角谷静夫の情報(かくたにしずお) 数学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


角谷 静夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
角谷静夫と関係のある人
角谷美智子: 父はイェール大学の数学科教授を務め、経済学の一般均衡理論の基礎となる多価写像の不動点定理を証明した角谷静夫。 |
角谷静夫の情報まとめ

角谷 静夫(かくたに しずお)さんの誕生日は1911年8月28日です。大阪出身の数学者のようです。

卒業、母親、現在に関する情報もありますね。2004年に亡くなられているようです。
角谷静夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)角谷 静夫(かくたに しずお、1911年(明治44年)8月28日 - 2004年(平成16年)8月17日 )は、日本の数学者。イェール大学名誉教授。娘は日系アメリカ人文芸批評家のミチコ・カクタニ(角谷美智子)。関数解析や確率論の研究で著名。 大阪市生まれ。旧制甲南高等学校文科を経て、1934年東北帝国大学理学部数学科卒業。大阪帝国大学助教授、1940年、アメリカのプリンストン高等研究所に留学。太平洋戦争中も同研究所で研究を続けるが、1942年に母親の意志を受けて帰国。1948年、再びプリンストン高等研究所に戻る。1949年イェール大学准教授、1952年同教授。1982年、定年退職。 コネティカット州ニューヘブンにて死去。 1941年(昭和16年)に不動点定理を発表。角谷の不動点定理はブラウワーの不動点定理を一般化したものであった。経済学やゲーム理論において、角谷の不動点定理は現在でも頻繁に使われている。特に、ゲーム理論においてはナッシュ均衡の存在を示すために、経済学においては一般均衡解の存在を示すために、角谷の不動点定理は決定的な役割を果たした。1950年にはケンブリッジで開催された国際数学者会議で全体講演を行っている。 1941年(昭和16年)8月14日、ポール・エルデシュ、アーサー・ストーンら3人と連れ立ってドライブしていたところ、ニューヨーク州ロングアイランドの立ち入り禁止区域に侵入してしまった。敵国人であった角谷はスパイ嫌疑を掛けられて拘束されるが、プリンストン高等研究所の責任者が素性を説明したことで解放された。この一件を受けて『デイリー・ニューズ』紙に「間諜3人組」の誤記事が掲載された。 同年12月、日本とアメリカが開戦したとき、角谷は客員教授としてプリンストン高等研究所に在籍していた。彼はそのままプリンストンに留まることもできたが、母親のことが心配だったので帰国することにした。角谷は、アメリカの戦時交換船であるスウェーデンの客船で大西洋を横断し、喜望峰経由でモザンビークのロレンソ・マルケスから日本の交換船に乗り換えて帰国した。大西洋ではドイツの潜水艦による攻撃の恐れが常に存在した。角谷は毎日デッキに座って自分の数学の課題を考え、夜になるとその日に得た定理を紙に書きボトルメールとして海に投じた。瓶にはこれを発見した人はプリンストンに送ってくれるように手紙をつけてあった。しかし、2005年に至るまで、手紙は一つも届いていないと言う。 Shizuo Kakutani: Selected Papers. Contemporary Mathematicians. Birkhaeuser. (January 1986). ISBN 9780817632793 ^ 伊藤雄二「角谷先生を偲んで」『数学通信』第9巻第3号、日本数学会、2004年11月、46-52頁。 ^ 角谷静夫氏死去/数学者、米エール大名誉教授 四国新聞 2018年7月29日閲覧。 ^ Nash, John F. (1950-01). “Equilibrium points in n-person games”. Proceedings of the National Academy of Sciences 36 (1): 48–49. doi:10.1073/pnas.36.1.48. PMC PMC1063129. PMID 16588946. https://www.pnas.org/doi/full/10.1073/pnas.36.1.48. ^ McKenzie, Lionel (1954). “On Equilibrium in Graham's Model of World Trade and Other Competitive Systems”. Econometrica 22 (2): 147–161. doi:10.2307/1907539. ISSN 0012-9682. https://www.jstor.org/stable/1907539?origin=crossref. ^ ICM Plenary and Invited Speakers 国際数学者連合公式サイト(英文) ^ ホフマン 2011の口絵に当日の写真が掲載されている。 ^ ホフマン 2011、pp.146 ff ポール・ホフマン『放浪の天才数学者エルデシュ』平石律子訳、草思社、2000年4月。ISBN 4-7942-0950-9。http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_950.html。 - 原タイトル:The man who loved only numbers。
Eigen, Stanley (2005). “The Lost Theorems of Kakutani” (PDF). Annals of Improbable Research 11 (2): 11. http://www.improbable.com/pages/airchives/paperair/volume11/v11i2/AIR-11-2-kakutani.pdf 2017年2月5日閲覧。. 矢野健太郎『ゆかいな数学者たち』新潮社〈新潮文庫〉、1981年12月。ISBN 4-10-121904-4。 コラッツの問題 ヨシコ・ウチダ - 義妹 O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Shizuo Kakutani”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Kakutani/ . FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ MathSciNet Mathematics Genealogy Project zbMATH ドイッチェ・ビオグラフィー IdRef 日本の数学者 アメリカ合衆国の数学者 日本学士院賞受賞者 イェール大学の教員 アメリカ芸術科学アカデミー会員 東北大学出身の人物 旧制甲南高等学校出身の人物 大阪市出身の人物 アメリカ合衆国帰化市民 1911年生 2004年没 数学に関する記事 2025/04/08 03:05更新
|
kakutani shizuo
角谷静夫と同じ誕生日8月28日生まれ、同じ大阪出身の人

TOPニュース
角谷静夫と近い名前の人


話題のアホネイター
