田島俊雄の情報(たじまとしお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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田島俊雄の情報まとめ
田島 俊雄(たじま としお)さんの誕生日は1965年10月1日です。滋賀出身の野球選手のようです。
兄弟、引退に関する情報もありますね。田島俊雄の現在の年齢は59歳のようです。
田島俊雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 田島 俊雄(たじま としお、本名:田島 敏雄(読み同じ)、1965年10月1日 - )は、日本の滋賀県長浜市出身の元プロ野球選手(投手)。 滋賀県立長浜北高等学校では3年春に第55回選抜高等学校野球大会に出場、夏は県大会決勝で順風秀一のいた比叡山高に敗れた。社会人野球の日本生命では都市対抗野球で初戦に先発したが2回途中で降板、以降は登板がなかったが優勝を経験。1986年の日本選手権では初戦で河合楽器の水沢薫と投げ合うが5回途中で降板し、敗戦。 1986年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスより1位指名を受け入団。入団1年目の1987年から先発ローテーションの一角を担うも、以降は右肩の故障のため一軍登板は無かった。1年目の4月には練習中にコーチに食って掛かり二軍落ちも経験した。また、球団名が福岡ダイエーホークスとなった1989年からは登録外になっていた。1990年に登録名を田島 俊男へ変更、2年目以降は二軍でも登板がなかった。 1991年から1992年まではロッテ・オリオンズ(2年目は千葉ロッテマリーンズ)に在籍。登録名を田島 敏雄に変更。 1993年から1994年まではアメリカ合衆国(米国)に渡り、MLBロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグ(1Aクラス)加盟チーム、サンバーナディーノでプレー。 1995年、日本ハムファイターズへテスト入団し日本球界復帰。同年の登録名はアメリカ時代の愛称だったトニー田島、1996年の登録名はトニー。 1997年は台湾へ渡り、中華職棒(CPBL)の兄弟エレファンツに入団。登録名は東鈮。1999年のシーズン途中に、不振のため退団した。 1999年シーズン途中に再びアメリカへ渡り、独立リーグのニューアーク・ベアーズでプレーし、同年限りで現役引退。 初登板:1987年4月11日、対阪急ブレーブス戦(西宮球場)、8回から5番手で救援登板、1回無失点 初完投・初勝利:1987年5月30日、対日本ハムファイターズ戦(大阪スタヂアム)被安打6奪三振4四死球1 26 (1987年 - 1989年) 67 (1990年) 58 (1991年) 42 (1992年) 69 (1995年 - 1996年) 18 (1997年) 24 (1998年 - 1999年) 田島 俊雄 (たじま としお、1987年 - 1989年) 田島 俊男 (たじま としお、1990年) 田島 敏雄 (たじま としお、1991年 - 1992年) トニー田島 (とにーたじま、1995年) トニー (とにー、1996年) 東鈮 (1997年 - 1999年) ^ 参考:
ウェブサイト…2016年 ^ 次の資料より、ドラフト指名時点での人名について「田嶋 俊雄」という表記あり。 ^ 日本ハム在籍当時の名鑑にも、経歴内に「1Aサンバナディーノ」や「サンバナディーノ」という記載あり。引退後の資料では、経歴内に「米マイナー」とするものが見られる。 ^ 1988年から1989年まで「田嶋俊雄」と表記する資料もある。次の資料でも「田嶋俊雄」と表記(時期については明記せず)。 ^ 次の資料でも「田島俊男」と表記(時期については明記せず)。 ^ 次の資料でも「田島敏雄」と表記(時期については明記せず)。 ^ 「トニー田嶋」と表記する資料もある。 ^ 次の資料でも「トニー田島」と表記(時期については明記せず)。 ^ 一部資料では「トニ」と誤記(時期については明記せず)。 ^ 『週刊ベースボール』1995年2月27日号「95プロ野球全選手名鑑号」(第50巻・第8号、通算2101号。ベースボール・マガジン社発行)に掲載された、「トニー田島」のプロフィールより(『日本プロ野球80年史 1934-2014』 初回生産分セットに同梱された同名鑑号の復刻版にも掲載)。 ^ 『'96プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1996年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P163に掲載された、「トニー」のプロフィールより。 ^ イチローに始まる、登録名「名前」だけの系譜。楽天の哲朗は成功するか? - 『ベースボールチャンネル』2016年1月6日付記事 ※1996年のトニーへの登録名変更について、本名とともに記載あり。 ^ 『日本プロ野球歴代全選手写真名鑑』(『B.B.MOOK』1144。2015年4月15日発売、ベースボール・マガジン社発行。コード:ISBN 978-4583622217)P125掲載「田島俊雄」 ^ '95スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社 ^ 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト内背番号の変遷(No.61 - 80)より、1990年当時の67番として「田島 俊男」の名が明記(名前の後に「[改名]」の記述もあり)。 ※「」内記述は、引用。 ^ 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト内背番号の変遷(No.21 - 40)より、1989年(福岡ダイエーホークス初年)当時の26番として「田島 俊雄」の名が明記。 各種プロ野球名鑑 『日本プロ野球80年史 1934-2014』(2014年12月、ベースボール・マガジン社発行) ISBN 978-4-583-10668-7
各種外部リンク
千葉ロッテマリーンズ(ロッテ・オリオンズの後身) オフィシャルサイト 滋賀県出身の人物一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 日本人のマイナーリーグ選手一覧 個人年度別成績 トニー - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) 表 話 編 歴 1位:田島俊雄 2位:森浩之 3位:右田雅彦 4位:大塚賢一 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 日本の野球選手 日本生命硬式野球部の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 ロサンゼルス・ドジャース傘下の選手 中信兄弟及びその前身球団の選手 アトランティックリーグ選手 滋賀県出身のスポーツ選手 1965年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2025/01/26 10:42更新
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tajima toshio
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