桃井はるこの情報 (ももいはるこ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
桃井 はるこさんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
桃井はるこ
桃井 はるこ(ももい はるこ)さんの誕生日は1977年12月14日です。東京出身のタレントのようです。
人物、支持層などについてまとめました。卒業、テレビ、解散、趣味に関する情報もありますね。現在の年齢は46歳のようです。
桃井 はるこ(ももい はるこ、1977年12月14日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター、音楽家、作詞家、作曲家、随筆家、声優、ラジオパーソナリティ。東京都出身。 東京都立代々木高等学校卒業、東海大学文学部広報メディア学科中退。 声優としての代表作は、『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』の中原小麦、『瀬戸の花嫁』の瀬戸燦、『STEINS;GATE』のフェイリス・ニャンニャンなど。 小学生の頃から秋葉原に通い続けるなど秋葉原への深い愛着を公言し、1990年代後半からアキバで表現者としての活動を行なってきたことから「元祖アキバ系女王」の異名を持つ。愛称は「モモーイ」など。別名義として「もあい はるこ」「momo-i」がある。 国立の小・中学校に通っていたが勉強重視の校風に馴染めず、敢えてそれとは正反対で自由な校風の定時制高校に進学した。 幼い頃から独自にアイドルの楽曲の作詞分析を行うなどアイドル好きではあったが、1994年、水野あおいのイベントに初めて訪れ衝撃を受けて、ライブアイドルに関心を持ち、積極的にイベントやライブに足を運ぶようになり、同じアイドル愛好家たちと知り合いになる。また、小学生の頃から秋葉原に通っており、親にFM TOWNSを買ってもらっていた他、高校在学中の1995年夏に、秋葉原の神林ビルにあった「くず屋うさぎ堂」というジャンク屋で、時給が高いという理由でアルバイトを始めた。1995年当時の秋葉原はアニメショップもメイド喫茶もない純然たる電気街で、女性が全く居らず、女子高生が秋葉原の専門店で働くこと自体が異例中の異例であった。中学時代から投稿していた深夜ラジオの催しで知り合った仲間の勧めで、高校在学中にパソコン通信を始め、インターネットが普及し始めた頃には既に自分のウェブサイトを開設しており、「桃井はるこの秘密日記」等を掲載していた。そのサイトが編集者の目に留まり、雑誌『GREAT SATURN Z』で連載をはじめる。 1996年9月15日、パソコン通信での繋がりを元に、新宿ロフトプラスワンにおいて、ゲームやアニメやアイドルなどを語り合うトークライブ「はるこの秘密」を開催し、「オタクの女子高生」として話題を呼ぶ。 1996年、プレアイドル(いわゆるライブアイドルであるが、桃井自身と友人らは当時の呼び名に合わせてプレアイドルと呼ぶ)として活動を始める。翌1997年、桃井はるこがプロデュースするバーチャルアイドル"もあいはるこ"として、藤崎詩織のコスプレにパワーグローブという出で立ちで原宿や秋葉原での路上ライヴ活動をいち早く始め、注目されるようになった。 ロフトプラスワンでのトークライブを見た関係者から声がかかり、1998年から文化放送の深夜ラジオ番組『小野坂・桃井のバーチャラジオ電脳戦隊モモンガー』に出演。以後、ラジオパーソナリティとして多くの番組に関わるようになる。 1999年には地上波TV番組の『D's Garage 21』(テレビ朝日系列/水曜25時)にレギュラー出演。「萌え」などオタク用語を電波媒体で多用し流行らせる。 大学を中退して、2000年5月にメジャーデビューシングル『Mail Me』を発表し、本格的に音楽活動を始めた。 ラジオを聞いた渡辺明夫から声優オーディションに誘われる。2001年4月、テレビアニメ『The Soul Taker 〜魂狩〜』の中原小麦役で、本格的に声優としてデビュー。同年、ソロユニットPoly-phonicの活動を開始。 2002年から「美少女ゲームソングに愛を!」「萌えソングをきわめるゾ!」を旗印として『Mail Me』の編曲者であり、Poly-phonicでもギターで参加していた小池雅也と『UNDER17』を結成。コミックマーケットでのイベント・ライブ活動や、数多くの美少女ゲームへの歌謡曲提供で知名度を上げ、複数の地上波TVアニメ主題歌の座を獲得、楽曲の質とは関係なく低く見られがちであった美少女ゲームに用いられる曲の認知を向上させ、萌えソングの分野成立にも大きく寄与する。東京・名古屋・大阪単独公演を行えるほどの人気を博したが2004年に解散した。 UNDER17解散後は、単独での音楽活動を再開する。2005年には、最初のライヴツアー『ワンダーモモーイライブツアー』を大阪・名古屋・博多・渋谷で行い、2006年には、初のベストアルバム『momo-i quality』を発表、同年には念願の北海道の札幌市を加えての全国縦断ライブツアーも行った。 2007年、その半生をつづった自伝的青春劇『はるこ☆UP DATE』や、初めての著書『アキハバLOVE〜秋葉原と一緒に大人になった〜』を発表。日本最大級のアニメソングの催しである「Animelo Summer Live」へは、2007年から2010年まで連続出演した。 同時期声優として、『瀬戸の花嫁』の瀬戸燦役、またSteins;Gateのフェイリス・ニャンニャン役を演じている。 2005年より、「アキバから世界へ!」を合言葉に活動の舞台を世界に広げ、台湾を皮切りに、USA「アニメ・エキスポ」やドイツ「CONNICHI」、カナダ・中国・ハワイ・メキシコ・コスタリカ・オースラリア・イギリス等、世界各国に連年招聘されライヴを行なっている。桃井自らがプロデュースしたxRukixやAlly&Sallyなど、桃井に影響を受けてアキバ系アイドルの活動を始めた者も多い。 2012年11月より、メールマガジン『しえすた』を始め、活動の最初期から継続している日記、また対談などを自身の媒体で展開している。2013年2月2日から『モモーイ党せーけん放送』と銘打ったトークライブをWALLOPで毎月開催している。 音楽プロデューサーとしても、他の声優・アーティストへ楽曲を多数提供しており、編曲まで手掛けることも多い。 2001年、Ace Fileの吉川茉絵・久志麻理奈が組んだくしよしの全楽曲を提供。 2005年、Perfumeは、桃井の作詞・作曲・プロデュースで「アキハバラブ」を発表し、桃井とともに「愛・地球博」のメインステージで打ち水を呼び掛けると共にステージパフォーマンスを行った。また、同年11月20日の渋谷O-EastにおけるWonder momo-i Live tour最終公演にも出演している。 2008年、志倉千代丸とアフィリア・サーガをプロデュース。 2009年2月、本人がレーベルプロデューサーを務めるレコードレーベル「AKIHABALOVE RECORDS」を設立、同時に参加型プロデュースユニット「Summer of Love」を発表し、奥井雅美やxRukixをプロデュース。 同年4月、異色のコスプレファイター長島☆自演乙☆雄一郎の入場曲を作成したことが縁で、以後二人でトークライブなどを行なっている。 人物小学生時代から秋葉原に通い詰め、それが嵩じてインターネット文化やいわゆる「アキバ系」のサブカルチャーを背景に著名になった人物である。20世紀末には"オタク"は否定的印象を持たれていたが、その中で積極的に自身が秋葉原に拘りのあるオタクであると公言してアニメ・ゲーム・アイドルなどを肯定し、むしろそれを前面に押し出して活動することで、その印象を覆してきた。高校生時代は秋葉原のとらのあなでアルバイトをしている。、プレアイドルとしての活動も秋葉原を拠点とするなどその関わりは深い。 執筆・ラジオ番組では幅広くかつ世間の流行に流されない話題を好む。好物はカレーうどん。趣味はTシャツ収集(特にMARS16を好んでいる)であったが、長じて染め物を始め、自分で染めたTシャツや帽子、オーバーオールを着用するようになっている。 熱心な野球ファンで、特に幼い頃から「東京ヤクルトスワローズ」ファンであり、しばしば球場へも足を運んでいる。2013年9月11日、神宮球場で行われた広島カープ対ヤクルトスワローズ戦で、ヤクルトのウラディミール・バレンティン選手が55号本塁打を打ち、シーズンのプロ野球記録に並んだ試合にも足を運び、バレンティンの故郷であるキュラソー島旗を持っていた桃井がインタビューを受けバックスクリーンに表示されたこともあった。球団側からも認知されており、2015年には戸田球場体験イベントで始球式を務めている。 30代半ばを過ぎてから競馬に関心を示すようになった。 舌足らずの特徴的な声質(俗に言う「アニメ声」)を活かして、天然あるいは猫被りな女の子の役を演じることが多い。浅野真澄や野川さくらと仲が良く、楽曲提供もしている。所属事務所は声優事務所としては比較的珍しい給料制で、歩合制ではなく月給を貰う身である事を明かしている。 歌手としては萌えソングの代表的な唄い手の一人で、元々アイドル歌謡や声優的な声での歌唱を得意としたが、「ワンダーモモーイ」以降ロック系の力強い発声にも取り組み、声優としても『瀬戸の花嫁』の主人公・燦役では力強い発声法と任侠者の台詞回しを行うなど演技の幅を広げ、悪役(『Kawaii! JeNny』のシスターBなど)も演じるようになった。マーティ・フリードマンは「可愛い声優さんっぽい歌い方するのに物凄い迫力が伝わってくる」とその歌声を評価している。 作曲家としてはまったくの独学で、中学1~2年の時に作曲を始め、文化祭で発表するなどコツコツと作曲を続けていた。作品を書き溜めていくうちに、アイドルに曲を提供したいという意志が芽生え、楽曲提供の目標となっている。 編曲も行い、『瀬戸の花嫁』オープニング主題歌「Romantic summer」では、ベンチャーズ風クロマティックラン奏法のギターサウンドを使ったサーフロック風の編曲が採用された。同曲のカップリングの『瀬戸の花嫁』挿入歌「涙一輪」(『瀬戸燦』名義)は、桃井独自の歌としては初の演歌作品である。2008年のアニメ『Mission-E』のエンディング曲「Feel so Easy!」では1980年代テクノポップ風のアレンジをしている。 作詞は、歌詞に多重の意味を持たせることを好み、初期から様々な意味を込めたり、ネットスラングや言葉遊びを仕込んだりしている。 小学生の時からショルダーキーボードYamaha SHS-10を愛用しており、ライブでは桃井の象徴と言われるほどショルダーキーボードを使いこなしている。Roland・AX-1(赤)、AX-7(パールホワイト)、AX-Synth(パールホワイト)の使用機会が多いが、より軽量のヤマハ・KX5を使用する場合もある。 支持層熱心なファンを"モモイスト"と称し、桃井自身も多用している。 桃井のライブにおける観客側の特徴は、整然と統一されたコール(掛け声、合いの手)や口上、集団で行われるオタ芸にある。中でも『愛のメディスン』では約30秒にも渡って観客側が歌うかのように声を掛け続ける(モモイストらが作成したコール本と呼ばれる案内冊子が配られていることがある)。これは海外公演でも同様である。 このような観客側の行為に対して、桃井は作曲時に敢えて応援しやすいような構成にしたり、また無意識にそうなっていたりすることがあると語っている。ヲタ芸については安定した歌唱力のある歌手や声優に対して行うのはひとつの楽しみ方としてあり得る、としながらも「純粋なアイドルのライブの最前列でやるのは妨害行為」「あくまでも、ライブの主役はアイドル本人」と苦言を呈する。ただし、桃井自身のライブでは「どんなノリ方をしてくれても嬉しかったりする」「行き過ぎがあれば自分はその場でつっこむので野暮にならないようにすればいい」と寛容な姿勢である。出待ちについては自身はしない主義で、「邪道」と語っている。 2024/05/16 04:26更新
|
momoi haruko
桃井はること同じ誕生日12月14日生まれ、同じ東京出身の人
桃井はること近い名前の人
話題のアホネイター
話題の芸能人・有名人
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「桃井はるこ」を素材として二次利用しています。