比佐芳武の情報(ひさよしたけ) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
比佐 芳武さんについて調べます
■名前・氏名 |
比佐芳武と関係のある人
佐伯秀男: 『多羅尾伴内』 : 製作渡辺亮徳・天尾完次・橋本新一、監督鈴木則文、原作比佐芳武、脚本高田宏治、主演小林旭、製作東映東京撮影所、配給東映、1978年4月8日公開(映倫番号 19319) - 出演・「吉村会頭」役 松田定次: 戦後、大映から東映に会社を代えて製作された『七つの顔』から始まる 片岡千恵蔵主演の現代劇『多羅尾伴内』シリーズを脚本・原作の比佐芳武と共に11作すべてを監督した。 稲葉蛟児: 獄門島 企画・製作マキノ光雄、監督松田定次、監督助手萩原遼・宮城文夫、原作横溝正史、脚本比佐芳武、撮影伊藤武夫、主演片岡千恵蔵 ※監督助手 近衛十四郎: 時代劇に関わる片岡千恵蔵や市川右太衛門、月形龍之介ら大物スターや、内田吐夢、伊藤大輔、田坂具隆、比佐芳武らが専属契約を解除され、松田定次や河野寿一、佐々木康らはテレビに移された。 高田宏治: 内田吐夢の助監督を務めた後、比佐芳武に師事。 片岡千恵蔵: これを機に比佐芳武らとともに東横映画への移籍を決意した。 |
比佐芳武の情報まとめ
比佐 芳武(ひさ よしたけ)さんの誕生日は1904年1月4日です。北海道出身の脚本家のようです。
現在、解散、映画、引退、テレビに関する情報もありますね。1981年に亡くなられているようです。
比佐芳武のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)比佐 芳武(ひさ よしたけ、1904年1月4日 - 1981年12月17日)は、日本の脚本家である。マキノ正博のもっとも苦しんだ若い時期に惜しみなく協力した盟友であり、「七つの顔を持つ男」で知られる片岡千恵蔵の当たり役「多羅尾伴内」の生みの親である。本名武久 猛(たけひさ たかし)。 現在の北海道滝川市に生まれる。 マキノ・プロダクションに入社、同社で初めて採用されたのはオリジナルストーリーであった。中川信夫が脚本化し、マキノ正博が監督したこの『浪人太平記』は、1931年(昭和6年)3月19日に公開された。同年のマキノ解散後は、高村正次が興した「正映マキノキネマ」で1932年(昭和7年)、マキノ正博が「青山正雄」名義で監督した『喧嘩道中記』、おなじくマキノが監督した『二番手赤穂浪士』の2作にオリジナル脚本を書いた。同年、マキノとともに日活に入社、ひきつづきマキノとのコンビで野村胡堂原作の『七人の花嫁』の脚本を書き、荒井良平らにも脚本を提供したが、マキノの日活馘首後は、1934年(昭和9年)、嵐寛寿郎プロダクションに移籍した。同社では、『喧嘩一代』のオリジナル脚本、大仏次郎原作の『鞍馬天狗』全3篇、行友李風原作の『月形半平太』の脚本を執筆した。 マキノ正博の録音研究による雌伏時代も、マキノによく協力し、1935年(昭和10年)11月、マキノによる「マキノトーキー製作所」の設立に参加、翌1936年(昭和11年)1月に発表になった同社の陣容では、脚本部の筆頭に名をつらねた。1937年(昭和12年)4月の同社の解散後、マキノが日活に1冊の脚本を手に売り込みに行くわけだが、それは比佐が書いた吉川英治原作の『恋山彦』であった。マキノとともに日活京都撮影所に入社する。 1941年(昭和16年)1月の日活の製作部門と新興キネマ、大都映画の合併による大映の設立以降も大映に残ったが、1943年(昭和18年)、マキノとともに松竹下加茂撮影所に入社、同年8月1日付で発令、発表された同社の人事で、下加茂撮影所長・牧野正博、企画部長・牧野満男、製作部長・辻吉郎とともに脚本部長として名を連ね、マキノにひきつづき協力した。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、新体制下の大映京都撮影所で、オリジナル脚本『七つの顔』が松田定次監督、片岡千恵蔵主演で映画化、これがオリジナルキャラクター「多羅尾伴内」の初登場作品となる。以降、片岡の当たり役となった。1949年(昭和24年)以降は東横映画、1951年(昭和26年)の3社合併後の東映京都撮影所で脚本を書きつづけ、二本立て上映の元祖となり「比佐天皇」と呼ばれた。1965年(昭和40年)東映京都の合理化を進める岡田茂に引退させられたが、1973年(昭和48年)にNET(のちのテレビ朝日)の「長谷川伸シリーズ」で植木等を主演にした『江戸の花和尚』の脚本を書き、これが遺作となった。 1981年(昭和56年)12月17日に死去した。 東横映画で製作された横溝正史原作の金田一耕助シリーズ(片岡千恵蔵主演)の脚本を担当しているが、横溝によれば、比佐は「原作の持つアクの強さに理解がある」上に「原作を読んでいる観客でもあっといわせてみせるという自信家」で、真犯人はすべて原作とは異なっている。横溝は「私は私でいたって寛容の精神にとんでいるから、シナリオを読むたびにオンヤオヤと思いながら、それでも映画が当たるなら結構ではないかと、かえって面白がっていたものである」と回顧する一方、「作者としてはこいねがわくば原作どおりにやってほしい」と不満の意も示している。 『多羅尾伴内 - 七つの顔をもつ男』、共著小池一夫・石ノ森章太郎、小池書院(道草文庫)、1997年 ^ 大宅壮一『群像断裁』(文藝春秋新社)P.107 ^ 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、pp.217-218 ^ 横溝正史『真説 金田一耕助』角川書店〈角川文庫〉、1979年1月5日、19頁。 マキノ・プロダクション (牧野省三) 正映マキノキネマ (高村正次) 嵐寛寿郎プロダクション (嵐寛寿郎) マキノトーキー製作所 (マキノ正博) 日活京都撮影所 松竹下加茂撮影所 大映京都撮影所 東横映画 (マキノ光雄) 東映京都撮影所 比佐芳武 - 日本映画データベース Yoshitake Hisa - IMDb(英語) VIAF WorldCat アメリカ 日本の映画の脚本家 サイレント映画 マキノトーキーの人物 マキノ・プロダクションの人物 日活の人物 大映の人物 松竹の人物 東映の人物 北海道出身の人物 1904年生 1981年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事
2024/11/20 18:44更新
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hisa yoshitake
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