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江木翼
江木 翼(えぎ たすく)さんの誕生日は1873年4月24日です。山口出身の官僚、政治家のようです。
栄典、親族などについてまとめました。現在、卒業、事件に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
江木 翼(えぎ たすく、1873年(明治6年)12月5日 - 1932年(昭和7年)9月18日)は、日本の内務官僚、政治家。法学博士。幼名は恵助(えすけ)。 1873年(明治6年)12月5日、山口県御庄村(現在の岩国市)に酒造業を営む羽村卯作の三男として生まれる。山口中学校、山口高等中学校予科、本科を経て、東京帝国大学法科大学英法科へ進学、1897年(明治30年)5月17日に、枢密顧問官、文部大臣、貴族院議員となる江木千之の養子となる。同年7月、帝大を卒業し、大学院に進学。1898年(明治31年)12月文官高等試験に合格。1899年(明治32年)1月、内務省に入省する。神奈川県事務官、法制局参事官、1910年(明治43年)拓殖局部長を歴任する。 1912年(大正元年)第3次桂内閣で内閣書記官長に就任。その後、1914年(大正3年)の第2次大隈内閣、1924年(大正13年)の第1次加藤高明内閣でも書記官長を務め憲政会、立憲民政党系の官僚政治家として台頭した。この間に、1916年(大正5年)10月5日には貴族院議員に勅選され、1920年(大正9年)には法学博士号を受けている。 1925年(大正14年)第2次加藤高明内閣の司法大臣となり、第1次若槻内閣でも留任した。 1926年(大正15年)10月、甘粕事件を起こした甘粕正彦の仮出獄の許可を発令。甘粕は懲役10年の判決のところ約3年で仮出獄した。 1931年(昭和6年)の第2次若槻内閣でも鉄道大臣として入閣し、民政党の歴代総裁からの信任が厚く「民政党の知恵袋」と評され、同党の有力な総裁候補であったが、病のため辞職した。同じ官僚系の伊沢多喜男とは軋轢があり、対立することもあった。1932年(昭和7年)9月18日、前月に死去した養父の後を追うかのように死去。前年から胃癌を患っており、それが肝臓にも転移していた。墓所は青山霊園。 栄典1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章 1916年(大正5年)1月19日 - 勲二等旭日重光章 1927年(昭和2年)4月19日 - 旭日大綬章 親族妻 江木秀子(養父長女) 2024/05/17 01:23更新
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