菊池重三郎の情報(きくちしげさぶろう) 作家、翻訳家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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■名前・氏名 |
菊池重三郎と関係のある人
ジェームズ=ヒルトン: 菊池重三郎訳『チップス先生さようなら』新潮社(新潮文庫) 1956年 |
菊池重三郎の情報まとめ

菊池 重三郎(きくち しげさぶろう)さんの誕生日は1901年7月3日です。宮崎出身の作家、翻訳家のようです。

現在、卒業に関する情報もありますね。1982年に亡くなられているようです。
菊池重三郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-1982年4月16日)は、日本の作家、編集者、翻訳家。「芸術新潮」初代編集長。 宮崎県臼杵郡北方村(現在の延岡市) で生まれる。1920年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1925年、立教大学文学部英文科を卒業。1925年から3年間、麻布中学校の英語教師を務め、1928年渡欧し、1930年帰国。 研究社、春秋社、新潮社に勤務し、傍ら文筆活動にも努める。 新潮社では、1950年「芸術新潮」初代編集長となり、創刊から62号まで携わり、1955年退職。 晩年の島崎藤村と交流があり、1947年の木曾馬籠の藤村記念館の設立に尽している。『馬籠』を書いたほか、『チップス先生さようなら』などを訳し、1968年には、「故郷の琴」で、宮崎県文化賞を受賞。1982年4月16日に心不全のため逝去した。 『冬の仕度』(大地舎) 1927年 『欧羅巴物語』(研究社) 1931年 『霧と光の消息 続欧羅巴物語』(春秋社) 1934年 『馬籠 藤村先生のふるさと』(東京出版) 1946年 『世界探検物語』(豊島与志雄と共著、新潮社) 1948年 『英吉利乙女』(暮しの手帖社) 1951 『鸚鵡の宿』(新潮社) 1955年 『ヤコブの梯子』(河出書房) 1956年 『天国のふもと』(新潮社) 1959年 『木曽路の旅 自然と人と』(秋元書房) 1962年 『閉じられた都ラサ / 南極のスコット』 (国土社、ジュニア版 世界の名作) 1965年 『故郷の琴』(三彩社) 1968年 『空から来たカルテロ』(三彩社) 1969年 『木曽妻籠』(東京新聞出版局) 1972年 『沙翁物語 / ワグネル物語』(メアリー・ラム / マツクスパデン、改造社) 1930年 『少年探偵エミール』(エーリッヒ・ケストナー、中央公論社) 1934年 『繪で説いた生物の謎』(トマス・ジェームス・ローランド、新潮社) 1939年 『バンビの歌』(フェーリクス・ザルテン、主婦之友社 、世界名作家庭文庫) 1940年 『それでも地球は動く』第1 - 3部(ハルサーニ・ジョルト、新潮社) 1942 - 1944年 『チップス先生さようなら』(ジェームズ・ヒルトン、新潮社) 1952年 『浮浪者の静かな物語』(ウィリアム・ヘンリー・デイヴィーズ、新潮社) 1956年 『みんなこうして生きている』 (トマス・ジェームス・ローランド、小山書店新社) 1959年 『コロンブスの航海日記』(冨山房) 1961年 『アラバマ物語』(ハーパー・リー、暮しの手帖社) 1964年 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」『菊池重三郎』 ‐ コトバンク ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 読売新聞、1982年4月17日付夕刊、P.11 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 日本文藝家協会・編『文藝年鑑』新潮社 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 20世紀日本の著作家 20世紀日本の翻訳家 20世紀日本の編集者 日本の書籍編集者 新潮社の人物 宮崎県出身の人物 日本大学第一高等学校出身の人物 立教大学出身の人物 1982年没 1901年生 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2025/04/10 10:34更新
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kikuchi shigesaburou
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