宮部金吾の情報(みやべきんご) 植物学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
宮部 金吾さんについて調べます
■名前・氏名 |
宮部金吾と関係のある人
川上瀧彌: 宮部金吾「故農学士川上瀧彌君略伝」『札幌博物学会会報』第6巻1号、1915年12月、pp.70-73. 新渡戸稲造: 後日、同期の内村鑑三(宗教家)、宮部金吾(植物学者)、廣井勇(土木技術者)らとともに、函館に駐在していたメソジスト系の宣教師メリマン・ハリスから洗礼を受けた。 新渡戸稲造: この学校は、宮部金吾、有島武郎、半沢洵といった札幌農学校(のちに北海道帝国大学)の教員や学生が運営や教師を務め、半世紀にわたり続いた。 内村鑑三: 不敬事件と伴侶の死で憔悴しきった内村は札幌に行き、新渡戸稲造と宮部金吾の元で1ヶ月すごした後、帰京した。 内村鑑三: 一年遅れたことにより、新渡戸稲造、宮部金吾と同級になる。 内村鑑三: 初めはキリスト教への改宗を迫る上級生に反抗していた内村も、新渡戸稲造と宮部金吾が署名したことがきっかけで、ついにほとんど強制的に立行社の岩崎行親と同じ日に「イエスを信ずる者の契約」なる文書に署名させられる。 新渡戸稲造: アメリカから来日した宣教師サラ・クララ・スミスが女子教育を志して札幌に女学校を設立すると(1887年)、新戸部は札幌農学校の同窓生でキリスト教徒としても知られる佐藤昌介や大島正健、宮部金吾らと共にこれに協力した。 内村鑑三: その時、東京大学予備門時代の同級・新渡戸稲造、宮部金吾、岩崎行親らと立行社というグループを結成した。 町村金五: 父・金弥は、宮部金吾や佐藤昌介等と共に札幌農学校で学び、日本の「酪農の草分け」と言われた酪農家である。 |
宮部金吾の情報まとめ
宮部 金吾(みやべ きんご)さんの誕生日は1860年4月27日です。東京出身の植物学者のようです。
現在、卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1951年に亡くなられているようです。
宮部金吾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宮部 金吾(みやべ きんご、1860年4月27日(万延元年閏3月7日) - 1951年(昭和26年)3月16日)は、日本の植物学者。北海道帝国大学名誉教授。札幌市名誉市民。札幌農学校(現在の北海道大学)第二期卒業生。 江戸の下谷に生まれる。生家が探検家松浦武四郎の住居に近く、松浦から蝦夷地(北海道)のことを聞かされていたことが北海道へ向かう動機になったといわれる。明治7年に東京外国語学校に入学し、後年土木工学者となる広井勇と同期生として学ぶ。広井とはのちに札幌農学校でも同期生となる。 寮では内村鑑三と同室であり、親しい友人だった。卒業時の順位は内村が主席であり、宮部が2位だった。 卒業後は開拓使御用掛となる。1881年(明治14年)11月、宮部は開拓使により東京大学へ派遣される。これは将来の農学校教師にするためで、南鷹次郎(駒場農学校へ)と共に国内留学することとなった。1883年(明治16年)、札幌農学校助教に就任、植物園設置の計画立案を命じられる。この準備として、翌年6月から8月にかけて道東への植物採取を行っており、日高地方・北見地方・千島列島(色丹島、択捉島、得撫島)に至る調査となった。 1886年(明治19年)7月、植物学研究を目的としてハーバード大学への留学に旅立つ。当時の世界的植物学者エイサ・グレイの薫陶を受け1889年(明治22年)まで留学し、「千島植物誌」を著して博士号を取得する。欧州・ロシアを経由して諸国の研究機関を歴訪し、カール・ヨハン・マキシモヴィッチらと交流ののち帰国。帰国後は札幌農学校教授となり、日本初の近代的植物園である札幌農学校植物園の主任に就任する。のちに植物園の初代園長を務める。1899年(明治32年)3月、文部大臣より理学博士の学位を授与される。 1927年(昭和2年)、定年退官。同年5月には北海道帝国大学における最初の名誉教授となる。1930年(昭和5年)1月、日本学士院会員に選定される(1951年3月に退任)。1932年、アメリカ芸術科学アカデミー会員に選出。1936年(昭和11年)、日本植物学会会長。1946年(昭和21年)2月、文化勲章を受章。1949年(昭和24年)、札幌市栄誉市民の第一号となる。 1951年(昭和26年)、死去。享年92(満90歳没)。葬儀は札幌独立キリスト教会で営まれた。墓所は円山霊園(札幌市)。 晩年を過ごした札幌市桑園の住宅跡は宮部記念緑地として公園となり、設立に尽力した北海道大学植物園には宮部金吾記念館が設置されている。 1891年(明治24年)12月21日 - 従七位 1915年(大正4年)12月28日 - 正四位 1927年(昭和2年)5月16日 - 正三位 1900年(明治33年)6月30日 - 勲六等瑞宝章 1906年(明治39年)6月30日 - 勲四等瑞宝章 1910年(明治43年)12月26日 - 勲三等瑞宝章 1927年(昭和2年)5月26日 - 旭日重光章 『北海道主要樹木図譜』 『南千島植物誌』 『北海道水産調査報告 巻之三 昆布採取業「昆布科」』 然別湖に生息するミヤベイワナの名称は、最初の発見者である彼の名前にちなんで、農学博士の大島正満が命名したものである。 植物の分布境界線「宮部線」に名を残している。 宮部金吾「池野松平兩氏ノ南部岩手山顯花植物目録追加」『植物学雑誌』第8巻第94号、日本植物学会、1894年、483-489頁、doi:10.15281/jplantres1887.8.483、ISSN 0006-808X、NAID 130004213028。 宮部金吾「川上廣衞氏採集盛京省占領地植物」『植物学雑誌』第9巻第103号、日本植物学会、1895年、343-346頁、doi:10.15281/jplantres1887.9.343、ISSN 0006-808X、NAID 130004213270。 宮部金吾「カール.ヨーハン.マキシモヴィツチの伝」『札幌博物学会会報』第1巻第1号、札幌博物學會、1906年6月、1-9頁、NAID 120005712490。 宮部金吾, 高橋良直「ほっぷの新病原菌 ペロノプラズモパラ ヒユーミユリーに就て」『札幌博物学会会報』第1巻第2号、札幌博物學會、1907年5月、149-155頁、NAID 120005712501。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 I」『札幌博物学会会報』第4巻第2号、札幌博物學會、1913年4月、97-104頁、NAID 120005722574。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 II」『札幌博物学会会報』第5巻第1号、札幌博物學會、1913年7月、36-44頁、NAID 120005722585。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 III」『札幌博物学会会報』第5巻第2号、札幌博物學會、1914年6月、65-80頁、NAID 120005722587。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 IV」『札幌博物学会会報』第5巻第3号、札幌博物學會、1915年3月、146-153頁、NAID 120005743131。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 V」『札幌博物学会会報』第6巻第1号、札幌博物學會、1915年12月、1-9頁、NAID 120005743152。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 VI」『札幌博物学会会報』第6巻第2号、札幌博物學會、1916年7月、119-127頁、NAID 120005743159。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 VII」『札幌博物学会会報』第6巻第3号、札幌博物學會、1917年5月、NAID 120005773985。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 VIII」『札幌博物学会会報』第7巻第1号、札幌博物學會、1917年5月、23-35頁、NAID 120005849928。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 IX」『札幌博物学会会報』第7巻第2号、札幌博物學會、1919年7月、128-135頁、NAID 120005849933。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 X」『札幌博物学会会報』第8巻第1-2号、札幌博物學會、1921年9月、1-7頁、NAID 120005849947。 宮部金吾, 工藤祐舜「北海道植物志料 XI」『札幌博物学会会報』第9巻第1号、札幌博物學會、1924年11月、61-69頁、NAID 120005849960。 宮部金吾, 永井政次「千島產昆布科植物」『札幌博物学会会報』第13巻第2号、札幌博物學會、1933年12月、85-101頁、NAID 120005907021。 ^ この時、南鷹次郎も名誉教授となる。 ^ 札幌市 1994. ^ 宮部金吾 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2018年7月9日閲覧 ^ 山本悠三『札幌農学校の理念と人脈』芙蓉書房出版、2020年。 ^ 北大百二十五年史 論文・資料編, p. 1083. ^ 北大百二十五年史 論文・資料編, p. 1082. ^ 北大植物園. ^ 北大百二十五年史 論文・資料編, p. 1080. ^ 北大百二十五年史 論文・資料編, p. 1079. ^ “日本学士院ニュースレター 2019. 4 No. 23”. 日本学士院. 2024年3月14日閲覧。 ^ 大山綱夫『札幌農学校とキリスト教』EDITEX、2012年、219頁。 ^ “知の系譜 -札幌農学校の教育- 「植物学」 D. 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2024/11/17 04:33更新
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miyabe kingo
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