秋元康の情報(あきもとやすし) 放送作家、作詞家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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秋元 康さんについて調べます
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秋元康の情報まとめ
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秋元 康(あきもと やすし)さんの誕生日は1958年5月2日です。東京出身の放送作家、作詞家のようです。
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来歴、人物などについてまとめました。映画、テレビ、兄弟、ドラマ、結婚、姉妹、現在、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。秋元康の現在の年齢は66歳のようです。
秋元康のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)秋元 康(あきもと やすし、1958年〈昭和33年〉5月2日 - )は、日本の音楽プロデューサー・作詞家・放送作家。 東京都目黒区大橋出身。 中央大学文学部中退。妻は元アイドルの高井麻巳子。株式会社秋元康事務所所属。日本映画監督協会会員。2010年6月、日本放送作家協会理事長に就任。2016年4月、代々木アニメーション学院名誉学院長兼総合プロデューサーに就任。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事。株式会社KeyHolder特別顧問。株式会社Fanplus特別顧問。テレビ朝日放送番組審議会委員。 とんねるずのブレーンおよびプロデューサーとして世間に認知されて以降、ジャンルを問わず多数の楽曲の作詞を手掛ける。2000年代以降は、AKB48グループや坂道シリーズのプロデューサーとしてほとんどの楽曲の作詞をしている。 来歴生い立ちサラリーマン家庭の2人兄弟の長男である。喘息を患い、小学1年生の時に保谷市(現・西東京市)に引っ越し、西東京市立中原小学校へ入学した。大蔵官僚を志望し、開成中学校を受験するも不合格となった。 親の勧めもあり中央大学附属高等学校に進学。高校2年生の時、そろそろ勉強しないと東京大学に入学できないと思い、受験勉強を開始した。 放送作家の活動高校2年の冬、ニッポン放送『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いていた際に何気なく、せんだみつおを主人公とした『平家物語』のパロディを、受験勉強のために用意したノート20枚にわたり書き上げた。募集されていたわけではなかったが、同級生の薦めもあってノートをニッポン放送へ送ったところ、ニッポン放送制作部副部長だった亀渕昭信と、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目に留まり、ニッポン放送へ遊びに来るように言われ、出入りするうち奥山の弟子となり、大橋巨泉事務所に所属した。 中央大学文学部に進学後、放送作家の活動を始めた。当初は放送作家をアルバイトと考えていたが、放送作家業によって当時のサラリーマンの4倍近い収入を得ていた。しかし、本人はそれをあぶく銭だとしていた。「思えば、道草から始まった人生」と自身は回想している。 作詞家の活動・おニャン子クラブのブレーンとしての活動放送作家業に物足りなさを感じ、また放送作家業の将来性に不安を感じていたところ、亀渕からニッポン放送の子会社だったパシフィック音楽出版(後のフジパシフィックミュージック)の朝妻一郎を紹介され、作詞を手掛けるようになる。これらの経緯から、作詞家としてはフジパシフィックと契約している。 1981年、フジテレビ系で放送されたアニメ『とんでも戦士ムテキング』の挿入歌「タコローダンシング」で初めて作詞家としてクレジットされる。 アーティストに初めて提供した作品は、Alfeeのシングルレコード「通り雨」(1981年10月21日発売)のB面「言葉にしたくない天気」である。これ以降、作詞家としても活動を開始した。1982年の稲垣潤一「ドラマティック・レイン」、1983年の長渕剛「GOOD-BYE青春」で作詞家としての知名度を獲得した。 放送作家としてテレビ番組『ザ・ベストテン』、『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』の構成を担当して高視聴率を挙げる一方、さまざまなジャンルの楽曲の作詞を手掛ける。1985年の小泉今日子「なんてったってアイドル」、同年のとんねるず「雨の西麻布」などの楽曲をヒットさせる。 1985年からは女性アイドルグループ・おニャン子クラブの楽曲を手掛け、全楽曲の作詞を担当した。後に総合プロデューサーとして関わるAKB48とは異なり、おニャン子クラブは先述の『夕やけニャンニャン』が最初にありきで、秋元自身は、おニャン子クラブについては共同作業であるとし、自分は仕掛け人ではないと説明している。また、国生さゆりは「構成作家の秋元さんはスタッフの一員、いい意味で他のスタッフと同列だった」と述べている。1986年のオリコンウィークリーチャート52週のうち36週でおニャン子クラブ関係の楽曲が1位を獲得。1987年には長者番付のその他の部門で16位となり、納税額は1億61万円であった。 1988年、おニャン子クラブのメンバーだった高井麻巳子と結婚した。結婚と同時に渡米し、ニューヨークに1年半ほど滞在。帰国後、美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」の作詞を担当した。これにより作詞家としての地位を不動のものにした。 AKB48グループ・坂道シリーズなどのプロデュース2005年、KRKプロデュース代表の窪田康志、office48代表の芝幸太郎、電通らと協力し『秋葉原48プロジェクト』を発足した。東京・秋葉原で女性アイドルグループAKB48を立ち上げ、総合プロデューサーに就任した。2006年、AKSを、東京都港区白金台(KRKプロデュース社内)に設立し、AKB48の運営・管理業務を行う。 2010年初頭、インタビューで秋元は「将来は国内7大都市に劇場を建て、選抜メンバーでJAPAN48を作りたい」と語り、実際に国内外にAKB48の姉妹グループを立ち上げた。 2011年に乃木坂46を立ち上げ、2015年からは坂道シリーズと称して欅坂46(現・櫻坂46)、けやき坂46(現・日向坂46)を立ち上げた。 2013年、ジャーナリストの田原総一朗との対談の中で、将来的にはAKB48のプロデュース業から退くことを示唆している。 2023年、乃木坂46の公式ライバルとして僕が見たかった青空をプロデュースすると発表した。8月30日、シングル『青空について考える』でCDデビュー。 人物身長は166.7 cm。愛称は、やすす、秋元先生。2001年3月、第1子である長女をもうけた。毎日の睡眠時間は3時間ほどである。好きな座右の銘は「人生無駄なし」。 放送作家放送作家としてデビューして以来、2012年8月に毎日新聞のインタビューで尋ねられるまで、プロフィール上の生年を1956年としていた(実際の生年は1958年なので2歳上に鯖を読んでいたことになる)。その理由は、高校2年でラジオの台本を書いていたころ、同級生の親友からニッポン放送でアルバイトをしたいと言われて局に相談したところ「大学生でなければダメ」と言われたので、親友を大学1年であるとごまかし、秋元もそれに倣って大学1年としていたからで「いまさら直すのも面倒」ということでそのままにしていた。JASRACなどには当初より実際の生年で届けている。 エンターテインメントの基本は予定調和を破壊することにあると考え、予定調和を嫌う傾向にあるとされているが、正確には、予定調和を破壊することに狙いがあるのではなく、既成概念にとらわれないという意味でこの言葉を用いている。放送作家の時代は、短期間継続的にヒットを出さなければならない立場にあったため、確実性を求め、市場の最大公約数に従う企画を制作していたが、その結果として技術が平均化し、突出した試みができず、真似されやすく、過当競争に巻き込まれる危険性が高いことから、のちに企画の優位性・差別化を重視するようになった。秋元がいつもスタッフに言っている言葉に「みんなが行く野原には野イチゴはない」があり、みんなが思いつく場所には絶対に美味しいものは残っていないという信条がある。 秋元は「自分は天才でもアーティストでも芸術家でもない。ピカソになりたい広告代理店マン。でもピカソになりたいと思った時点でピカソにはなれない」、「我々の仕事は不安定な上に潰しがきかない。我々のようなレベルの人間でもいつ仕事がなくなるか不安を抱いている」と述べている。 作詞家これまで4,000曲以上を世に送り出してきた。多いときは1日で10曲の作詞をする。2022年の時点で年に200から300曲の作詞をする。 AKB48とその姉妹グループ(および派生ユニット)、坂道シリーズとその関連グループのほとんどの楽曲の作詞を手掛ける。2012年2月現在、AKB48関連だけで700曲を超える(ステージ公演曲やシングルCD・アルバムなどを含む)。AKB48や乃木坂46の作詞は、およそ1,000曲の中から楽曲を選び、アレンジが完成した段階から作詞を始める。 自身の作成した歌詞は「詩」ではなく「詞」と考えており、誰の口からその言葉が発せられるのかを念頭に作詞しているため、多少違和感があっても、耳に残るような歌詞や声のニュアンスを重視している。 通常は作詞を終えた後にタイトルを付けるスタイルを採用している。例外として、美空ひばりの「川の流れのように」はタイトルを先に決めて詞を書いた。 秋元康という名前が出ることで企画性が強いとか何かを狙っている仕掛け的な捉え方をされて音楽のアーティスティックな部分より売る意図が注目されすぎるデメリットがある場合、作詞をしても裏方に徹してクレジットに名前を出さないことがある。 作詞家のデビュー前、相談も兼ねて歌詞をやしきたかじんに見せたところ「全然アカン、話にならん。持って帰れ」と厳しく評定された。たかじんに言わせると「単なる文章であって歌詞とはいえない」という評価であった。しかし、結果的にその歌詞の中からヒットする作品が出ることとなり、たかじんは「えらいことした。あの中からなんぼかもろといたらよかった」と話のタネにし、これに対して秋元も「たかじんさんはこだわりが強いから、納得できる歌詞を書くのは至難の業」と語っている。また、たかじんによるとこの時歌詞を見せただけではなく、秋元は「このまま放送作家だけを続けていても、せいぜい一千万や数千万の収入で天井が見えている。自分はこのままで終わりたくない」という趣旨の相談をしていたという。それから30年あまりの時を経た2010年に、たかじん生涯最後のシングルとなった「その時の空」で歌詞の提供が実現している。 秋元本人が歌唱に参加している楽曲が一つある。とんねるずと番組スタッフから成る野猿の「First impression」のカップリング曲「TODAY」で、作曲の後藤次利と共に全スタッフとして参加した。『とんねるずのみなさんのおかげでした』で歌の披露に参加した。 プロデューサー以下、プロデューサーとしての年譜である。 1985年 - 1987年、おニャン子クラブ 1986年 - 1987年、息っ子クラブ 1989年、幕末塾、BANANA 1993年、ねずみっ子クラブ 2001年 - 2006年、推定少女 2005年、AKB48 2008年、SKE48 2009年 - 2012年、SDN48 2010年、NMB48 2011年、HKT48、乃木坂46、JKT48 2012年 - 2016年、SNH48 2015年、Thinking Dogs、欅坂46(現・櫻坂46)、けやき坂46(現・日向坂46)、NGT48 2016年、BNK48、22/7 2017年、STU48、劇団4ドル50セント 2017年 - 2022年、ラストアイドル 2018年、TPE48(現・AKB48 Team TP)、MNL48、AKB48 Team SH、吉本坂46 2018年 - 2021年、青春高校3年C組、IZ*ONE、ハイスクールチルドレン、SGO48、ザ・コインロッカーズ 2019年、CGM48 2019年 - 2022年、DEL48 2022年、ブルーベリーソーダ 2023年、SHOW-WA & MATSURI、僕が見たかった青空、WHITE SCORPION 1998年、家庭用ゲーム機メーカーのセガが開発したドリームキャストの宣伝戦略プロデューサーを担当し、同社の社外取締役にも就任した。 2004年11月、ライブドア傘下のコンテンツ配信会社サイバーアソシエイツの取締役に就任した。その後ライブドアに一連の不祥事が発生し、辞任した。 2005年、日本郵政公社(後の日本郵政グループ)の「手紙ドキドキプロジェクト」の総合プロデューサーに就任し、オリジナルネットシネマやキャンペーンソングの作詞を手がける。 2006年5月、東京ドームで開催された韓国人俳優イ・ビョンホンのイベントの総合演出を手掛ける。2007年秋には日本全国4か所で開催されたイ・ビョンホン『アリーナツアー』の演出を担当した。 2013年、文部科学省がグローバル人材育成事の一貫として実施した官民協働の海外留学創出キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」をプロデュースした。同年12月15日にプレス発表が行われ、翌2014年2月14日にネット公開された。プロデュースにあたっては、首相公邸(旧首相官邸)や渋谷区の秋元宅で安倍晋三首相や下村博文文科大臣らと会談をもった。 2023年、日本直販の総合プロデューサーに就任。 記録・受賞作詞家歴30年、シングルのミリオンセラー19回(2014年10月時点)で、多数の賞を受賞している。最初にミリオンセラーを出した曲はとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」である。最もヒットしたシングルはAKB48の「さよならクロール」。 日本レコード大賞の獲得は、2009年12月にAKB48と共に特別賞を受賞したのが初めてである。2011年、作詞を手掛けたAKB48の「フライングゲット」が第53回日本レコード大賞の大賞を、翌12年同じく作詞を手掛けたAKB48の「真夏のSounds good !」が第54回日本レコード大賞の大賞を受賞し2連覇を達成した。また、自身初となる作詩賞を受賞した。2017年に作詞を手掛けた乃木坂46の「インフルエンサー」が第59回日本レコード大賞の大賞を、翌18年同じく作詞を手掛けた乃木坂46の「シンクロニシティ」が第60回日本レコード大賞の大賞を受賞し再度2連覇を達成した。 2011年度・2012年度のJASRAC賞で2年連続金・銀・銅賞の三賞を独占した。JASRAC賞での三賞独占は他に小室哲哉(1995年度)が達成しているのみで、2年連続は秋元が唯一となる。 2013年2月、第40回アニー賞音楽賞を、ヘンリー・ジャックマン、スクリレックス、アダム・ヤング、マシュー・シイッセン、ジェイミー・ヒューストンらとの連名で受賞した。 2022年4月28日、紫綬褒章を受章。 交友関係サザンオールスターズの桑田佳祐は作詞家としての秋元の才能を認めており、桑田のレギュラーラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM)で秋元が作詞した楽曲をかけた際には「秋元さん弟子にしてください、稼ぎたい!」「(秋元が)『ザ・ベストテン』で構成作家していたころに、(桑田が)アルバムを何枚も渡したじゃないか。仕事回してくれよ!」などとジョークを述べたこともある。 長渕剛とは、長渕が初めてのラジオパーソナリティを担当した番組の放送作家として知り合った。 古舘伊知郎とは、『おしゃれカンケイ』、『筋肉番付』、『クイズ赤恥青恥』、『しあわせ家族計画』など数々の番組を共作し、友人関係でもある。 メタルバンド・SHOW-YAの作詞を手がけたことがあるが、寺田恵子と言い争いになったことがある。 小室哲哉とはやしきたかじんの「その時の空」で初の共作で楽曲を提供した。 作曲家・後藤次利とは「ゴールデンコンビ」と言われている。 映画への思い少年期より映画好きであり、古今東西の映画を鑑賞している映画ファンである。スティーブ・マックイーン主演の『大脱走』は少年期に見た、強い印象を受けた映画の一本であり、同じく同作に衝撃を受けた三谷幸喜と共に番組で同作の名を挙げて語った。 海外ドラマも好きで、『FRINGE/フリンジ』を鑑賞した際に、「相当面白い」と絶賛していた。 2024/06/17 11:55更新
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akimoto yasushi
秋元康と同じ誕生日5月2日生まれ、同じ東京出身の人
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