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「キャンディーズ(Candies) 」とは

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キャンディーズ

キャンディーズ(Candies)は、1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループ・コメディエンヌである。所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫のプロデュースによるものであった。

伊藤蘭(愛称はラン、1955年(昭和30年)1月13日(69歳) - )立ち位置は真ん中、メンバーカラーは赤。

藤村美樹(愛称はミキ、1956年(昭和31年)1月15日(68歳) - )立ち位置は左、メンバーカラーは黄。

田中好子(愛称はスー、1956年(昭和31年)4月8日 - 2011年(平成23年)4月21日(55歳没)立ち位置は右、メンバーカラーは青。

キャンディーズのメンバーは、3人とも東京音楽学院のスクールメイツ出身。最終選抜で3人が選ばれたが、当時のスクールメイツには3人以外に太田裕美やザ・ヴィーナスのボーカルであったコニーがいた。

1972年(昭和47年)4月に、NHKの新番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールとして3人揃って抜擢され、番組プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」を意味して「キャンディーズ」と名付けられた。

3人ともスクールメイツの中でも特に目立つ存在ではなく、『歌謡グランドショー』でもマスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)にすぎず、歌手デビューの予定はなかった。しかし、『歌謡グランドショー』に出てしばらくたったころ、東京音楽学院をたまたま訪れた松崎澄夫が、教室に入ってきたキャンディーズの3人を見て「かわいい子がいる」と目を留めた。松崎が担当者にレコードデビューの有無を聞くと、「まだです」との返事があったので、松崎はそのままキャンディーズの歌手デビューを決定した。メンバーの愛称は親しみやすく呼びやすいカタカナ表記で「ラン」「スー」「ミキ」とした。

1973年(昭和48年)9月1日に「あなたに夢中」で歌手デビュー。レコードデビュー前から人気バラエティ番組『8時だョ!全員集合』にもレギュラー出演しておりグループ名は知られていたが、楽曲に関してはしばらくはヒットに恵まれなかった。デビュー当時のメインボーカルは、3人の内で最年少ながら最も歌唱力が高かったスーが起用されていた。

当時のマネージャーである諸岡義明は、キャンディーズをスターダムに押し上げるためにはどのようなアプローチをしたらよいか試行錯誤し、ファン層にも着目した。メンバー3人のなかで、ランのファンは、スー、ミキのファンよりも男性の比率が高く、年齢も幅広いことに気づいた。少し色っぽい憧れのお姉さん的な雰囲気をランは醸しており、それが男子学生らを中心に支持を得ていることを確信した諸岡は、1975年(昭和50年)に5枚目のシングル「年下の男の子」をリリースするにあたり、ランをセンターに据えてメインボーカルを取らせる決断をする。この予見は見事に当たり、同曲はオリコンにおいて9位を獲得、念願だった初のベストテン入りを果たす。この大ヒットが起爆剤となり、キャンディーズのファンクラブ会員数は激増した。とりわけ大学生の熱心なファンが堂々とファンであることを公言し、親衛隊を名乗り結成する者たちもいた(のちに「全国キャンディーズ連盟に加入したファンも多くいる)。

翌1976年(昭和51年)発売の「春一番」は、オリコンで当時最高の週間3位を獲得。その後1977年(昭和52年)にも「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」など、シングル曲が立て続けにヒットする。それ以降のシングルでは、ミキがセンターでメインボーカルを務めた「わな」以外、全てランがセンターポジションであった。人気歌手グループとなってからも、『8時だョ!全員集合』や『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』などのバラエティ番組への出演は続け、以前と変わらずにコントもこなす親しみやすさで、幅広い人気を獲得した。3人のスタイルの良さも注目され、髪型やメイクを真似る女性ファンも多かった。特にランのヘアスタイルは「蘭ちゃんカット」と呼ばれ、支持された。

キャンディーズのデビューから3年、1976年のデビュー直後から社会現象的に爆発的な人気を博したピンク・レディーとは、同じ女性アイドルグループとして比較されることが多かった。それゆえ、一部では両者をライバルとして見る向きもあったが、当人たちはライバルというより同じ時代を生きる戦友のようなイメージをもっていたようで、スーとピンク・レディーのケイこと増田惠子はとても仲がよかった。セールスの勢いは7枚連続1位、5枚連続ミリオンセラーなどで、怪物とまで呼ばれたピンク・レディーには及ばなかったものの、大手プロダクション所属の強みもあって、バラエティーへの対応力など、活動の柔軟性、多彩さではリード、中高生や大学生を中心とするファン層の熱心さもあって、両グループは対照的なかたちで70年代末のアイドルシーンを牽引した。

1977年の夏、人気絶頂となりつつあったキャンディーズは、突如解散を発表する。同年7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、ランが大勢の観客に向かって「皆さん、今日は本当に、どうもありがとう」と感謝を述べた後、ミキ、スーと寄り添いつつ号泣した。3人は涙を流し続けながら、ランが「私たち、皆さんに、謝らなければならないことがあります」、ミキが「ごめんなさい」、スーが「許してください」と、それぞれファンに対して謝罪する。それから「私たち、9月で解散します」と突然の解散を宣言。その時に、ランが泣き叫びながら発言した「普通の女の子に戻りたい!!」は非常に有名になり、当時の流行語にもなっている。

翌日の7月18日午後、キャンディーズは銀座メイツにおいて緊急記者会見を行い、また同日夜にはフジテレビ系列『夜のヒットスタジオ』へ生出演の際、改めて陳謝する。当初3人は、2か月後の同年9月末限りで解散する意思を固めていたものの、事前に渡辺プロの正式な了承を得ずに発表したこともあり、渡辺プロからの説得と話し合いの末、解散はその後約半年間先送りされることになった。

上記の「普通の女の子に戻りたい」発言を含めて、当時の人気アイドルがほぼ独断で解散を口にしたことは世間に衝撃を与えた。この電撃的な解散発表からキャンディーズの人気は沸騰し、ラストシングルの「微笑がえし」では、最初で最後のオリコン1位を獲得する。それまでのシングルが1位を獲得したことがなかったため、ファンをはじめ関係者が解散までには1位を獲得させたいとする支援の後押しがあった(後述)。キャンディーズは解散によって、さらに人気を盛り上げたといえる。また、キャンディーズのバックバンド・MMPでギタリストを務めた西慎嗣は、次のように回想している。「キャンディーズのコンサートは、解散宣言後から雰囲気が大きく変わったのを感じました。1978年3月18日の福岡のステージを皮切りに全国を縦断した『ありがとうカーニバル』では、幕が開いた瞬間から“解散当日に向けて彼女たちを最高の状態で送り出す”というファンの熱意が伝わってきました」。

1978年(昭和53年)4月4日、後楽園球場に当時空前であった5万5千人を集め、マスコミが「歌謡界史上最大のショー」と呼び、日本でも『ザ・ピーナッツ さよなら公演』以来2例目となるお別れコンサート(『ファイナルカーニバル』)が行われ、4年半の活動に終止符を打った。センター寄りの観客席からはセカンドベース後方に設置された舞台の様子が見えず、26インチほどの街頭テレビが幾台か設置され、観客はそれを見つつ公演を堪能した。なお、このキャンディーズによる後楽園球場でのコンサートは、女性歌手(グループ)初のスタジアムコンサートとなった。

この模様は収録され、3日後の4月7日にTBSテレビ系列により全国に録画でテレビ放送され、平均視聴率32.3%(関東地区)という、単独アーティストによる音楽番組としては歴代1位の高視聴率を獲得している。コンサートの最後に歌われた「つばさ」の曲中にあるセリフパートの最後で3人が叫んだ「本当に、私たちは、幸せでした!!」の口上も有名。この曲は先に解散を知った全国キャンディーズ連盟の有志が作った「3つのキャンディー」という歌への返歌としてランが作詞したものである。歌う前にランが「やはりこの歌を歌いたい」と言ったのはそのためである。

なお、解散直後もTBSテレビ『ザ・ベストテン』内では「微笑がえし」が引き続きランクインしたため、慰労会を兼ねたスタッフとの日本国外でのバカンス中に、電話ではあるがテレビ出演をしたことがある。

解散後は一度も再結成を行わなかった。ただし、プライベートではときどき3人で集まっていたという。

ランは、1980年(昭和55年)に芸能界へ復帰。俳優・歌手の水谷豊と1989年(平成元年)に結婚し、1児の母となる(なお、実娘で女優の趣里は2人の長女である)。復活後は主に女優として活動。さらに2019年(令和元年)にはアルバム『My Bouquet』をリリースし、キャンディーズ解散以来41年を経てソロ歌手としてデビュー。以降シングル曲、アルバム、DVDなどを発売し、ソロコンサートも開催している。2023年(令和5年)の第74回NHK紅白歌合戦に46年ぶりに出場し、キャンディーズ時代の3曲(「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」)を披露した。会場には150人超のファンが集まりコールや紙テープ投げも行われた。

スーは、1980年に復帰後、主に女優として活動。その間、一時ソロ歌手として、音楽活動も行いシングル「カボシャール」などをリリース。1991年(平成3年)に結婚(夫は夏目雅子の兄)。子供はなかった。2011年(平成23年)4月21日に乳がんのため55歳で死去、最期はランとミキの2人に看取られながら息を引き取ったという。

ミキは、1983年(昭和58年)にソロ歌手として期間限定で復帰、カネボウ春のキャンペーンソング「夢・恋・人」(シングル、アルバムともに同名)を発表。同年2月10日にTBSテレビ『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」に出演。3月14日には日本テレビ『ザ・トップテン』の今週の話題曲のコーナーに出演、4月4日に10位にランクインした。1983年に実業家と結婚したことを機に芸能界を引退、3児の母となる(女優の尾身美詞は実娘である)。芸能界引退後は表舞台に出ていなかったが、2011年4月にスーの葬儀に出席、28年ぶりに公の場へ姿を現した。

1972年(昭和47年)4月:NHK『歌謡グランドショー』のマスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として「キャンディーズ」誕生。

1972年(昭和47年)12月31日:『第23回NHK紅白歌合戦』の冒頭で、多数のスクールメイツメンバーとは別の色の衣装を着て舞台中央で踊る。また橋幸夫が歌唱した『子連れ狼』でバックコーラスを務めた(出場歴に数えず)。出場者入場時に画面に流れたテロップに、「スクールメイツ」とならんで「キャンディーズ」とクレジットされていた。

1973年(昭和48年)4月7日:TBS『8時だョ!全員集合』のアシスタントとしてレギュラー出演。

1973年9月1日:「あなたに夢中」でレコードデビュー(当時のメインボーカル・センター位置はスー(田中好子)が担当)。

1974年(昭和49年)3月:ヒロシマナタリーでCM初出演。

1974年(昭和49年)3月17日:代々木・山野ホールで初コンサート(800人)。

1975年(昭和50年)2月21日:シングル「年下の男の子」リリース・初の大ヒットでオリコン9位を記録(メインボーカル・センター位置を同曲以降スー(田中好子)からラン(伊藤蘭)に交代)。

1975年10月19日:『キャンディーズ10000人カーニバル』開催(蔵前国技館 / 8600人)。

1975年12月31日:「年下の男の子」で第26回NHK紅白歌合戦初出場。

1976年(昭和51年)3月1日:シングル「春一番」リリース・オリコン3位を記録

1976年10月11日:『キャンディーズ10000人カーニバル Vol.2』開催(蔵前国技館 / 13500人)。

1976年12月31日:「春一番」で『第27回NHK紅白歌合戦』出場(通算2回目)。

1977年(昭和52年)7月17日:日比谷野外音楽堂でコンサート中、突然の解散宣言。

1977年11月26日:NHK『男たちの旅路 第3部 墓場の島』で歌手役でゲスト出演する。

1977年12月5日:シングル「わな」リリース(メインボーカル・センター位置はミキ(藤村美樹)が同曲唯一の担当)

1977年12月31日:「やさしい悪魔」で『第28回NHK紅白歌合戦』に出場(通算3回目、最後の紅白出演)。

1978年(昭和53年)2月25日:シングル「微笑がえし」リリース・初のオリコン1位を達成(3月12日付)。

1978年4月4日:『ファイナルカーニバル』(後楽園球場 / 55000人)をもって解散。

2008年(平成20年)4月4日:後楽園球場跡地に建つJCB HALLにて『全国キャンディーズ連盟2008大同窓会』開催(参加者2000名)。

2008年9月3日:20枚組ボックスアルバム『キャンディーズ・タイムカプセル』リリース(未発表曲「霧のわかれ」、「やさしい悪魔」の通称“木魚版”を収録)。

2011年(平成23年)4月21日:田中好子が乳癌により死去。

2015年(平成27年)11月4日:キャンディーズの伝説的コンサートである『ファイナルカーニバル』をほぼ完全収録した「キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM」が、Sony Musicから5枚組で限定販売された。オリコン音楽DVD週間チャートで初登場第1位を獲得した(CDジャーナル)。

2016年(平成28年)3月18日:「キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM」のDVD発売を記念して、東京・赤坂BLITZにてフィルムコンサートが実施された。

2018年(平成30年)4月4日:解散40周年を記念して、ファン主催による「キャンディーズ・フォーエバー 〜伝説から40年〜 ファン・全員集合!」が旧後楽園球場にほど近い水道橋WORDSにて行われた。イベントは寄付金でまかなわれ、「キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM」のフィルムコンサートが無料で開催された(読売新聞2018年4月5日)。

全てCBS・ソニーからリリース。

愛するハーモニー(英語版)(アナログシングル盤)(1972年)

    作詞:長恭子/作曲:R.Davis, R.Greenaway, R.Cock, W.M.Backer/編曲:森岡賢一郎

    B面「夜明けの海へ」

    ザ・ニュー・シーカーズ(英語版)のカバー。コカ・コーラCM曲。

    ベスト・オブ・スクールメイツ〜若いってすばらしい(CDベストアルバム) (2002年8月24日)

      上記二作のジャケット写真に、伊藤蘭・藤村美樹・田中好子・太田裕美が写っている。

      CANDIES BEATS(CANDY POP POSSE名義)(1989年)

        当時PSY・Sで活動していた松浦雅也が制作プロジェクトを主導したキャンディーズ楽曲のリミックス・アルバムである。

        大部分の楽曲はロンドンのリミキサーに依頼しており、ネリー・フーパー (当時はイギリスのR&B・ユニットであるソウル・II・ソウルに在籍)、屋敷豪太、J・ソウル・ケインなどが参加した(日本に居る松浦雅也自身もリミックスを行った)。

        あくまでもCANDY POP POSSE名義の作品であり、キャンディーズ公式のディスコグラフィーには明記されていない。

        CDとして発表されたもののみ。

        C@n-dols(あなたに夢中、年下の男の子)

        THE ポッシボー(あなたに夢中、危い土曜日、そよ風のくちづけ)

        横山智佐(あなたに夢中)

        ROLLY(あなたに夢中)

        ロリポップス(あなたに夢中、暑中お見舞い申し上げます)

        栗林みえ(あなたのイエスタデイ)

        Unity Crew(危い土曜日、アン・ドゥ・トㇿワ、その気にさせないで、そよ風のくちづけ、年下の男の子、夏が来た!、ハートのエースが出てこない、春一番、微笑みがえし、やさしい悪魔)

        歌姫楽団(危い土曜日)

        富沢美智恵、水谷優子、林原めぐみ(危い土曜日) - OVA『DELUXE ARIEL 接触編 THE BEGINNING』エンディングテーマ

        吉田拓郎(アン・ドゥ・トㇿワ、やさしい悪魔) - 作曲者自身によるセルフカバー

        梓みちよ(銀河系まで飛んで行け!)

        中原理恵(銀河系まで飛んで行け!)

        ℃-ute(暑中お見舞い申し上げます)

        SweetS(暑中お見舞い申し上げます)

        TAK MATSUMOTO(その気にさせないで)

        クリマカーユ(年下の男の子)

        キャンディーマキアート from SUPER☆GiRLS(年下の男の子)

        すたーふらわー(年下の男の子)

        speena(年下の男の子)

        つじあやの(年下の男の子)

        林寛子(年下の男の子)

        原田知世(年下の男の子)

        INSPi(ハートのエースが出てこない)

        CHIEKO BEAUTY(ハートのエースが出てこない)

        いきものがかり(春一番)

        ウルフルズ(春一番)

        フランク永井(春一番)

        ゆず(春一番)

        若旦那(春一番)

        渡辺美里(春一番) - ミニアルバム『うたの木 seasons “春”』収録

        マキ凛花(微笑がえし) - DJ SASA with ISLAND LOVERS『ザ・ベストテンレゲエ』収録

        小泉今日子(やさしい悪魔)

        茉奈 佳奈(やさしい悪魔、ハートのエースが出てこない)

        徳永英明(やさしい悪魔)

        Orange Caramel(やさしい悪魔)

        かないみか(春一番、アン・ドゥ・トㇿワ) - アダルトゲームおよびOVA『ハイスクールテラストーリー』主題歌

        The Nolans(年下の男の子、ハートのエースが出てこない、やさしい悪魔英語カバー)

        キャンディーズ CANDIES FOREVER 後楽園球場ファイナルカーニバルライブ1978.4.4(CBS-SONY VIDEO/β:FBLA-1、VHS:FVLA-1、収録時間51分、各20000円、リニアトラック記録ステレオ)

        CANDIES FOREVER (β / VHS / LD / DVD)キャンディーズ・ファイナルカーニバル For Freedom / 1978年4月4日 後楽園球場

        CANDIES TREASURE(4枚組DVD)Disc1 / 1977年9月28日 砂防会館Disc2 / 1977年11月20日 千葉県文化会館Disc3 / 1978年2月9日 芝郵便貯金ホールDisc4 / CANDIES HIT PARADE

        歌の妖精(VHS / 第7巻) - 天地真理・太田裕美・キャンディーズ

        タイムトリッパー / キャンディーズメモリアル(徳間書店) - 付録DVDにキャンディーズ出演CM10本を収録

        キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM(DVD)- 5枚組DVDボックス。ディスク1はレッツゴーヤング、ひるのプレゼント(ともにNHK)、ディスク2は夜のヒットスタジオ(フジテレビ)、キャンディーズ カーニバル Vol.2(1976年10月11日・蔵前国技館での公演で現存する24分間)、ディスク3には8時だョ!全員集合、歌のグランプリ、ザ・ベストテン(全てTBS)での楽曲を収録。ディスク4と5には、解散コンサート「キャンディーズ ファイナル・カーニバル For Freedom」を初めて全曲収録。2015年11月4日発売。

        敬礼!さわやかさん 第12話「初春!花の五人娘」(1976年1月5日、NET→現・テレビ朝日)

        バケタン家族 第3話「㊙ギャー!恐怖の狼男あらわる!!」(1976年7月26日、NET→現・テレビ朝日)

        男たちの旅路 第3部・第2話「墓場の島」(1977年11月26日、NHK) - 山田太一原作。根津甚八演じる主人公の人気歌手、戸部竜作が突然引退を決意。舞台上でマネージャーを出し抜き引退宣言をするかどうか最後まで迷うという内容のこのドラマの中で当時人気絶頂であったキャンディーズが出演。彼女らが歌う姿が数回はさまれる。

        8時だョ!全員集合(1973年4月 - 1977年9月、TBS) - レギュラー

        新・せんみつ湯原ドット30(1975年4月 - 1976年9月、TBS) - レギュラー

        みごろ!たべごろ!笑いごろ!!(1976年10月 - 1978年3月、NET→現・テレビ朝日) - レギュラー

        みごろ!ゴロゴロ!大放送!!(1978年4月 - 1979年3月、NET)

        3時にあいましょう 解散1年!!特写・キャンディーズ最近の素顔(1979年4月4日、TBS)

        歌謡グランドショー(1972年4月 - 1973年3月、NHK) - レギュラー

        レッツゴーヤング(1976年4月 - 1977年10月、NHK) - レギュラー

        さよならキャンディーズ(1978年4月7日、TBSテレビ)※ファイナルカーニバルの中継録画

        BSエンターテイメント わが愛しのキャンディーズ(2006年7月17日、NHK-BS2)

        ありがとうスーちゃん 永遠のキャンディーズ(2011年4月28日、TBS)※田中好子追悼番組

        『名盤ドキュメント キャンディーズ「年下の男の子」~彼女たちのJポップ革命』 (2023年9月23日、NHK-BS4K / 10月7日、BSプレミアム)

        ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!(1974年12月28日、松竹)

        ザ・ドリフターズのカモだ!!御用だ!!(1975年8月2日、松竹)

        正義だ!味方だ!全員集合!!(1975年12月27日、松竹)

        ヤングタウン東京(TBS) - レギュラー

        ヤング・パートナー ブラボー!キャンディーズ(1975年10月 - 1976年4月、文化放送) - レギュラー

        GO!GO!キャンディーズ(1976年6月 - 1978年4月、文化放送) - レギュラー

        キャンディーズ情報局(1976年7月2日-、日本短波放送) - レギュラー

        ヒロシマナタリー(1974年)※初CM

        旭化成工業(現・旭化成)「レオナ66」(1974年・75年)

        伊勢半「キスミーシャインリップ」(1976年)

        バンダイ「キャンディーズ・ステージオンマイク」(1976年)、「キャンディーズ・フラッシュマイク」(1977年)

        ハウス食品工業(現・ハウス食品)「ククレカレー」(1976年・77年)、「ククレミートマーボ」(1977年)

        森永製菓「チョコフレーク」(1976年)、「チョコスナックトリオ」(1976年)、「ラブチャット」(1976年)、「チョコぼうし」(1976年)、「チョコモナカ」(1977年)、「森のどんぐり」(1977年)

        三洋電機「ブラックシャーシ」 / 「ズバコン」《カラーテレビ》(1975年・76年)、「ひえひえ」《エアコン》(1977年)

        東京電気化学工業(現・TDK)「TDKカセットテープ『D』」(1977年)

        郵政省(現・JP日本郵便)「暑中見舞い葉書」(後の通称「かもめ〜る」)(1977年)

        青春の真中(1974年12月24日、東銀座・中央会館) - クリスマスコンサート『クリスマス・イヴの調べ 〜 白いコンサート』の第1部の中で披露された約30分のミニミュージカル

        春一番 〜スタンバイOK(1976年3月29日 - 31日、日本劇場)

        ROCKY(1977年7月17日 - 8月31日、日比谷野外音楽堂・梅田コマ劇場・日本劇場・他) - コンサートツアー『サマージャック'77』の中でのミニミュージカル。ツアー最終日の1977年9月1日にはミュージカルの上演は無し

        出演順は「出演順/出場者数」で表す。

        全盛期当時、すでに大学生世代であったメンバーではあるが、週刊誌の対談などでは処女であることを強調していた。1960年代のアメリカで始まり、1970年代に日本にも伝播してきたフリーセックス(性別からの解放運動)に対するアンチテーゼだったという。

        3人それぞれのイメージに関しては、作家の山口瞳が『週刊新潮』誌上で連載していたエッセイ「男性自身」において「私はスーちゃんを妻にし、ランちゃんを恋人にし、ミキちゃんを秘書にしたい」と評していた。松下治夫の著書には「ランは元気なタイプ、スーは甘えん坊なタイプ」と書かれていた。

        各仕事によりかなり違ったキャラクターを見せていた。歌番組やゲスト出演では、お行儀のよい優等生的アイドルらしく、清潔感のあるハキハキした受け答えをすることが多かったが、ラジオ番組ではくだけた言葉遣いで、台本どおりとはいえ下ネタも口にするなどかなり弾けたキャラクターの一面を見せていた。バラエティ番組では体当たりでコントに徹するコメディエンヌぶりもいとわず発揮し、番組関係者からの評判がよかった。コンサートでは、客席に向かって「皆さん、ノってくださーい!」「楽しんでいますかー?」と、フレンドリーでありながら砕けすぎない丁寧な言葉をつかっている。これは下積み時代からの方針である。特にわざわざ会場まで足を運んでくれるファン(お客様)に対し、一期一会の気持ちで礼を尽くすよう教育され、本人たちも納得していたという。後楽園球場における『ファイナル・カーニバル』の後半のMCで少々くだけた口調になっていたシーンが唯一例外として挙げられる。最終公演も半ばを過ぎ、緊張が解けてリラックスしたためだという。

        3人は公私ともに非常に仲がよい。仕事で常に一緒の行動が多いグループなどでは、宿泊先のホテルの部屋を別にしてもらい個人の時間を確保する向きが多いなか、キャンディーズの3人は一緒に過ごす環境を望んでいたという。ツアー中のホテルではツインルームにエクストラ・ベッドを入れてもらい、同じ部屋で寝ていたという。休日も一緒に過ごすことが多く、まれに連休が取れると、3人で旅行に出掛けた(3人に加え、友人も同行することがあった)。インタビューなどで「ケンカをしないのか?」「ずっと一緒でイラついたり、ストレスを感じることはないのか?」という質問に、ランは「2人の気持ちが分かりすぎるから」と答え、ミキは「感情的に姉妹以上になっている」と語っている。

        ランの夫の水谷豊が『うたばん』に出演した際、「現在でも年に数回は(キャンディーズのメンバー)3人で集まって、食事や会話をよくしている。ただし、3人揃って外出することは不可能だから、集合場所はいつも決まって水谷家」と話している。2011年に田中が乳癌を患い末期を迎えた際も、伊藤と藤村は病室に駆けつけ、最期を看取ったという。

        同じ事務所に所属していた双子のザ・ピーナッツから、着用した舞台衣装をプレゼントされたことがある。その際、同じデザインのものをもう1着作成し、3人分揃えてくれた。感激したキャンディーズはその衣装を身に着けてステージに立ったことが幾度もある。

        THE ALFEEの坂崎幸之助は『ファイナルカーニバル』の際、ミキの衣装の制作を手伝っていた。

        当時のコンサートでは客席から多数の紙テープが投げられていた。ファンはキャンディーズが怪我を負わないように、あらかじめ紙テープの芯を抜いていたが、それでもステージ上に大量に蓄積された紙テープが足に絡まり、細かい切り傷が絶えなかったという。

        『ファイナルカーニバル』の舞台となった後楽園球場には、当時大型モニターがなく、客席のほとんどからキャンディーズの3人は点状にしか見えなかったが、このライブはもともとキャンディーズの最後を目に焼き付けるというよりは、ファンも一体となって完全燃焼する趣旨が強く、まさに「カーニバル」の名にふさわしいものであった。また、同球場には天井がなかったため、場外でも歓声がはっきりと聞き取れた。

        『ファイナルカーニバル』においては、入場できなかったファン数万人が、球場を取り囲み、球場内から漏れる音声を伝手に一緒に歓声をあげていた。当然こうなることは事前に予測できたため、主催者側はカーニバルのプログラムをあらかじめ警察に提出していた。ところが実際の進行が予定より大幅に押してしまったため、警察は主催者側にいくたびも予定時間内に終わらせるよう指示を出した。そのため、公演後半に予定していた楽曲「夏が来た!」は、現場での判断により、やむなくカットされてしまった。

        日本初の、全国組織型ファンクラブ「全国キャンディーズ連盟」(「全キャン連」)を持ったアイドルとしても知られる。デビューから数曲のあいだは『8時だョ!全員集合』などで新曲を披露してもほとんどメンバーの名前などを叫ぶコール(声援)がなかったが、「その気にさせないで」あたりからコールが激増した。

        石破茂はキャンディーズの大ファンであり、ランがお気に入り(推し)だったことを公言しており、キャンディーズの曲を熱唱したことが報じられたことがある。解散後女優に転向した田中が死去した際には「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントした。

        『ファイナルカーニバル』で見られた「男性の群集が号泣する」というシーンは、当時としてはショッキングな現象とみられている。1978年4月21日付『週刊朝日』では、解散コンサートの記事で「集団で、しかも人目をはばからずに泣くなんて、キミたち、どういう育ち方をしてきたんだい!?」とも記していた。

        1980年12月27日、映画「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」(マドンナ役:伊藤蘭)と、「土佐の一本釣り」(主演:田中好子)が二本立てで封切りされた。上映館には往年のキャンディーズファンが多く来場し、話題になった。

        1978年4月4日の『ファイナルカーニバル』から30年の時を経て、当時の代表的なファンであった全国キャンディーズ連盟の有志が、解散当時キャンディーズのマネージメントをしていた大里洋吉・現アミューズ相談役に協力を仰ぎ、2008年4月4日に『全国キャンディーズ連盟2008大同窓会』と銘打って、約2000名の参加者の下、記念の地である後楽園球場の跡地に同年3月オープンしたJCB HALLにてフィルムコンサートを開催した。その様子は、各マスコミにも取り上げられ話題となった。

        松下治夫の著書『芸能王国 渡辺プロの真実』には、公式に渡辺プロが手がけた最初のアイドルはキャンディーズであると記されている。また前述のとおり初期のころの売出しにはNHKの『歌謡グランドショー』の協力も大きく貢献しているという。

        それまで日本の歌謡界では「3人組は当たらない」といわれていたが、それを覆した。また、センターポジションを曲によって入れ替えるということを、最初に行ったのもキャンディーズである。また、秋元康は田中の訃報に際し「キャンディーズがいなければおニャン子クラブやAKB48もなかった」とコメントしている。

        同じスクールメイツに所属していた太田裕美も、キャンディーズのオーディションに参加していた。

        キャンディーズの妹分として結成されていたキャンディーズjrというグループがあったが(同じ事務所)、レコードデビュー時にトライアングルに改名した。キャンディーズファンから「違和感がある」という声が多かったため(あるいは敬意を表して)、「キャンディーズ」の名称を半ば永久欠番扱いとしたため、と諸説ある。

        2012年、キャンディーズをプロデュースした酒井政利のプロデューサー活動50周年を記念し、平成のキャンディーズを発掘・プロデュースするプロジェクト"キャンディーズ・カーニバル"が企画され、酒井自らプロデュースを手がける“ニューキャンディーズ”メンバーを選抜するオーディションの決勝大会が同年11月18日に行われた。キャンディーズ解散から35年となる2013年、ラスト・コンサートが行われた4月4日にC@n-dolsのグループ名でクラウンレコードかシングル曲「年下の男の子」をカバーしてデビュー。しかし、わずか8か月後の同年12月12日に活動を終了を報告した。

        1973年4月2日から1985年3月26日まで、朝日放送(現:朝日放送テレビ)で放映された公開恋愛バラエティ番組『プロポーズ大作戦』のオープニングクレジット映像のバックに流れたテーマ曲は、キャンディーズが歌う「ラッキーチャンスを逃がさないで」(サブタイトルは「プロポーズ大作戦のテーマ」)である。1978年にキャンディーズが解散してからも番組が終了するまで使用された。

        1976年4月4日から同年9月26日までフジテレビで放送されたクイズ番組『クイズ!家族ドレミファ大賞』のオープニングテーマ曲は、キャンディーズが歌う「クイズ!家族ドレミファ大賞のテーマ」である。この曲は、1976年10月3日に番組が『クイズ・ドレミファドン!』にリニューアルすると、タイトルも「クイズ・ドレミファドンのテーマ」と改題し、歌手をアップルズ(後の「EVE」)に変更して引き続き使用、司会・高島忠夫のパートナーが石川ひとみに交代した後は、歌手が石川に変更され、1988年4月3日の最終回まで使用された。

        1998年に放送されたフジテレビ系のテレビドラマ『ニュースの女』のサブタイトルは全てキャンディーズの楽曲のタイトルを使用している。

        2007年に公開された映画『Little DJ〜小さな恋の物語』では、劇中「年下の男の子」が物語の重要なキーとなる楽曲として使用された(サウンドトラックCDにも収録されている)。また、シングルレコードも小道具として用いられた。

        『ドラえもん』にキャンディーズそっくりのグループ「チョコレイツ」が登場している(てんとう虫コミックス25巻、1981年初出)。「新聞日づけ変更ポスト」でチョコレイツの解散コンサートを知ったのび太がスネ夫宅でテレビを見ると、前ページに小さく書かれた女性3人組および、「とつぜんですが・・・ここでみなさんにおしらせがあります」というコマでテレビの枠に3人がそろっているのが唯一の人物描写で、ついで「わたしたち解散します」「ファンの皆さんにはすまないと思いますけど、わたしたち決心したんです」というセリフが書かれている。

        同年代のアニメ関係者は後に『魔法の天使クリィミーマミ』(1983年)の主人公・クリィミーマミの衣装をデザインする際、キャンディーズの衣装を参考にしたという(特に78年ごろの白のミニドレス)。

        15thシングル「アン・ドゥ・トㇿワ」は、作曲者の吉田拓郎がセルフカバーしている。このカバー版では、曲の終わりに「さよなら、キャンディーズ」と歌っている。

        もとはしまさひでの漫画『微笑によろしく』(1979年 - 1980年、週刊少年マガジンに連載)はキャンディーズファンの男子高校生が大学合格を目指すという物語。

        スーキャット - 1980年に東京12チャンネル)で放送されたテレビアニメ。キャンディーズのメンバーの名前がついたキャラクターが登場している。

        しゅごキャラ! - 2006年から2010年に連載された漫画作品、およびそれを原作とするテレビアニメ作品。キャンディーズのメンバーの名前がついたキャラクターが登場している。

        メンバーが解散の意思を最初に伝えたのは、当時のマネージャーを務めていた大里洋吉である。1977年4月9日、京都国際会館でのコンサート終了後の食事の席でのことだったという。大里は自身の渡辺プロ退社がすでに決まっていたことと、周囲に与える衝撃が大きすぎるとの判断から「今の話は俺の胸にしまっておくから、これからのことはおいおい話し合おう」と言ってその場を収めた。言葉通り、大里は渡辺プロを退社するまで他の誰にもメンバーが解散の意思を持っていることを知らせなかったという。

        日比谷野外音楽堂の解散宣言直後、メンバーの3人は改めて記者会見に臨み、およそ9か月後の1978年4月4日に正式に解散することを決めた。当初はファン、関係者とも賛否が分かれたが「キャンディーズの3人が解散を望んでいる以上、それを支持する」ことで意思統一が図られた。

        のちに、それは誰からともなく「最高の状態で解散する」ことへと気運が高まり(後述の穂口雄右の証言によれば、その5年も前からレッスンの場で「一番いいときに解散しようね」と誓いあっていたという)、そのためには今まで獲得していなかったオリコンチャート1位をとることが最終目標となった(それまでの最高位は「春一番」「わな」の3位)。このような状況下で、事実上のラスト・シングル「微笑がえし」の作詞を担当した阿木燿子は、キャンディーズの集大成となるように、それまでのA面タイトル(春一番、わな、やさしい悪魔、アン・ドゥ・トㇿワなど)を各歌詞の随所に散りばめた。

        作曲を担当した穂口雄右はレコーディングの際、「キャンディーズに敬意を表し、アイドルではなくミュージシャンとして処遇したい」と提案し、スタッフもこれに同意した。この穂口案は、「コーラスのパート譜を当日の、しかもレコーディングの時点で譜面台に用意する」、すなわち初見でレコーディングを行うというものである。これほど厳しい条件にもかかわらず、譜面を手にした3人はミュージシャンとして難なくこれを歌いこなし、レコーディングはわずか3回のテイクで完了した。この一部始終を見ていた穂口は後年、以下のように懐古する。「あの(「微笑がえし」)コーラスは絶品であった。デビュー当時、音程を掴むのに苦労していた3人がここまで成長した。そこにいた3人はアイドルではなく、まさにプロのミュージシャンだった。あまりの嬉しさに私(穂口)は、涙を拭くことも忘れて3人のコーラスに聴き入った。ふと周囲を見ると、周りのスタッフも全員が泣いていた。

        「微笑がえし」が発売されてからは、主に全キャン連をはじめ、多くのファンがラスト・シングルを1位にしようと、ラジオ番組や有線放送(現:USEN)にリクエストを送り、音楽ランキング番組にリクエストはがきを送った。一部のファンが1人2枚以上の購入を促す動きもあったというが、それを差し引いても「微笑がえし」は春の別れと旅立ちを切なくも清々しく描いた曲であり、一般層にも受け入れられる楽曲であった。解散直前の1978年3月12日、ついに念願のオリコンチャート1位を獲得した。

        ザ・ドリフターズ

        伊東四朗

        小松政夫

        西田敏行

        鈴木ヒロミツ

        大橋照子

        吉田照美

        ばってん荒川

        アン・ルイス

        加山雄三

        ^ 当時渡辺プロが経営していたライブハウス。跡地はライブハウスレストラン「ケネディハウス銀座」となっている。

        ^ またキャンディーズの大ファンである佐野史郎によると、同じくこの音声はファイナルコンサート当日の夜にラジオ番組でも放送されたとのこと。

        ^ このカヴァーにおける表記は「危ない土曜日」

        ^ メドレー曲は個々分解カウント。

        ^ 32曲目予定の「さよならのないカーニバル」は歌われず。

        ^ 解散につき、ファンに直接思いを伝え理解を求めるべく全国を回る

        ^ 当初47曲目に予定されていた「夏が来た!」は、シングル曲で唯一都合によりカットされた。

        ^ “キャンディーズ「微笑がえし」突然の解散宣言からの全キャン連宣言”. Re:minder. 株式会社リマインダー. 2022年8月19日閲覧。

        ^ “キャンディーズのどこがすごいのか?~その後に与えた影響から考える”. エンタメウォッチング. NIKKEI STYLE. 2022年8月19日閲覧。

        ^ “懐かしいのが新しい!“今っぽレトロ”ヘア”. ホットペッパービューティーマガジン. リクルート. 2022年8月19日閲覧。

        ^ 週刊現代2022年4月16日号週現「熱討スタジアム」第429回「キャンディーズの解散コンサートを語ろう」p136-139

        ^ 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、1161頁。ISBN 4-06-203994-X。

        ^ ビデオリサーチ社 音楽高世帯視聴率番組

        ^ 2005年9月30日の『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「ザ・ベストテンの真相」

        ^ “キャンディーズ再結成しなかった本当のワケ 酒井政利氏が激白”. ZAKZAK. 株式会社産経デジタル. 2022年8月19日閲覧。

        ^ “【紅白】伊藤蘭、46年ぶり凱旋で衰えぬ歌唱&ビジュアル 親衛隊にも反響「元祖ドルオタの本気をみた」”. ORICON NEWS. オリコン (2023年12月31日). 2024年2月27日閲覧。

        ^ 欠端大林 (2024年2月11日). “〈紅白で話題に〉キャンディーズを追い続けた男性が“45年ぶりの紙テープ”を投げるまで「紅白で“親衛隊”と紹介されていましたが、僕たちは…」”. 文春オンライン. 2024年2月27日閲覧。

        ^ NHK『わが愛しのキャンディーズ』(2006年7月17日放送)にて当時の映像を紹介

        ^ 水谷豊&伊藤蘭夫妻、平和への想いを広島から発信! - ORICON STYLE“水谷豊・伊藤蘭夫妻、広島市長と懇談 映画「少年H」PRで来広”. 中国新聞 (2013年7月27日). 2013年7月29日閲覧。

        ^ ““わが愛しのキャンディーズ”リマスター版”. NHK (2021年10月10日). 2021年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月13日閲覧。

        ^ 中国新聞 1974年4月23日朝刊 14ページ全面広告、1974年4月21日朝刊 4ページ・1974年4月26日朝刊 12ページ部分広告などには、「キャンディーズ(専属タレント)」の表記がされていた

        ^ 田中好子さんの最期 蘭さん・美樹さんみとる [1]

        ^ 「石破大臣が歓喜のキャンディーズ熱唱-守屋喚問、久間、額賀実名暴露の夜に」『週刊文春』2007年11月29日号、文藝春秋、26-28頁。 

        ^ “自民・石破氏「青春そのもの。ありがとう。忘れないよ」”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年4月22日). オリジナルの2011年4月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110426114300/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110422/ent11042211510014-n1.htm 2014年9月21日閲覧。 

        ^ HARBOR BUSINESS Online ハーバービジネスオンライン>政治・経済>「激しい批判をする野党の後ろにも国民はいる」。総裁選出馬を決めた石破茂が語る国会・憲法・沖縄>厳しい質問をする野党議員の後ろにも「国民」がいる|インタビュー:菅野完|2018.09.08| ※2018年9月8日閲覧

        ^ “来年デビュー「ニューキャンディーズ」のメンバー3人決定”. 音楽ナタリー. ナターシャ. 2022年8月23日閲覧。

        ^ “「NEWキャンディーズ」C@n-dols、わずか8ヶ月で活動終了”. ORICON NEWS. オリコン株式会社. 2022年8月23日閲覧。

        ^ 『ナベプロ帝国の興亡』、P305-307。

        ^ 『ナベプロ帝国の興亡』、P314。

        ^ 穂口雄右 - 現実になったビジョン 第6回(最終回)「微笑がえし」[2]

        ^ “【1978年4月】微笑がえし/事実上のラストソングで初の1位”. SponichiAnnex. スポーツニッポン社. 2022年8月19日閲覧。

        ^ Musicman's RELAY 第25回 株式会社アミューズ代表取締役会長 大里洋吉 氏(2002年7月9日時点のアーカイブ)。

        ^ 『おはよう朝日です』「井上公造の芸能デラックス」(2011年4月22日放送分)、『ナベプロ帝国の興亡』P314にも記述あり。

        ^ 『ナベプロ帝国の興亡』、P315。

        ^ 現実となったビジョン 第2回 「年下の男の子」

        『ばいばいキャンディーズ キャンディーズ百科』ベップ出版、1978年

        『CANDIES HISTORY』(CD-BOX)付録ブックレット ソニー・ミュージックエンタテインメント、1998年

        軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』文春文庫、1995年 ISBN 9784167571016

        野地秩嘉『芸能ビジネスを創った男 渡辺プロとその時代』新潮社、2006年ISBN 9784104141029

        松下治夫『芸能王国 渡辺プロの真実』青志社、2007年 ISBN 9784903853079

        1973年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手

        年代別プロマイド(ブロマイド)売上ベスト10 - 1974年から1976年の3年間ランクイン。

        キャンディーズ - ソニーミュージック

        キャンディーズ『The Platinum Collection ~50th Anniversary~』伊藤蘭、藤村美樹 企画参加!キャンディーズ50周年記念、CD5枚組BOX! - otonano by Sony Music Direct (Japan) Inc.

        キャンディーズ CANDIES Offcial Channel - YouTubeチャンネル

        キャンディーズ(ソニー・ミュージックダイレクトによる情報ページ) - ウェイバックマシン(2012年11月12日アーカイブ分)

        「キャンディーズ」芸能の雑学・豆知識 - ウェイバックマシン(2020年8月27日アーカイブ分)

        お笑い頭の体操 - 8時だョ!全員集合 (歴史) - 歌のグランドショー - 歌のゴールデンステージ - ヤングタウンTOKYO - レッツゴーヤング - みごろ!たべごろ!笑いごろ! - GO!GO!キャンディーズ

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        渡辺美佐 - 渡辺晋 - 大里洋吉 - 森田公一 - 穂口雄右 - 森雪之丞 - 喜多条忠 - 吉田拓郎 - 阿木燿子 - 山田直毅 - 山川静夫 - ザ・ドリフターズ(いかりや長介・荒井注・高木ブー・仲本工事・加藤茶・志村けん) - 伊東四朗 - 小松政夫 - 太田裕美 - アン・ルイス - 夏目雅子 - 水谷豊 - トライアングル - 松崎澄夫

        渡辺プロダクション - ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本) - スクールメイツ - ヒロシマナタリー - プロポーズ大作戦 - クイズ!家族ドレミファ大賞 - スーパーキャンディーズ - 全国キャンディーズ連盟 - スーキャット - CAN-Dee

        キャンディーズ

        日本のガール・グループ

        コーラス・グループ

        日本の女性アイドルグループ

        3人組の音楽グループ

        NHK紅白歌合戦出演者

        過去の渡辺プロ系列所属者

        ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト

        1972年に結成した音楽グループ

        1978年に解散した音楽グループ

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