高見澤宏の情報 (たかみざわひろむ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
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高見澤宏
高見澤 宏(たかみざわ ひろむ)さんの誕生日は1933年11月9日です。静岡出身の歌手のようです。
メンバー、代表曲などについてまとめました。兄弟、卒業、現在、姉妹、事件、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。77歳で亡くなられているようです。
ダークダックス(DARK DUCKS)は、1951年から2016年まで活動していた、男声の重唱団(ボーカルグループ)である。過去のレコードジャケットでは『ダーク・ダックス』という表記がされる時もあった。同グループのメンバー数は活動の中心時期には長らく4人であった。 メンバー全員、慶應義塾大学経済学部出身。同大学の男声合唱団ワグネルソサエティのメンバーたちが、1951年のクリスマスパーティーで「ホワイト・クリスマス」の合唱を披露したことがきっかけで結成。この時、パクさんこと高見澤宏が入学する前だったので、メンバーは3人だった。結成当時はJAZZ・黒人霊歌を中心に活動していたが、のちにオリジナル楽曲やロシア民謡、山の歌、唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとするようになった。 1957年にロシア民謡「ともしび」をヒットさせ、一躍人気を集めた。当時としては異例の年6枚のアルバムを発売し、記録的ヒットを収め、歌謡界にコーラスブームを巻き起こした。1957年3月22日、初演奏会をひらく。翌1958年に第9回NHK紅白歌合戦に初出場し、以後、1971年の第22回まで14回連続出場。1976年の第27回に再出場を果たし、通算15回出場している。第9回、第10回(1959年)は彼らの歌のラジオの音声が現存し、1960年代中期からは映像が現存する。第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で彼らの歌も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。 世界各国でも音楽活動を行っており、特にソビエト連邦へは1960年、1962年、1972年、1974年、1977年の5回に亘り長期演奏旅行を行い、盛況を極めている。(尚、1967年のソ連訪問は、4月の東京‐モスクワ間の直通定期旅客航空路線開設に伴う、東京発モスクワ行き第1便搭乗者としての招待旅行であり、演奏旅行ではない。) 1987年(昭和62年)には、メンバーが変わらない日本で最も長期にわたって活動するコーラスグループとして、ギネス世界記録に認定。1993年(平成5年)、紫綬褒章受章。グループ全員による受章は史上初。 同形態をとるコーラスグループ、デューク・エイセスとボニージャックスとの三者共演の歴史は古く、1973年4月の第2回東京音楽祭で、国内大会と世界大会との間の1週間に企画された「東京音楽祭ウィーク」でのコンサート「ビッグ3夢の競演」にまで遡る。また、1986年3月には、「ザッツ・ハーモニー」と銘打った全10日間の合同企画も開催されている。これは、最初の3日間ずつで夫々が単独のリサイタルを行ない、最終日に三者合同で歌うという日程であった。その後、21世紀に入った頃から、三者共同でのショー開催は恒例として度々行われるようになった。 1997年に一過性脳虚血発作でマンガさんこと佐々木行が倒れ、翌年より療養生活に入る(後に鬱病を患っていることが喜早哲から明かされた)。新メンバー招聘の話もあったが「(ダークダックスの特色から言って)他メンバーのダークダックスは考えられない」とスタッフや後援会が反対、あくまで佐々木行復帰を待つということでコーラスのパートをカルテットからトリオに再編し、以後3人のメンバー(喜早哲いわく「ダークダックス3兄弟になった」と考えて欲しいとのこと)で活動。 2008年に群馬県館林市にて、グループの活動記録や資料を保存し功績と足跡を顕彰する施設「ダークダックス館林音楽館」がオープンしている。 2010年2月からは高見澤宏も病のため療養。残ったメンバー2名はダークダックスと縁が深くステージ共演も多いしゅうさえこをゲストボーカルに招き、しゅうさえこが高見澤宏のパートを担当する形でダークダックスwithしゅうさえこというユニットを結成し活動。しかし、2011年1月7日に高見澤宏が77歳で死去したことを受け、2人ではダークダックスとしての音楽活動は出来ないという判断から同年3月29日放送の『ありがとう!ダークダックス』(NHK-BS2)にて、同番組を以てダークダックスとしての(音楽)活動に区切りを打つことが発表された。 活動休止宣言から約半年後の2011年11月17日・18日放送『ラジオ深夜便』(NHKラジオ)へゾウさんこと遠山一とゲタさんこと喜早哲が出演し、グループ60年の歴史を振り返った。2人での活動再開についても「まだ(高見澤宏の死から)完全に立ち直った訳ではないから」としながらも「無いとも言えません、まだ先が長いつもりで考えていきたいと思います」(遠山一談)と、今後に含みを見せた。2012年に入ってからは、恒例となっているデューク・エイセス、ボニージャックスとの合同コンサートを行うなど、活動を本格的に再開。 2016年3月26日に病気療養中だった喜早哲が85歳で死去。また、同年6月20日には佐々木行が84歳で死去。この時点で存命するメンバーが遠山一だけとなったため、グループとしての活動に終止符を打つことになったが、同年10月から再びしゅうさえことの共演によるダークダックスのゾウさん&しゅうさえことしてコンサートを再開。晩年も約1年に1回のペースで活動を続けた。2019年7月には遠山一の録り下ろしナレーション入りのベストアルバムを新たにリリースした。 2023年9月22日、遠山一が93歳で死去したことにより、ダークダックスのメンバー全員が鬼籍に入ることになった。 メンバー高見澤 宏(たかみざわ ひろむ、1933年11月9日 - 2011年1月7日)
佐々木 行(ささき とおる、1932年2月18日 - 2016年6月20日)
喜早 哲(きそう てつ)、1930年11月8日 - 2016年3月26日)
遠山 一(とおやま はじめ、1930年5月26日 - 2023年9月22日)
代表曲ともしび(ロシア歌謡 / 1956年7月発売) カチューシャ(ブランテル作曲 / 1956年10月27日発売) トロイカ(ロシア民謡 / 1957年6月発売) 赤いサラファン(ヴァルラーモフ作曲 / 1957年6月発売) 雪山讃歌(ダークが志賀高原を訪れた際に、地元で歌われていたこの歌を発掘した / 1958年9月発売) つる(フレンケリ作曲) スカンク・カンク・プー カリンカ(ラリオーノフ作曲 / 1959年10月発売) クラリネットをこわしちゃった(1963年、NHK「みんなのうた」で取り上げられヒット / 1959年11月発売) シーハイルの歌(1960年12月発売) 白銀は招くよ すずらん(フェリツマン作曲、ダークが第1回ソ連演奏旅行の際に持ち帰り大ヒットし、学校教科書にも掲載された / 1961年4月発売) 北上夜曲(和田弘とマヒナスターズらとの競作。ダークが盛岡市を訪れた際に、地元で歌われていたこの歌を発掘した / 1961年4月30日発売) 白い想い出(1963年、作詞・作曲 山崎唯) 愛のソナタ(プラターズの「オンリー・ユー」の作曲で知られるバック・ラムの書き下ろし楽曲 / 1964年9月1日発売) アンジェリータ(1964年、第15回NHK紅白歌合戦で披露したことがきっかけで大ヒット / 1965年1月20日発売) エーデルワイス(ロジャース作曲 / 1966年2月1日発売) 山男の歌(シングルではダーク・ダックス最大のヒット作 / 1966年2月1日発売) 銀色の道(ダークの代名詞的作品。NHK「夢をあなたに」テーマ曲。レコードではザ・ピーナッツとの競作 / 1966年10月10日発売) 近鉄の歌(近畿日本鉄道3代目社歌。小原重徳とブルーコーツが演奏。永六輔と中村八大の「六・八コンビ」による作成 / 1966年発表) 素晴らしい明日(1967年11月10日発売) あんな娘がいいな(NHK「あなたのメロディー」発表作品 / 1969年11月20日発売) 花のメルヘン(オリジナル音源での冒頭の台詞は水原茂の孫が担当している / 1970年11月10日発売) 愛のメルヘン(フランシス・レイによる書き下ろし楽曲 / 1971年3月20日発売) 森の熊さん(NHK「みんなのうた」で取り上げられヒット / 1972年10月25日発売) 最上川舟唄(マンガさんによる東北弁のソロパートが売りだったが、彼の休業後は歌われなくなった) 雪山に消えたあいつ(1975年12月21日発売) 二十二歳まで(アルバム『父と娘』からの先行シングル / 1976年7月21日発売) 青葉城恋唄(さとう宗幸との競作 / 1978年6月1日発売) 絆(1981年頃発売。三井生命保険相互会社(現・大樹生命保険株式会社)のコマーシャルソング) 山に祈る(北アルプスでの遭難事件に取材し、清水脩に委嘱した男声合唱組曲) ガラスのうさぎ(児童文学作家・高木敏子の同名書籍をもとにした合唱組曲) サーブ愛の物語(盲導犬サーブの生涯をもとに構成した合唱組曲) グラスをのぞくフラミンゴ(千福のCMソング) 歌声が聞こえる(越路吹雪没後の岩谷時子再起第一作 / 1983年7月25日発売) 青春-Youth-(サミュエル・ウルマンの詩をもとになかにし礼が意訳詩をつけ、森田公一が曲をつけた / 1987年12月1日発売) 北の大地(JR北海道社歌 / 1988年8月21日発売) 夕陽(なかにし礼・小林亜星 委嘱作品、ダーク45周年記念曲) 旅立ちの日に WE LOVE ZAMA!(座間市民歌) もしも・ひろしまに(テレビ新広島旧OPCL曲、1980年代-2000年使用) ミユキの歌(日本テレビ『ミユキ野球教室』主題歌、作曲:山本直純) など。その他の古くからある日本の唱歌なども幅広く歌っており、レパートリーは数千曲に及ぶ。 2024/05/16 04:10更新
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takamizawa hiromu
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