脇阪寿一の情報(わきさかじゅいち) レーシングドライバー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
脇阪 寿一さんについて調べます
■名前・氏名 |
脇阪寿一と関係のある人
渡香奈: 2009年12月26日「三浦半島・松輪でマダイに挑戦!」(脇阪寿一と共演) 桃原美奈: 2016年2月末のフェスタソーレ東京撮影会を以って撮影会モデルを卒業、以降はマネージャー業、現在もオートスポーツweb終身名誉ナビゲーターとして「脇阪寿一の言いたい放題」の番組MCを務める。 ピストン西沢: その関係もあり、土屋圭市、鈴木亜久里、片山右京、川井一仁などのモータースポーツOB・関係者や伊藤大輔、本山哲、脇阪寿一を初めとするGTドライバーや今村陽一、熊久保信重などの全日本プロドリフト選手権ドライバーとも親交があり、業界内では顔が広い。 道上龍: 脇阪寿一とは同学年・同郷で、父親同士の仲が良く、本人同士も幼いころから親交があった。 ヒロミ: 2001年、ネッツカップ・アルテッツァシリーズに参戦した2002年、脇阪寿一と脇阪薫一と共にスーパー耐久にオーナー兼任で参戦している。 関口雄飛: 2015年もTEAM WedsSport BANDOHで脇阪寿一とコンビを組んだ。 近藤みやび: 『アウト×デラックス』に脇阪寿一イチオシのレースクイーンとして藤木由貴、太田麻美と共に紹介。 小暮卓史: 脇阪寿一のYouTubeチャンネルにて『グランツーリスモ6』を用いた企画が行われた際、鈴鹿サーキットの3周目のS字コーナーでスピンし、脇阪に「お前はミスタースピンだ!何人とたりとも俺の前は走らせねぇ!」といわれ、「ミスタースピン」というあだ名がつけられた。 小暮卓史: しかし、小暮は最後まで脇阪寿一と接戦を演じ、結果2位でチェッカーを受けHSV-010のデビュー年で自身初のチャンピオンを獲得した。 松田次生: 特に2002年は、ラルフ・ファーマンと共に、脇阪寿一・飯田章組のエッソウルトラフロースープラとシリーズチャンピオンを最後まで争った。 エイドリアン=スーティル: また、8月に行われたSUPER GTの鈴鹿1000kmレースに、同じくトムスの36号車のサードドライバーとして、脇阪寿一、アンドレ・ロッテラーと共に出走した。 松本恵二: 童夢での監督時代、童夢F3チームに加入してきた脇阪寿一も弟子の一人であり、脇阪のF3参戦時代から自身の持っているテクニックを教えることで自身のレース生涯を託していた。 飯田章: 2006年、脇阪寿一のトヨタ内の「トムス」への移籍に伴い、飯田は「 チーム・ルマン」のエースドライバーになり、片岡龍也とコンビを組む。開幕2戦は不調だったが、第3戦富士スピードウェイではレース終盤で昨年のチームメイトの脇阪寿一に競り勝ち、2位表彰台に立つ。 佐々木主浩: 脇阪寿一をドライバーに起用し、2勝を挙げた。 道上龍: また、ニコニコ生放送の番組『脇阪寿一の言いたい放題』の企画でグランツーリスモ6をプレイした際に、脇阪寿一や本山哲らがドライブするコンセプトカーに非力なトゥデイで果敢に勝負を仕掛けたことから“トゥデイ道上”の異名を得た。 関口雄飛: 2016年はTEAM WedsSport BANDOHで、昨シーズンを持って勇退した脇阪寿一に代わり、新たにチームルマンから移籍してきた国本雄資とコンビを組み、第7戦ではチームのGT500初勝利を飾ったほか、最終戦でも表彰台を獲得し年間ランキング4位を獲得した。 奥田民生: 車に関しては、レーサーの脇阪寿一とも交流がある。 小暮卓史: (VIDEO OPTIONの動画に出演した脇阪寿一による証言) 脇阪薫一: 同じくレーシングドライバーの脇阪寿一は兄。 小暮卓史: 脇阪寿一のYouTubeチャンネルにおける企画で、小暮の運転するBRZに脇阪が同乗した際、小暮は鈴鹿サーキットのデグナーカーブを6速に入れたままで通過した。 土屋圭市: 挨拶の後にパレードランが行われた際、高橋国光の運転によるパレードカー(ホンダ・S2000)へ脇阪寿一・本山哲・飯田章など後輩ドライバーが殺到して乗り込み、S2000は定員大オーバーとなり、さらに乗り込めなかったドライバーが原付で追ってきたと言う。 桃原美奈: 2020年2月20日の「脇阪寿一のSUPER言いたい放題」で発表した。 小暮卓史: (脇阪寿一 Juichi Wakisaka Channel 11にて) 松本恵二: 童夢で指導した脇阪寿一を「ジュイチ」ではなく「ジュンイチ」と呼んでおり、20何年経ってもずっとそのままだったと脇阪がブログで記している。 飯田章: 2002年、トヨタのワークスチームである「 チーム・ルマン」に移籍し、脇阪寿一とコンビを組み、「エッソウルトラフロースープラ」で参戦、移籍初年度にドライバーズチャンピオンに輝いた。 関口雄飛: 2014年は、日産自動車からレクサスへ移籍し、TEAM WedsSport BANDOHで脇阪寿一とコンビを組む。 |
脇阪寿一の情報まとめ
脇阪 寿一(わきさか じゅいち)さんの誕生日は1972年7月29日です。奈良出身のレーシングドライバーのようです。
テレビ、引退、兄弟、趣味に関する情報もありますね。脇阪寿一の現在の年齢は52歳のようです。
脇阪寿一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)脇阪 寿一(わきさか じゅいち、1972年7月29日 - )は、日本のレーシングドライバー、レーシングチーム監督、プロデューサー。奈良県奈良市出身。 実弟は、同じレーシングドライバーの脇阪薫一。夫人は、元レースクイーンの福沢美穂。長年に渡る全日本GT選手権やSUPER GTでの活躍で、「ミスターGT」の異名を持つ。トヨタ在籍初期~中期(主に2003年~2006年)には、「スピードファイター」の異名も持っていた(『激走!GT』より)。 身長:177 cm 体重:63 kg 血液型:AB型 愛車:レクサス・LS460 F SPORT、メルセデス・ベンツ・SL55、トヨタ・ヴェルファイア Executive Lounge、トヨタ・スープラ (JZA80) オフィス:JS STYLE COMPANY 芸能所属事務所:吉本興業 19歳で始めたレーシングカートで頭角を現し、1994年カートワールドカップで優勝。1995年に全日本F3選手権にデビュー。1996年に童夢へ移籍し、全日本F3で4勝を挙げ年間チャンピオンを獲得。童夢でのチーム監督だった元レーシングドライバー松本恵二は脇阪に大きく影響を与える師匠となり、松本のかばん持ちなど下積みも積んだ。当時はスズキのディーラーで営業マンとしても働いていたが、レース活動が活発になるにつれ顧客廻りをする時間が無くなり、顧客から会社に苦情が入るようになったため、25歳のときに会社を辞めレーシングドライバー専業となる。 1997年より国内最高峰レースであるフォーミュラ・ニッポンや全日本GT選手権 (JGTC; 現・SUPER GT)にステップアップし、第一線で活躍を始める。1996年には国産F1プロトタイプマシン 童夢・F105のテストを担当する。 1998年、GTでは引き続き童夢から参戦するが、フォーミュラ・ニッポンでは鈴木亜久里が主宰するARTAに移籍し、F1のジョーダン・無限ホンダのテストドライバーを務めた。当時はホンダ陣営の若手ドライバーだったが、JGTCにおいて2001年にTeam LeMansに移籍して以降トヨタのワークスドライバーとなり、2002年にはJGTCシリーズチャンピオンを獲得した。 軽妙なトークと明るいキャラクターでも知られ、『ジャンクSPORTS』『F1グランプリ』(共にフジテレビ)や『激走!GT→SUPER GT+』(テレビ東京)など多数のテレビ番組に出演する。多くのスポーツ選手や芸能人と交流があり、2003年には佐々木主浩がチームオーナーの「TEAM 22」からフォーミュラ・ニッポンに参戦した。2004年からはお笑い芸人のダウンタウンの浜田雅功のオファーを受けて、吉本興業とタレントマネジメント契約を結び、吉本興業所属タレント初のレーシングドライバーとなった。また、タレントのヒロミと共に「H-Factory Racing Team」を結成し、2002年のスーパー耐久にフル参戦した他、2004年からは「FieLDSレーシングチーム」チームプロデューサーとなり、ヒロミ (JGTC) や保阪尚希(スーパー耐久)らをドライバーに起用した。2011年東日本大震災より東日本大震災復興支援プロジェクトSAVE JAPANを立ち上げた。 以前には鈴鹿サーキットレーシングスクール フォーミュラ(SRS-F)の講師も務めた。教え子の一人に佐藤琢磨がいる。 SUPER GTにおいてはトヨタのレクサス・SC430→レクサス・RC Fの先行開発ドライバーを務め、同じくSC430の開発ドライバーである立川祐路と並んで「トヨタのエース」と呼ばれていた。しかし、2004・2005年シーズンは未勝利に終わった。近年は車の開発・モータースポーツの向上を挙げ、「たくさんの人に車の良さ・楽しさを伝える」のもと開発やイベントに積極的に参画し、若手育成にも取り組んでいる。 2006年にはトムスに移籍し、新たにアンドレ・ロッテラーがパートナーとなった。開幕戦 鈴鹿において新天地での初優勝を得た。同年の優勝はこの1回のみだったが、全戦でポイントを挙げ安定した成績を収め、SC430のデビューイヤーを2002年以来のシリーズチャンピオンで飾った。 2008年には、ドライバーズタイトルは逃したものの表彰台に4回登り、チームタイトルを獲得した。 2009年は、初戦はポイント圏外に終わったが、第2戦以降は表彰台5回を含む成果を残し、ドライバー・チームのダブルタイトルを得た。 2016年にSUPER GTを引退。同時にチームルマンの監督へ就任。他カテゴリーにおいてはレーシングドライバーとして参戦をしている。 2019年には第4戦タイラウンドで監督として初の勝利を上げ、続いて第5戦富士スピードウェイでも連勝をあげる。その勢いを保ったまま、最終戦ツインリンクもてぎでも2位に入り長らく低迷を続けたチームルマンを立て直したとともに自力でチャンピオンに輝く。 2020年からTGR TEAM SARDの監督として指揮を執る(2020年10月4日SUPER GT第5戦富士でSARD移籍後初勝利)。トヨタのモータースポーツ部門においては、社長である豊田章男よりマーケティングを一任されるTOYOTA GAZOO Racingアンバサダーに任命され、プロデューサーとして、TOYOTA GAZOO Racing FESTIVAL(TGRF)の総合演出を担当し、全国のサーキットで開催した「走れ、86。特別試乗会」の総合監修を担当しマイナーチェンジとなったトヨタ・86のプロデュースをするなど、市販車への情報発信をする多岐に渡った活動を行っている。マーケティングの一環で、クルマの魅力を伝える人としては圧倒的に人気を誇り、インフルエンサーとなることから、豊田章男公認による、唯一TOYOTA以外の車種を乗ることが許されたレーシングドライバーとなる。 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 1992年 - 全日本カート選手権FAクラス 1993年 - 全日本カート選手権FAクラス 1994年 - 鈴鹿World Cup Kart Race in Japan ICAクラス( 優勝) 1995年
全日本F3選手権(TODA RACING with ASSO MOTORSPORT FCS #9→2 ASSO DALLARA 無限/ダラーラF395 MF204)(シリーズ6位) 1996年 - 全日本F3選手権(#8 ANABUKI DALLARA396無限/ダラーラF396 MF204)(シリーズチャンピオン・4勝) 1997年
N1耐久シリーズ<スポット参戦・富士>(#91 シビック/EK9)(総合21位) 1998年
全日本GT選手権・GT500クラス<スポット参戦・Rd6,7>(童夢レーシングチーム #18 TAKATA童夢無限NSX/NA2 C32B)(シリーズ22位) ジョーダン無限ホンダF1テストドライバー 1999年
全日本GT選手権・GT500クラス(童夢×無限プロジェクト #18 TAKATA童夢NSX/NA2 C32B)(シリーズ4位・1勝) ル・マン富士1000km(#61 BMW V12 LM/V12LM)(決勝3位) 2000年
全日本GT選手権・GT500クラス(童夢×無限プロジェクト #18 TAKATA童夢NSX/NA2 C32B)(シリーズ6位・1勝) 第29回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(童夢×無限プロジェクト #18 TAKATA童夢×無限NSX/NA2 C32B)(総合優勝) 2001年
全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA TEAM LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3S-GTE)(シリーズ7位・2勝) 2002年
全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3S-GTE)(シリーズチャンピオン・1勝) スーパー耐久シリーズ・ClassN+(H-factory #163 H-factory ALTEZZA)(シリーズ5位) 第31回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3S-GTE)(総合優勝)(弟の薫一と史上初の兄弟での優勝) 2003年
全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA Team LeMans #1 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3UZ-FE)(シリーズ2位・2勝) 第10回十勝24時間ラース・グループN+クラス(エイチファクトリー #163 H-OGURA ALTEZZA/SXE10)(総合22位・クラス3位) 2004年
全日本GT選手権・GT500クラスESSO TOYOTA Team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ/JZA80 3UZ-FE)(シリーズ3位) 2005年
MAZDA FESTA 2005(#12 テレビ特番ROADSTER/NCEC)(決勝18位) 2006年
もてぎENJOY耐久レース(#102 C-FUELwithサクシード)(総合47位) 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TOM'S #1 宝山 TOM'S SC430/UZZ40 3UZ-FE)(シリーズ6位・1勝) 2008年 - SUPER GT・GT500クラス(PETRONAS TOYOTA TEAM TOM'S #36 PETRONAS TOM'S SC430/UZZ40 3UZ-FE)(シリーズ3位) 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM PETRONAS TOM'S #36 PETRONAS TOM'S SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズチャンピオン・1勝) 2010年
ニュルブルクリンク24時間レース ディビジョン2・SP8クラス(GAZOO Racing #50 レクサス・LFA/1LR-GUE)(総合18位・クラス優勝) 2011年 - SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM KRAFT #35 D'STATION KeePer SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ14位) 2012年
ニュルブルクリンク24時間レース ディビジョン2・SP8クラス(GAZOO Racing #83 レクサス・LFA/1LR-GUE)(総合15位・クラス優勝) 2013年 - SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM SARD #39 DENSO KOBELCO SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ7位) 2014年
ニュルブルクリンク24時間レース ディビジョン2・SP PROクラス(GAZOO Racing #53 レクサス・LFA Code X/1LR-GUE)(総合12位・クラス優勝) ニュルブルクリンク耐久レースシリーズ VLN3・SP PROクラス(GAZOO Racing #53 レクサス・LFA Code X/1LR-GUE)(総合67位・クラス3位) 2015年 - SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM WedsSport BANDOH #19 WedsSport ADVAN RC F/LEXUS RC F USC10 RI4AG)(シリーズ11位) 2016年
スーパー耐久シリーズ・ST-4クラス(埼玉トヨペット Green Brave #52 86/TOYOTA 86 ZN6 FA20) 2017年
スーパー耐久シリーズ・ST-TCRクラス<Rd.5スポット参戦>(Adenau #10 Racingline PERFORMANCE GOLF TCR/VW GOLF GTI TCR) 全日本F3選手権 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン 全日本GT選手権 & SUPER GT・GT500クラス 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
レーサーとして
後輩たちから慕われており、「暴れん坊」で知られた関口雄飛を更生させて結果的にトムス抜擢まで導いた。また、同メーカーとの接触が相次ぎシートの確保が危うくなった平手晃平の相談にも乗っていた。 決勝後半でペースを上げ勝負をかける。GTでは2003年のスポーツランドSUGOにおいて最終コーナーで逆転し、0.082秒差で優勝した。2006年の開幕戦では巧みなペースコントロールで優勝し、ゴール後にタイヤを確認したらまだ余裕がある状態だったという。 タバコを吸わず、酒もほとんど飲まないなど、肉体管理を徹底している。 前回のレースで勝ったヘルメットを次戦で使わないなど、あまりゲンを担がない。一方で、自身の周辺環境の変更に関してはこだわりが強く、レース時の宿泊ホテルや食事・備品の置き場所などの変更をあまり好まない。 趣味はゴルフ。レースウィークの移動中の空港で手にしたゴルフ誌を読んだ時に、ゴルフでできる体作りに共感した。全てはレースに役立てる為に洞察力の強化や体幹トレーニングの為、ゴルフを趣味としている。 レースシーズンが近づくと自らを極限へストイックにし、トレーニング強化、カート練習、食生活など、他のドライバーでは稀に見ない精神的追い込みをする。 引退後のトークショー等で「僕は車を早く走らせる能力はそれ程無かったと思う。ただ車を早く仕上げる(セッティングする)能力があったと思う。」と語り監督的な役割をしてきた現役当時よりも監督としての今の方が向いていると語っている。 師匠の松本恵二がレースを語る場合に「星野さんだったらこうする」「星野さんならあそこではこう変えて何秒タイムを縮める」など星野一義を軸とした例え方をすることが多く、そのため脇阪は星野のチームで走ったことはないが、新人時代から星野を大師匠のように思っていた。 土屋圭市とは長い親交があり、土屋がキャスターを務めるビデオマガジン『ホットバージョン』では常連ドライバーの一人として多く出演している。また、土屋からドリフト走行のトレーニングを受けたこともある。 土屋圭市とのエピソードとして有名なのは、とあるレースで簡単に抜いていったことに対しその日の晩に「俺のことを簡単に抜いていくな!ファンは俺と若手のお前とのバトルを見たがってるんだ。簡単に抜いていったらそのコーナーにいるお客さんしか楽しめないだろう!」とメールが来て、そのときは「めんどくさいオッサンやなぁ負け惜しみいいよんかな」と思いつつも「すいません次から気を付けます」と適当に返信した。その後のレースで似たような状況になった時にふとこの件を思い出し何週かバトルに付き合ってあげたとところ、その日の晩に「見たか!お客さん総立ちだっただろ!モータースポーツっていうのはこういう事なんだ」とメールがあった。この件以降自分の車を走らせて順位ばかり追うのではなくスタンドのお客さんやテレビの前のファンの事を考えてレースをしている土屋圭市にはかなわないと思い、再びモータースポーツのあり方について考えるようになった。 公式ホームページ(2002年度)ではB'zのファンであることを明かした(着信音は今夜月の見える丘に)。 2013年のダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 大晦日年越しSP番組として「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時」では、「捕まってはいけない地球防衛軍」の際、助手席に「ドライブ鬼」に捕まった溝端淳平、月亭方正を乗せて自らLEXUS LFAを富士スピードウェイでドライブし、翌日のYahoo!Japan ニュースにおいて「脇阪寿一」の名前が検索ワード1位を獲得した。また、撮影前はLEXUS側よりLFAの露出NGが出ていたものの、交友関係が深い豊田章男に全国の人達へ日本のモータースポーツを知る機会と直接交渉をし今回の撮影許可を得た。 2016年2月4日のTOYOTA GAZOO Racingプレスカンファレンスにて引退を発表した際、豊田章男から届いたメッセージが話題となった。メッセージ内容は『脇阪さん、2001年より15年間、トヨタの仲間として活躍してくださり、本当にありがとうございました。スーパーGTでは、3回もチャンピオンを獲得していただきました。ニュルのプロジェクトでも、トヨタの味作りに力を貸して下さいました。また選手として活躍する傍ら、テレビやイベントなどで、車の楽しさを伝える”広報部長的役割”も担っていただき、私“モリゾウ”の想いを、分かりやすい言葉に置き変えてお客様に伝えてくれる“一番の代弁者”であったと思います。これからも、トヨタの仲間でいて欲しいし、クルマの魅力を伝える仲間でいて欲しいと思います。現役を引退されるということで、これからは広報部長ではなく「広報担当役員」くらいの立場で、さらなる活躍をお願いします。という訳で・・・ご昇格おめでとうございます。 豊田章男/モリゾウ』 平安高校(京都)時代、自動車免許取得後にトヨタ・ランドクルーザーで登校していたことがある。 富士スピードウェイでのSUPER GTのレーススタート前に、メインスタンドに陣取るライバルの日産応援団から寿一コールが起こったことがあった。 「グランツーリスモ5 公式ファンブック(ベストカー編集部刊)」にて「富士スピードウェイの走り方がよくわからない」と告白した。レース終わり際になってようやく走り方を思い出すが、他のサーキットでレースしているうちに忘れるの繰り返しだというが、あまり深く考えずに適当に走るとタイムが出ると語っている。 非常に情報発信が多いドライバーである。全国放送番組への出演のほか、2014年はニコニコ動画にて生放送を行うなどファンとの交流に積極的な側面を見せている。また、自らのYouTubeチャンネルにてチームの無線を公開するなど常に新しい試みを導入している。 モータスポーツ向上のためにホンダや日産のドライバーとも交流を深くし様々な活動を行っている。 自身の持つ、発信力がTOYOTAより評価され、2015年のル・マンへ参戦するTOYOTA GAZOO Racingよリポーターを務めた。さらに2016年からはTGRアンバサダーも務めている。 2016年のニュルブルクリンク24時間レースではTOYOTAのアンバサダーに就任と同時に訪独。現地ドイツ人の観光客よりそのパフォーマンスを評価され現地メディアでも話題となった。 2016年よりザ・ベストカーの連載コラムを執筆し、記事が面白いと話題になり、史上発行部数を更新した。 ^ プロフィール 脇阪寿一オフィシャルサイト ^ 脇阪寿一 ドライバーズコラム 第1回 人生の分かれ道「スズキの営業マン」時代 - GAZOO・2016年2月3日 ^ https://news.mynavi.jp/article/20191207-934694/2 ^ AUTOSPORT No.1504、10頁。 鈴木珠美「スペシャル座談会 本山哲×脇阪寿一×道上龍 GT500"エース"の器」『AUTOSPORT No.1504』2019年4月26日号、三栄書房、2019年、6-15頁。 松本恵二 近藤真彦 奥田民生 河村隆一 豊田章男 GLAY JS Style.com - 脇阪寿一 公式サイト SAVE JAPAN復興支援プロジェクト - 公式サイト 脇阪寿一 (@JuichiWakisaka) - X(旧Twitter) 脇阪寿一 (JUICHIWAKISAKA11) - Facebook 脇阪寿一 (@JuichiWakisaka) - Instagram Channel 11 - YouTubeチャンネル 脇阪寿一のSUPER言いたい放題 - ニコニコチャンネル 脇阪寿一の走らなあかん! - Ameba Blog 表 話 編 歴 79 鈴木利男 80 佐々木秀六 81 中子修 82 中本憲吾 83 藤原吉政 84 兵頭秀二 85 佐藤浩二 86 森本晃生 87 ロス・チーバー 88 中谷明彦 89 影山正彦 90 服部尚貴 91 パウロ・カーカッシ 92 アンソニー・レイド 93 トム・クリステンセン 94 ミハエル・クルム 95 ペドロ・デ・ラ・ロサ 96 脇阪寿一 97 トム・コロネル 98 ピーター・ダンブレック 99 ダレン・マニング 00 セバスチャン・フィリップ 01 ブノワ・トレルイエ 02 小暮卓史 03 ジェームス・コートニー 04 ロニー・クインタレッリ 05 ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ 06 エイドリアン・スーティル 07 大嶋和也 08 カルロ・ヴァン・ダム 09 マーカス・エリクソン 10 国本雄資 11 関口雄飛 12 平川亮 13 中山雄一 14 松下信治 15 ニック・キャシディ 16 山下健太 17 高星明誠 18 坪井翔 19 サッシャ・フェネストラズ 20 宮田莉朋 21 名取鉄平 22 小高一斗 23 木村偉織 20 阪口晴南 21 古谷悠河 22 小山美姫 23 小川颯太 24 ミハエル・サウター 表 話 編 歴 94 影山正彦 95 影山正彦 96 ジョン・ニールセン / デビッド・ブラバム 97 ペドロ・デ・ラ・ロサ / ミハエル・クルム 98 エリック・コマス / 影山正美 99 エリック・コマス 00 道上龍 01 立川祐路 / 竹内浩典 02 脇阪寿一 / 飯田章 03 本山哲 / ミハエル・クルム 04 本山哲 / リチャード・ライアン 94 小幡栄 95 石橋義三 / 星野薫 96 鈴木恵一 / 新田守男 97 織戸学 / 福山英朗 98 鈴木恵一 / 舘信吾 99 新田守男 00 福山英朗 01 大八木信行 / 青木孝行 02 新田守男 / 高木真一 03 木下みつひろ / 柳田真孝 04 山野哲也 / 八木宏之 05 立川祐路 / 高木虎之介 06 脇阪寿一 / アンドレ・ロッテラー 07 伊藤大輔 / ラルフ・ファーマン 08 本山哲 / ブノワ・トレルイエ 09 脇阪寿一 / アンドレ・ロッテラー 10 小暮卓史 / ロイック・デュバル 11 柳田真孝 / ロニー・クインタレッリ 12 柳田真孝 / ロニー・クインタレッリ 13 立川祐路 平手晃平 14 松田次生 / ロニー・クインタレッリ 15 松田次生 / ロニー・クインタレッリ 16 ヘイキ・コバライネン / 平手晃平 17 平川亮 / ニック・キャシディ 18 山本尚貴 / ジェンソン・バトン 19 大嶋和也 / 山下健太 20 山本尚貴 / 牧野任祐 21 関口雄飛 / 坪井翔 22 平峰一貴 / ベルトラン・バゲット 23 坪井翔 / 宮田莉朋 05 山野哲也 / 佐々木孝太 06 山野哲也 / 井入宏之 07 大嶋和也 / 石浦宏明 08 星野一樹 / 安田裕信 09 織戸学 / 片岡龍也 10 星野一樹 / 柳田真孝 11 谷口信輝 / 番場琢 12 峰尾恭輔 / 横溝直輝 13 武藤英紀 / 中山友貴 14 谷口信輝 / 片岡龍也 15 アンドレ・クート 16 土屋武士 / 松井孝允 17 谷口信輝 / 片岡龍也 18 黒澤治樹 / 蒲生尚弥 19 高木真一 / 福住仁嶺 20 藤波清斗 / ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ 21 井口卓人 / 山内英輝 22 藤波清斗 / ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ 23 吉田広樹 / 川合孝汰 94 - 95年まではGT1クラス。 94 - 95年まではGT2クラス。 表 話 編 歴 6:LEXUS TEAM LeMans ENEOS(大嶋和也/国本雄資) 19:LEXUS TEAM WedsSport BANDOH(脇阪寿一/関口雄飛) 36:LEXUS TEAM PETRONAS TOM'S(伊藤大輔/ジェームズ・ロシター) 37:LEXUS TEAM KeePer TOM'S(アンドレア・カルダレッリ/平川亮) 38:LEXUS TEAM ZENT CERUMO(立川祐路/石浦宏明) 39:LEXUS TEAM SARD(平手晃平/ヘイキ・コバライネン/クリスチャン・クリエン(Rd.5)) 31: apr(嵯峨宏紀/中山雄一/佐々木孝太(Rd.2,5)) 60: LM corsa(飯田章/吉本大樹/ドミニク・ファーンバッハー(Rd.5)) この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。 日本のドライバー フォーミュラ・ニッポンのドライバー 全日本F3選手権のドライバー 全日本GT選手権のドライバー SUPER GTのドライバー スーパー耐久のドライバー 鈴鹿1000km勝者 トヨタのモータースポーツ関係者 モータースポーツ解説者 過去のフェイスネットワーク所属者 吉本興業 龍谷大学付属平安高等学校出身の人物 奈良県出身のスポーツ選手 1972年生 存命人物 2024/11/10 16:22更新
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