Starr, Frederick (1916). The Old Geographer — Matsuura Takeshiro. Yorkshire; Tokyo: The Fukuin Printing Co. OCLC 27653829. http://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=yale.39002030860200;view=1up;seq=7 (ハーティトラスト登録者に限定公開)

    ^ Starr, Frederick、大熊良一「北方領土探検の地理学者—松浦武四郎」『政策月報』151 (通号)、自由民主党、東京、1968年8月、125-137頁、ISSN 0582-4400。 

    ^ 「第1展示室 館蔵品展《江戸時代を歩こう!―古絵図・錦絵・名所図会を携えて―》出品目録」(pdf)、石水博物館、2016年12月9日–2017年2月5日、 オリジナルの2018年12月7日時点におけるアーカイブ。 

    ^ “北海道開拓に注力した皇族;仁和寺宮と侍従-御用掛関連人物-開拓史日誌(明治二年)”. 小松宮彰人親王と蝦夷地開拓の歴史(明治天皇と蝦夷地政策) (2018年5月18日). 2019年10月13日閲覧。

    ^ 月尾嘉男 (2018年10月16日). “北海道150年を支えた偉人(2) 松浦 武四郎—アイヌの人々を敬愛した旅人”. 北海道建設新聞. 2018年12月8日閲覧。

    ^ “北海道の名付け親・松浦武四郎—平成30年(2018年)は武四郎生誕200年”. 松阪市. 2018年12月8日閲覧。

    ^ 武四郎が出版した『知床日誌』の挿絵には、アイヌ民族からの訴えを聞く自身の姿が描かれている。知床地方のあるコタン(集落)を訪れた武四郎を、コタンの人々が出迎えてくれたが、そこには老人と子どもしかいなかったので尋ねたところ、村の若い男性は択捉島へ連れて行かれて厳しく働かされ、若い女性は単身赴任の役人や商人たちが自分たちの好きなようにするので、村にいれば文化を伝承し、結婚して子どもを作り、親を養っていくような大切な時に、あらん限りに責め働かされ、若者がいなくなった村では狩りもできず、食料が不足して困窮している、と長老が涙ながらに語ったという。

    ^ 山田哲好 (2006-03). “松浦家文書の寄託解除と現地保存” (pdf). アーカイブズ・ニューズレター (大学共同利用機関法人「人間文化研究機構 国文学研究資料館」) (4): 5-6. ISSN 0385-9517. http://www.nijl.ac.jp/info/archives_news/archives_news4.pdf 2015年4月28日閲覧。. 

    ^ “観光三重 : 取材レポート—北海道の名付け親「松浦武四郎」生誕200年。NHKでドラマ化決定!松阪市出身の探検家の生涯を詳しく紹介します”. 公益社団法人 三重県観光連盟 (2018年2月26日). 2018年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ 山本慶史 (2004年7月19日). “9. 晩年の涅槃図—自分を釈迦に見立て生前に描かせる 還暦迎え悠々自適の境地に (蝦夷地を愛し趣味に生きた漢 自由人 武四郎)”. 十勝毎日新聞社. オリジナルの2004年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040803080940/http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/04takesirou/9.html 2015年4月28日閲覧。 

    ^ “松浦武四郎記念館 展示のご案内—武四郎と和歌”. 松阪市 (2015年6月9日). 2015年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月4日閲覧。

    ^ “過去の展覧会 > 館蔵品展:江戸時代を歩こう! 古絵図・錦絵・名所図会を携えて『千島一覧』松浦武四郎筆 (明治3年刊)”. 石水博物館. 2018年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月7日閲覧。

    ^ 松浦武四郎『丁亥前記』松浦弘 (私家版)、1887年。 NCID BB04466189。  丁亥は1827年。27丁

    ^ 松浦武四郎『山岳紀行六種』日本山岳会 (編)、大修館書店〈新選覆刻日本の山岳名著〉、1978年。 NCID BN08315044。  6冊

    ^ 松浦武四郎、松浦孫太、佐藤貞夫『松浦武四郎大台紀行集 : 乙酉紀行 丙戌前記 丁亥前記』松浦武四郎記念館。 NCID BA62726235。  乙酉は1825年、丙戌は1826年、丁亥は1827年。134p

    ^ “松浦武四郎と大台原山・3”. 新聞集成大正編年史. 東京: 明治大正昭和新聞研究会. (1981年1月). p. 463. 全国書誌番号:85033613 

    ^ “ホーム > 西大台利用調整地区 > 利用調整地区とは”. 環境省近畿地方環境事務所 吉野熊野国立公園. 2010年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ “ホーム > 西大台利用調整地区 > 利用ルール”. 環境省近畿地方環境事務所 吉野熊野国立公園 (2010年). 2010年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ “平成22年度 利用集中期の設定” (pdf). 環境省近畿地方環境事務所 吉野熊野国立公園. 2018年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ “奥吉野の大自然 大台ケ原 心・湯治館:西大台 Walking Map”. 心・湯治館 大台ヶ原. 2018年12月9日閲覧。西大台・ナゴヤ谷「松浦武四郎碑」へのルート図を掲載

    ^ “22年5月、松浦武四郎記念館リニューアルオープン 玄孫のピアニスト・関さんが演奏で祝う”. 中日新聞 (2021年12月7日). 2021年12月7日閲覧。

    ^ “松浦武四郎記念館”. 2018年11月4日閲覧。

    ^ “第109回 武四郎講座 武四郎と伊勢神宮 その1”. 松浦武四郎記念館 (2016年3月10日). 2016年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月4日閲覧。

    ^ “武四郎をめぐる文人たち”. 松浦武四郎記念館. 2016年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月4日閲覧。

    ^ 「静嘉堂文庫所蔵松浦武四郎旧蔵資料の研究と公開」(pdf)『研究成果報告書』、KAKEN - 科学研究費助成事業データベース、2013年6月20日、2015年4月28日閲覧。 

    ^ “生誕200年記念—展覧会『幕末の北方探検家 松浦武四郎展』”. 静嘉堂文庫美術館. 2018年11月4日閲覧。

    ^ 「展示目録—生誕200年記念『幕末の北方探検家 松浦武四郎展』」(pdf)、静嘉堂文庫美術館、2018年11月4日閲覧。 

    ^ “事業紹介 : 松浦武四郎記念碑シリーズ—「北海道命名之地」(音威子府村)”. 北海道150年事業実行委員会. 2018年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。(北海道命名之地・木碑:平成2年7月設置・平成23年7月建替)

    ^ “「てっし散歩」:天塩川周辺観光情報天塩川周辺—天塩川流域を調査した、松浦武四郎”. 北海道上川総合振興局 (2018年6月25日). 2015年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ “事業紹介 : 松浦武四郎記念碑シリーズ—「幣舞公園」(釧路市)”. 北海道150年事業実行委員会. 2018年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。(人物2人の像:昭和33年11月設置)

    ^ “事業紹介 : 松浦武四郎記念碑シリーズ—「にしん文化歴史公園」(小平町)”. 北海道150年事業実行委員会. 2018年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。(松浦武四郎翁の像・歌碑:平成8年5月設置)

    ^ “北海道150年事業”. 北海道150年事業実行委員会事務局 (北海道総合政策部政策局 北海道150年事業室). 2018年5月20日閲覧。

    ^ “厚真町と松浦武四郎—北海道150年”. 厚真町観光協会 (2018年5月1日). 2018年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ 山本 2018.

    ^ 「松浦武四郎入門—北海道の武四郎碑めぐり」、北海道150年事業実行委員会、2018年12月8日閲覧。 

    ^ 『早稲田大学紳士録』山田敬亮、早稲田大学紳士録刊行会、1939年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/516。 

    ^ “国際基督教大学泰山荘高風居 [こくさいきりすときょうだいがく-たいざんそう-こうふうきょ]”. 文化遺産オンライン. 2015年4月28日閲覧。

    ^ 国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館. “泰山荘”. 2015年4月28日閲覧。

    ^ “泰山荘、その価値とは 【前編】”. ICU学生新聞「The Weekly GIANTS」 (1138/39). (2014年10月16日). http://weeklygiants.co/?p=1893 2015年4月28日閲覧。. 

    ^ “数々の難を逃れた一畳敷 泰山荘(東京都三鷹市)”. 東京新聞. (2008年5月28日). http://www.tokyo-np.co.jp/tokyoguide/hold/architects/CK2008052802000117.html 2015年4月28日閲覧。 

    ^ “泰山荘、その価値とは 【後編】”. ICU学生新聞「The Weekly GIANTS」 (1138/39). (2014年10月16日). http://weeklygiants.co/?p=1910 2015年4月28日閲覧。. 

    ^ 『松浦武四郎紀行集』 中、吉田武三 (編)、冨山房、1975年。 

    ^ 『天塩日誌 現代語訳』北海道上川総合振興局、国土交通省北海道開発局旭川開発建設部名寄河川事務所、2018年。 

    ^ “「天塩日誌 現代語版」の発行について (北海道150年事業)” (2018年4月4日). 2018年5月20日閲覧。

    ^ 『武四郎まつり20年の歩み : 魅力あふれるふるさとづくりをめざして』宇野文男 (編集責任); 武四郎まつり実行委員会 (企画・編集)松阪、2015年9月。全国書誌番号:22652593。 

    ^ “2018年、北海道は150年。Hokkaido150(北海道150年事業公式サイト)”. 2016年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月20日閲覧。

    ^ 広報まつさか2018年2月号 松浦武四郎生誕200年記念事業 オーブニングイベント 記載あり

    ^ “松浦武四郎の首飾り再現 古代勾玉など243個”. 日本経済新聞. (2018年9月28日). オリジナルの2018年9月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180928145905/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35903760Y8A920C1CN8000/ 2018年12月8日閲覧。 

    ^ “わらび座ミュージカル『松浦武四郎』:野木亜沙美のリポーターブログ : 松浦武四郎がミュージカルに!?! 9/1 (土)”. FM三重. 2018年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ “松阪F1競輪 松浦武四郎生誕二百年記念競輪 スポーツ報知杯レース開催! (3月26日–28日)”. 松阪市競輪事業課 (2018年3月26日). 2018年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ “F1 松浦武四郎生誕二百年記念競輪レース詳細 2018年03月27日”. 株式会社ケイドリームス. 2018年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ 「松浦武四郎生誕200年 顕彰看板設置記念式典の開催について」(PDF)『広報おおだい』30年3月号、大台町、10頁、 オリジナルの2018年12月9日時点におけるアーカイブ、2018年12月8日閲覧。 

    ^ “アイヌ・ネノ・アン・アイヌ”. わらび座. 2018年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ “松浦武四郎生誕200年記念イベント”. 国際基督教大学. 2018年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ “シンポジウム:「一畳敷の世界を探究する」第1部 プロローグ「武四郎の視点から学ぶ」”. 国際基督教大学 (主催) ; 三重県松阪市 (共催); 東京都三鷹市 (後援) (2018年10月6日). 2018年12月8日閲覧。

    ^ “シンポジウム:基調講演「古希への道:松浦武四郎の好奇心と独創性の旅」”. 国際基督教大学 (主催) 三重県松阪市 (共催); 東京都三鷹市 (後援) (2018年10月6日). 2018年12月8日閲覧。

    ^ “シンポジウム:第3部 パネル・ディスカッション「一畳敷の世界を探求する」”. 国際基督教大学 (主催); 三重県松阪市 (共催); 東京都三鷹市 (後援) (2018年10月6日). 2018年12月8日閲覧。

    ^ “松浦武四郎 生誕二百年記念シンポジウム:第2部 スライドショウ「泰山荘の現状・特別展の紹介」”. 国際基督教大学 (主催); 三重県松阪市 (共催); 東京都三鷹市 (後援) (2018年10月6日). 2018年12月8日閲覧。

    ^ “10/11 北海道150年特別功労賞贈呈式を開催しました!”. 2018年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ “松浦武四郎生誕200年記念事業”. 2018年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。

    ^ “小学生対象体験型講座「まちをあそぼう―武四郎さんをさがせ」”. 2018年12月8日閲覧。

    ^ “11/18 鷹栖町 北海道150年 松浦武四郎講演会”. 2018年12月8日閲覧。

    ^ 合田一道『松浦武四郎北の大地に立つ』北海道出版企画センター、2017年9月30日。ISBN 978-4832817036。OCLC BB24729702。全国書誌番号:22974195。 

    ^ “平成30年度北海道博物館 年度計画”. 北海道博物館. 2018年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ “プレスリリース:9月15日(土)より、企画展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」を開催”. AFP WAA (2018年9月10日). 2018年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ “幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎 (北海道150年事業 松浦武四郎 生誕200年記念)”. 2018年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ “幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎 Matsuura Takeshiro Exibition”. 北海道教育委員会. 2018年12月9日時点の[id=90649 オリジナル]よりアーカイブ。2018年12月9日閲覧。

    ^ 花崎皋平『静かな大地 : 松浦武四郎とアイヌ民族』162号、岩波書店〈同時代ライブラリー〉、1993年。ISBN 4002601625。 NCID BN09793085。  359p

    ^ 花崎皋平『静かな大地 : 松浦武四郎とアイヌ民族』社会 ; 163、岩波書店〈岩波現代文庫〉、2008年。ISBN 9784006031633。 NCID BA84926453。  iv, 390p

    アイヌ語地名

    松浦 武四郎:作家別作品リスト - 青空文庫

    松浦武四郎記念館-松阪市

    アイヌ民族とともに歩んだ探検家松浦武四郎-三重県

    北海道の名付け親 松浦武四郎の足跡を訪ねて

    松浦美由紀, 池添博彦、北蝦夷地紀行の食文化考 東韃地方紀行および北蝦夷餘誌について 『帯広大谷短期大学紀要』 1994年 31巻 p. 1-12, doi:10.20682/oojc.31.0_1

    『蝦夷年代記』(多気志楼、1870年)

    『西蝦夷日誌』(多気志楼、1872年)

    『竹島雑誌』(雁金屋清吉、1871年)

    『撥雲余興』(松浦弘、1882年)

    知床日誌(奈良女子大学学術情報センター)

    FAST

    ISNI

    VIAF

    WorldCat

    ドイツ

    イスラエル

    アメリカ

    日本

    オランダ

    CiNii Books

    CiNii Research

    IdRef

    19世紀日本の探検家

    アイヌ研究者

    19世紀日本の画家

    明治時代の画家

    北海道史の人物

    幕末維新北海道史の人物

    開拓使の人物

    樺太史の人物

    千島列島の歴史

    還俗した僧

    日本の神 (人物神 開拓神社)

    松浦氏

    伊勢国の人物

    1818年生

    1888年没

    浮世絵師

    好古家

    染井霊園に埋葬されている人物

    FAST識別子が指定されている記事

    ISNI識別子が指定されている記事

    VIAF識別子が指定されている記事

    WorldCat Entities識別子が指定されている記事

    GND識別子が指定されている記事

    J9U識別子が指定されている記事

    LCCN識別子が指定されている記事

    NDL識別子が指定されている記事

    NTA識別子が指定されている記事

    CINII識別子が指定されている記事

    CRID識別子が指定されている記事

    SUDOC識別子が指定されている記事

2025/01/23 15:55更新

matsuura takeshirou


松浦武四郎と同じ誕生日3月12日生まれ、同じ三重出身の人

石原 壮一郎(いしはら そういちろう)
1963年3月12日生まれの有名人 三重出身

石原 壮一郎(いしはら そういちろう、1963年3月12日 - )は、日本のコラムニスト。三重県出身。 三重県立松阪高等学校を経て1986年、埼玉大学教養学部卒業。 大学時代にミニコミ誌のサークル…

佐藤 まい子(さとう まいこ)
1979年3月12日生まれの有名人 三重出身

佐藤 まい子(さとう まいこ、1979年3月12日 - )は、三重県出身のタレント。愛称は「まいまい」。 ルノンプロモーションを経て、ST BLUEに所属。2004年頃まで活動していた。 Pooh…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


松浦武四郎と近い名前の人

松浦 敏夫(まつうら としお)
1955年11月20日生まれの有名人 神奈川出身

松浦 敏夫(まつうら としお、1955年11月20日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1980年代の日本において突出した190cm・80kgの恵まれた体躯と俊足を兼ね…

松浦 大悟(まつうら だいご)
1969年10月3日生まれの有名人 広島出身

松浦 大悟(まつうら だいご、1969年10月3日 - )は、日本の政治家、元秋田放送アナウンサー。参議院議員(1期)、民主党・民進党秋田県連代表を務めた。 広島県広島市出身。広島市立基町高等学校、…

松浦 亜弥(まつうら あや)
1986年6月25日生まれの有名人 兵庫出身

松浦 亜弥(まつうら あや、1986年6月25日 - )は、日本の歌手、タレント、女優で、元アイドル。愛称は、あやや。 兵庫県姫路市出身。身長156cm。元ハロー!プロジェクトの一員。2017年9月…


松浦 紗知子(まつうら さちこ)
1979年8月7日生まれの有名人 静岡出身

松浦 紗知子(まつうら さちこ、1979年8月7日 - )は静岡県出身のファッションモデル。ディスカバリー・エンターテインメント所属。 身長168cm スリーサイズ B79/W56/H86 …

松浦 三佳(まつうら みか)
1990年5月5日生まれの有名人 京都出身

松浦 三佳(まつうら みか、1990年5月5日 - )は、日本のグラビアアイドル。京都府出身 ・ファインモーション〜Eカップの気持ち〜(2013/11/23 発売) ・シャイニーガール(2014/4…

松浦 舞依(まつうら まい)
1983年10月24日生まれの有名人 愛知出身

松浦 舞依(まつうら まい、1983年10月24日 - )は日本の女性モデル、元レースクイーン。愛知県出身。有限会社アウラ・エージェント所属。モーターショーや東京ゲームショウなどにイベントコンパニオン…

松浦 有希子(まつうら ゆきこ)
1978年2月4日生まれの有名人 千葉出身

松浦 有希子(まつうら ゆきこ、1978年2月4日 - )は、日本の女優、声優、タレント。千葉県出身。 小さい頃からアニメが好きだったため、声優を目指した。 スリーサイズはB78、W57、H84特…

松浦 雅(まつうら みやび)
1995年6月14日生まれの有名人 兵庫出身

松浦 雅(まつうら みやび、1995年6月14日 - )は、トリマー・元女優。 兵庫県芦屋市出身。愛称はミーヤン。 2021年1月31日をもって芸能界を引退した。 兵庫県芦屋市で塾教師の母を持つ…


松浦 未唯(まつうら みゅう)
2000年3月14日生まれの有名人 東京出身

松浦 未唯(まつうら みゅう、2000年3月14日 - )は、日本の女優。グローバルエンターテインメント所属。 2007年、料理バラエティ番組『笑顔がごちそう ウチゴハン』の子役オーディションで、2…

松浦 佐知子(まつうら さちこ)
1957年2月24日生まれの有名人 福岡出身

松浦 佐知子(まつうら さちこ、1957年2月24日 - )は、日本の女優。 福岡県出身。エフ・エム・ジー所属。身長163cm、血液型はA型。 夢の遊眠社出身。劇団員時代は野田秀樹作・演出の舞台『…

松浦 愛弓(まつうら あゆ)
2001年6月3日生まれの有名人 神奈川出身

松浦 愛弓(まつうら あゆ、2001年6月3日 - )は、日本の女優、元子役、声優。神奈川県出身。ATプロダクション所属。 2002年8月に1歳1か月でテアトルアカデミーに入学。 2010年頃より…

松浦 有希(まつうら ゆき)
1968年12月12日生まれの有名人 大阪出身

松浦 有希(まつうら ゆき、1968年12月12日 - )は、日本のシンガーソングライター、編曲家。東京都世田谷区出身。日本音楽著作権協会正会員、日本作編曲家協会会員である。 父は、サックス奏者の松…

松浦 周太郎(まつうら しゅうたろう)
1896年5月2日生まれの有名人 北海道出身

松浦 周太郎(まつうら しゅうたろう、1896年5月2日 - 1980年6月8日)は、日本の昭和期の政治家。労働大臣・運輸大臣。北海道美深町名誉町民(1964年)。妻は同町の児童養護施設・社会福祉法人…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
松浦武四郎
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

XOX Chelip amorecarina キャンディzoo Splash! MAGiC BOYZ Ange☆Reve Doll☆Elements チームしゃちほこ なにわ男子 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「松浦武四郎」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました