脇阪薫一の情報(わきさかしげかず) レーシングドライバー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
脇阪 薫一さんについて調べます
■名前・氏名 |
脇阪薫一と関係のある人
関口雄飛: シリーズランキングは10位だったものの、第5戦SUGOラウンドでは、自らがハンドルを握る77周目に先行する47号車の脇阪薫一を捕らえ、逆転し初優勝を飾った。 松本恵二: F3時代のANABUKI童夢およびフォーミュラ・ニッポンでのチーム5ZIGENで指導した脇阪薫一が2014年、大阪・北新地に割烹『四十壱番』をオープンさせた際には、薫一に頼まれた松本が店の看板の文字を書いた。 脇阪寿一: 実弟は、同じレーシングドライバーの脇阪薫一。 ヒロミ: 2001年、ネッツカップ・アルテッツァシリーズに参戦した2002年、脇阪寿一と脇阪薫一と共にスーパー耐久にオーナー兼任で参戦している。 松本恵二: ほかにも弟子に、5ZIGENに在籍した田中実、脇阪薫一などがいる |
脇阪薫一の情報まとめ
脇阪 薫一(わきさか しげかず)さんの誕生日は1975年4月1日です。奈良出身のレーシングドライバーのようです。
兄弟、テレビに関する情報もありますね。脇阪薫一の現在の年齢は49歳のようです。
脇阪薫一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)脇阪 薫一(Sigekazu Wakisaka、わきさか しげかず、1975年4月1日 - )は、奈良県奈良市出身のレーシングドライバー。同じくレーシングドライバーの脇阪寿一は兄。 身長:180cm、体重:72kg、血液型:Rh+A。 1996年、戸田レーシングより1996年の全日本F3選手権にステップアップ。1998年から国内最高峰カテゴリーの全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに5ZIGENより参戦。しかしなかなかポイント獲得に届かず、1999年シーズン途中でシートを失う。2000年にムーンクラフトに加入し、開幕戦・鈴鹿で5位に入り初入賞を記録した。 2002年のインターナショナルポッカ1000kmでは兄弟チームで総合優勝を飾る。2005年はダンロップタイヤのワークス・チームとしてSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦する。しかし、第5戦もてぎの前日をもって、KRAFTより契約を解除されてしまった。翌年は、サードでオーディションを受けるなど復活を目指したが、シート争いとなった平中克幸にレギュラーを奪われた。しかし、GT300クラスのRACING PROJECT BANDOHとの契約に成功し、第3戦富士では優勝まであと一歩のところでアクシデントに見舞われ脱落した。 2007年、日産系のモーラへ移籍し、同じくR&D SPORTから移籍した密山祥吾とタッグを組み、シリーズランキング9位の成績を残す。 2014年8月、大阪・北新地に、イタリア創作料理メインの割烹『四十壱番』をオープンさせた。 暫くレース活動からは遠ざかったが、2015年にLM corsaから7年振りにSUPER GTに復帰し、同時にスーパー耐久やインタープロトシリーズと併催のIS-F CCS-Rレースにも参戦した。 1992年 - ナショナルカート選手権・近畿地区A2クラス(シリーズ3位) 1993年 - 全日本カート競技選手権・FAクラス(シリーズ22位) 1994年
鈴鹿ワールドカップ・ICAクラス(6位) 1995年
鈴鹿ワールドカップ・FAクラス(11位) F4選手権・鈴鹿シリーズ(#2 ASSO OSCAR ホンダ/オスカーSKパル M184) F4選手権・TIシリーズ(#2 ASSO OSCAR ホンダ/オスカーSKパル M184) F4・フジテレビ 日本グランプリ記念レース(#2 ASSO OSCAR ホンダ/オスカーSKパル M184) 1996年 - 全日本F3選手権(ASSO DALLARL 無限/ダラーラF394 MF204)(シリーズ5位) 1997年 - 全日本F3選手権(#1 ANABUKI397無限/ダラーラF397 MF204B)(シリーズ4位) 1998年 - 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(5ZIGEN RACING #6 TEAM 5ZIGEN/レイナード99L MF308) 1999年
Pokka1000km(#33 ウエスティンINTEGRA)(決勝DNF) スーパー耐久シリーズ<Rd.7&8>(5ZIGEN RACING #53 5ZIGEN CIVIC/EK9) 2000年
全日本GT選手権・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH #19 ウェッズスポーツセリカ)(シリーズ6位・1勝) 第7回十勝24時間レース(#95 SPOON S2000)(総合24位) 2001年
第30回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(TOYOTA TEAM CERUMO #38 auセルモスープラ)(総合優勝) 2002年
スーパー耐久・ClassN+(エイチファクトリーレーシング #163 H-factory ALTTEZA)(シリーズ5位) 第31回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ)(総合優勝)(兄の寿一と鈴鹿1000kmレース史上初の兄弟での優勝) 2003年
第10回十勝24時間ラース・ClassN+(エイチファクトリー #163 H-OGURA ALTEZZA/SXE10)(総合22位・クラス3位) 2003もてぎチャンピオンカップレース<Rd.1>(#80京都トヨタKOCランクル80/HDJ81V)(決勝25位) 2004年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(KRAFT #35 イエローハットスープラ/JZA80 3UZ-FE)(シリーズ10位) 2005年 - SUPER GT・GT500クラス<Rd.1~4>(KRAFT #35 イエローハットYMSスープラ/JZA80 3UZ-FE)(シリーズ17位) 2006年
第13回十勝24時間レース・ST-class2(#2 FUJITUBO hpi IMPREZA/GDB)(総合6位・クラス3位) 2006 もてぎEnjoy耐久レース(#102 C-FUELwithサクシード)(決勝47位) 2007年 - SUPER GT・GT300クラス(MOLA #47 宝山DUNLOP Z/Z33 VQ35DE)(シリーズ9位) 2008年 - SUPER GT・GT500クラス<スポット参戦Rd.6>(houzan TOYOTA TEAM KRAFT #35 宝山 KRAFT SC430/UZZ40 3UZ-FE) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) (key) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) : 今シーズンの順位。(現時点) ^ 弟、シゲの店、新地「四十壱番」 - 脇坂寿一公式ブログ・2014年8月24日 脇阪薫一公式サイト 表 話 編 歴 3:HASEMI MOTOR SPORT(セバスチャン・フィリップ/柳田真孝) 12:TEAM IMPUL(ブノワ・トレルイエ(Rd.1-4,6-9)/ジェレミー・デュフォア(Rd.5,6)/星野一樹) 22:NISMO(ミハエル・クルム/松田次生) 23:NISMO(本山哲/リチャード・ライアン/安田裕信 (Rd.6)) 24:KONDO RACING(ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ/荒聖治) 13:ENDLESS SPORT(影山正美/藤井誠暢) 46:MOLA(佐々木孝太/横溝直輝) 47:MOLA(脇阪薫一/密山祥吾) 日本のドライバー フォーミュラ・ニッポンのドライバー 全日本F3選手権のドライバー アジアン・ル・マン・シリーズのドライバー 全日本GT選手権のドライバー SUPER GTのドライバー スーパー耐久のドライバー 鈴鹿1000km勝者 奈良県出身のスポーツ選手 1975年生 存命人物 過去のフェイスネットワーク所属者
2024/11/24 05:40更新
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