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池江璃花子の情報 (いけえりかこ)
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【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

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池江 璃花子さんについて調べます

■名前・氏名
池江 璃花子
(いけえ りかこ)
■職業
水泳選手
■池江璃花子の誕生日・生年月日
2000年7月14日 (年齢23歳)
辰年(たつ)、蟹座(かに)
■出身地・都道府県
東京出身

池江璃花子と同じ年に生まれた芸能人(2000年生まれ)

池江璃花子と同じ誕生日の人(7月14日)

池江璃花子と同じ出身地の芸能人(東京都生まれ)


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池江璃花子

もしもしロボ

池江 璃花子(いけえ りかこ)さんの誕生日は2000年7月14日です。東京出身の水泳選手のようです。

もしもしロボ

五輪での活躍、人物・エピソードなどについてまとめました。現在、母親、姉妹、卒業、テレビ、父親、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。現在の年齢は23歳のようです。

池江 璃花子(いけえ りかこ、2000年7月4日 - )は、東京都江戸川区出身の競泳選手。専門は自由形とバタフライ。2018年8月28日現在、身長171cm、リーチは186cm、足のサイズは26.5cm。横浜ゴム・ルネサンス所属。マネジメント契約先は電通の完全子会社である株式会社ジエブ。2019年7月30日現在、個人種目11個とリレー種目5個、計16種目の日本記録を保持している。

2000年7月4日、自宅の風呂場で水中出産により誕生した。生後2ヶ月頃から母親が運営する幼児教室に通い超早期教育を受ける。

幼児教室の講師を務める母親が、脳の発達に雲梯が良いと本で読んだことから、生まれてすぐに雲梯に取り組んだ。生後6か月で母親の親指を握ってぶら下がり、1歳6か月の時には鉄棒の逆上がりをこなしたと言う。

水泳は兄姉の影響で3歳10ヶ月から始め、5歳の時には、自由形・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4泳法すべてで50mを泳げるようになった。

地元の江戸川区立西小岩小学校に通うかたわら、東京ドルフィンクラブ江戸川スイミングスクールで3歳から中学1年まで練習に励んだ。小学6年時に記録した100mバタフライの「1′02″3」は、1973年創立の同スクールの「大人も含めた最速記録」で、いまだに破られていない。

小学3年頃から全国レベルの大会に出場するようになる。2010年のJOC春季ジュニアオリンピックカップ(以下JOC春季大会)では、50mバタフライ(10歳以下区分)で決勝進出者中ただ一人の小学3年生(他はすべて4年生)ながら3位に輝いた。

また、中学入学直前に出場した2013年のJOC春季大会の50m自由形(11~12歳区分)で優勝し、本人初めての全国優勝を達成した。

2013年4月、江戸川区立小岩第四中学校に入学。

6月、より高いレベルの練習環境を求めてルネサンス亀戸へ移籍した。

8月の全国中学校水泳競技大会の50m自由形で2位。続くJOC夏季大会(13~14歳区分)では、50m自由形と100mバタフライで3位に入った。

2014年3月のJOC春季大会(13~14歳区分)では、50mおよび100m自由形で短水路中学記録を更新して優勝。50mバタフライでも優勝を飾った。

2014年4月、第90回日本選手権の50m、100m自由形、50mバタフライに出場。全ての種目で中学生としてただ一人決勝に進んだ(他の決勝進出者は全員大学生以上)。特に50m自由形では4位に入り、6月のジャパンオープンの同種目においても4位となった。

8月の第54回全国中学校水泳競技大会50m自由形では、源純夏が1994年に樹立した当時最古の中学記録を、実に20年ぶりに0秒02更新する25秒60で優勝を飾った。100m自由形では同じルネサンス系クラブ所属で1学年上の持田早智に次ぐ2位。その後出場した国際大会のジュニアパンパシフィック選手権では、50m自由形、100m自由形で中学記録を更新し、100mバタフライで3位に入った。

10月のワールドカップ2014東京大会の50m、100m、200m自由形の3種目全てで短水路中学新記録を樹立するなど、次々と各種の短水路や長水路の大会で中学記録を更新した。

2015年1月に開催された東京都選手権の100mバタフライでは、世界選手権の派遣標準記録に0秒23と迫る58秒27で優勝して、ロンドン五輪200mバタフライ銅メダリストの星奈津美に勝利した。

2015年4月、第91回日本選手権に出場。世界選手権の代表入りを狙った得意種目の100mバタフライで20位に終わり予選落ちするも、その後の50m自由形で25秒28、100m自由形で54秒76、200m自由形では1分58秒77の中学新記録でそれぞれ3位に入賞。さらに50mバタフライの予選で26秒41の中学記録を樹立するとそのまま決勝も制し、青山綾里(1996年に100mバタフライで優勝)以来19年ぶりとなる中学生全日本チャンピオンとなった。また200m自由形で3位に入ったことで、世界選手権のリレー選手に選出され、2001年に100mバタフライで世界選手権代表となった春口沙緒里以来14年ぶりに中学生で日本代表入りを果たした。

5月のジャパンオープンでは200m自由形で日本歴代2位となる1分58秒01で2位に入ると、50mバタフライでは26秒35の中学記録で優勝。これらの活躍が認められ、世界選手権ではリレーのみならず、個人種目の50mバタフライにも出場することが決まった。

8月の世界選手権、池江を第2泳者に据えた日本チームは400mフリーリレーで9位、800mフリーリレーでは7位となり、12位までに与えられるリオ五輪の出場権を獲得した。男女混合400mリレーは予選10位、個人種目の50mバタフライは26秒66の予選19位となり決勝進出を逃した。

続く第55回全国中学校水泳競技大会では100mバタフライと200m自由形をそれぞれ大会新記録で制した。

さらにシンガポールで開催された第5回世界ジュニアでは、50mバタフライと100mバタフライで優勝、50m自由形で2位、100m自由形で4位、400mメドレーリレーで3位、400mフリーリレーでは4位になった。

9月の国体では50m自由形で日本記録に0秒03と迫る24秒99、100m自由形で54秒38の中学新記録でそれぞれ優勝し、アンカーをつとめた400mフリーリレーと400mメドレーリレーでも東京都の優勝に大きく貢献した。

10月のワールドカップ東京大会では、最初の200m自由形こそ予選9位で決勝進出を逃したが、100mバタフライで加藤ゆかの日本記録を0秒21更新する57秒56の日本新記録で優勝したのを皮切りに、50m自由形は3位、100m自由形は54秒14の中学新記録で優勝、50mバタフライは26秒17の世界ジュニア記録で優勝と、得意の4種目で表彰台に上がった。この際「今まで以上にスピードを出せて勝つことができた」「(100m自由形は)国体でベストを出したばかりなのにまた出せた。まだまだ出ると思う」と自らの成長に自信と手応えをのぞかせた。

2016年1月の東京都選手権では、100m自由形で上田春佳の日本記録を0秒01上回る53秒99で優勝し、日本女子として初めて54秒台の壁を超えた。

2月のコナミ・オープンでは50m自由形で内田美希の記録を0秒21上回る24秒74の日本新記録で優勝。これにより3種目の日本記録保持者となった。さらに同大会では、100mと200mの自由形も制した。

2016年4月、淑徳巣鴨高校に入学するも、初登校する間もなくリオ五輪代表選考会を兼ねた第92回日本選手権に挑むことになる。池江は4種目にエントリーし、リレーを含めた7種目での代表入りを狙った。大会を通じて、高校新7回、日本新1回、WJ新1回の活躍で、計4種目の代表権を獲得。さらにその後の5月から6月にかけて参加した大会での活躍と将来性が認められ、日本競泳史上初めて7種目での五輪派遣が決定した(→リオ五輪代表選考)。

5月のジャパンオープン、100m自由形でオーストラリアの強豪キャンベル姉妹と対決。前年の世界選手権銅メダリストで後に世界記録を樹立する姉ケイト・キャンベルには1秒半以上遅れたものの、世界選手権チャンピオンである妹のブロンテ・キャンベル(英語版)に競り勝ち53秒98の高校記録を樹立、キャンベル姉妹がオープン参加だったため優勝者となった。また50mバタフライは世界ジュニア新記録となる26秒05で、100mバタフライは57秒57でそれぞれ優勝を飾った。200m自由形は五十嵐千尋に次ぐ2位だった。

6月、欧州ツアー帰国からわずか3日後の東京都高校選手権、疲労と時差ボケが残る中、全日本選手権で内田美希に0秒11更新された100m自由形の日本記録を再び0秒19更新する53秒69の日本新記録で優勝。代表選考に直接は関係ないものの日本選手権では届かなかった五輪派遣標準記録も0秒12上回った。

7月、五輪前最後の公式戦として三重県選手権にオープン参加で出場すると、50mバタフライで加藤ゆかの持つ従来の日本記録を0秒45と大幅に更新、25秒50の日本新記録を樹立した。これにより4種目の日本記録保持者となった。

8月のインターハイは、池江、長谷川涼香、今井月、持田早智ら高校生五輪代表の「リオ五輪直後の大会」という事もあり立ち見が出るほど注目が集まった。池江はブラジルから帰国後、羽田空港から直接開催地の広島に向かうという強行軍の中、50m自由形と100m自由形で大会新を樹立し優勝、日本記録保持者の貫禄を見せつけた。大会3日目の400mメドレーリレーは、池江、長谷川の代表2人を擁する淑徳巣鴨高校と、今井を擁する豊川高校の一騎討ちとなり、2泳の今井だけで6秒近いリードを作った豊川が、淑徳巣鴨の3泳長谷川とアンカー池江の猛追を振り切り優勝、淑徳巣鴨は1秒差の準優勝となった。最終日、3泳を務めた800mリレー決勝ではトップと6秒差の6位でバトンを受け取ると、決勝出場者中ただひとり2分を切る1分57秒台の泳ぎで5人をごぼう抜きにし、さらに1秒以上のリードを作った状態でアンカーの長谷川に繋いだ。チームは大会記録を6秒以上更新して優勝を飾った。

9月、岩手県で開催された国体に出場。前月だけで計30レースという超過密日程の中、「シーズン最後の大会で日本新を」と挑んだ50m自由形決勝において自らの日本記録を0秒07更新した。

10月、東京で行われたワールドカップ2016東京大会(短水路)の100m個人メドレーにおいて、渡部香生子が保持していた従来の記録を1秒以上縮める58秒24の短水路日本新記録を樹立し、5種目の日本記録保持者となった。

11月、東京で開催された第10回アジア水泳選手権の100m自由形決勝で自身の日本記録を0秒01更新する53秒68をマークした。同大会では50m自由形、50m、100mバタフライ、及び400mメドレーリレーで優勝し、特に第3泳を務めたメドレーリレーでは引き継ぎながら100mバタフライの日本記録を0秒66上回るタイムで泳ぎ、日本の優勝に大きく貢献した。

12月、カナダ・ウィンザーで行われた第13回世界短水路選手権に出場。50m及び100mバタフライで銅メダルを獲得すると同時に、加藤ゆかが保持していた両種目の日本記録も更新して7種目の日本記録保持者となった。

2017年1月、東京都水泳選手権の200m自由形決勝において五十嵐千尋の日本記録を0秒85更新し、8種目の日本記録保持者となった。

2月18日、コナミ・オープンの50m自由形決勝において、苦手としていたノーブレスを初めて取り入れ、自身の日本記録を0秒19更新する24秒48で優勝した。

3月、フランスに遠征し、FFNゴールデンツアーに参戦。200m自由形ではカティンカ・ホッスーを終始リードして勝利するなど、出場した5種目中4種目で優勝を果たした。また50mバタフライ決勝では自由形に続いて自身初めてノーブレス泳法を達成した。

3月29日、高校1年最後の競技会となるJOC春季大会に出場。内田美希が保持していた短水路50m自由形の日本記録を0秒17更新する24秒05で泳ぎ、9種目の日本記録保持者となった。

2017年4月、第93回日本選手権に出場。50m、100m、200m自由形、50m、100mバタフライの5種目にエントリーし、4日間で10レースを泳いだ池江は、ドーピング検査が長引いたことによる睡眠不足や、食事を満足に取れずに体重を3kg落とすほどの過密スケジュールを物ともせず、エントリーした種目すべてで優勝を果たした。自身が持つ日本記録の更新こそならなかったが、100m自由形および50m、100mバタフライの3種目では、2位に1秒以上の大差をつける圧倒的な強さを見せた。これによりそれまで最多だった2002年の萩原智子と2015年の渡部香生子の4冠を上回り、初めて日本選手権で5冠を達成した女子選手となった。

8月の第6回世界ジュニア選手権において、50m自由形、50、100mバタフライで優勝。特に50mバタフライでは自身の日本記録を1年1ヶ月ぶりに更新する活躍で大会MVPに輝いた。

2018年5月23日、東京五輪に向けての新体制として、中学時代から指導を受けて来た村上二美也の元を離れ、元五輪代表の三木二郎を新たなコーチとすることを発表。それに伴い所属もそれまでの「ルネサンス亀戸」から単に「ルネサンス」へと変更された。

*小嶋美紅、酒井夏海と共に400mメドレーリレー高校記録を樹立した(2022年現在も破られていない)。

2018年8月アジア競技大会ジャカルタに出場。50m、100m自由形、50m、100mバタフライ、400mフリーリレー、400mメドレーリレーの6種目で優勝。日本人初となるアジア競技大会6冠を達成し、大会MVPに輝いた。

2020年東京オリンピックでの活躍が期待されていた中、2019年1月18日からオーストラリアで合宿を行っていたが、2月7日、体調不良のため予定を切り上げて帰国することが発表された。そして同月12日、自身のTwitterで、帰国後に検査をした結果白血病と診断されたことを公表した。このため、同年2月のコナミオープン水泳競技大会、4月の第95回日本選手権水泳競技大会といった公式競技会への出場を全て取り止めて療養生活に専念することとなった。その闘病生活は過酷で、高校の卒業式にも出席できず、復帰後もキャリアに響いてしまったという。

闘病中の2019年4月8日、日本大学スポーツ科学部に入学し、水泳部に入部することが発表された。5月8日、公式サイトを開設。

12月17日、退院を報告した。その報告の中で、東京五輪は事実上断念し、2024年パリオリンピックの出場・メダル獲得を目標とすることを明らかにした。

2月19日、『報道ステーション』(テレビ朝日系)のスポーツコーナーの特集に於いて、同番組解説者の松岡修造(日本テニス協会理事)によるインタビューという形でVTR出演。1年ぶりの公の場への登場となったが、松岡との質疑応答の中で池江は病名を告げられた時や闘病中の心境を吐露し、「2024年のパリオリンピックを目指したい」と将来の展望を語り、「今、生きていることが奇跡。人生のターニングポイントになった」などと率直に語った。

5月9日、闘病生活や再起へ歩む日々を追ったドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」『ふり向かずに 前へ 池江璃花子 19歳』(NHK総合、19時30分 - 20時30分)が放送された。

8月29日、594日ぶりに競技会に出場(東京辰巳国際水泳場での東京都特別水泳大会)、50メートル自由形で26秒32をマークした(同組1着)。なお同年3月24日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により東京五輪が1年程度延期されることが決まったため、以降の回復状況によっては東京五輪に出場できる可能性が出てきた。池江本人も「可能性があるのならチャレンジしたい」と同年12月に語っている。

12月4日、毎日スポーツ人賞の文化賞を受賞した。

2月7日、競泳ジャパン・オープンの50メートル自由形で24秒91で2位となり、復帰後4戦目で初めて表彰台に上がった。

4月4日、東京五輪の代表選考を兼ねた日本選手権の100メートルバタフライ決勝において57秒77で3年ぶりに優勝。400メートルメドレーリレーの派遣標準記録(57秒92)も突破し、メドレーリレーのメンバーとして東京五輪出場が決まった。さらに、100メートル自由形でも優勝して東京五輪の400メートルフリーリレーのメンバーにも内定したほか、50メートル自由形、50メートルバタフライも制して4冠を達成した。

7月24日、2020年東京オリンピックの競泳女子400メートルリレーに、五十嵐千尋、酒井夏海、大本里佳と出場したが(池江は第2泳者)、チームは決勝進出に0秒27届かなかった。また7月29日には混合400mメドレーリレー予選に小西杏奈、佐藤翔馬、松元克央とともに出場し、アンカー(自由形)を務め、日本は3分44秒15で全体の9位だった。8月1日の競泳女子400mメドレーリレーには五十嵐千尋、渡部香生子、小西杏奈と出場して決勝に進出し記録3分58秒12で8位だった。

4月1日より横浜ゴム所属となることが発表された。

パリオリンピック日本代表選考会として3月に開催された「国際大会代表選考会」の女子100mバタフライに於いて、57秒30のタイムで2着に入線。この結果、日本水泳連盟が定める派遣標準記録を突破して3大会連続、そしてリオデジャネイロオリンピック以来となる個人種目でのオリンピック出場を決めた。

五輪での活躍

リオ五輪代表選考会を兼ねた2016年第92回日本選手権(4月3日~10日)において、池江は50m自由形、100m自由形、200m自由形、100mバタフライの計4種目にエントリーし、リレーを含めた7種目での代表入りを狙った。日本水泳連盟が設定したこれらの種目の五輪派遣標準記録は、日本記録の更新が大前提となるようなきわめて厳しいものであったが、池江はいきなり大会初日の100mバタフライ準決勝で自身の持つ日本記録を0秒01更新すると、翌日の決勝でも派遣標準記録を切る57秒71で優勝して、この種目のリオ五輪代表権を獲得した。優勝後のインタビューでは喜びのあまり両手で顔を覆い号泣した。

7月18日、五輪直前合宿地のサンパウロへ出発する際に羽田空港で報道陣の取材に応じ、筋力トレーニングで体が大きくなり、4月に採寸した日本選手団の公式ジャケットがきつくなっていることを明かした。その上で「全部を出し切って、細くなって帰国したい」とユーモアを交えて意気込みを語った。

競泳競技初日の8月6日、100mバタフライ予選最終6組に登場した池江は、前半50mを世界記録保持者のサラ・ショーストレムに次ぐ2位で折り返す積極的なレースで、日本記録を0秒28更新する57秒27をたたき出し、全体の8位で準決勝進出を決めた。インタビューでは「自分でも分からないくらい緊張していたが、スタートラインに立った瞬間、やる気がわき上がってきた」と初の大舞台にも物怖じしない強心臓ぶりを伺わせた。さらに、同日の夜に行われた準決勝でも日本記録を更に0秒22更新。準決勝1組の1位、全体の3位で決勝進出を決めた。レース後「まさか1番で帰ってこられるとは思わなかったんで、すごい嬉しいです」と自身の好調に声を弾ませた。

競泳競技2日目の8月7日、100mバタフライ決勝で三たび日本記録を更新。結果は5位と表彰台は逃したが、56秒86の日本新記録を樹立した。試合後のインタビューでは「56秒台を出す目標があった。メダルは取れなかったが、また自己ベストを更新できてうれしい」としながら、同い年のペニー・オレクシアクが銀メダルを獲得した事に触れ、「4年後に向けてくらいついていきたい」と早くも東京五輪での雪辱を誓った。

競泳競技3日目の8月8日、池江は200m自由形予選に挑んだ。しかし、エントリー選手中この時点で5レースこなしていたのが池江とショーストレムだけという、通常忌避される過密日程の影響は隠せず、自己記録に1秒以上及ばずに予選21位で敗退した。レース後には「後半バテてしまった。日本新記録を狙ったが、こういう形で終わって残念」と悔しさを滲ませた。

競泳競技5日目の8月10日、1日はさんで100m自由形予選最終6組に登場した池江は、同組の内田と「同タイムで全体の16位タイ」という珍事に見舞われる。当初は準決勝進出を賭けた2人だけの再レース(スイムオフ)が予定されていたが、15位の中国人選手が棄権したため、ともに準決勝に進んだ。その約1時間後、池江は800mフリーリレー予選の第2泳者として再び登場。チームは第1泳者の五十嵐千尋が200m自由形の日本記録を更新するなど、池江を含めた3人が1分57秒台で泳ぐ奮闘を見せ、日本記録に0秒08と迫るタイムで全体の7位となり決勝進出を決めた。しかし疲労を考慮し予選での日本記録更新に賭けていた池江は試合後インタビューで終始うつむき落胆を隠さなかった。記録への再挑戦を誓った夜のレース、100m自由形準決勝では予選よりタイムを上げたものの自己ベストに0.5秒以上及ばず、決勝進出を逃した。泳順をアンカーに変えた800mリレー決勝では、200m自由形の自己ベストを出したときをはるかに上回るタイムで前半を折り返す積極的な泳ぎを見せたが、後半伸びずに日本記録の更新は逃した。最終的にチームも予選よりもタイムと順位を落としてレースを終えた。

人物・エピソード

父親の池江俊博は元航空自衛隊パイロットで、身長190cm。

母親の池江美由紀は出産を機に、子育てのことに関して幅広く勉学を積み1995年、小岩に幼児教室を開校。現在は、EQWELチャイルドアカデミー本八幡教室を運営。26年間、子どもの能力開発に携わる。幼児教室を経営するかたわら、自身も講師として教室で子どもたちの指導を行う。両親は池江が小学校の頃に離婚している。池江は次女で、姉と兄がいる。

母方の祖父は岐阜県郡上郡白鳥町(現在の郡上市白鳥町)出身であり、自身も度々郡上市を訪問するなど縁が深いこともあって、2018年12月に郡上市スポーツアンバサダー(親善大使)に就任した

同い年の今井月とは今でこそ大親友だが、第一印象は最悪だったという。小学6年時に参加した全国合宿の研修会にて、今井の岐阜弁に言葉のきつさを感じた池江は「仲良くなるのは無理」と考えた。しかし中学2年の合宿で同部屋になり「実際に一緒にいたら楽しかった」と印象が一転。現在は今井の方も「何でも言い合える」と認めるほど仲が良い。

中学の3年間で身長が15cm伸びた。中学時代の恩師が「給食でおかわりのジャンケンに男子に混ざって参加していた」と回想するほど食欲旺盛で、本人も中学時代の思い出を訊かれた際に「一番楽しかったのは給食の時間。おかわりするために一生懸命ジャンケンしたり、みんなで笑いながら給食を食べられるのがすごく楽しかった」と答えている。

好きな食べ物はチョコレートで、以前はレースの直前や合間にも食べていたが、2016年6月の欧州遠征時に塩浦慎理から運動直前の糖分摂取によるインスリンショックの可能性を指摘され、大会中は我慢する様になった。食事はバランス良く食べるようにしているが、魚介類、特に貝類は苦手である。

海外遠征では現地の食事や飲み水が体に合わずしばしば体調を崩すため、非常に苦労している。

多くのメディアで幼少からの雲梯が才能を伸ばしたと紹介されているが、本人は「水泳に関しては、雲梯をやっていた影響はそこまで大きくないと思う」と答えている。ただ、腕が長い理由として「うんていぶら下がってたからかなぁ」と話している握力は38kg。

幼児期の早期教育のお陰で記憶力には自信があったが、中学3年間で最も変化したことについては「中1の時はそこそこ学力もあったのに、頭がバカになった」と答えている。

競泳選手以外でもフィギュアスケートの樋口新葉や卓球の平野美宇とは親交が深く、頻繁に連絡を取り合い食事をする仲である。

名字のアルファベット表記「IKEE」は英語圏では「アイキーエ」と発音されてしまう。

板キック(ビート板を持ってバタ足だけで進む泳法)は50m33秒。

20代でやってみたいことはバンジージャンプで、はまっていることはウクレレ。

スカイピース(YouTuber)のファンである。白血病と診断される前から2人の動画を視聴しており、2021年7月15日に配信された解散ドッキリの動画に関して、自身のTwitterで「入院中、しんどかった時も沢山笑わせてくれて、元気にさせてくれてた方達だったから、涙とまらなかった」とツイートした。

2024/05/16 17:02更新

ikee rikako


池江璃花子と同じ誕生日7月14日生まれ、同じ東京出身の人

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筈見 純(はずみ じゅん、1934年7月14日 - )は、日本の男性声優、舞台俳優、演出家である。東京都出身。アーツビジョン所属。 以前は新協劇団、劇団こけし座、全日本音楽芸能プロダクション、劇団…

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福本 誠(ふくもと まこと)
1976年7月14日 東京

福本 誠(ふくもと まこと、1976年7月14日 - )は、東京都日野市出身の元プロ野球選手(内野手)。 東京都日野市を拠点とする『東京日野リトル・シニアリーグ』出身選手初のプロ野球選手。同リーグ…

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1926年7月14日 東京

水木 かおる(みずき かおる、本名:奥村聖二、1926年〈大正15年〉7月14日 - 1998年〈平成10年〉7月4日)は、東京府豊多摩郡(現東京都中野区)出身の作詞家。旧制二松學舍専門学校卒業。 …

菊田 守(きくた まもる)
1935年7月14日 東京

菊田 守(きくた まもる、1935年7月14日 - 2019年6月3日)は、日本の詩人。 東京府東京市中野区鷺宮生まれ。明治大学卒。詩誌『花』同人。神楽坂『詩と思想』主宰。1991年現代詩人会理事…


池江璃花子と近い名前の人

池江 泰郎(いけえ やすお)
1941年3月1日 宮崎

池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家、馬主である。 騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、…

池江 敏郎(いけえ としろう)
1935年3月2日 宮崎

池江 敏郎(いけえ としろう、1935年 - 2007年1月17日)は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の厩務員。 中央競馬の元騎手で元調教師の池江泰郎は弟、中央競馬の厩務員池江秀也は弟、中央競馬の…

角池 恵里菜(かくいけ えりな)
1995年7月31日 神奈川

角池 恵里菜(かくいけ えりな、1995年7月31日 - )は、日本の元子役および元女優である。 神奈川県出身。身長162cm。かつてはムーン・ザ・チャイルドに所属していた。 女王の教室スペシャ…

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池江璃花子
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