青ノ里盛の情報(あおのさとさかり) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


青ノ里 盛さんについて調べます
■名前・氏名 |
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双葉山定次: 青ノ里盛の話では、現役引退からかなり経過した1953年にも、自ら廻しを締めて弟子に稽古をつけていたという。 |
青ノ里盛の情報まとめ

青ノ里 盛(あおのさと さかり)さんの誕生日は1935年11月13日です。青森出身の相撲のようです。

現在、卒業、兄弟、引退に関する情報もありますね。2008年に亡くなられているようです。
青ノ里盛のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)青ノ里 盛(あおのさと さかり、1935年11月13日 - 2008年5月16日)は、青森県三戸郡倉石村(現役当時、現在は同郡五戸町)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は小笠原 盛(おがさわら さかり)。最高位は西張出関脇(1963年5月場所)。現役時代の体格は182cm、120kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 果樹農家の家庭に生まれ、幼少期から体格に恵まれていた。 地元の又重中学校を卒業した後は家業に従事していたが、父が大相撲の元幕下力士だった関係で巡業に来た鏡里に見出され、訪ねて来た同郷の鬼竜川から勧誘された。だが、自身は相撲が嫌いであり、逃げ回っていた。 しかし曾祖父が宮相撲の強豪で祖父も大の相撲好きだったので周囲は乗り気であり、ラジオの相撲放送で鳴門海が鏡里に勝ったのを聞いて「あれでも横綱に勝てるんだったら、俺でもできるかな」と言ってしまったので行く気が有ると思われ、連絡を受けて再び鬼竜川が訪ねて来た。 それから間も無く上京し、鏡里らが所属する時津風部屋へ入門する事となった。 1953年3月場所にて、17歳で初土俵。筋力と柔軟性を兼ね揃えていたが正攻法の取り口故に幕下で3年以上足踏みしたため、兄弟子達や実兄から帰郷するよう勧められた事もあったが関取衆に「もう1年やってみろ」と励まされ、奮起して続けている内に大勝ちできるようになった。 その後、1958年7月場所で新十両に昇進。十両は2度の優勝もあって僅か3場所で突破し、1959年1月場所にて新入幕を果たした。以降、59場所連続で幕内の土俵を務めた。 1963年7月場所では、5日目に大鵬から金星を獲得。この取組では新弟子に胸を貸すかのような甘い立合いの大鵬に対し、懐に飛び込んだ青ノ里は、大鵬の上体が起きたところを右上手投げで体勢を崩し、寄り切って勝利した。「稽古場横綱」と呼ばれていた実力者であったが、まさかの黒星を喫した大鵬はしばらく呆然と立ち尽くしていた。一時は上位でも好成績を残し大関昇進も期待されたが、攻めが遅い所があり小結で勝ち越す事がやっとであった。しかしながら、金星も5つ挙げており(その中のひとつは、1963年7月場所においての、大鵬の連勝を30で止めたもの(上述))、地力の高さを見せ長きに渡り幕内上中位で活躍した。1967年9月場所では序ノ口以来1000回連続出場を果たし、日本相撲協会から表彰を受けている。 連続59場所務めた幕内から陥落した後は、1場所だけ幕内に復帰したが、再度十両に下がった1969年3月場所を以って現役を引退。 引退後は年寄・二十山を襲名し、時津風部屋付きの親方として後進の指導に当たった。1971年、同郷でもある立田川親方(元横綱・鏡里)の独立に同行し、立田川部屋へ移籍。1988年4月には停年直前の師匠と年寄名跡を交換して、立田川部屋を継承した。 先代(元鏡里)の時代には関取が1人(十両・高道改メ森乃里)しか誕生しなかったが、地道に有望な入門志願者を探し敷島、十文字といった力士を幕内まで昇進させた(退職後、陸奥部屋に移った元弟子の豊桜・琉鵬・白馬も幕内まで出世している)。なお三男・盛幸(もりゆき、1970年1月生まれ)は高校卒業後、立田川部屋に入門したが、十両には昇進できなかった(四股名は「総乃里」、最高位・幕下42枚目)。同部屋は小部屋ではあったが、複数の関取を輩出するなど、部屋経営に尽力した。 立田川部屋は後継者に欠いていたため、2000年11月場所中の立田川親方の停年退職に先立って、同年9月場所後に閉鎖。豊桜や琉鵬など、所属していた力士達は、同じ時津風一門の陸奥部屋(師匠は元大関・霧島)が引き取った。 2008年5月16日、敗血症により逝去。72歳没。 弟子の敷島の話によると、大鵬から金星を挙げた前夜は、飲み明かしてリラックスして臨んだという。敷島自身も験かつぎとしてこれに倣い、横綱・貴乃花との初対戦から2場所連続で金星を挙げている。 立田川部屋を継承した際は、時津風部屋時代の弟弟子だった枝川親方(元大関・北葉山)から「50歳を過ぎて部屋を持つなんて、あんた馬鹿だねぇ」と否定的に捉えられ、これが原因で2人は不仲に陥ったという。 通算成績:557勝584敗 勝率.488 幕内成績:408勝492敗 勝率.453 現役在位:88場所 幕内在位:60場所 三役在位:6場所 (関脇1場所、小結5場所) 連続出場:1141回(序ノ口以来、1953年5月場所-1969年3月場所(5日目)) 三賞:2回
敢闘賞:1回(1964年11月場所) 金星:5個(若乃花1個、柏戸2個、大鵬1個、栃ノ海1個) 各段優勝 十両優勝:2回(1958年7月場所、1958年11月場所) 小笠原 盛(おがさわら さかり)1953年5月場所-1954年3月場所 青ノ里 盛(あおのさと -)1954年5月場所-1969年3月場所 二十山 盛(はたちやま さかり)1969年3月-1988年4月 立田川 盛(たつたがわ -)1988年4月-2000年11月(停年退職) ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p23 ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p42 ^ 浦風親方 金星の秘訣は前夜の飲み明かし 2014年3月5日 23:33 日刊スポーツ 大相撲力士一覧 関脇一覧 表 話 編 歴 源武山源右エ門1927年1月-1932年3月 能代潟錦作1932年5月-1936年5月 綾川五郎次1937年1月-1937年5月 海光山大五郎1938年1月-1939年1月 大潮清治郎1939年5月-1941年5月 藤ノ里栄藏1942年1月-1943年1月 大和錦幸男1943年5月 肥州山栄1944年1月-1945年6月 若港三郎1945年11月 大平山圭四郎1946年11月-1947年11月 九ヶ錦坦平1948年5月-1949年1月 若潮芳雄1949年5月-1949年10月 名寄岩静男1950年1月-1954年9月 廣瀬川惣吉1955年1月-1959年5月 三根山隆司1959年7月-1960年1月 小野錦喜三郎1960年3月 若葉山貞雄1960年5月-1961年1月 北の洋昇1961年3月-1962年3月 出羽錦忠雄1962年5月-1964年9月 鶴ヶ嶺昭男1964年11月-1967年7月 青ノ里盛1967年9月-1969年3月 若ノ國豪夫1969年5月-1969年9月 相内範雄1969年11月-1973年7月 福の花孝一1973年9月-1975年11月 牧本英輔1976年1月-1982年11月 高見山大五郎1983年1月-1984年5月 大潮憲司1984年7月-1988年1月 舛田山靖仁1988年3月-1989年7月 蔵間竜也1989年9月 玉龍大蔵1989年11月-1992年1月 亀山弘章1992年3月-1993年7月 大乃浦哲也1993年9月-1995年1月 霧島一博1995年3月-1996年3月 大竜忠博1996年5月-1997年7月 一ノ矢充1997年9月-2007年11月 栃天晃正嵩2008年1月-2011年5月 華吹大作2011年7月-2022年1月 翔傑喜昭2022年3月- 青森県出身の大相撲力士 時津風部屋 1935年生 2008年没 青森県出身の人物 2025/04/08 15:30更新
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aonosato sakari
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