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田名網敬一の情報 (たなあみけいいち)
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【6月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

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田名網 敬一さんについて調べます

■名前・氏名
田名網 敬一
(読み:たなあみ けいいち)
■職業
イラストレーター
■田名網敬一の誕生日・生年月日
1936年7月21日 (年齢87歳)
子年(ねずみ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和11年)1936年生まれの人の年齢早見表

田名網敬一と同じ1936年生まれの有名人・芸能人

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遠藤正: 田名網敬一の作品を撮影。


田名網敬一の情報まとめ

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田名網 敬一(たなあみ けいいち)さんの誕生日は1936年7月21日です。

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略歴、展覧会略歴などについてまとめました。卒業、退社、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。田名網敬一の現在の年齢は87歳のようです。

田名網敬一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

田名網 敬一(たなあみ けいいち、1936年7月21日 - )は、日本のアーティスト、グラフィックデザイナー、イラストレーター、映像作家。

1936年、東京の服地問屋の長男として生まれる。1941年に日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発すると、田名網の生家は危険に晒される。1942年4月18日、B29による東京への初空襲が始まると、田名網は京橋を離れ、目黒の権之助坂付近にあった祖父の家に居を移す。1945年、9歳の時に東京大空襲を経験する。この時脳裏に焼き付いた数々の光景は、田名網が後に描き出す作品の主要なモチーフを占める事になる。轟音を響かせるアメリカの爆撃機、それを探すサーチライト、爆撃機が投下する焼夷弾、火の海と化した街、逃げ惑う群衆、そして祖父の飼っていた畸形の金魚が爆撃の光に乱反射した水槽を泳ぐ姿である。

幼少期より絵を描くことが好きだった田名網は、中学生の頃に当時の代表的な漫画家、原一司のアトリエに出入りし漫画家を目指すようになる。しかし、原の突然の死により、以後漫画の草分け的分野であった絵物語作家の道を目指すようになり、やがてプロのアーティストになるべく武蔵野美術大学へ進学する。その才能は学生時代より広く知られ、在学2年生(1958年)の時にイラストレーション、デザインの権威団体の主催する展覧会(日宣美)で「特選」を受賞する。卒業後、一度は広告代理店に就職するも、個人への仕事のオファーが多すぎて1年足らずで退社。その後1960年代を通して、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして多忙な日々を過ごす傍ら、戦後日本を象徴する芸術運動の1つであるネオ・ダダイズム・オルガナイザーズと行動を共にし、1960年代半ば以降当時アートとしては最も新しいメディアであった映像作品の制作にも没頭する。

  1967年、初めてのニューヨーク旅行を経験する。このとき、アメリカの消費社会の繁栄の渦の中にあって力強く輝くウォーホルの生の作品に触れた田名網は、デザイナー活動の中にアートの新たな可能性を直に感じる。

サイケデリックカルチャーとポップアート全盛期の当時、田名網のポップでカラフルなイラスト、デザインワークは、国内外で高く評価され、1968年にAVANT-GARDE誌主催の「反戦ポスターコンテスト」 で入賞した作品「NO MORE WAR」や、伝説的バンド、モンキーズやジェファーソン・エアプレインのジャケットワークなど、「サイケデリックアート」、「ポップアート」の日本への導入に重要な足跡を残す作品を手掛けている。また、ハリウッド女優などをモチーフにして描かれた1970年代初めのエロティックなペインティングのシリーズは、アメリカ文化をウィットに富んだ視線で捉えた日本人アーティスト田名網の告白を示す重要な作品である。

田名網は、その後1975年に、日本版「月刊プレイボーイ」の初代アートディレクターに就任するに当たり、「PLAYBOY Magazine」本社を訪れるべく、再びニューヨークへ渡っている。この時、田名網は現地の編集者の案内で、アンディ・ウォーホルのスタジオを訪れている。この頃の田名網の作品は、映像とプリントワークを中心に、挑戦的で実験的な作品を数多く製作しており、特にその映像作品は、ドイツのオーバーハウゼン国際短編映画祭(1975年・1976年)やニューヨーク映画祭(1976年)、「オタワ国際アニメーションフェスティバル」(カナダ、1976年)などで上映されるなど高い評価を得ている。また、1976年に行われた展覧会「恋のスーパーオレンジ」(西村画廊)は、その前衛性ゆえに、個展初日に警察の立入検査によって差し止めにあった。

1981年(45歳)に肺水腫を患い生死の境を彷徨う。この経験から、1980年代-1990年代を通して、田名網は「生と死」をテーマにした作品を数多く残している。例えば、以後の田名網の作品に頻繁に登場する松の造形は、闘病中に田名網が見た幻覚のイメージに基づいている。同様に、鶴や象といった生き物や裸体の女性などと共に登場する螺旋や建築的造形といった箱庭的なモチーフも、この頃の作品の特徴である。

1999年、田名網の1960年代の作品にフォーカスを当てた展覧会が、ギャラリー360°(東京)で開催される。この展覧会を、ヤマタカEYE(ボアダムス)や、宇川直宏、KAWSといった1960年代以降に生まれた新しい世代のカルチャーリーダーが高く評価した事から、田名網敬一の作品は再び若者たちのカルチャーシーンに登場し広く支持を受ける。2005年より、ファインアートシーンにおける新作を発表。人格化した金魚、畸形のキャラクター、光線、螺旋の松、奇想的建築、少女など自身の記憶や夢の世界をペインティング、立体、映像、家具など様々なメディアで表現している。1991年より京都造形芸術大学教授に就任し、束芋などの若手作家を育成。近年の展覧会に個展「Collages」展(2015年、Corbett vs. Dempsey、シカゴ)、「空中回廊(1975–1993)」展 (2015年、NANZUKA、東京)、「Visible Darkness, Invisible Darkness」展(2016年、Sikkema Jenkins & Co.、ニューヨーク)、「The Laughing Spider」展(2016年、Karma International、チューリッヒ)、グループ展「International Pop」(2015年~16年に巡回:ウォーカー・アート・センター、ミネアポリス /ダラス美術館、ダラス)、「The World Goes Pop」(2015年、テイト・ギャラリー、ロンドン)、 「Unorthodox」展(2015~16年、ユダヤ博物館、ニューヨーク)、「Passion: Fan Behavior and Art」展(2015~16年に巡回:クンスト ラーハウス・ベタニエン、ベルリン/クンストハウス・ニュルンベルク/ルートヴィヒ美術館、ブダペスト)、「MYSTIFIERS」展(2016 年、国立現代美術センター、モスクワ)など、世界各地の美術館の展覧会に新旧の作品が招待されている。また、ここ数年、MoMA(ニューヨーク)、ウォーカー・アート・センター(ミネアポリス)、シカゴ美術館、M+(香港)、ナショナル・ポートレート・ギャラリー (ワシントン)、ハンブルガー・バーンホフ現代美術館(英語版)(ベルリン)といった美術館が、新たに田名網作品の収蔵を決めている。

2023年、漫画家・赤塚不二夫への想いを馳せたコラボレーション展「TANAAMI!! AKATSUKA!! That‘s All Right!!」が渋谷PARCOで開催される。赤塚の代表作『天才バカボン』や『ひみつのアッコちゃん』に加え、幻の作品『花ちゃん寝る』をモチーフにした、ペインティング、コラージュ、ネオン、インスタレーションなど、様々な形式で新作を制作した。

略歴

1936年‐東京都京橋に生まれる。実家は服地問屋

1958年‐『花嫁と狼』(ポスター作品)で日宣美特選受賞。翌年に銀座で個展開催

1960年‐武蔵野美術大学造形学部デザイン科を卒業し、博報堂に無試験で入社

1962年‐絵本『24時』・『卵形』を制作、発表。博報堂退社

1975年‐「プレイボーイ」誌(日本版)のグラフィックデザインを手がける

1991年‐京都造形芸術大学教授に就任。

2019年‐GENERATIONS from EXILE TRIBEのオリジナルアルバム「SHONEN CHRONICLE」のジャケットを手掛けた。

展覧会略歴

個展

1958年 「野外壁画のためのメタリック・アート展」(村松画廊・東京)

1959年 「メタリック・アートによる光の造形展」(サトウ画廊・東京)

1965年 「田名網敬一・シリーズORDER MADE」(椿近代画廊・東京)

1970年 「COMMERCIAL GRAPHIC展」(メルトン画廊・カナダ)

1971年

1972年

1974年 「田名網敬一・恋のスーパーオレンジシリーズ」(西村画廊・東京)

1976年 「田名網敬一・シリーズ幼視景」 (西村画廊・東京)

1977年 「田名網敬一・忘遠鏡シリーズ」(青画廊・東京)

1979年 「田名網敬一・もう一つの人工の楽園シリーズ」(青画廊・東京)

1980年 「田名網敬一・擬景図鑑シリーズ」(ギャルリー・ヴィヴァン・東京)

1984年 「田名網敬一・宵に燃えるシリーズ」(ギャルリー・ヴィヴァン・東京)

1985年 「百花繚乱・田名網敬一 '60年代ポスター展」(ギャラリー360°・東京)

1986年

1987年

1989年 「田名網敬一の新作・森の掟展」 (渋谷・西武シードホール・東京)

1990年 「田名網敬一・森の掟展」(西武ホール・滋賀)

1991年

1992年 「田名網敬一の世界展」(池田20世紀美術館・静岡)

1994年

1995年

1996年 「田名網敬一・版画100展」(中京大学C・スクエア・名古屋)

1998年 「田名網敬一・ドライポイントによる変奏曲」(ギャルリー・ヴィヴァン・東京)

2000年 「田名網敬一・1960年代のグラフィックワーク」(ギャラリー360°・東京)

2001年

2002年 「時代の触覚・田名網敬一のグラフィックワーク1967-2002」(京都造形芸術大学ディーズギャラリー・京都)

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年 「DAYDREAM」(NANZUKA UNDERGROUND・東京)

2008年

2009年

2010年

2011年 「NO MORE WAR」(Art Basel, NANZUKA UNDERGROUND)

2024/06/18 05:22更新

tanaami keiichi


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田名網敬一
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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「田名網敬一」を素材として二次利用しています。

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