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角谷正彦
角谷 正彦(かどたに まさひこ)さんの誕生日は1936年2月14日です。三重出身の大蔵官僚のようです。
その他、著書などについてまとめました。父親、卒業、事故に関する情報もありますね。83歳で亡くなられているようです。
角谷 正彦(かどたに まさひこ、1936年2月14日 - 2019年9月22日)は、日本の官僚。元国税庁長官。三重県四日市市出身。 父親が東北大学教授となったことにより宮城県に転勤し、東北大学附属小学校、東北大学附属中学校卒業。その後、父親が三重大学教授になったことで、故郷の三重県に戻り、三重県立亀山高等学校卒業後、東京大学入学。在学中は宮澤俊義の憲法ゼミに所属。成績が大学でトップだったため、宮澤からは「かならずキミに憲法の講座を譲るから、大学に残ってくれ」といわれ、東大教授のイスを約束されていた。大学の同期に福井俊彦など。 1957年(昭和32年) 国家公務員採用上級試験(法律)首席合格。併せて東大法学部総代・司法試験首席合格。10年に1人といわれる「三冠王」のタイトル保持者である。 1958年(昭和33年)3月 東京大学法学部卒業。 1958年(昭和33年)4月 大蔵省入省。大臣官房文書課。 1960年6月 近畿財務局理財部 1961年7月 名古屋国税局調査査察部国税調査官 1962年6月 主計局総務課調査主任 1964年7月 主計局総務課企画係長 1965年(昭和40年)7月1日 八王子税務署長 1966年8月 証券局証券業務課課長補佐 1968年7月 証券局企業財務第一課課長補佐 1970年7月 経済企画庁国民生活局物価政策課課長補佐 1972年7月 主計局主計官補佐(農林第一係主査) 1974年(昭和49年)7月 三重県総務部長 1976年(昭和51年)7月3日 大蔵省主計局主計官兼主計局総務課(企画担当) 1977年(昭和52年)6月 大蔵省主計局主計官(運輸・郵政・電電公社担当) 1978年(昭和53年)6月 大蔵省主計局主計官(外務・経済協力・通商産業担当) 1980年(昭和55年)6月25日 大蔵省主計局法規課長 1982年(昭和57年)6月1日 大蔵省主計局総務課長兼主計局法規課長 1982年(昭和57年)6月11日 免兼主計局法規課長 1983年(昭和58年)6月7日 東海財務局長 1984年(昭和59年)6月27日 大蔵省大臣官房審議官(主税局担当) 1985年(昭和60年)6月25日 大蔵省主計局次長(2年目は総務課、防衛、国鉄、経済協力を担当)
1987年(昭和62年)8月5日 大蔵省大臣官房総務審議官 1988年(昭和63年)6月15日 大蔵省証券局長
1990年(平成2年)6月29日 国税庁長官
1991年(平成3年)6月11日 依願退官 1991年(平成3年)6月 社団法人日本損害保険協会副会長 1994年(平成6年)7月 中小企業金融公庫副総裁 1994年(平成6年)12月1日 中小企業金融公庫総裁 1998年(平成10年)12月1日 中小企業金融公庫総裁(再任) 1999年(平成11年)1月12日 同依願退任 1999年(平成11年)8月 株式会社日本総合研究所顧問 2000年(平成12年)1月 株式会社日本興業銀行顧問 2002年(平成14年)4月 株式会社みずほコーポレート銀行顧問 2003年(平成15年)6月 石油資源開発株式会社監査役 2004年(平成16年)6月 株式会社みずほフィナンシャルグループ監査役 2004年(平成16年)6月 旧みずほ証券株式会社監査役 2006年(平成18年)6月 株式会社プロネクサス監査役 2006年(平成18年)6月 平和不動産株式会社監査役 2007年(平成19年)3月 株式会社日本経済新聞社監査役 2009年(平成21年)5月 みずほ証券株式会社監査役 2009年(平成21年)11月3日 瑞宝重光章受章 2019年(令和元年)9月22日 死去。83歳没。叙正四位。 その他大蔵省の部下であった高橋洋一が数少ない優秀な上司に角谷と長野庬士を挙げている。 著書『「政府調達に関する協定」と官庁契約制度』(編著)(大蔵財務協会、1981年) 2024/05/19 02:29更新
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