矢野勝也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
矢野・兵動(やのひょうどう)は、吉本興業に所属する日本のお笑いコンビ。1990年コンビ結成。共にNSC大阪校9期生。
矢野 勝也(やの かつや、 (1970-08-17) 1970年8月17日(53歳) - ):ツッコミ
- 兵庫県尼崎市出身。血液型AB型。尼崎市立立花南小学校を経て、尼崎市立尼崎高等学校卒業。3歳下の弟がいる。
- 2015年8月16日、尼崎市記念公園総合体育館で開かれた第41回尼崎ボディビル選手権大会に出場。
兵動 大樹(ひょうどう だいき、 (1970-07-24) 1970年7月24日(53歳) - ):ボケ・ネタ作り
- 大阪府大阪市西淀川区出身。血液型O型。大阪府立北淀高等学校卒業。
略歴
2人とも1990年にNSC大阪校(9期生)に入学。同期にはナインティナイン、チュパチャップス、へびいちご、川畑泰史らがいる。
兵動は小学生の頃、漫才ブームをきっかけに芸人に憧れを持ち、その後ダウンタウンを見て芸人を志す。子供の頃から芸人になることを夢見ていた兵動は素人時代から島川学(現・へびいちご)とコンビを組み、島川と共にNSCへ入学した。当時、市営住宅で同居していた祖母から「市営住宅に住んでいる子は芸人になられへん」と言われ、兵動は「そうなんや」と納得する。それがきっかけで島川とのコンビを解散し、構成作家を志望するもNSCに途中入学してきた矢野と出会うことになる。
1994年、同期のナインティナインが東京で活躍し始める中、同年の上方お笑い大賞で銀賞(最優秀新人賞)を受賞。その一方で仕事は激減し、営業が月に1回だけという時代が続く。その頃の矢野は歌好きであったため、自分の好きなことを伸ばそうとボイストレーニングに通い始める。
2000年以降も仕事が少ない状況は変わらず、十年近く不遇の時代が続く中で、細々と漫才ライブを続けていた。2004年に兵動が結婚し、2006年には第1子が誕生する。その頃、大木こだま(大木こだま・ひびき)の助言により発奮した兵動は2003年にbaseよしもとにて1度行ったトークイベントをベースに、1人で月1回のトークライブ『兵動大樹のおしゃべり大好き。』を定期的に開催することを始めた。
2000年頃に兵動が後のR-1ぐらんぷりの基礎となるワッハ上方のワッハホール(現在のよしもと漫才劇場)にて開催された『これも落語だ』というイベントで落語に挑戦する機会があり、それを見たスタッフが「1人喋りでなにかイベントやってみたら?」と声をかけ、後の1人喋りのイベントの開催のきっかけとなる。
2007年の夏、東京で活躍していた同期の宮川大輔からのオファーで同年9月放送の『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)のスピンオフ企画『大輔宮川のすべらない話』に兵動が出演。その後『人志松本のすべらない話』本編にも出演するようになり、2014年2月現在までにMVSを計4回獲得。『人志松本のすべらない話』に出演したことによって生活がガラッと変わったと述べている。
2009年5月、矢野がエンターテインメント集団「劇団YANOZAILE」を立ち上げる。
2010年には結成20周年を迎え、「結成20周年特別興行 漫才病 矢野・兵動祭〜矢野さんおおいに歌う! 〜」を5月29日になんばグランド花月、6月26日にルミネtheよしもとにて開催。同年10月13日には兵動に第2子が誕生した。
2016年11月、矢野が劇団「PUNK」を立ち上げ、12月に旗揚げ公演『霧の中の星屑たち』を上演し、自身は原案・演出を担当。
エピソード
コンビ結成年は1990年となっているが、後に兵動は「コンビを組んだ覚えはない。気がついたら矢野が勝手に横にいた」、矢野は「事実婚も同じ。5年以上横におったら法律的にもコンビや」と述べているが、とある番組内で兵動が弁護士に尋ねたところ、「ストーカーで訴えることができる」という見解もある。
「ま~ぶる!月曜日」(KBS京都)(2024年4月1日放送分)にて、矢野は「自分のウィキペディアがない」と告白。