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髙津臣吾の情報 (たかつしんご)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

髙津臣吾の情報(たかつしんご) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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髙津 臣吾さんについて調べます

■名前・氏名
髙津 臣吾
(読み:たかつ しんご)
■職業
野球選手
■髙津臣吾の誕生日・生年月日
1月25日
水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
広島出身

髙津臣吾と同じ1月25日生まれの有名人・芸能人

髙津臣吾と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


髙津臣吾と関係のある人

松元ユウイチ: 同年7月に新型コロナウイルス感染症により一軍監督の髙津臣吾が離脱した際には、一時的に監督代行を務めた。


髙津臣吾の情報まとめ

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髙津 臣吾(たかつ しんご)さんの誕生日は1月25日です。広島出身の野球選手のようです。

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卒業、テレビ、引退、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。

髙津臣吾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

高津 臣吾(たかつ しんご、1968年〈昭和43年〉11月25日 - )は、広島県広島市南区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者・評論家、タレント。第22代東京ヤクルトスワローズ監督。2022年以降の登録名は「髙津 臣吾」(読み同じ)。

NPB、MLB、KBO、CPBLと4つの国の野球リーグを経験した初の日本人選手。現役時代はサイドスローからの鋭いシンカーを武器に抑え投手として活躍し、ヤクルトの1990年代黄金期を支え4度の日本一に貢献した。岩瀬仁紀に次ぐNPB歴代2位の通算286セーブ、佐々木主浩に次いで日本人史上2人目となる日米通算300セーブ、最終的には岩瀬、佐々木に次ぐ日本人歴代3位となる日米通算313セーブを記録した。2022年に野球殿堂入り。

広島市立段原小学校へ入学前に比治山町の新築マンションへ転居する。当時は高い建物が少なく、部屋の窓から広島市民球場がよく見えた。幼少期から市民球場へ何度も通い、白地に赤いユニフォームでグラウンドで躍動する広島東洋カープの選手に憧れた。特にミスター赤ヘルこと山本浩二の大ファンであった。広島市内の歓楽街でフグ料理店を経営する叔母に頼んで江夏豊に対面する機会も得た。家の近くの公園で見た少年野球をきっかけに、小学校3年のときに地元の軟式野球チーム「段原レッドイーグルス」で野球を始めた。その後、張本勲らを輩出した広島市立段原中学校へ進学するが、当時の野球部は活動が盛んではなく、高校は自宅に近い広島工業高等学校へ進学する。

広島工業では県内では図抜けた存在だった上田俊治を見て、何か特徴が欲しいとスリークォーターからアンダースローにフォームを変える。1986年に控え投手兼一塁手として春夏連続で甲子園に出場。第58回選抜は準々決勝に進むが宇都宮南高のエース高村祐に抑えられ敗退。第68回全国選手権は3回戦で鈴木健のいた浦和学院に敗れた。本大会での登板はなく代打での出場にとどまるが、広島大会では4試合に登板して2完封、準決勝でも尾道東高に完投勝利し、甲子園出場に貢献している。

高校卒業後は小川成海監督に勧められ亜細亜大学に進学。同期に小池秀郎がおり、投の二本柱として活躍。東都大学野球リーグでは1990年に春秋季連続優勝を飾る。同年春の全日本大学野球選手権大会でも決勝で小池が完投し小坂勝仁投手擁する東北福祉大を2-1で降し優勝。同年秋の明治神宮野球大会では準決勝で、杉浦正則や3年生片岡篤史らを擁して優勝した同志社大に小池温存高津先発により3-4で惜敗した。リーグ通算40試合に登板し11勝15敗、防御率2.34、140奪三振。大学2年のとき、スピードをつけるため、アンダースローからサイドスローにフォームを修正する。このときシンカーを投げるようになった。他の大学同期に川尻哲郎がいる。

大学卒業後は広島東洋カープへの入団を希望したが、カープからは横手投げは獲らないといわれ獲得のオファーはなかった。社会人野球の三菱重工広島の内定を得ていたが、ヤクルトスワローズから小池秀郎の視察に来ていた片岡宏雄が、横手投げの面白い投手である高津に着目し、1990年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから3位指名で交渉権を獲得し契約金5500万円、年俸700万円(金額は推定)で入団。もしも論ではあるが、ヤクルトスワローズがドラフト会議で小池秀郎の交渉権を獲得できていた場合、高津臣吾を指名することはなかったと言われている。

入団当時は先発投手として期待されていた。持ち球はストレート、カーブ、スライダー、シュート、速めのシンカーで、制球は良かったが勝負球になるものがなく、目立たない投手だった。

大きな転機となったのは1992年の秋季キャンプで遅いシンカーを習得したことである。これはチームが西武ライオンズとの同年の日本シリーズで潮崎哲也の遅いシンカーに苦しめられたことを受け、当時の監督であった野村克也から「150キロの腕の振りで100キロの遅いシンカーを投げろ」と習得を命じられたためである。

1993年、5月2日の対読売ジャイアンツ戦では松井秀喜にプロ初本塁打を献上するも、チームのリードを守り切りプロ初セーブを記録。この年の夏頃から、昨オフより取り組んできた球速100 km/h台のシンカーを用いた投球術に結果が伴うようになった。当時の球団記録を塗り替える20セーブを挙げ、2年連続となるリーグ優勝に貢献。同年の西武ライオンズとの日本シリーズでは3セーブを挙げる活躍を見せ、第7戦では川崎憲次郎を8回からリリーフし胴上げ投手になった。

1994年、熾烈しれつなセーブ王争いに競り勝ちプロ入り初のタイトルとなる最優秀救援投手を獲得。

1995年、不動の抑えとして自身のセーブ記録を更新する28セーブを挙げリーグ優勝、日本一に貢献。日本シリーズでは2度目の胴上げ投手になった。

1996年、5月が終わるまでは1勝10セーブ防御率も1.65と安定感を誇っていたが、6月に初黒星を記録するとそこから不安定な投球が目立ち6月に2敗、8月に3敗とチームの不振に釣られる形で救援失敗が目立つ結果となり、21セーブは記録したが自己ワーストの6敗を記録した。7月21日に行われたオールスターゲーム第2戦では松井の代打として登場、相手投手のイチローに遊ゴロに打ち取られた。

1997年、シーズン序盤抑えとして結果を残せず、先発要員としても起用されるも先発でも2連敗と結果が出なかった。7月以降は中継ぎで徐々に安定感を取り戻し、高津にかわって抑えに定着していた伊藤智仁が故障明けで連投できないこともあり、左の加藤博人と共にセットアッパー兼抑えとして登板しチームのリーグ制覇・日本一に貢献(防御率は自己最高を更新)。日本シリーズでは3度目の胴上げ投手になった。この起用に関してはこのシリーズで伊藤の不調があったが、監督の野村克也からも「最後は伊藤より高津の方が似合う」の一言が高津の長年の信頼があることがわかる。

伊藤が先発投手に復帰した1998年は再び抑えを任されたが、42試合に登板したが2勝3敗3セーブ、防御率5.56と終始低調で序盤は伊藤が再び抑えに回ったり伊藤が先発に復帰するとベテランの廣田浩章が抑えを担当した。同年の左右打者別被打率は対右打者が.348、対左打者が.214で、三塁時には被打率1.000(2打数2被安打)、満塁時には被打率.545(11打数6被安打)と打ち込まれていた。選手別で見ると立浪和義(中日ドラゴンズ)・谷繁元信(横浜ベイスターズ)は3打数0被安打、進藤達哉(横浜)は4打数0被安打、江藤智(広島)は被打率.143(7打数1被安打)と抑え込んだ一方、金本知憲(広島)は.429(7打数3被安打)、和田豊(阪神タイガース)は2年連続被打率4割以上となる.500(7打数3被安打)、松井秀喜は.667(3打数2被安打)、レオ・ゴメス(中日)は.750(4打数3被安打)とそれぞれ苦手にしていた。チーム別防御率は優勝した横浜相手に2.53、最下位の阪神相手に2.35を記録し、5位の広島相手にも3.09としていたが、2位の中日には11.00、3位の巨人には11.37と大きく打ち込まれていた。同シーズン終了までに通算98セーブを記録していたが、江川卓は1999年の開幕前に高津について、ストレートの威力・球速がそれまでの全盛期に比べて低下したことでシンカーも打たれやすくなっており、これ以上抑えとして活躍することは厳しいだろうと評し、今後は先発でもう一花咲かせるためにカーブのコントロールを磨くべきだろうとも評していた。

若松勉新監督が就任した1999年は首脳陣から「登板間隔をあけた方が負担がかからないから」と先発転向を打診されたが、「自分は抑えにプライドを持っているから」と拒否し、希望通り抑えで起用される。結果、自身のセーブ記録を更新するシーズン初の30セーブを挙げ、2度目の最優秀救援投手のタイトルを獲得。

2001年、自己最高の37セーブを挙げ3度目の最優秀救援投手を獲得、チームのリーグ優勝および日本一に大きく貢献。日本シリーズでは4度目の胴上げ投手になった。日本シリーズでは自身の持つ日本シリーズの通算セーブ記録を8に更新して連続無失点も継続した。これが高津にとっての現役での最後の日本シリーズ登板となり無失点のまま現役を終えている。

2003年、佐々木主浩の持つ通算229セーブのプロ野球記録を更新。3年連続となる最優秀救援投手を獲得し、オフにはFA権を行使。

2003年11月にジョー・アーボンを代理人とし、シカゴ・ホワイトソックスと年俸75万ドルの1年契約(2年目は球団オプション)を結ぶ。

2004年4月9日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初登板を果たし、最初の打者として松井秀喜と対戦。5月1日のトロント・ブルージェイズ戦でメジャー初勝利、6月12日のアトランタ・ブレーブス戦でメジャー初セーブを挙げる。その後はビリー・コッチに代わりクローザーを務める。4月23日のタンパベイ・デビルレイズ戦から6月29日のミネソタ・ツインズ戦まで24試合連続無失点を記録し、地元メディアから「ミスターゼロ」という名誉あるニックネームを貰った。監督のオジー・ギーエンは「マリアノ・リベラでも連れてこない限り、シンゴは我々にとって最高のクローザーだ」とコメント。9月にはESPNの選出した「お買い得だったFA選手ベスト10」では大塚晶則に次いで7位にランクイン。最終的にリリーフ投手中リーグ3位のWHIP0.98と同8位の防御率2.31を記録する投球で19セーブを記録。20度のセーブ機会で失敗したのは1度だけであった。10月28日には球団がオプションを行使し年俸250万ドルの1年契約を結んだ。

2005年も開幕から抑えとして起用されるも、4月7日の対クリーブランド・インディアンス戦で1イニング3本塁打を打たれるなど序盤から救援失敗が続いた。特に5月までの14.1回で7被本塁打を喫し、6月は防御率0.96、WHIP0.75と復調したものの、7月には防御率12.60、WHIP2.20と再び打ち込まれ、18日にDFAとなり、8月1日にFAとなった。

2005年8月12日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。9月1日にメジャー昇格を果たすも、オフにFAとなり退団。同シーズンのホワイトソックスがワールドシリーズを優勝したため、チャンピオンリングを手に入れた。

2006年、盟友の古田敦也が選手兼任監督に就任したこともあり、春季キャンプでの入団テストを経て3年ぶりにヤクルトに復帰。シーズン当初は中継ぎを任されたが、石井弘寿、五十嵐亮太の故障離脱を受け、夏場からは慣れ親しんだ抑え投手の座に返り咲いた。10月7日の対広島東洋カープ戦(明治神宮野球場)では10試合連続連続セーブを記録するとともに、日米通算300セーブを達成。日米通算300セーブを達成した日本人選手は佐々木主浩に次いで史上2人目である。最終的にチーム最多の13セーブを挙げた。

2007年は前年同様抑え投手を任され、開幕から3試合連続セーブを記録する好スタートを切ったが、6月30日の対中日ドラゴンズ戦(こまちスタジアム)の登板後に宿舎のホテルで入浴中に足を滑らせて転倒し、左足親指を剥離骨折(全治3週間)し戦線を離脱した。夏場には救援失敗を繰り返し、8月半ばから再び二軍に降格。約1か月後に一軍へ復帰し抑えに復帰するも、登板数は大きく減り、セーブ数は前年と同じ13ながら、防御率6点台、5敗を喫するなど精彩を欠いたシーズンとなった。最終戦翌日の10月10日に突如戦力外通告を受けた。直後の取材で「急だったので驚いたと同時にショックを受けた」「チームメイトやスワローズファンへあいさつをする場所がないのが何よりも残念」とコメントしているように、球団フロントからの事前通告や話し合いの機会が一切なく、ファンに別れの挨拶をする機会も与えられなかったために批判が殺到し、鈴木球団社長がヤクルトファンに宛てた謝罪文を球団の公式ホームページ上で掲載する事態にまで発展した。本人は現役続行の意向を表明していたものの、12球団合同トライアウト(同年オフに2回実施)については「自分にもプライドがあるし、考えていない」と参加を否定し、不参加で連絡を待ったが獲得する球団はなく、11月30日付で自由契約公示された。

2008年1月18日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加。しかし、オープン戦で登板した5試合で4回1/3を投げて防御率9.64と結果を残せなかった。3月11日に戦力外通告を受けたが、現役続行を表明。16日に古巣のシカゴ・ホワイトソックス監督のオジー・ギーエンから勧められて入団テストを受けるも不合格となった。

2008年6月13日に、不振により退団したジェイソン・スコービー(英語版)の代役として、KBOのウリ・ヒーローズと契約金6万ドル、年俸12万ドルで契約。KBOでは4人目の日本人選手となった。6月24日に初登板、6月29日には1回2/3を無失点に抑え初セーブを挙げた。最終的に18試合に登板し1勝0敗8セーブ、防御率0.86だったが、12月17日に、ダグ・クラーク(英語版)を獲得する球団方針のため退団。

2009年5月、ロサンゼルス郊外でメジャー球団のスカウトが見守る中でトライアウトを受験し、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。40歳7か月は日本人最高齢での契約となった。7月にAAA級フレズノ・グリズリーズに合流した。

2010年1月4日にCPBLの興農ブルズと契約。背番号もヤクルト時代と同じ22。6月12日に球界トップの13セーブ目を挙げ、所属の興農ブルズが前期優勝を決め、胴上げ投手になる。11月26日、興農ブルズから契約打ち切りを告げられたことを発表。

2011年1月24日に新潟アルビレックスBCへの入団が発表される。名球会会員が独立リーグでプレーするのは史上初。また、4月より並行してフジテレビ系列『すぽると!』の毎週火曜のレギュラー野球解説者も務めることとなった(シーズン開幕後は試合日程に差支えがない範囲での出演)。BCリーグ1年目となる2011年のシーズンは4月16日の開幕戦から登板し、最終的に27試合に登板し、0勝2敗16セーブ防御率2.16でセーブ数はリーグトップであった。

2012年より新潟の選手兼任監督に就任。8月31日、同年限りでの現役引退を表明。9月22日の長岡市悠久山野球場の新潟対信濃戦が引退試合となり、9回二死から登板し原大輝をレフトフライに打ち取った。試合後には「終球式」が行われ、ヤクルト時代にバッテリーを組んだ古田敦也に対して「最後の1球」を投じている。監督としてはBCリーグ初優勝、四国アイランドリーグplus王者の香川とのグランドチャンピオンシップは3連勝し制した。同年限りで監督を退任。背番号22は、新潟の永久欠番に制定された。

2013年より、フジテレビ『すぽると!』に加え、ニッポン放送『ショウアップナイター』・J SPORTSの野球解説者、スポーツニッポンの野球評論家も務めることとなった。 2014年シーズンより一軍投手コーチとして東京ヤクルトスワローズに復帰することが発表された。2015年は投手陣が安定し、救援防御率リーグ1位を記録、リーグ優勝に貢献した。

2017年からは二軍監督に就任。

2020年から同チームの一軍監督を務めることが発表された。大リーグ経験のある日本人選手の一軍監督就任は井口資仁以来2人目、日本の独立リーグの監督経験者がNPB監督に就任するのは史上初であり、ヤクルトとしては関根潤三以来31年ぶりの投手出身の監督である。就任1年目は投打ともに振るわず最下位に終わるも、先発ローテーションの間隔を大きく開けるなど新しい試みを行った2021年は、6年ぶりの優勝を成し遂げ球団史上初の投手出身優勝監督となった。CSファイナルステージも3位巨人相手に2試合連続完封勝利、3戦目も同点に追いつかれるも逆転は許さず、規定により6年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。日本シリーズではオリックス・バファローズ相手に僅差の戦いを制し、4勝2敗の成績で球団の20年ぶり6度目となる日本一を達成した。これにより、胴上げ投手となった選手が同じ球団で監督として日本一になった初の事例となった。2022年1月14日、プレイヤー部門で野球殿堂入りを果たす。KBOやCPBL、BCリーグでプレー経験のある選手の表彰は彼が初めて。広島県出身者の殿堂入りは高津で16人目で、東京都の23人に次ぐ全国2位。

2022年から、登録名を「高」を異体字とした「髙津 臣吾」に変更した。6月14日、2年間の監督契約延長が発表された。同シーズンにリーグ2連覇を達成。また、チームの村上宗隆が日本出身選手としてシーズン最多となる56本塁打を記録し、令和初、史上最年少の三冠王を確定させた際には「漫画にも描けないようなこと」と称賛した。

グラウンド内でのクールな立ち振る舞いとは裏腹に、グラウンド外では陽気なキャラクターの持ち主である。現役時代は毎年の春季キャンプにて、アフロヘアのカツラを被り、クリスタルキングのムッシュ吉崎の物真似で「大都会」を熱唱するという持ちネタを、フジテレビ系の『プロ野球ニュース』や『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』などに向けて披露していた。1993年には珍プレー大賞を受賞している。また、2020年の一軍監督就任後には、試合で上田剛史が登場曲で「大都会」を使用した打席で三振に倒れた際にベンチで「『大都会』流したのに三振ですか」と声をかけたといったエピソードもある。

長男もかつて新潟明訓高等学校、武蔵大学でサイドスローの投手としてプレーしていた。

2022年から、苗字を従来の「高津」から「髙津」に変更した。

達筆で、ヤクルトの監督としてファンや選手に宛てたメッセージなどを、球団公式ツイッターが写真撮影して公開している。習字の経験はない。

各年度の太字はリーグ最高

最優秀救援投手:4回(1994年、1999年、2001年、2003年)

月間MVP:2回(投手部門:2000年5月、2001年8月)

日本シリーズ優秀選手賞:2回(1993年、1995年)

セ・リーグ 連盟特別表彰:3回(会長特別賞:2003年、最優秀監督賞:2021年・2022年)

正力松太郎賞:1回(2021年)

ファイアマン賞:3回(1994年、1999年、2001年)

JA全農Go・Go賞:1回(救援賞:1995年7月)

Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(英語版)(クローザー部門:2004年)

初登板:1991年4月24日、対横浜大洋ホエールズ5回戦(横浜スタジアム)、5回裏一死に4番手として救援登板、1回2/3を2失点

初奪三振:1991年5月2日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に宇野勝から

初先発登板・初完投・初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1991年9月12日、対横浜大洋ホエールズ26回戦(明治神宮野球場)、9回2失点

初セーブ:1993年5月2日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、6回裏一死に2番手として救援登板・完了、3回2/3を2失点

100セーブ:1999年4月17日、対阪神タイガース2回戦(福岡ドーム)、9回表に3番手として救援登板・完了、1回無失点 ※史上10人目

150セーブ:2000年9月6日、対阪神タイガース20回戦(明治神宮野球場)、9回表に3番手として救援登板・完了、1回無失点 ※史上3人目

200セーブ:2002年4月28日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に4番手として救援登板・完了、1回無失点 ※史上2人目

500試合登板:2003年6月20日、対横浜ベイスターズ12回戦(明治神宮野球場)、9回表に3番手として救援登板・完了、1回無失点でセーブ投手 ※史上71人目(同時に通算270セーブポイントのNPB記録を達成)

250セーブ:2003年8月16日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に5番手として救援登板・完了、1回無失点 ※史上初

日本シリーズ通算セーブ:8 ※歴代1位

オールスターゲーム出場:6回(1994年、1996年、1999年、2000年、2003年、2007年)

初登板:2004年4月9日、対ニューヨーク・ヤンキース戦(ヤンキー・スタジアム)、9回裏に2番手として救援登板・完了、1回2失点

初奪三振:同上、デレク・ジーターから

初勝利:2004年5月1日、対トロント・ブルージェイズ戦(USセルラー・フィールド)、10回表に4番手として救援登板・完了、1回無失点

初セーブ:2004年6月12日、対アトランタ・ブレーブス戦(USセルラー・フィールド)、9回表に4番手として救援登板・完了、1回無失点

300セーブ:2006年10月7日、対広島東洋カープ20回戦(明治神宮野球場)、9回表に3番手として救援登板・完了、1回無失点 ※史上2人目

太字はリーグ最高

22(1990年 - 2003年、2007年、2010年 - 2012年、2020年 - )※オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの永久欠番(2012年9月22日制定)

10(2004年 - 2005年)

11(2006年)

33(2008年)

99(2014年 - 2019年)

2024年度シーズン終了時

勝敗の太字は勝利したシリーズ

高津 臣吾(たかつ しんご、1991年 - 2003年、2006年 - 2007年、2011年 - 2012年、2014年 - 2021年)

髙津 臣吾(たかつ しんご、2022年 - )

『ナンバー2の男』(ぴあ、2004年4月) ISBN 978-4835609300

『高津臣吾 必殺シンカー 変幻自在の投球術』(ベースボール・マガジン社、2012年11月) ISBN 978-4583104126

『二軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』(光文社新書、2018年11月) ISBN 978-4-334-04383-4

『一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい』(光文社新書、2022年4月)ISBN 978-4334046040

^ 明大から中国放送に入社。

^ 野村監督からはストレートのサインのみが出されていて、捕手の古田も疑問に思い監督に抗議のジェスチャーをした。後に松井の実力を知るためあえて本塁打を献上したこと・高津のストレートがどの程度かを身をもって教えるためのサインだったとされている。

^ この年は初のシーズン優勝時の胴上げ投手にもなっている。1993年、1995年、1997年のシーズン優勝決定時には、いずれも当該試合の先発投手が完投して胴上げ投手となっている。

^ 結果は右翼線への二塁打。

^ 通算セーブ(セーブポイント)NPB新記録達成を称えて

^ 「新・家の履歴書 高津臣吾」『週刊文春』、文藝春秋、2011年3月3日、96-99頁。 

^ 「高校時代は控え投手も…日本人初の4つの野球リーグを経験した通算313セーブの守護神は」『週刊ベースボールONLINE』。2022年7月3日閲覧。

^ 「新潟アルビレックス投手・高津臣吾」『朝日新聞デジタル』。2022年7月3日閲覧。

^ 「歴代最高記録 セーブ 【通算記録】」『NPB.jp 日本野球機構』。2011年6月29日閲覧。

^ 「山本昌氏 野球殿堂入り 星野氏、アイク氏に捧ぐ栄誉「たくさんの人に支えられた」」『デイリースポーツ online』株式会社デイリースポーツ、2022年1月15日。2023年1月24日閲覧。

^ 「高津臣吾超ロングインタビュー」『野球小僧』、白夜書房、2011年2月、17-36頁。 

^ 「高津臣吾氏「野村監督の難しい、素晴らしい野球をなんとか…」 野球殿堂入りスピーチ全文」『サンケイスポーツ』産業経済新聞社、2022年1月14日。2022年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月17日閲覧。

^ 「張本勲氏とヤクルト高津監督は中学の先輩後輩だった 日本一を祝福」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2021年12月12日。2021年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月17日閲覧。

^ 「速報!マツダスタジアムそば段原の町と比治山も祝福…高津臣吾氏が野球殿堂入り、黒田博樹氏は届かず」『ひろスポ!』スポーツコミュニケーションズ・ウェスト、2022年1月14日。2022年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月17日閲覧。

^ 「ヤクルト支えた名スカウト・片岡宏雄さん死去 89年ドラフト、ノムさんの反対を押し切って「メガネの」古田敦也を2位で獲得」『サンケイスポーツ』2021年12月13日。2021年12月22日閲覧。

^ 「「だから“プロ野球志望届”は必要ない」 元MLBスカウトがドラフト制度の問題点を指摘」『AMEBA TIMES』2018年10月15日。2021年10月12日閲覧。

^ 『朝日新聞』1990年12月6日付朝刊 (14版、23面)

^ 【12月5日】1990年(平2) “小池騒動”であいさつは後回しに 高津臣吾、即決入団 - ウェイバックマシン(2019年3月22日アーカイブ分)

^ 「「あれほどの大投手になるとは…」八重樫幸雄が見た高津臣吾の試行錯誤と勝負師の顔」『web Sportiva』2021年5月13日。2021年8月15日閲覧。

^ 「ヤクルト・高津臣吾監督が野村監督に与えられた“転機”「シンカー投げられないか?」」『FNNプライムオンライン』2021年5月8日。2021年9月21日閲覧。

^ 「30歳高津臣吾(ヤクルト)は迷っていた「オレ、このままでいいのかな」右ヒジ痛、伊藤智仁との激戦…“2番手の男”がメジャー挑戦するまで(中溝康隆)」『Number Web』2021年12月25日。2022年7月3日閲覧。

^ 「ヤクルト・高津臣吾監督「改革は会話から」」『NHKスポーツ』2019年11月28日。2021年11月13日閲覧。

^ 松井秀喜さんが始球式 5月3日の巨人―ヤクルト戦

^ 「「150キロの腕の振りで、100キロのシンカーを投げられないか?」野村克也の“無茶振り”が高津臣吾を守護神へと変貌させた(長谷川晶一)」『Number Web』2021年11月16日。2022年10月10日閲覧。

^ 「イチローvs松井を拒んだノムさんの哲学。「オールスターは格式ある真剣勝負の場」 - 二宮清純コラム」『J:COMプロ野球中継』2020年5月15日。2024年8月14日閲覧。

^ ベースボール・レコード・ブック1998(ベースボール・マガジン社 1997年12月)

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^ Baseball Digest Rookie All-Star Teams BR Bullpen 2015年9月16日閲覧。

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    個人年度別成績 高津臣吾 - NPB.jp 日本野球機構

    選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

    Shingo Takatsu stats MiLB.com (英語)

    選手の各国通算成績 KBO、CPBL

    髙津 臣吾 - 東京ヤクルトスワローズ

    選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

    高津臣吾 プロフィール - 吉本興業株式会社

    22 髙津臣吾

    73 嶋基宏(ヘッド兼バッテリー)

    89 伊藤智仁(投手)

    98 石井弘寿(投手)

    78 大松尚逸(打撃チーフ)

    74 杉村繁(打撃)

    87 福川将和(打撃)

    75 森岡良介(内野守備走塁)

    82 松元ユウイチ(外野守備走塁兼作戦)

    88 池山隆寛(監督)

    79 城石憲之(総合)

    72 小野寺力(投手)

    81 正田樹(投手)

    84 松岡健一(投手)

    76 宮出隆自(打撃)

    70 河田雄祐(外野守備走塁)

    83 衣川篤史(バッテリー)

    95 土橋勝征(内野守備走塁兼育成担当)

    92 山本哲哉(投手兼育成担当)

    12 石山泰稚

    14 西舘昂汰

    15 山下輝

    16 原樹理

    17 清水昇

    18 奥川恭伸

    19 石川雅規

    20 木澤尚文

    21 吉村貢司郎

    24 星知弥

    26 山野太一

    28 松本健吾

    29 小川泰弘

    34 田口麗斗

    35 石原勇輝

    37 ロドリゲス

    40 高梨裕稔

    41 柴田大地

    43 山本大貴

    44 大西広樹

    45 小澤怜史

    47 高橋奎二

    48 金久保優斗

    49 嘉弥真新也

    52 尾仲祐哉

    53 長谷川宙輝

    56 坂本拓己

    58 阪口皓亮

    61 宮川哲

    62 竹山日向

    68 丸山翔大

    69 今野龍太

    27 中村悠平

    30 西田明央

    32 松本直樹

    33 内山壮真

    57 古賀優大

    65 鈴木叶

    90 中川拓真

    93 橋本星哉

    00 赤羽由紘

    1 山田哲人

    5 川端慎吾

    7 長岡秀樹

    10 宮本丈

    13 オスナ

    36 西村瑠伊斗

    38 北村拓己

    46 太田賢吾

    50 北村恵吾

    55 村上宗隆

    59 小森航大郎

    60 武岡龍世

    63 増田珠

    66 三ツ俣大樹

    67 伊藤琉偉

    0 並木秀尊

    3 西川遥輝

    4 丸山和郁

    9 塩見泰隆

    23 青木宣親

    25 サンタナ

    31 山崎晃大朗

    42 澤井廉

    51 濱田太貴

    64 岩田幸宏

    016 西濱勇星

    017 翔聖

    026 髙野颯太

    60 ヴィクトル・スタルヒン

    62 池田豊

    63 中島治康

    64 若林忠志

    65 川上哲治、鶴岡一人

    69 苅田久徳

    70 天知俊一、二出川延明

    72 石本秀一

    74 藤本定義、藤村富美男

    76 中上英雄

    77 水原茂、西沢道夫

    78 松木謙治郎、浜崎真二

    79 別所毅彦

    80 大下弘、小鶴誠

    81 飯田徳治、岩本義行

    83 三原脩

    85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

    88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

    89 島秀之助、野村克也、野口二郎

    90 真田重蔵、張本勲

    91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

    92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

    93 稲尾和久、村山実

    94 王貞治、与那嶺要

    95 杉浦忠、石井藤吉郎

    96 藤田元司、衣笠祥雄

    97 大杉勝男

    99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

    00 米田哲也

    01 根本陸夫、小山正明

    02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

    03 上田利治、関根潤三

    04 仰木彬

    05 村田兆治、森祇晶

    06 門田博光、高木守道、山田久志

    07 梶本隆夫

    08 山本浩二、堀内恒夫

    09 若松勉

    10 東尾修

    11 落合博満

    12 北別府学、津田恒実

    13 大野豊

    14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

    15 古田敦也

    16 斎藤雅樹、工藤公康

    17 伊東勤

    18 松井秀喜、金本知憲

    19 立浪和義

    22 髙津臣吾、山本昌

    23 アレックス・ラミレス

    24 谷繁元信、黒田博樹

    09 青田昇

    10 江藤慎一

    11 皆川睦雄

    13 外木場義郎

    16 榎本喜八

    17 星野仙一、平松政次

    18 原辰徳

    19 権藤博

    20 田淵幸一

    23 ランディ・バース

    59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

    60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

    62 市岡忠男

    64 宮原清

    65 井上登、宮武三郎、景浦將

    66 守山恒太郎

    67 腰本寿

    68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

    69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

    70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

    71 小西得郎、水野利八

    72 中野武二、太田茂

    73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

    74 野田誠三

    76 小泉信三

    77 森茂雄、西村幸生

    78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

    79 平沼亮三、谷口五郎

    80 千葉茂

    81 佐伯達夫、小川正太郎

    82 鈴木龍二、外岡茂十郎

    83 内村祐之

    84 桐原眞二

    85 田中勝雄、山内以九士

    86 中河美芳、松方正雄

    87 藤田信男、山下実

    88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

    89 池田恒雄、伊達正男

    90 佐伯勇

    91 中澤良夫

    92 吉田正男

    94 廣岡知男

    95 呉昌征、村上實

    96 牧野直隆、保坂誠

    97 山本英一郎

    98 中尾碩志、井口新次郎

    99 吉國一郎

    00 福島慎太郎

    01 武田孟、長谷川良平

    02 中澤不二雄、生原昭宏

    03 松田耕平

    04 秋山登

    05 志村正順

    06 川島廣守、豊田泰光

    07 松永怜一

    08 嶋清一

    09 大社義規、君島一郎

    10 古田昌幸

    12 長船騏郎、大本修

    13 福嶋一雄

    14 相田暢一

    15 林和男、村山龍平

    16 松本瀧藏、山中正竹

    17 郷司裕、鈴木美嶺

    18 瀧正男

    19 脇村春夫

    20 前田祐吉、石井連藏

    21 川島勝司、佐山和夫

    22 松前重義

    23 古関裕而

    24 谷村友一

    02 フランク・オドール、正岡子規

    03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

    金田正一

    稲尾和久

    小山正明

    米田哲也

    梶本隆夫

    皆川睦雄

    村山実

    鈴木啓示

    堀内恒夫

    山田久志

    江夏豊

    平松政次

    東尾修

    村田兆治

    北別府学

    佐々木主浩

    高津臣吾

    工藤公康

    野茂英雄

    山本昌広

    岩瀬仁紀

    黒田博樹

    上原浩治

    藤川球児

    平野佳寿

    山内一弘

    榎本喜八

    野村克也

    長嶋茂雄

    広瀬叔功

    張本勲

    王貞治

    江藤慎一

    土井正博

    高木守道

    松原誠

    柴田勲

    大杉勝男

    藤田平

    衣笠祥雄

    福本豊

    山崎裕之

    山本浩二

    有藤通世

    若松勉

    谷沢健一

    加藤秀司

    門田博光

    大島康徳

    新井宏昌

    秋山幸二

    駒田徳広

    立浪和義

    鈴木一朗(イチロー)

    清原和博

    古田敦也

    野村謙二郎

    石井琢朗

    松井秀喜

    田中幸雄

    前田智徳

    金本知憲

    松井稼頭央

    小笠原道大

    稲葉篤紀

    宮本慎也

    小久保裕紀

    アレックス・ラミレス

    中村紀洋

    谷繁元信

    井口資仁

    和田一浩

    新井貴浩

    福留孝介

    荒木雅博

    青木宣親

    阿部慎之助

    鳥谷敬

    内川聖一

    福浦和也

    坂本勇人

    栗山巧

    大島洋平

    1957 豊田泰光

    1958 中西太

    1959 杉山光平

    1960 近藤和彦

    1961 塩原明

    1962 岩下光一

    1963 王貞治

    1964 K.ハドリ

    1965 林俊彦

    1966 長嶋茂雄

    1967 D.スペンサー

    1968 柴田勲

    1969 足立光宏

    1970 黒江透修

    1971 黒江透修

    1972 長嶋茂雄

    1973 高田繁

    1974 山崎裕之

    1975 中沢伸二, 外木場義郎

    1976 B.ウイリアムス

    1977 福本豊

    1978 若松勉

    1979 水谷実雄

    1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰

    1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正

    1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義

    1983 田淵幸一, テリー, 中畑清

    1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊

    1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二

    1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実

    1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己

    1988 清原和博, 森山良二, 郭源治

    1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

    1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤

    1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎

    1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也

    1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也

    1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦

    1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾

    1996 大島公一, 鈴木平, イチロー

    1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛

    1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広

    1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

    2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成

    2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満

    2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之

    2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎

    2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信

    2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁

    2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲

    2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博

    2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

    2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

    2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平

    2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩

    2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー

    2013 田中将大, 銀次, 内海哲也

    2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太

    2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太

    2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔

    2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大

    2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃

    2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩

    2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐

    2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎

    2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆

    2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸

    2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ

    1974 星野仙一

    1975 鈴木孝政

    1976 鈴木孝政

    1977 鈴木孝政

    1978 新浦寿夫

    1979 江夏豊

    1980 江夏豊

    1981 角三男

    1982 山本和行

    1983 斉藤明夫

    1984 山本和行

    1985 中西清起

    1986 斉藤明夫

    1987 郭源治

    1988 郭源治

    1989 津田恒実

    1990 与田剛

    1991 大野豊

    1992 佐々木主浩

    1993 石毛博史

    1994 高津臣吾

    1995 佐々木主浩

    1996 佐々木主浩

    1997 佐々木主浩

    1998 佐々木主浩

    1999 高津臣吾

    2000 E.ギャラード

    2001 高津臣吾

    2002 E.ギャラード

    2003 高津臣吾

    2004 五十嵐亮太

    2005 岩瀬仁紀

    2006 岩瀬仁紀

    2007 藤川球児

    2008 M.クルーン

    2009 岩瀬仁紀

    2010 岩瀬仁紀

    2011 藤川球児

    2012 岩瀬仁紀, T.バーネット

    2013 西村健太朗

    2014 呉昇桓

    2015 T.バーネット, 呉昇桓

    2016 澤村拓一

    2017 R.ドリス

    2018 山﨑康晃

    2019 山﨑康晃

    2020 R.スアレス

    2021 R.スアレス

    2022 R.マルティネス

    2023 岩崎優

    2024 R.マルティネス

    1950 小西得郎

    1951 水原茂

    1952 水原茂

    1953 水原茂

    1954 天知俊一

    1955 水原円裕

    1956 水原円裕

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    1965 川上哲治

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2024/11/17 03:28更新

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