舛田山靖仁の情報(ますだやまやすひと) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


舛田山 靖仁さんについて調べます
■名前・氏名 |
舛田山靖仁と関係のある人
栃錦清隆: 弟子である舛田山靖仁は栃錦が死去してから、千賀ノ浦部屋(現・常盤山部屋)を創設しているが、舛田山が停年を迎えてから部屋を継承したのは栃錦のライバル若乃花の弟子である隆三杉太一であり、舛田山の師匠時代から在籍している弟子は栃若両方の孫弟子という珍しい師弟関係となった。 栃錦清隆: 引退後は二枚鑑札(1958年に廃止されていたが特例で認められていた)で襲名していた年寄・春日野として、先代から引き継いだ栃ノ海晃嘉を横綱へ、栃光正之を大関まで育て、それ以外にも直弟子最初の関取だった栃東知頼を栃ノ海に続く自身が師匠となってからの2人目の優勝力士に導き、他にも舛田山靖仁、栃赤城雅男、栃司哲史、現春日野である栃乃和歌清隆等数多くの関取を育てた。 |
舛田山靖仁の情報まとめ

舛田山 靖仁(ますだやま やすひと)さんの誕生日は1951年4月10日です。石川出身の相撲のようです。

引退、卒業、現在、テレビに関する情報もありますね。舛田山靖仁の現在の年齢は74歳のようです。
舛田山靖仁のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)舛田山 靖仁(ますだやま やすひと、1951年4月10日 - )は、石川県七尾市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は舛田 茂(ますだ しげる)。身長187cm、体重152kg。最高位は東関脇(1983年9月場所)。引退後は年寄・千賀ノ浦→常盤山→千賀ノ浦、血液型はO型。 小学校時代は野球もやっていたが、中学時代から本格的に相撲を始め、高校時代には全国高等学校相撲選手権大会で優勝して、高校横綱となる。拓殖大学に進学すると、全国学生相撲選手権大会で決勝に残るなど活躍した。同大学卒業時には地元の金沢市役所への就職が内定していたが、それを蹴って大学卒業と同時に一番初めに誘いのあった春日野部屋へ入門。出羽海部屋に同音の増田という力士がいたため、本名に山を加えた「舛田山」の四股名で1974年3月場所に於いて幕下付出で初土俵を踏んだ。同期で、同じ大卒の出羽の花義貴(日本大学卒)がライバルであった。一説に四股名「舛田山」は後述の大怪我の影響でこの若名乗りからの改名の機会を失ったとされる。 以降、順調に番付を上げて行き、1975年1月場所で十両に昇進した。1975年7月場所7日目の取組で右かかとを骨折し、救急車で運ばれた際には「もう再起できない。終わったな。いつやめようか」と観念したといい、再雇用期間満了の際の取材で「今もボルトが入っている」と答える程の重傷であった。十両で苦労したが、1976年11月場所にて新入幕を果たした。直前の9月場所は十両西6枚目で9勝6敗、本来なら入幕できるような成績ではないが、この場所は引退する幕内力士が多かったため、幸運にも入幕することができた。 立合いに当たっておっつけからの突き押しが得意。長らく平幕に甘んじていたが、1980年5月場所では11勝4敗と大勝ちし敢闘賞を獲得、同年11月場所では横綱・若乃花から金星を獲得して殊勲賞を受賞。翌1981年1月場所では、小結に昇進した。しかし同年9月場所で左足の腿腱筋を断裂し、十両に陥落した。この頃から攻めが弱くなり苦労したが、徹底的に叩く相撲を取るようになり復調し、1982年7月場所にて再入幕を果たすと、相手を突きや右のど輪押しで起こし、相手が攻め返そうとする端を叩く取り口で再び上位に進出、1983年7月場所では再度小結に昇進し、9日目に横綱・千代の富士を得意の叩きからの引き落としで破った。この場所では8勝7敗と勝ち越して2回目の殊勲賞を受賞、翌場所では最高位となる関脇まで番付を上げた。当時対戦相手から「分かっていても喰ってしまう」と嘆かせる名人芸であった。その後も幕内上位で相撲を取り続け、1985年5月場所を最後に十両に陥落。 以後は再入幕を目指して十両で相撲を取り続け、1987年7月場所では36歳3ヶ月で十両優勝(現在でも最年長記録)を果たし、翌場所で十両筆頭まで昇進したものの負け越し。結局幕内には戻れず、1989年7月場所限りで現役を引退した。若い頃によく稽古をしていたことが体の硬い欠点を補い、力士としての寿命を長持ちさせたといえよう。 引退後は年寄・千賀ノ浦を襲名し、春日野部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たったが、2004年9月場所後に分家独立して千賀ノ浦部屋を開設した。当初は同郷で拓殖大学の後輩でもある栃乃洋を連れて独立するはずだったが、年寄名跡を手当てすることができず移籍を断念した。その代わりに同じく拓殖大学の後輩の栃の山ら4名の内弟子を引き連れ、その後も舛光理(中央大学出身)、拓錦(拓殖大学出身)、舛名大(名古屋大学出身)など将来性豊かな学生力士を次々と入門させるなど部屋経営に尽力した。2007年の能登半島地震にあたって、弟子らとともに故郷を慰労のため訪問、被災者にちゃんこ鍋を振る舞う姿がテレビで報道された。前述のように現役末期は叩きを持ち味としていたが、テレビ解説では「若ノ鵬は叩く相撲が多いから人気が出ない」などと発言していた。2010年9月場所に舛ノ山が関取昇進を果たし、これが千賀ノ浦部屋初の子飼い関取となった。 2012年の改選で理事に当選し、名古屋場所担当部長に就任。2014年の改選でも引き続き同様の地位と職務を与えられた。2016年2月23日、患っていた癌を手術。3月30日発表の職務分掌では役員待遇委員となった。同年4月10日の停年(満65歳)を前に、貴乃花部屋付きの常盤山親方(元小結・隆三杉)と名跡交換した上で部屋を譲り、自身は片男波部屋付きの楯山親方(元関脇・玉ノ富士)以来2人目となる5年間の再雇用制度の適用も認められた。4月8日付で名跡交換が行われ、年寄・常盤山を襲名。定年会見では舛ノ山が関取第1号となった2010年11月場所を最高の思い出に挙げ「自分が十両に上がった時よりもうれしかった」と感慨に浸った。同じ記者会見では、40年以上を過ごした相撲界を「入って良かった。市役所に入っていたら、もう定年で終わっている。考えただけでゾッとしますよ」とも笑った。尚、平成元年を現役力士として迎えた年寄が日本相撲協会の停年を迎えたのは自身が初であった。 年寄「常盤山」襲名後は、貴乃花一門に移籍、千賀ノ浦部屋に所属して、協会嘱託(再雇用)の部屋付き親方として指導した。2018年5月、貴乃花一門から離脱の意向であると報道された。同年9月には元貴乃花一門の年寄ら(阿武松、不知火、音羽山、千賀ノ浦、大嶽、湊、錣山、立田川)とともに二所ノ関一門に加入することが二所ノ関一門会で承認された。 2020年11月26日に元隆三杉と再び名跡を交換して元の千賀ノ浦に戻った(これに伴い千賀ノ浦部屋が常盤山部屋に改称された)。2021年4月9日付で嘱託任期満了を迎えた。再雇用制度が始まってから初の嘱託任期満了による退職であった。嘱託任期満了に際して、「次期大関」の期待が上がる元弟子の隆の勝に、「(コロナ禍で)出稽古ができないけど、白鵬や照ノ富士みたいな四つ相撲の上位の人にも胸を借りて力をつけてほしいね。泥んこにならないと成果は出ない。お茶漬けを食ったような稽古じゃなくて、こってりした唐揚げみたいな稽古をしてほしいね」と独特な言い回しでエールを送った。 通算成績:626勝671敗42休 勝率.483 幕内成績:313勝387敗5休 勝率.447 現役在位:93場所 幕内在位:47場所 三役在位:4場所(関脇1場所、小結3場所) 三賞:3回
敢闘賞:1回(1980年5月場所) 金星:1個(若乃花1個) 各段優勝
舛田山 茂(ますだやま しげる)1974年3月場所-1975年9月場所 舛田山 靖弘(- やすひろ)1975年11月場所-1976年7月場所 舛田山 靖仁(- やすひと)1976年9月場所-1989年7月場所(引退) 千賀ノ浦 靖仁(ちがのうら やすひと)1989年7月-2016年4月 常盤山 靖仁(ときわやま -)2016年4月-2020年11月 千賀ノ浦 靖仁(ちがのうら -)2020年11月-2021年4月 ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK) 関脇一覧 石川県の高校相撲部出身の一覧 拓殖大学相撲部 ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p28 ^ 4月定年の千賀ノ浦親方、相撲界「入って良かった」 日刊スポーツ 2016年3月24日19時43分 ^ 千賀ノ浦親方が相撲協会退職 縁のある名古屋懐かしむ デイリースポーツ 2021.04.10 (2021年4月10日閲覧) ^ 立合いからの張り手から右差しで攻められるが、右のど輪で押し上げて対抗。千代の富士が左前ミツを狙うところを、左へ回り込みながらの引き、千代の富士が泳いだところを、右で肩口を叩き、引き落としに破った。 ^ [1] ^ [2] ^ “貴乃花部屋所属の元隆三杉、千賀ノ浦部屋を継承”. SANSPO.COM. (2016年4月8日). http://www.sanspo.com/sports/news/20160408/sum16040816350001-n1.html 2016年4月8日閲覧。 ^ 千賀ノ浦親方、最高の思い出は関取誕生 Dairy Sports Online 2016.3.25 ^ “立浪親方:貴乃花一門離脱へ 常盤山親方も離れるもよう(スポニチ) - 毎日新聞” (日本語). 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20180505/spn/00m/050/010000c 2018年8月6日閲覧。 ^ 「貴景勝所属の千賀ノ浦部屋「常盤山部屋」に名称変更」『日刊スポーツ』2020年11月26日。2021年4月9日閲覧。 ^ 70歳で角界去る千賀ノ浦親方、隆の勝に「唐揚げみたいな稽古を」とエール 日刊スポーツ 2021年4月8日16時0分 (2021年4月9日閲覧) ^ 左下腿腱筋損傷により10日目から途中休場 表 話 編 歴 源武山源右エ門1927年1月-1932年3月 能代潟錦作1932年5月-1936年5月 綾川五郎次1937年1月-1937年5月 海光山大五郎1938年1月-1939年1月 大潮清治郎1939年5月-1941年5月 藤ノ里栄藏1942年1月-1943年1月 大和錦幸男1943年5月 肥州山栄1944年1月-1945年6月 若港三郎1945年11月 大平山圭四郎1946年11月-1947年11月 九ヶ錦坦平1948年5月-1949年1月 若潮芳雄1949年5月-1949年10月 名寄岩静男1950年1月-1954年9月 廣瀬川惣吉1955年1月-1959年5月 三根山隆司1959年7月-1960年1月 小野錦喜三郎1960年3月 若葉山貞雄1960年5月-1961年1月 北の洋昇1961年3月-1962年3月 出羽錦忠雄1962年5月-1964年9月 鶴ヶ嶺昭男1964年11月-1967年7月 青ノ里盛1967年9月-1969年3月 若ノ國豪夫1969年5月-1969年9月 相内範雄1969年11月-1973年7月 福の花孝一1973年9月-1975年11月 牧本英輔1976年1月-1982年11月 高見山大五郎1983年1月-1984年5月 大潮憲司1984年7月-1988年1月 舛田山靖仁1988年3月-1989年7月 蔵間竜也1989年9月 玉龍大蔵1989年11月-1992年1月 亀山弘章1992年3月-1993年7月 大乃浦哲也1993年9月-1995年1月 霧島一博1995年3月-1996年3月 大竜忠博1996年5月-1997年7月 一ノ矢充1997年9月-2007年11月 栃天晃正嵩2008年1月-2011年5月 華吹大作2011年7月-2022年1月 翔傑喜昭2022年3月- 表 話 編 歴 19 真野茂 20 竹田繁七 21 前田正勝 22 高石正顕 23 小林潔 24 池川渉 25 松浦政次 26 大畠政次郎 27 久万三男 28 永吉一猪 29 中山光 30 小崇正一 31 山本新一郎 32 川沢宏 33 川沢宏 34 沢八郎 35 中屋斉 36 赤塚豊 37 金龍沢 38 吉松義彦 39 奥山一雄 40 今英蔵 41東北 今英蔵 41関東 中川甲太郎 41関西 五藤禎三郎 41九州 福島政徳 46 有光一 47 土居駿介 48 石田羊三 49 石田羊三 50 富士正 51 照井久見 52 中村孝明 53 中尾三郎 54 中尾三郎 55 谷本英喜 56 早川紀夫 57 遠藤末太郎 58 平野孝行 59 佐藤猛 60 橋本勝 61 平野照 62 亀岡忠 63 臼井仁志(栃葉山) 64 臼井仁志(栃葉山) 65 長濱廣光(豊山) 66 棟方修新 67 荒瀬英生(荒勢) 68 福田耕治 69 舛田茂(舛田山) 70 久石川周治 71 中熊誠一 72 中熊誠一 73 花田安(琴花田) 74 藤沢和穂(琴藤沢) 75 笙口直 76 平館秀伸 77 岡田茂義 78 井上喜博 79 東裕次郎 80 阿部健治 81 久嶋啓太(久島海) 82 久嶋啓太(久島海) 83 久嶋啓太(久島海) 84 稲場昌一 85 斎藤一雄 86 成田晴樹 87 成田晴樹 88 田代勝寿 89 尾曽武人(武双山) 90 加藤耕市 91 出島武春 92 岡本篤(栃栄) 93 田宮啓司(琴光喜) 94 志賀太祐(栃東) 95 矢島健一 96 小笠原史男 97 三好正人(朝陽丸) 98 磯部洋之(磋牙司) 99 椿本武志 00 吉田勝雄 01 市原孝行(清瀬海) 02 森下祐哉(土佐豊) 03 松本太一(出羽鳳) 04 澤井豪太郎(豪栄道) 05 山口雅弘(大喜鵬) 06 李大源(栃乃若) 07 橋本誠也 08 吉田圭佑 09 中出雄真 10 中村大輝(北勝富士) 11 佐々木耕大 12 村松裕介 13 木﨑伸之助(木﨑海) 14–15 城山聖羅 16 山口怜央 17 アマルトゥブシン・アマルサナー(狼雅) 18 齋藤大輔(北の若) 19 大桑元揮(颯富士) 20–21 落合哲也(伯桜鵬) 22 高山瞬佑(豪ノ湖) 23–24 西出大毅 実業団 国スポ アマチュア 学生 高校 中学生 ()内は四股名 石川県出身の大相撲力士 日本相撲協会の役員 春日野部屋 千賀ノ浦部屋 拓殖大学出身の大相撲力士 石川県出身の人物 1951年生 存命人物
2025/04/06 14:07更新
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masudayama yasuhito
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