飯塚文男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
ドンキーカルテットは1964年に結成され、1970年まで6年間に渡って活躍したコミックバンドの一つである。このメンバーはザ・ドリフターズから独立する形で誕生した。
小野ヤスシをリーダーとしてテレビや演芸・公演などでも活躍していたが、1970年に解散する。以降はそれぞれ単独でタレントや司会者・声優として活動していた。
コミックソングの代表的なヒット曲の一つとして1970年に発売され、後に約20万枚を売り上げた『宮本武蔵』というタイトルがある。
祝以外は初期のザ・ドリフターズの元メンバーだった事もあり、演奏経験が豊富であった。祝が加入後に5人組 = クインテットとなったものの、グループ名は変更せずにそのまま「ドンキーカルテット」で解散するまで活動した。
小野ヤスシ(1940年2月11日 - 2012年6月28日 72歳没)
鳥取県出身。メンバーのリーダーでもあり、ボーカル・ギター兼ベースを主に担当。自身のキャッチフレーズを「鳥取県が生んだ自称スーパースター」としていた。他にネタに入る際や、コントが始まる時の定番台詞になっていた「一発ぶちかましてご覧に入れます」がある。なお小野がリーダーというのは名目上のことで、メンバーとは常に対等の立場で接しており、先輩風を吹かすことも無かった。ドンキーカルテット解散後は単独でマルチタレントとしてテレビ番組の司会や、バラエティー・ドラマに出演して活躍する。代表する番組として、フジテレビ系で放送していた『スターどっきり(秘)報告』があった。晩年はアサヒ緑健のPR番組の司会や、旧知の仲で大親友でもある加藤茶・仲本工事とのコミックバンド「加トちゃんバンド」を組んで公演を行っていた。またミッキー安川とは付き合いが長く、ラジオ番組にゲスト出演したこともあった。また年末に行っていた恒例のチャリティーショーにも参加しており、親交を深めていた。2012年6月28日、腎盂がんのため死去。72歳没。グレッチ・ギター演奏の達人でもあった。
飯塚文雄(1940年11月23日 - 2003年3月27日 62歳没)
東京都の出身で立教大学経済学部を卒業。フィドル(バイオリン)担当。元々はジミー時田らと活動し[12]、ザ・ドリフターズに参加していたが後に離脱。そして小野、吉田、猪熊、飯塚の4人で新たなコミックバンド「ドンキーカルテット」を結成した。ドリフに参加する以前、カジュアルスというバンドでカントリー・ウェスタンミュージックの経験があったため、この分野の造詣が深いことで知られた。ドンキーを退いた後は日本テレビ系番組『11PM』の水曜日レギュラーとして出演し、レポーターに起用されて知名度を上げた。音楽活動の方も引き続きカントリーミュージックを中心に行い、晩年は飯塚文雄&キープレンジャースを率いて活躍していた[13]。2003年3月27日に死去した。62歳没。
新宿・歌舞伎町にカントリー音楽のライブハウスである「Liberty Bell」(リバティ ベル)を1974年に開業し、自らオーナーを務めていた。その後歌舞伎町の店は閉店し、渋谷区笹塚に移転した。飯塚の死去後も営業は継続し、縁の楽器や飯塚本人を模した看板人形・帽子などが展示され、自由に鑑賞出来た。現在は閉店している。
ジャイアント吉田(1936年1月25日 - 2023年1月2日 86歳没)
東京都の出身で本名、吉田一男。ボーカル・ギター兼ベースを担当。1958年に日本大学経済学部を卒業後、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズに参加して活動する。いかりや長介とはその頃から旧知の仲で親友だった。しかしザ・ドリフターズが分裂した際、いかりやのワンマン体制ぶりに吉田は以前から不満を持っており、小野と共にドリフを離脱する。1970年に発売されたヒット曲『宮本武蔵』では作詞・作曲、パーカッションとリードボーカルを担当した。ギャグの受けと間合い台詞は「ひどいなぁ」である。ドンキーカルテット解散後は1973年に吉田、猪熊、祝と「シンフォニックマッド」を結成。1970年代末期に西ヒトシ・ジョニー高田ら4人のジャイアント吉田と、ブラックジャックを経て1980年代末期に5人組のジャイアント吉田とドンキーズを猪熊、やまだマサらと結成した。メンバーは流動的で活動休止した期間もあるが、猪熊の病気療養により交代してばんきんや・ニック下平らを加え、晩年まで活躍。また1973年に登場した思考系ボードゲーム『オセロ』のコマーシャルに、吉田が起用されて話題となった。2010年頃からばんきんやのバンドバンバンGと共演活動も行い[14]、カントリーミュージックの客演や、発明家を自称していた。一時期ハワイアンのライブハウスを経営したり、千葉県鴨川市で「ラハイナ」というハワイアンスタイルのレストランを経営した(両店共に閉店)。他に自身の特技である催眠術に活路を求め、芸能界の傍ら催眠術師として執筆活動や催眠法のクリニックなど、多方面に活躍。2010年に設立された一般財団法人日本催眠術協会では、理事長を務めている。なお、一時期ミスター・マリックの裏方で参加していた。
吉田は「ジャイアント」という芸名で大柄を想像させたが、実際は小柄の体格だった。
若い頃は武術に励んでいたために禅・瞑想・気・催眠へと関心を持つことになるが、元々は太気拳の澤井健一の初期(3番目)の門下生である。本人曰く「僕は芸能活動よりも、武道の方が関わりは長いんですよ」と語っており、2014年から活動しているインド王族武術(日本宗家)である「Team DATE」の名誉顧問を務めていた。2024年1月2日よりTeam DATEが、吉田流太気拳 正統の後継団体になったと正式に発表された。
2023年1月2日に死去、86歳没。吉田の死去によりドンキーカルテット結成時のメンバーおよび、ザ・ドリフターズ出身のメンバーは全員が他界した。
猪熊虎五郎(いのくま とらごろう、1932年 - 2001年11月4日 69歳没)
熊本県の出身で本名・吉岡弘。バイオリン・キーボード兼ベースを担当。熊本工業高校を卒業する。元々は1963年よりザ・ドリフターズで活躍していた。大きな体格と坊ちゃん刈りで綺麗に整った髪型をしており、常に礼儀正しく黒縁の眼鏡を掛けた姿も愛嬌があった。メンバーの中でも体格が良く目立った存在であり、時折長身な猪熊と小柄なジャイアント吉田と比較されていた。甲高い声と独特な喋りが特徴的で、彼の個性かつ素質でもあった。話し始めると少し惚けた表情と、その奇妙な面白い声を聞いて笑い出す人もいた。ドンキーカルテット解散直後の1970年から、後に日本全国酒飲み音頭がヒットしたバラクーダーを結成する岡本圭司がバンドを継承し、リーダーとなった「岡本八とダスターポット」に祝と共に途中参加。その後1973年からは単独でタレント活動を始めた小野を除いた猪熊、吉田、祝と3人で新たに「シンフォニックマッド」を結成し再活動を始めた。その後祝は加入せずに芸能界を引退したが、吉田と共に新たなコミックバンドの「ドンキーズ」にも参加している。更に個性的で斬新奇抜な声を活かして声優でも活躍した。しかし晩年は病気療養中だったため、健康面・体調面を考慮して次第にテレビや舞台の出演からは退き、不定期にバラエティ番組などにゲスト出演していた。2001年11月4日に死去、69歳没。
祝勝(いわい まさる、1944年5月 - 79歳)
神奈川県の出身で本名・岩井勝。ベース兼ドラムを担当。日本大学在学中は学生バンドマンとして活躍する。大学卒業後にドンキーカルテットへ途中参加した。祝の定番芸は演奏中やコント、舞台進行中でもその流れを無視して自分の世界へ入ってしまい、舞台端や物陰で座り込みながら勝手に弁当を開いて食べ始めるいう自己中心的で、異質かつ不思議なことをする場面があった。その身勝手で非常識な行為を、他のメンバーに叱られるのが定番である。これは祝が最も受けた芸でもあった。ドンキーカルテット解散直後の1970年から、後に日本全国酒飲み音頭がヒットしたバラクーダーを結成する岡本圭司が、バンドを継承してリーダーとなる「岡本八とダスターポット」に猪熊と共に途中参加。1973年から単独で活動を始めた小野を除いた猪熊、吉田、祝で「シンフォニックマッド」を結成した。解散後、吉田と猪熊が新たに「ドンキーズ」を結成したがそれに加入せず、芸能界を引退した。現在は会社経営者に転身している。
2023年1月2日にジャイアント吉田が死去したために、ドンキーカルテットのメンバーで祝が唯一の存命者である。
出演番組
大正テレビ寄席(NET)
スターなんでも大会(読売テレビ)
ドーンと一発ぶちかませ(東京12チャンネル)
ドンキーのナンセンス劇場→ドンキーのお笑い寄席(フジテレビ)
テレビ爆笑10年史(フジテレビ)
クイズ大作戦(NET)
WAッ!熊が出た!!(日本テレビ)
バスクリンファミリータイム 所ジョージのモノMONOウォーズ(日本テレビ)
プリンプリン物語(NHK総合)
ディスコグラフィー
男のまごころ(詞:沢ノ井龍二、曲:三好正純、編曲:川口真) / さいはての渚(詞:沢ノ井龍二、曲:三好正純、編曲:川口真)東芝TP-1581 1968年発売
宮本武蔵(企画構成・作詞・作編曲:ジャイアント吉田) / 夕べ酒場で聞いたうた(詞:滝田順、曲:小杉太一郎、編曲:山田祥二)RCA(日本ビクター)JRT-1060 1970年発売
ドンキーの歌げんか / トン馬節(詞:京万里、曲:野々卓也)RCA(日本ビクター)JRT-1105
おじいさんと遺書(詞・曲・編曲:ジャイアント吉田) / デゴイチ(D-51)(詞・曲:平出賢文、編曲:ジャイアント吉田)ビクター(RCA)JRT-1299 1973年月発売
愛の告白(詞桂高丸、曲:鈴木直治、編曲:竹村次郎) / 恋人たち(詞:桂高丸、曲:鈴木直治、編曲:竹村次郎)CBSソニー SOLB
洋子の港(詞:古沢かずき、曲:鈴木直治、編曲:竹村次郎) / なみだ(詞・曲:ジャイアント吉田、編曲:竜崎孝路)フィリップス(日本ビクター) FS-1858 1976年発売
音のハレンチ 耳で聞くマンガ Dryan Hallench Company(レーベル不明)HP-12 非売品 整髪料ピアス・ドライアン販促用景品 8cmディスク
牧伸二だよ!!(共演盤)やんなちゃった節 / ボヨヨヨヨーンだよ!! / ボクシング小唄 / ウクレレ教室 / ヤーダ / 癪にさわるよ / やんなちゃった節(続)日本ビクター SD-103 7インチディスク 1965年発売