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栃ノ心剛の情報 (とちのしんつよし)
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【5月27日】今日誕生日の芸能人・有名人

栃ノ心剛の情報 (とちのしんつよし) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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栃ノ心 剛さんについて調べます

■名前・氏名
栃ノ心 剛
(とちのしん つよし)
■職業
相撲
■栃ノ心剛の誕生日・生年月日
1987年10月13日 (年齢36歳)
卯年(うさぎ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
不明

栃ノ心剛と同じ1987年生まれの有名人・芸能人

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栃ノ心剛と関係のある人

朝青龍明徳: 2024年2月4日、両国国技館で行われた栃ノ心剛史の断髪式に参加し、翌2月5日に行われた7代高砂のお別れの会では、来賓扱いではなく遺族や弟分の8代高砂とも顔を合わせることはなかったというが、約30分間参列した。


小城ノ花昭和: この1月場所千秋楽の表彰式では部長代理として、優勝力士である栃ノ心剛史への優勝旗授与も担当した。


栃ノ心剛

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栃ノ心 剛(とちのしん つよし)さんの誕生日は1987年10月13日です。

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素質・取り口、略歴などについてまとめました。家族、結婚、引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。栃ノ心剛の現在の年齢は36歳のようです。

栃ノ心 剛史(とちのしん つよし、1987年10月13日 - )は、ジョージア(旧呼称グルジア)・ムツケタ出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。本名はレヴァン・ゴルガゼ(グルジア語: ლევან გორგაძე、グルジア語ラテン翻字: Levan Gorgadze)。愛称は「角界のニコラス・ケイジ」。身長192.0cm、体重189.0kg。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は東大関2(2019年3月場所、9月場所)。好物は魚類(サバ、サンマ、ホッケなど)。

相撲を始める前は柔道、ヨーロッパ王者になったこともあるサンボを経験している。小学生に入るころに柔道とチダオバと呼ばれるジョージアの伝統格闘技を始めた。自身も柔道と相撲の強豪選手であった弟のラシャ・ゴルガゼが「兄は真面目で、いつも練習ばかりしていた。私は真似できなかったなあ」と振り返るのを筆頭に、複数の証言者がレヴァニの練習熱心さを語っている。

2004年の世界ジュニア相撲選手権大会に全く相撲の稽古をしないまま出場したのが初めての相撲経験であり、この時に3位入賞を果たした。世界ジュニア大会ではほかにも重量級準優勝などの実績を残している。柔道も好きであったために角界入りについては迷っていたが、同郷の黒海や家族に相談した末に入門。本人は後年「相撲に入っていなかったら多分、柔道でオリンピックに出ていたでしょうね。ジョージア代表で出ていた選手には一度も負けたことがなかったからね」と話している。レスリング出身者が多い欧州勢の中で、相撲エリートとしての実績や恵まれた体躯、優れた身体能力から、入門時より将来の角界を担う力士として期待された。木村山とは十両昇進後も設備上の理由で同じ個室で生活していた時期があり、木村山が結婚して夫人とともにマンション暮らしをするようになるまで相部屋生活は続いた。

2006年3月場所に初土俵を踏んで以降、全ての場所で5勝以上を挙げるなどハイペースで番付を上げた。

2007年11月場所では東幕下筆頭で勝ち越しを決め、初土俵から所要11場所で十両昇進。ジョージア出身力士では黒海以来2人目の関取となった。

新十両で迎えた2008年1月場所では、いきなり12勝3敗の成績を収め新十両で優勝。翌3月場所でも9勝6敗の成績を残し、十両を2場所で通過。翌5月場所で初土俵から13場所と史上10位タイのスピード記録で新入幕を果たした。なお、十両昇進時点では現役終盤の180kg台の巨体とは似ても似つかない、150kg足らずのそっぷであった。

新入幕となった5月場所は7勝8敗と自身初の負け越しを喫したが、以降は順調に出世し、西前頭8枚目で迎えた2009年11月場所には12勝3敗の成績を挙げ、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。この時は新小結の可能性もあったが、翌場所は西前頭筆頭に据え置かれた。入幕からしばらく勢いが衰えたことに関しては本人が後に「あのとき、もっと真面目にやっていれば、もうちょっと上に行けたかもしれない(笑い)。分からないけどね。若かったから遊びたい気持ちも大きかったんじゃないですか」と振り返っている。しかし幕内上位ではいずれも10敗以上を喫するなど上位の壁は越えられないでいた。

4度目の上位挑戦となった2010年5月場所では、初日こそ把瑠都に敗れたものの翌日以降4大関(日馬富士・琴欧洲・琴光喜・魁皇)を次々になぎ倒し、順調な滑り出しをしたが、その後は失速し千秋楽に8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。それでも4大関撃破の星が認められて2回目の敢闘賞を受賞した。この活躍を受けて翌7月場所では新三役(西小結)に昇進したものの、琴欧洲を除く横綱・大関陣に全て敗れるなど上位の壁に阻まれ6勝9敗で負け越した。

西前頭6枚目で迎えた5月技量審査場所は序盤から好調で、千秋楽まで優勝争いトップの白鵬を追って白星を重ねていった。千秋楽に日馬富士に破れて12勝3敗となり優勝は逃したが、自身3度目の敢闘賞を受賞した。7月場所は3度目となる西小結に番付を戻したが、6勝9敗と負け越した。10月18日、同月14日に門限や服装規定を破った栃ノ心ら弟子3人が師匠である春日野親方に腹や背中を素手やゴルフクラブのアイアンで殴られるなどした暴行容疑が浮上し、師匠と栃ノ心らは警視庁本所警察署で事情聴取を受けた。栃ノ心は14日に暴行を受けてから部屋を出て行き16日まで部屋に戻らなかったが、その後春日野親方に土下座して謝罪し自分の非を認め、被害届を提出しない意向である。「自分が悪いことをした。これからはこういうことがないように頑張る」とコメントした。関係者によると、栃ノ心は門限破りと服装違反の常習犯であり、当面は土俵内での申し合いと外出が禁止され、事実上謹慎状態にあり、栃ノ心は「(申し合い)稽古はしたいけど仕方ない」と反省している。ちなみに、同月5日に開かれた研修会で集まった力士に対し、放駒理事長は外出時の服装など日常の行動について注意した直後の出来事だった。師匠は「関取たる者、相撲だけじゃなく、態度や言動も伴っていないといけない。栃ノ心は、もうちょっと『心』をしっかりしてほしい」と語った。27日、師匠は九州場所入りしても反省の色が見えない限り、当面は土俵内の稽古を禁止すると記者に答えた。「反省か何かがないと。嫌なら辞めてもらうしかない」とも語っている。後年、自身が大関に昇進して以降の報道では「キレてもおかしくない一件でしたが、栃ノ心は『親方は自分のことを本気で考えてくれ、本気で怒ってくれた』 と感銘を受け、信頼するように。『稽古は嫌いじゃない』と語っているように、このときから稽古量もよりいっそう多くなっていった」とされている。その後謹慎は解かれたが、土俵上では精彩を欠く相撲内容がしばらく続き、相変わらず上位の壁は打ち破れないでいた。 2013年7月場所は5日目の德勝龍戦(栃ノ心が勝利)で右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂の大怪我を負い、6日目から休場した。その後も回復が遅れて、9月場所初日の前に『右膝前十字靱帯断裂及び右膝内側側副靱帯断裂で更に安静2ヶ月が必要』という診断書を日本相撲協会に提出して休場することになった。11月場所は西十両14枚目の地位まで下がったが、10月10日付で日本相撲協会に「右膝前十字靱帯損傷、右膝内側側副靱帯損傷で、12月末までの安静加療を要す見込み」との診断書を提出した。

2014年1月場所を以って35場所維持した関取の座から幕下へ陥落した。1月場所を目前にした栃ノ心はぶつかり稽古を再開し、医者からのゴーサインも得たが、師匠から時期尚早との判断を下され、結局1月場所も全休した。後に栃ノ心は、「1か月準備して30秒で話が終わった。でも、あの時無理に出ていたら、もう相撲をやめていたよ。しっかり治せた。師匠が見ていてくれた」と述懐している。休場中は引退も考えていたが、春日野から「まさかやめること考えているんじゃないだろうな。バカじゃないか。あと10年相撲を取らないとダメなんだよ」とハッパを掛けられ続投を選ぶ。2ヶ月の入院で体重は177kgまで増えてしまい、さらに退院して部屋に戻るとちゃんこがおいしくて食べ過ぎてしまったので前年11月場所からダイエットに取り組み、体重が減るまでキャベツの千切りとレタスとリンゴだけしか食べなかった。復帰に向けた稽古については、朝、四股やスクワットで汗をかき、午後はすぐ近くの海に行って砂浜を歩き回った。退院前より27kg落ちた体重を徐々に稽古をやりながら、160kg台にまで仕上げた。手術、リハビリを経て半年ぶりに稽古場に立った際には部屋の三段目力士にも勝てなくなっており、悲しくて涙が止まらなかったが、前述のように師匠に叱咤されて奮起した。3月場所は西幕下55枚目まで番付を落としてしまったが、4場所ぶりに土俵に復帰して7戦全勝で復活の優勝を決めた。続く5月場所も西幕下6枚目で7戦全勝の連続優勝となり、7月場所で十両に復帰した。

この7月場所千秋楽に1敗でトップに立つ逸ノ城に黒星を付け、さらに13勝2敗同士で行う優勝決定戦で逸ノ城と再度対戦し、これにも勝利して見事十両優勝を果たす。直後のインタビューでは本割と決定戦の2番をこなしても右膝に痛みが現れないと復調を主張し、さらに「やめなくて良かった。次は幕内に戻るように頑張る」と語った。続く9月場所は西十両5枚目の地位で大相撲史上5人目となる15戦全勝での十両優勝を果たした。幕下から4場所連続優勝で再入幕を果たした11月場所は11勝4敗と好成績を残し、この場所では自身4度目となる敢闘賞を受賞。

2015年1月場所は自己最高位に近い西前頭筆頭まで番付を戻すも場所直前に部屋内でインフルエンザが流行したこと(後述)もあって振るわず、12日目には負け越しが確定し、場所を6勝9敗で終えたが、5日目に大関・豪栄道を破った。なお、大関戦での白星は、2013年3月場所4日目の琴欧洲戦以来。翌3月場所は、8日目に横綱・日馬富士を破り自身初の金星獲得。12日目には大関・稀勢の里を破った。千秋楽に同郷の臥牙丸を破り、勝ち越しが決定。5月場所では西前頭筆頭で9勝6敗の成績を挙げたが、翌7月場所で三役から陥落する力士が1人も居らず、東筆頭の宝富士(こちらも9勝6敗)は小結に昇進したが栃ノ心は東前頭筆頭止まりで、三役に復帰できなかった。西筆頭で9勝を挙げながら三役に上がれなかったのは41年ぶり史上3例目だったが、その7月場所も8勝7敗の勝ち越しで終えると、翌9月場所で5度目の小結昇進を果たした。幕下55枚目まで陥落した後の三役復帰は、低地位からのカムバック記録としては戦後1位であり、また、5度目にして初の東となった(過去4場所は全て西)。その場所は10勝5敗と三役では初となる勝ち越しを果たし、敢闘賞を受賞した。しかし両関脇も勝ち越したため新関脇昇進とはならず、翌11月も東小結に据え置かれた。この場所は7勝8敗と負け越した。

2016年1月場所も連続で負け越し、三役から落ちた3月場所も負け越した。西前頭4枚目とした5月場所は10勝を挙げ、右四つの形と場所中に決めた吊り出しが評価されて自身初の技能賞を受賞。翌7月場所は一気に西関脇に昇進した。これにより、「新小結を経験した力士が一旦幕下まで落ち、その後新関脇になったのは昭和以降では初めて」という記録を作った。この場所と次場所は負け越してしまうも11月場所ではこの年、年間最多勝の稀勢の里を9月場所に続いて倒す活躍を見せ10勝をあげた。

2017年1月場所は西小結で場所に挑むが初日から連敗。さらに5日目の正代戦で右膝外側半月板損傷の怪我をしてそのまま休場となった。6日目の髙安戦は不戦敗。一気に東前頭10枚目まで番付を下げた3月場所も膝の状態が芳しくなく序盤から苦しい相撲が続いた。4勝7敗と後がない状態から3連勝して千秋楽に望みを繋いだが、遠藤に敗れて7勝8敗だった。5月場所は先場所負け越しながら番付が据え置きという珍しい形で先場所に続いて東の10枚目で迎えた。この場所は痛めた膝の状態が大分よくなり、中盤に5連勝をするなど好調だった。12日目までに3敗していたため優勝争いに名前が出ることはなかったが、終わってみれば12勝3敗で照ノ富士と並んで幕内で2番目の好成績だった。しかし上位での実績があることや他に好成績の力士が多かったこともあり、三賞の候補にも上がらなかった。大関経験のない平幕力士が12勝を挙げながら三賞を受賞できなかったのは大相撲野球賭博問題による謹慎で十両に陥落し、この場所再入幕だった2010年11月場所の豪栄道以来、これを除けば1962年11月場所の大豪以来となる。7月場所は東前頭2枚目の地位で土俵に上がり、この場所はそれまで全敗であった稀勢の里から金星を奪う活躍を見せた。「右四つになりたかったけど、前(まわし)のすごくいいところを取れたからね。頭をつけたのたまたまだけど」と取り口を説明する声も弾み、さらに「懸賞が31本? こんなに初めてだよ。付け人にわけてあげないと」と喜びを見せた。この場所は9勝6敗の勝ち越し。7月場所は三役以上から平幕に落ちる星の力士が琴奨菊1人しかいなかったため、9月場所はわずか1枚上昇の東前頭筆頭止まり。9月場所は膝の状態が思わしくなく、初日から5連敗を喫するなど10日目の時点で僅か1勝しか出来なかった。終盤戦は下位の力士との取組が増えたことでやや星を伸ばしたが4勝11敗と大きく負け越した。11月場所は14日目に勝ち越しを決めた。

2018年1月場所は初日から連勝し、4日目に大関の高安、5日目に同じく大関の豪栄道に勝利し好調な幕開けとなった。7日目に横綱で全勝同士の鶴竜に敗れるものの、8日目の嘉風戦は難なく勝利し、9日目に1敗同士の関脇・御嶽海戦でも持ち味の力で圧倒した。13日目に自分より38kg重い逸ノ城を右の相四つで下すなど力相撲が冴え渡り、14日目には自身と同じ2006年3月場所初土俵の松鳳山を下し、この時点で春日野部屋では1972年(昭和47年)1月場所の初代栃東以来46年ぶり、平幕力士としては2012年5月場所の旭天鵬以来6年ぶりとなる幕内最高優勝を決めた。千秋楽も遠藤に勝利し、最終的に鶴竜以外全勝の14勝1敗として、初の殊勲賞、2度目の技能賞受賞が決まった。三賞ダブル受賞は2015年9月場所で殊勲賞、技能賞の嘉風以来。3横綱の内2人が休場し、平幕が優勝を果たした例は、戦後15日制下ではこれが3例目であり平成としては最後の平幕優勝となった。躍進の背景には、生まれたばかりの長女に自分の強いところを見せたいという気持ちがあった。この優勝により、部屋の特等床山の床松が1年半後の定年を迎えるまでの間に、床松に部屋の幕内優勝力士の髷を結わせてあげることが実現した。ちなみに、優勝パレードの旗手は同部屋でブルガリア出身、十両の碧山だった。さらなる躍進を妨げないために、場所後1滴も酒を飲まなかった。2月11日の第42回大相撲トーナメントでも初優勝を決めている。14日、東京都千代田区の日本記者クラブで会見し、そこでジョージアのギオルギ・マルグヴェラシヴィリ大統領から日本の国民栄誉賞に相当する勲章を授与された。自身の活躍によりジョージアでの相撲人気が高まっている中、栃ノ心は「向こうに一つでもちゃんとした土俵をつくりたい。そこで、欧州大会や世界大会がやれたらうれしい」と希望した。2018年2月11日の第42回日本大相撲トーナメントでは、この時点で本場所では25戦全敗と苦手としている白鵬を右四つがっぷりからの寄り切りで下した。3月場所は西関脇に昇進。30歳4ヶ月での関脇昇進はこの時点で外国出身力士の高齢三役昇進記録第5位。高齢関脇昇進記録としては第3位。その3月場所では場所前に左足付け根を痛めるアクシデントがあり、1月場所の好調が影を潜める苦闘の相撲であったが千秋楽に逸ノ城を下して10勝目を挙げた。5月場所は最高位となる東関脇に昇進。初日から12連勝と好調の波に乗り、また12日目に本場所で初めて苦手の白鵬から26戦目にして本割で初めての勝ち星を挙げた。13日目の正代、14日目の鶴竜と連敗を喫して2度目の優勝を逃したが、千秋楽は勢に勝って13勝2敗とした。この結果、日本相撲協会審判部が栃ノ心の大関昇進を協会理事会に諮問するよう要請することとなった。そして5月30日に日本相撲協会理事会及び7月場所番付編成会議により栃ノ心の大関昇進が正式に決定、直ちに春日野部屋に昇進伝達の使者が派遣され、栃ノ心は「親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進」と口上を述べ、これにより栃ノ心は春日野部屋所属力士としては1962年5月場所後の栃ノ海(後に第49代横綱)・栃光の同時昇進以来の大関昇進となり、また琴欧洲(ブルガリア)、把瑠都(エストニア)に続く3人目のヨーロッパ出身者の大関誕生となった。三役経験者が幕下陥落後に大関昇進を果たしたのは、昭和以降では琴風(現・尾車親方)と栃ノ心だけであり、その尾車親方は「立派なものだ。けがをして半年間や1年間土俵に立つことができない力士にも、『栃ノ心を見てみろ』と言ってあげることができる。勇気を与える」と手放しで褒め称えた。

新大関で迎えた2018年7月場所、初日から5連勝と好調だったが6日目に玉鷲に敗れた際に右足親指を痛め7日目から休場。新大関の休場は2000年5月場所の武双山以来でこの場所は、稀勢の里も初日から、白鵬は4日目から、鶴竜は6日目からと3横綱が全員休場しており、さらに栃ノ心の休場で3横綱1大関が休場となった。これは1999年3月場所以来(横綱・曙、貴乃花、若乃花、大関・千代大海)の緊急事態となった。17日に再出場しないことを発表し新大関で負け越し、9月場所はいきなりのかど番になる。9月場所前の8月29日に稽古を再開し、幕下と三段目の力士計4人と26番。土俵を割る場面もあり、「体が相撲の感覚を忘れている」と話した。30日に関取衆との申し合いを再開し、出稽古に来た御嶽海らに10勝6敗だったが立ち合いで腰高になることが多く、得意の右四つになるまで苦労し、「駄目だね。気持ち良くない。思い切り相撲が取れない。当たれない」と本人は不満の様子だった。9月1日、都内のホテルで大関昇進披露パーティーが行われた。母国の先輩力士である黒海、ジョージア駐日大使のレヴァン・ツィンツァゼ、小川直也も参加し、小川直也は壇上で栃ノ心を祝福していた。9月場所は右足親指の状態が思わしくなく10日目を終えて6勝4敗と微妙な成績。しかし、14日目になんとか勝ち越して角番を脱出。千秋楽も同じ大関の高安を送り出しで勝利し、初の角番の場所を9勝6敗で終えた。

2019年1月場所は初日から4連敗し、5日目から途中休場。3月場所を自身2度目の角番で迎えることとなったが、稽古場での取組の再開日は大阪入り後の2月27日であった。続く3月場所は9日目まで6勝3敗であったが、横綱・大関戦4連敗し、7敗と関脇陥落まで後のない状況になる。14日目には玉鷲を破り、角番脱出に望みをつないだ。しかし、千秋楽、大関昇進をかける貴景勝に敗れ8敗目、次場所での関脇陥落が決定してしまった。大関在位5場所での陥落は、御嶽海の在位4場所に次ぎ、大受と並ぶ歴代2位タイ(前述の武双山は一度目の大関昇進後に2場所で関脇に陥落しているが、直後の2000年9月場所を10勝5敗と勝ち越して復帰しているため含めていない)。在位5場所において、一度も正東大関の地位に就かなかった。また、角番の場所で負け越しても、次の場所の番付発表までは大関として扱われるため、正式な大関陥落は次の場所の番付発表の日である。なお場所後に貴景勝が逆に3月27日付で正式に大関に昇進したため、5月場所の番付は3大関で番付上の大関の人数としては変わらないが、貴景勝の大関昇進から5月場所の番付発表までの期間は4大関となる。4月4日の春巡業豊岡場所では一門の小結・御嶽海、幕内・朝乃山を指名し、11番取って10勝と大関復帰に向けて好調をアピール。4月14日の春巡業常陸大宮場所では幕内の大翔鵬、阿武咲らを指名し、16番取って14勝2敗とここでも好調を示した。5月8日、うっ血した右ひざを改善するために、ヒルに血を吸わせる治療法を開始したことを明かした。ちなみに治療に使用したヒルはイタリア産である。同日の出羽海部屋での出稽古では御嶽海、同部屋の碧山、栃煌山と相撲を13番取って8勝5敗。大関復帰を懸ける5月場所は7日目に勝って自身初の自力勝利のみによる7連勝を記録。8日目に遠藤に上手出し投げで敗れ中日勝ち越しはならなかったが、9日目の貴景勝戦では不戦勝を得て9日目に勝ち越しを決めた。13日目の朝乃山戦では土俵際の際どい勝負を制して10勝目を挙げたかに思われたがこれに物言いがつき長い協議の末に敗れる。しかし14日目の鶴竜戦で注文相撲を仕掛けて10勝目をあげ、大関特例復帰を決めた。現行制度による大関特例復帰は、2005年3月場所の栃東以来5人目・6例目であり、外国人力士の大関特例復帰は史上初である。しかし大関復帰の7月場所は初日から5連敗し、6日目に「左肩腱板断裂、左肩棘下筋筋断裂、右膝前十字靱帯再建後再断裂、右膝半月板損傷、右変形性膝関節症で約1カ月の加療を要する」との診断書を提出して途中休場。9月場所は3度目の角番となる。

9月場所は、初日から2連敗し3日目に勝利するも4日目は阿炎のまげを掴み反則負け。5日目に勝つも6日目からまた2連敗。しかし8日目から3連勝し星を五分にする。11日目から貴景勝と御嶽海に連敗しもう1敗もできない立場に置かれる。13日目の竜電戦に勝つも14日目の妙義龍戦に敗れ、2回目の大関陥落が決定した。2回目の大関陥落となったが、この場所で一門の御嶽海が2度目の幕内最高優勝を達成しており、千秋楽の支度部屋では普段から御嶽海を稽古付けている身として大関陥落の悔しさを忘れて御嶽海を称えている様子であった。

11月場所では、栃東以来史上2人目となる大関再復帰を目指す。場所前の11月2日、部屋の碧山らと相撲を14番取り10勝4敗と順調な仕上がりをアピールし、体重も10㎏減量した170㎏に仕上げた。しかし11月場所は1勝2敗で迎えた4日目の宝富士戦で勝利したものの右脇腹付近を痛め、5日目から休場することとなった。相撲協会に「右肋軟骨骨折で3週間の安静加療を要する」との診断書が提出され、師匠の春日野は「1週間やそこらで治る感じではない」と述べている。これにより2度目の大関特例復帰は叶わなくなり、結局大関在位は増位山(二代目)(大関の地位で引退)、朝乃山(場所中の不祥事により6場所連続出場停止で関脇陥落)と並んで、ワースト3位タイとなる7場所に終わった。大関在位中に二桁勝利は1度もあげることは出来ず、正大関になることもなかった。

場所後の27日、12月1日から開始される冬巡業を初日から休場することが相撲協会から発表された。

新型コロナウイルスの影響で中止になった5月場所の次に行われた7月場所では1年ぶりに勝ち越し、10勝5敗で終えた。

11月場所は協会に「急性腰痛症により約2週間の治療を要する」との診断書を提出して初日から休場。師匠の春日野によると、13日の朝稽古後に痛みを訴えたという。春日野は「(状態が)良くなったら出るつもり」と、回復次第では再出場させる意向を示した。再出場しなければ翌2022年1月場所は、2014年9月場所以来約7年ぶりとなる十両陥落が確定する。5日目から再出場。この場所は6勝を挙げたため、翌2022年1月場所は西前頭15枚目と幕内残留を果たした。この場所初日の剣翔戦の後に「できるだけ長く相撲をとれるよう、精いっぱいやりたいですね」と2022年の目標を語った。この場所は7勝8敗の負け越しに終わったが千秋楽終了時点で幕内残留は決定的となった。

2月4日、協会は栃ノ心が新型コロナウイルスに感染したと発表

3月場所は名目上番付据え置きとなった(大関が1人増えているので、実質半枚降下)。この場所は11日目に勝ち越しを決めるなど好調であったが、残りの4日間で失速して終わってみれば9勝6敗の平凡な勝ち越しであった。

西前頭11枚目で迎えた2023年1月場所の4日目、琴勝峰戦の取組中に左肩を痛め、「左肩関節脱臼で2週間の休養を要する見込み」と診断され、5日目から休場。千秋楽まで休場したため、2014年11月場所以来49場所連続で守り抜いた幕内の地位から陥落することが決定的となった。

5月場所は番付運に助けられ、2枚半下降に留まる東十両5枚目の地位を与えられた。その5月場所は、序盤から左腕に思うように力が入らず、生命線の左上手を引けずに初日から5連敗で未勝利のまま序盤戦を終え、「ダメだった。残念ながら。相撲になっていない。場所前は、こんな結果になるとは思わなかった」と話した。そして6日目に現役引退を決意し、日本相撲協会に引退届を提出した後に国技館にて引退記者会見を執り行った。会見では「1月場所でケガして、そこから自分の相撲が取れなくなった。今場所も乗り越えられると信じていたけど、自分の相撲を取れず、力も出なくなった。相撲を取るのが怖くなりました」と語り、会見に同席した春日野も「どういう角度でまわしを取って、どういう角度で引きつけたら、まだいけるのか確かめようと、やらせましたけど、どういう格好になっても痛いということだった」とケガの状態を説明した。思い出の取組として2018年1月場所14日目、同期入門の松鳳山に勝って初優勝を決めた1番を挙げた。一番負けたくなかった相手には玉鷲を挙げ「いつもいい相撲を取れた」と懐かしそうに笑顔を浮かべた。春日野は「私が育てたなかでは一番強かった」と評価。続けて「意外と打たれ弱い面もあったが言えば響くタイプだったし、(指導は)やりやすかった」と振り返った。栃ノ心は日本国籍を取得していない為、引退後は日本相撲協会を退職することとなるが引退時点では未定。師匠の春日野は「引退相撲(断髪式)までは春日野部屋に残ってもらいます」としている。栃ノ心本人は「協会には残らないですけど、日本は好きですし、日本に住みたいなと思います。(出身の)ジョージアと日本を、行ったり来たりできたらいいなと思います」との意向を語っている。八角理事長は「照ノ富士もそうだけど、幕下まで落ちて(幕内に)戻ってきてから、よく大関に上がった。ケガが多かったけどよく我慢した」と褒め「肩の脱臼が影響したけど、それでもまた(春場所に)出てきた。普通の力士では、あり得ない、痛みに強い力士で、稽古もよくした」と、ねぎらいの言葉を続けた。また栃ノ心の引退によって朝青龍と幕内で対戦経験のある力士は全員が土俵を去った。なお、大関経験者で幕内勝率が5割を切っているのは、明治以降増位山太志郎以来2人目。

2023年6月19日の取材によると、友人と東京都内で「ロイヤルジョージア」という名称の貿易会社を立ち上げ、同時点では自身は平社員としてその会社に勤務している模様。日本に住み、ジョージアにはたまに帰る程度とする意向を示している。体重は引退時点より30kg減少している。仕事で忙しくない時期には週5回、師範代のように部屋の力士に胸を出している。11月には神奈川県内で日本ソムリエ協会の「名誉ソムリエ」就任式に出席した。

2024年2月4日に両国国技館で引退相撲が開催され、高須克弥や元朝青龍ら約300人がはさみを入れ、止め鋏は師匠の春日野が入れた。

同年3月29日、芸能事務所SUMOエージェンシーと契約を結び、力士タレントとしても活動していくことが分かった。

4月2日に公開された貴闘力のYouTubeチャンネルの動画では、日本国籍取得が間に合わず幕下に陥落する恐れがあったため、本当は協会に残る意欲はあったが引退して協会を去ったと明かした。

素質・取り口

非常に力が強く足腰も強い。握力は左右ともに90kgを超える。右四つの相撲が得意で左上手を取ると力を発揮する。万全な状態であれば、右四つ左上手がっぷりとなると横綱クラスをも寄り切る程の地力がある。その状態から豪快な吊り出しを見せることがあり、土俵際でのうっちゃりも足腰の強さゆえによく決まる。極めて稀に内無双などの特殊技を使用することもある(2015年1月場所11日目において、逸ノ城に対して使用)。2013年に負った大怪我からの関取復帰以降は体格が向上したため、元々部屋が突き押しの指導を徹底することもあって、最低限突き押しは実戦においてもこなせるようになった。

決まり手は主に寄り切りが多いが、投げ技も力強く地力のある相撲を身につけてきている。調子の良い時は立ち遅れて攻め込まれても上手投げや叩き込みで逆転勝ちを収める。2013年7月場所に負った大怪我から復帰して以降はそれ以前より強くなったと評される事が多く、2014年11月場所前の座談会では元文化放送アナウンサーの坂信一郎が「廻しの取り方も下から取るようになった」と差し身が向上した様子を述べていた。同じ座談会では元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗が「十両であっても左上手を取ったら、絶対取りこぼしが無かった」と安定感の向上を評価していた。

しかし2016年3月場所前の座談会では振分が「パワー一辺倒だからもう少し器用さがないと」「大ケガをしたからさらにパワーをつけたんだなという感じがして、だからまたケガをしかねない」と指摘しており、浦風も「自分も力任せの相撲という印象なんだよな」と同調している。高崎はこれに関して「右四つ左上手という型はあるんだけど、十分になるまでの工夫がもうちょっとほしいね」と注文を付けている。大怪我をする前は受ける相撲であったがその後は前に出るようになり、2017年1月場所前の座談会でお笑い芸人のはなわが指摘している。2017年3月場所前の座談会では甲山(元幕内・大碇)から「幕下まで落ちて復活したころはおっつけながら上手を取る相撲が目立っていましたけど」と評され上で竹縄(元関脇・栃乃洋)から「栃ノ心は上半身だけで相撲を取ろうとするのが、また目立ってきましたね。先場所(2017年1月場所)の休場するきっかけとなった一番もまさにそうでした」と再び相撲が雑になったと指摘された。

合い口を見ると、関脇以下でも玉乃島や朝赤龍といった一世代上の左四つ力士に対して不利であり、同じ左四つなら宝富士とも合い口はあまり良くない。大関以上には左四つの名手が多いため、それらの力士にも苦労している。相撲が遅いのも難点であり、2017年7月場所などは20秒以上所要した相撲が15番中6番、1分以上所要した相撲が15番中2番であった。とはいえ型にはまったときには得意の右四つの相撲が冴え渡り、自然と身体が付いてくる。また、立ち合いを工夫して立つことも増えており、時折諸手気味に立つこともある。2018年1月場所は4日目の高安戦で右のかかとが土俵外に突きそうなところで残したり、13日目の逸ノ城戦ではやくみつるからも「頭を付けたり、胸を合わせるのを避けたりするのでは?」と思われたところがっぷりになったりと、力相撲や腰の強さが最大限発揮された。

2018年1月場所後の武蔵川のコラムでは、自分の型があるからこそ優勝までたどり着けたのだと評価され、今後については突っ張りや押しを覚えて相撲の幅を広げるべきだと助言されている。初優勝した時点では自分でも突っ張りや右からのおっつけがある程度できるようになっている。2018年7月場所で新大関昇進したが7日目から休場した。新大関で休場は武双山以来18年ぶりであり、大関2場所目の角番も2000年の武双山以来となった。

大関陥落場所である2019年5月場所も怪力は健在で、初日の千代大龍戦では198kgの巨体を2回吊り上げ、寄り切りで勝利している。 翌二日目の大栄翔戦も、万全に組み止め、吊り出しで勝利した。

2020年1月場所3日目の竜電戦での敗戦について16代高崎はAbemaTVの解説席において、怪我による稽古不足で相撲がぎこちなくなっていると分析していた。14代玉ノ井は12日目の相撲に関して「右を差したら右に寄るという定石を忘れて真っ直ぐ正面に寄るため小手に振られる」という趣旨の指摘をした。

30代に入ると経験値と勘を活かした相撲が目立ち、2020年9月場所中日の貴景勝戦で叩き込みによって白星を収めた際は花田虎上が「巧いですよね。やっぱり経験ですよね。相手の心理を読んでどういう相撲を取っていくか。悔しいですよね」と貴景勝の心中を察しつつ栃ノ心を評価していた。一方、7代高砂はこの場所の相撲振りを見て安易な変化の多用に苦言を呈していた。

略歴

2006年3月場所 - 初土俵

2006年7月場所 - 序二段昇進

2006年11月場所 - 三段目昇進

2007年1月場所 - 幕下昇進

2008年1月場所 - 十両昇進、十両初優勝

2008年5月場所 - 新入幕

2009年11月場所 - 初三賞

2010年7月場所 - 新三役、新小結

2013年9月場所 - 十両陥落

2014年1月場所 - 幕下陥落

2014年3月場所 - 幕下優勝

2014年5月場所 - 幕下優勝(2回目、連覇)

2014年7月場所 - 返り十両、十両優勝(2回目)

2014年9月場所 - 十両優勝(3回目、全勝)(幕下から4連続優勝)

2014年11月場所 - 返り入幕

2015年3月場所 - 初金星

2016年7月場所 - 新関脇

2018年1月場所 - 幕内初優勝

2018年2月 - 第42回大相撲トーナメント初優勝

2018年7月場所 - 新大関

2019年5月場所 - 大関から関脇に陥落

2019年7月場所 - 大関復帰

2019年11月場所 - 大関から関脇に再陥落

2023年3月場所 - 十両陥落

2023年5月場所 - 引退

2024/05/26 08:29更新

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