谷口守泰の情報(たにぐちもりやす) アニメーター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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谷口 守泰さんについて調べます
■名前・氏名 |
谷口守泰と関係のある人
逢坂浩司: 谷口守泰に師事。 木村貴宏: その後ボトムズに関係したスタッフにより制作された『蒼き流星SPTレイズナー』の放送中に「アニメの仕事に就きたい」と考えるようになり、アニメ誌に連載されていたスタッフのコラムが楽しそうという理由で、在学していた大学を辞め、谷口守泰の主宰するアニメアールに入る。 濱川修二郎: 谷口守泰に師事する。 金山明博: 超電磁ロボ コン・バトラーV(1976年 - 1977年、東映テレビ事業部、日本サンライズ、全54話)作画監督(全話)、林政行と共同(4話)、佐々門信芳と共同(5,10,17,21,28,34,37,42,49,53話)、塩山紀生と共同(7,12,22,27,33,38,43,46話)、安彦良和と共同(9,16話)、高橋資祐と共同(11,13,18,25,31,47,52話)、坂本三郎と共同(19,24,30,36,41,48,51話)、谷口守泰と共同(45話)/OP作監 塩山紀生: 『ボトムズ』で谷口守泰、『サムライトルーパー』では村瀬修功と、塩山のオリジナルデザインを独自にアレンジした作画監督が、それをきっかけにしてスターアニメーターとなった。 |
谷口守泰の情報まとめ
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谷口 守泰(たにぐち もりやす)さんの誕生日は1943年3月30日です。兵庫出身のアニメーターのようです。
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作風・姿勢、谷口及びアニメアールに対する評価などについてまとめました。テレビ、解散、卒業、映画、ドラマに関する情報もありますね。谷口守泰の現在の年齢は81歳のようです。
谷口守泰のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)キャラクターデザイン 『蒼き流星SPTレイズナー』(作画監督、原画、OP・ED作画監督) 『機甲猟兵メロウリンク』(作画監督、OP・ED作画監督) 『ドリームハンター麗夢』(作画監督、原画) 『ギャラガ』(作画監督、原画) 作画監督・原画 『太陽の牙ダグラム』(作画監督) 『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』(新作カット原画) 『さすがの猿飛』(作画監督、原画) 『未来警察ウラシマン』(原画) 『みゆき』(作画監督、原画) 『装甲騎兵ボトムズ』(作画監督) 『装甲騎兵ボトムズ ザ・ラストレッドショルダー』(原画) 『装甲騎兵ボトムズ サンサ/クエント』(OPアニメーション) 『キャプテン翼』(演出、作画監督) 『北斗の拳』(原画) 『重戦機エルガイム』(作画監督) 『機甲界ガリアン』(作画監督) 『星銃士ビスマルク』(作画監督) 『ふたり鷹』(作画監督) 『タッチ』(作画監督) 『シティーハンター』(作画監督) 『鎧伝サムライトルーパー』(OPアニメーション) 『悪魔くん』(OPアニメーション) 谷口 守泰(たにぐち もりやす、1943年〈昭和18年〉3月30日 - )は、日本のアニメーター、イラストレーター。アニメアール代表取締役社長。兵庫県神戸市出身で京都府在住。 元大阪デザイナー専門学校アニメーション学科講師。大阪総合デザイン専門学校ビジュアルクリエーター学科 特別講師。大阪芸術大学キャラクター造形学科講師(高橋良輔講座のゲスト講師として)。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)発起人、会員。 西陣織の図案デザイナー、マネキン制作会社、コマーシャルフィルム制作会社を経てアニメーターとなる。 長いキャリアと実績を誇るベテランアニメーターで、日本アニメーション界の重鎮である。活躍はTVアニメだけに留まらず、多くの(主に関西圏での)CMアニメも手掛けている。 デビュー後の1960年代末から1970年代中盤に渡り東京テレビ動画が制作した作品で仕事を共にした岡迫亘弘を師匠とする。 1970年代初頭、大阪にスタジオカムを設立。村中博美らが加入し『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』(1971年)や『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年 - 1974年)に村中とともに参加。タツノコプロ作品では宮本貞雄作監のもとでリアルなキャラクターの下地が形造られる。以後、カムは解散するものの、1975年以降は東映動画やサンライズスタジオ制作のメカ物、岡迫亘弘が所属していた土田プロダクション作品を中心に活躍。 1970年代末、1980年代を一世風靡するアニメアールを大阪に村中博美と共に設立する。(後に村中はアニメアール2スタ→スタジオ・ムーへ独立。) 当初は谷口の友人が講師を務めていた大阪デザイナー学院の卒業生を現場参加させスタートした為、『伝説巨神イデオン』(1980年)では新人育成の感が否めず苦戦を強いられるが、続く『太陽の牙ダグラム』(1981年 - 1983年)では、アールの若手の成長に伴い、谷口のリアルかつスタイリッシュな人物描写と美しいメカ・エフェクト作画で突出。劇場版『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』(1983年)の「ヘルムート・ラコック暗殺シーン」の新作カットを塩山紀生の指名で作画を担当した後、その流れの中で高橋良輔監督の日本サンライズ製作のリアルロボット物第2弾『装甲騎兵ボトムズ』(1983年 - 1984年) に参加。 実際には担当することはなかったが、角川映画による「角川アニメーション映画」第1作『幻魔大戦』(1983年)のキャラクターデザイナーの候補者にも挙げられた。 作風・姿勢『ボトムズ』ではシナリオでの主人公「キリコ・キュービィー」の人物造型、主人公像(キリコの一人称で物語が進行する寡黙なハードボイルドヒーロー)に惚れ込んだ谷口は、塩山紀生デザインによるキャラクターに対し、クールさを前面に押し出す意図的なデザイン変更を行ったのである。それは当然、塩山ファンの反発を招き、現に谷口の元にカミソリを送り付けた者までいたという。テレビ局側からも当初は、サンライズ側のプロデューサー長谷川徹の元にクレームが入り、谷口にも伝えられていた。 それでも「キリコは僕の思想なんだ」と語る谷口はそれに果敢に挑み続けた。当時発行された同人誌において、谷口は他のボトムズの作画陣に不安を感じていた旨を語っている。本人曰く「なんとかせなあかんな」と思ったとも。その谷口の思いを支えたのは、谷口の行為に共感した視聴者、そして当初から谷口の画風を作品世界の創造に不可欠なものと捉えていた監督の高橋良輔、プロデューサーの長谷川徹、さらに当のキャラクターデザイナー塩山紀生その人だった。塩山も谷口の意図に理解を示し、自らの絵柄に取り入れ、後のOVAシリーズで新たなハードテイストのキリコ像確立に成功する。 結果、谷口はアールを率いて、最終話を始め多くの主要エピソードで作画監督を担当し、塩山のオリジナルデザインと人気を二分しカリスマ的な人気を博することとなった。そのアールのハイクオリティーな作画と個性的な画風は当時のアニメ雑誌にも取り上げられ(アニメアールへのスタジオ取材、谷口の画によるピンナップポスターやイラスト掲載等)、谷口の名を一躍スターダムに伸し上げることに繋がった。 高橋監督の『ボトムズ』の次作『機甲界ガリアン』(1984年 - 1985年)での各話作画監督を経て、1980年代高橋4部作のトリとなる『蒼き流星SPTレイズナー』(1985年 - 1986年)において、高橋の強い推薦により、満を持してキャラクターデザイナーに就任する。一応オーディションは行われたものの、企画概要の決定前に谷口のもとには、「谷口デザイン決定」の内知があったという。その後サンライズより総作画監督の打診もあったが、谷口はそれを固辞する。『ボトムズ』の作画監督経験において実践されてきた、「各話作画監督の個性を尊重したい」というフェアーな理由からであった。 谷口及びアニメアールに対する評価高橋良輔(アニメーション監督) (『太陽の牙ダグラム』第67話 “北極に散った決断”でのフォン・シュタインが謀殺されるシーン。“ラコックは機関銃を手にしていたが、直後に、銃を捨てるなどの描写も無く両手で髪を整え、その場から立ち去る際に銃を投げ捨てる”というカットがある。両手で髪を整える場面は両手がガラ空きの状態でなければならず、その前に銃を手放す描写が無ければ辻褄が合わない。これについて監督の高橋は、)あのラコックの一連の動きというものは、キャラクターをもの凄くよく捉えていて。ミスである事を分かっていながら、手を入れる事ができなかったんです。それは(谷口さんの)作画の力だと思いますね。 沖浦啓之(アニメーター、アニメーション監督) ちょうどその頃『(太陽の牙)ダグラム』を放送していて、アールの谷さん(谷口守泰)の作監の回が突出していた。〔略〕それで訪ねていって、画を見せて「(アニメーターを)やりたいんですけど」と言ったら、「じゃあ、明日からこいよ」みたいな事で……。 橋本敬史(アニメーター) 当時は『さすがの猿飛』がホントに大好きで、8000枚とか9000枚とか、凄い枚数を使ってたじゃないですか。とにかく画面の中で元気いっぱい動くような作品がやりたかった。その頃は『らんぽう』が始まった時期で、毛利(和昭)さんとかが好き勝手にやってる回があったじゃないですか。そういう動画をやったりして、勉強したという感じですね。 〔『蒼き流星SPTレイズナー』第26話「時は流れた!」について─引用者〕シリーズ半ばの新OPにリニューアルキャラクター。OPも本編も作画が何度見ても物凄いし、ドラマも燃える!アニメアールここにあり!という感じでした。 大張正己(アニメーター、アニメーション監督) 「『(機動戦士)ガンダム』はもちろん好きだったけど、『(太陽の牙)ダグラム』が何か好きでしたね、凄く。なんだろうあれは、リニアカノンとか設定もいいし。作画もアニメアールの担当回は格好いいんですよ。で、吉田徹さんや毛利和昭さんがやる回は特にイイ! 塩山紀生(アニメーター) 各話作監についていうと、そりゃ勿論それぞれに印象がありますけど、敢えて言うならば、アニメアールの谷口さんの強烈な個性ですね。ある面ではキャラを無視したっていう位のものであげてるでしょ。ところがフィルムを通して観ると決しておかしな仕上がりになっていない。やっぱり優れた方の最右翼ですね。 滝沢敏文(アニメーション監督) 自分のコンテ以上によくやってくれました。このコンテからこんな物が出てくるのかっていう、新しい発見もありました。僕はキャラの違いには殆どこだわらない。キリコがキリコじゃなかろうとも、演技さえなっていれば全然気にならないですね。(戦闘シーンの動きについては?) それはもう特に思う事なんだけど、コンテ以上の事をやってくれたというか、アニメアールの作品は凄いと思いますね。 加瀬充子(アニメーション監督) (谷口さんの絵は)嫌いじゃないですね。例えば塩山さんの絵とは全く違うんだけど、(谷口作監回として)一つの作品として観るならば、それで私はいいと思うんです。アニメアールの戦闘シーンというと、(『装甲騎兵ボトムズ』第)14話(“アッセンブルEX-10”)の前にも、例えば『(さすがの)猿飛』とか、ああいう感じのキレのいいロボットのタッチが出ていて凄く参考になったんです。作画でね、吉田徹君という人がやっているんですけど、あのこの所も凄くいいですね。 柿本八起(アニメーション美術監督、背景画家) レイズナー時代の吉田さん、沖浦さん達メカ作画のBL影は、流行ってた曲線主体のワカメ影と違ってて面がシャープに表現されてて品を感じて好きでしたね。それを学生時代に影響を受けて真似てたのが、劇場版ウテナの背景を描く時に役立ちました。 2024/06/14 20:52更新
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taniguchi moriyasu
谷口守泰と同じ誕生日3月30日生まれ、同じ兵庫出身の人
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