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西島大介
西島 大介(にしじま だいすけ)さんの誕生日は1974年10月5日です。東京出身の漫画家のようです。
略歴、人物などについてまとめました。映画、父親、卒業、退社、事件、趣味、家族に関する情報もありますね。現在の年齢は49歳のようです。
西島 大介(にしじま だいすけ、1974年10月5日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、ライター、映像作家、音楽家。 東京都出身で広島県広島市育ち。既婚者で二児の父。2011年から第2の故郷である広島市に再転居。 1990年代中盤から、「コミッカーズ」(美術出版社)などでイラストレーターとして活躍。2004年に『凹村戦争』で漫画家デビュー。以降、「SFマガジン」「ファウスト」など、サブカル系の文芸誌を仕事の舞台にしている。2015年3月に公開した映画『世界の終わりのいずこねこ』の共同脚本を手がけ、自らの手でコミカライズした同名作『世界の終わりのいずこねこ』がwebマガジン「ぽこぽこ」にて連載された。また、DJまほうつかい名義で、エレクトロニカの楽曲を発表、姫乃たまとの音楽ユニットひめとまほうとしても活動していた。 略歴父親の仕事の関係で、各地を転々として育つ。幼稚園と中学・高校は広島育ち。広島市立井口中学校〜広島県立広島観音高校卒業後、上京。ライターの松谷創一郎は高校の同級生。 1993年 ソニー・ミュージック主催のDEPにマリオペイントで作った短編映像『SF旅行記』で入選。1997年 ウェブ上にてキョンシー・ビデオを扱った連載コラム『カムカム! キョンシーズ』を発表。1998年 MTVステーションIDコンテストに映像作品を応募し、入賞。 1999年8月 大塚ギチ、菊崎亮、コヤマシゲト、宮昌太朗とUNDERSELL ltd.設立。 2000年、『巨人のドシン解放戦線チビッコチッコ大集合』のゲーム・ムービー『巨人以上』の、監督・シナリオ・絵コンテ・キャラクターデザインなどすべてを担当。ラップにはまる。 2003年7月31日 UNDERSELL ltd.を退社しフリーランスとしての活動を始める。 2004年、『凹村戦争』を描き下ろしで早川書房より刊行。第35回星雲賞アート部門受賞。 2009年 漫画『世界の終わりの魔法使い』シリーズの描き下ろし原稿が、出版社により紛失されたという事件の経緯を漫画化した『魔法なんて信じない。でも君は信じる。』を刊行。夏に講談社BOX主催の漫画家養成企画「西島大介のひらめき☆マンガ学校」開始。 2013年、『すべてがちょっとずつ優しい世界』が第3回広島本大賞コミック部門で大賞を受賞。『すべてがちょっとずつ優しい世界』展を東京 AI KOKO GALLERYにて開催。 2018年、さやわか監修 マンガ家育成スクール「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」の“ひらめき☆プロデューサー”に就任。 2019年、西島大介プロデュース・原作によるアイドルプロジェクト「迷ゐゴ」が始動。2020年、個人電子出版レーベル「島島」を設立し、自作品の電子配信を開始。また、設立に至る経緯をエッセイ本「電子と暮らし」として刊行。 人物趣味はREPHLEXの音源収集。 『新世紀エヴァンゲリオン』に多大な影響を受けたことから、自身をエヴァ世代と称する。また、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』では、「無数の精子のように泳ぐ綾波」のシーンのCGモデリングを担当していた。 『土曜日の実験室―詩と批評とあと何か』のインタビューでは、『凹村戦争』は岡崎京子の影響が強いと述べている。また、読売新聞の「マイヒーロー&ヒロイン」のコーナーでは、『ヘルタースケルター』のりりこについて書いたことがあった。 実家は広島市にあり、2011年東日本大震災以降、同市西区へ家族で転居している。 2024/05/18 17:27更新
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nishijima daisuke
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