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町田 樹(まちだ たつき)さんの誕生日は1990年3月9日です。神奈川出身のフィギュアスケート選手のようです。
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経歴、主な戦績などについてまとめました。現在、引退、卒業、家族、趣味、父親に関する情報もありますね。町田樹の現在の年齢は34歳のようです。
町田樹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)町田 樹(まちだ たつき、ラテン文字: Tatsuki Machida、1990年3月9日 - )は、2000年代から2010年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)、現在はスポーツ科学者。國學院大學准教授。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士課程修了。 主な競技成績は2014年ソチオリンピック5位入賞、2014年世界選手権2位、2010年四大陸選手権2位、2013年全日本選手権2位、2013年・2014年スケートアメリカ2年連続優勝、2006年全日本ジュニア選手権優勝など。 アマチュア引退後は2018年10月までプロスケーターとして活動した。 神奈川県川崎市生まれ。愛称は「まっちー」。「樹」という名前は、大手家電メーカーのCM「この木何の木気になる木」の「あの木のように大きな存在に」と両親が命名した。血液型はO型。広島市立牛田中学校、倉敷翠松高等学校、関西大学文学部総合人文学科卒業。学士(文学)の学位を取得。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程修了。 家族で移住した広島市東区牛田で育つ。髙橋大輔(バンクーバーオリンピック銅メダリスト)に憧れ、その母校であり通年リンクがある岡山県の倉敷翠松高等学校に毎日新幹線で通学し、2006年全日本ジュニア選手権で優勝。関西大学に進学後、2009-2010年シーズンにシニアデビューし、2012-2013年シーズンにグランプリシリーズのメダル獲得・初優勝を果たす。翌2013-2014年シーズンにグランプリシリーズ2勝、全日本選手権2位などの好成績をあげ、冬季オリンピック、世界選手権代表選手に初めて選出された。日本代表の男子フィギュアスケート選手としては遅咲きの選手である。 2014年の全日本選手権を最後に競技活動を引退。以降、アイスショーへの出演は大学院における研究活動の一環としておこなった。また一大学院生の立場から、ファンレターやプレゼントの一切を辞退していた。 常に鞄に2冊の本を持ち歩く読書家で、その読書経験が反映した独特の世界観やコメント、リンク上での感情あふれる表現力から“氷上の哲学者”と称される。愛読書はドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの『美学講義』。音楽鑑賞、ファッション、お茶・紅茶も趣味とし、好きなアーティストはm-flo。目標とする人物として、これまでのプログラムを振付けてきたステファン・ランビエール(トリノオリンピック銀メダリスト)、フィリップ・ミルズの名前を挙げており、自らも振り付けを手がける。 経歴ジュニア以前千葉県松戸市に住んでいた3歳のとき、友達に誘われて自宅近くの新松戸アイスアリーナ(2002年閉鎖)でスケートを始める。小学4年9歳の時、父親の転勤で広島県安芸郡府中町に転居。府中町立府中中央小学校卒業後、両親の勧めで広島ビッグウェーブ近くの広島市牛田に引っ越し練習を積む。広島には通年リンクがないため、リンクが閉鎖する夏場は、岡山県や山口県、福岡県に遠征した。 初めての国際大会は2002-2003シーズンのフィンランド・タンペレで行われたサンタクロース杯。スプリングスクラスで優勝。 2004-2005シーズンよりISUジュニアグランプリに参戦。2006-2007シーズン、JGPリベレツで2位となり、初めて国際大会の表彰台に乗る。同年の全日本ジュニア選手権では初優勝を果たした。 2007-2008シーズン、JGPジョン・カリー記念で優勝。2008-2009シーズン、JGPマドリード杯で3位となる。全日本ジュニア選手権では2位となり、シニアクラスの全日本選手権では7位となった。 シニア移行後2009-2010シーズンよりシニアに上がる。3度目の出場となる全日本選手権で4位に入り、バンクーバー五輪選出は惜しくもならなかったが、自身初の四大陸選手権への派遣が決定。その四大陸選手権では自己ベストを40点以上更新する演技を見せ、準優勝を果たした。 2010-2011シーズン、初戦のネーベルホルン杯ではフリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ、シニア国際大会初優勝を果たす。しかし、その後シニアクラスのグランプリシリーズのデビュー戦となった中国杯では5位に入るも、第2戦のロステレコム杯では11位に沈んだ。全日本選手権は前年より順位を落として6位となったが、アジア冬季競技大会の代表に選出された。アジア冬季競技大会ではショートプログラムは2位と健闘したが、フリースケーティングで6位と崩れ、総合4位となった。4月に行われたトリグラフトロフィーではショートプログラム、フリースケーティングを通して全てのジャンプを成功させ、総合優勝を果たした。 2011-2012シーズンよりアンソニー・リュウに師事。アメリカ・カリフォルニア州レイクアローヘッドの「アイスキャッスル」へ練習拠点を移し大学を休学して挑んだ。しかし連覇を狙ったシーズン初戦のネーベルホルン杯を怪我で棄権する。初出場したNHK杯では7位。クロアチアで行なわれたゴールデンスピンではフリースケーティングで全てのジャンプを成功させ優勝した。全日本選手権では4位となり、四大陸選手権への派遣が決まった。四大陸選手権では、ショートプログラムはクリーンで完成度の高い演技で自己ベストを大きく更新して4位につけるも、フリースケーティングで崩れ7位に終わった。 2012-2013シーズン、初戦としてオンドレイネペラトロフィーに出場し優勝する。グランプリシリーズはスケートアメリカと中国杯にエントリー。スケートアメリカではフリースケーティングと総合得点で自己ベストを更新し3位、グランプリシリーズ初のメダルを獲得した。続く中国杯では、ショートプログラムと総合得点で自己ベストを更新してグランプリシリーズ初優勝。またそれにより初のグランプリファイナル出場を決めたもののファイナルは最下位の6位。全日本選手権も9位に終わった。 2013-2014シーズンよりコーチ陣に大西勝敬を加え、練習拠点をアメリカから大阪に移した。また体幹を強化するため木村雅浩トレーナーの元で体幹トレーニングを行う。かつてフィギュア種目だった氷上で課題の図形通りに滑る正確さなどを競う規定種目(コンパルソリー)を重視し、基本練習を行い4回転ジャンプの精度を上げた。 スケートアメリカではショートプログラム、フリースケーティングともに自己ベストを大幅に更新する演技で自身2度目のグランプリシリーズの優勝を飾った。続くロステレコム杯ではショートプログラムは2位、フリースケーティングでは1位となり逆転優勝。2年連続のグランプリファイナル出場を決めた。グランプリファイナルでは、ショートプログラムでジャンプのミスが影響し6位。フリースケーティングでは自己ベストに迫る得点を出すも、総合4位に終わった。全日本選手権ではショートプログラム、フリースケーティング共に全てのジャンプを成功させ、非公認ながら自己ベストを大きく上回る得点で総合2位となり、自身初の全日本選手権でのメダルを獲得。同時にソチオリンピック、世界選手権の代表にそれぞれ初めて選出された。その後、オリンピックでは帯同できるコーチの人数に制限があるため、メインコーチを大西に変更し、アンソニー・リュウ、秦安曇との師弟関係を解消した。 2014年2月開催のソチ五輪・団体戦は男子シングルのフリースケーティングに出場し、3位(最終的に日本代表は5位)。個人戦・男子シングルではショートプログラムでミスが出て11位と出遅れたものの、フリーでは4位と大きく挽回、五輪メダル獲得はならなかったが総合5位入賞を果たした。 同年3月、日本・さいたま市で開催の世界選手権では、ショートプログラムで完璧な演技を披露し、自己ベストを大幅に更新して首位に立った。フリーでもほぼミスのない内容で自己ベストをマークするも、羽生結弦(ソチ五輪金メダリスト)に僅か0.33点の差で惜しくも逆転されてしまい総合2位に下がったが、銀メダルを獲得(世界選手権男子シングルで日本人メダリストとしては史上6人目、世界選手権初出場で2位は日本男子シングルで歴代最高位となる(2019年1月現在))。さらに日本男子シングル史上初となる、世界選手権でのワンツーフィニッシュを達成した。 2014-2015シーズンは、初戦のスケートアメリカで2位に30点以上の差をつけて優勝。スケートアメリカ二連覇で、GPシリーズ4勝目を挙げた。 突然の現役引退2014年全日本選手権で4位に入り、2015年世界フィギュアスケート選手権(中華人民共和国:上海市)の男子シングル日本代表に当初2年連続で選ばれた。だが町田は、日本代表選手発表の場で突如自ら「全日本選手権を以て引退することを本日決断しました」と、世界選手権への出場辞退と同時に、現役を引退することを電撃発表した。これに伴い、世界フィギュア選手権代表選手は町田から無良崇人に変更された。 競技引退後「今後も研究活動の一環として、アイスショー等での演技や創作活動を必要最小限の数の舞台において、経験させて頂きたいと考えております」と言及した現役引退発表から4か月後の2015年4月、プリンスアイスワールド横浜公演にゲスト出演。この際、一大学院生の立場から、ファンからの花束・手紙・プレゼント等の一切を辞退すると表明した。 以来、大学院での研究活動の傍ら、プロフィギュアスケーターとして「プリンスアイスワールド」「カーニバル・オン・アイス」等のアイスショーに出演し、自身振付による作品を披露。(『白夜行』、『Je te veux』、『継ぐ者』、『あなたに逢いたくて (Missing You)』、『“Ave Maria” by Chris Botti』、『Don Quixote Gala 2017:Basil’s Glory』、『Swan Lake:Siegfried and His Destiny』、『ボレロ:起源と魔力』、『ダブル・ビル:そこに音楽がある限り』、『人間の条件――マーラー・アダージェット』) 学業専念のため、2018年10月6日のジャパンオープンおよびカーニバル・オン・アイス出演をもってフィギュアスケーターとしての25年間のキャリアに幕を下ろした。 2019年10月14日に、新書館より作品集「そこに音楽がある限り — フィギュアスケーター・町田樹の軌跡」(Atelier t.e.r.m編著)が出版された。 2021年5月14日に、新書館より作品集Blu-ray「氷上の舞踊芸術 — 町田樹 振付自演フィギュアスケート作品 Prince Ice World映像集2013-2018」(Atelier t.e.r.m編著)が発売された。 研究活動2008年4月に関西大学へ進学し、2015年3月卒業。2015年4月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程へ進学。2017年3月に修士論文「著作権法および産業論から観たフィギュアスケート」を早稲田大学へ提出し修士(スポーツ科学)の学位を取得。同年4月から同大学博士後期課程、2020年3月修了。博士(スポーツ科学)の学位を取得。博士論文のテーマは「アーティスティックスポーツのマネジメントに関する学際的考究の可能性 —— フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化経済学」。 アーティスティック・スポーツ(芸術的スポーツ)の研究に取り組む。専門分野はスポーツ&アーツマネジメント、身体芸術論、スポーツ文化論、文化経済学、知的財産法。 2017年度、日本体育・スポーツ経営学会最優秀発表賞、文化経済学会〈日本〉大会優秀発表賞。2019年度、早稲田大学濱野吉生記念褒賞。2020年度、日本知財学会優秀論文賞、日本体育・スポーツ経営学会 学会賞。 2018年4月から2020年9月まで、慶應義塾大学環境情報学部非常勤講師、法政大学スポーツ健康学部非常勤講師。2020年10月より國學院大學人間開発学部健康体育学科助教。 学究活動と並行して、コラム執筆、アイスショー解説等の社会活動もおこなっている。 著書『若きアスリートへの手紙―〈競技する身体〉の哲学』で2022年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。 過去に振付、披露された演技を、別のスケーターにそのまま継承していくという新たな試みに取り組んでいる(「上演権許諾制度」を実践するという試み)。第1弾作品は「ジュ・トゥ・ヴ(Je te veux)」(振付:町田樹 2014年)、スケーターは田中刑事。 主な戦績シニア
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2024/06/23 00:04更新
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machida tatsuki
町田樹と同じ誕生日3月9日生まれ、同じ神奈川出身の人
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