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クラッシュギャルズ(CrushGals) |Wiki【もしもし辞書】


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クラッシュギャルズ

クラッシュ・ギャルズ(Crush Gals)は、かつて存在した日本の女子プロレスラーのタッグチームの名称。

活動時期は全日本女子プロレスを中心に活躍した初期と、クラッシュ2000としてGAEA JAPANを中心に活躍した後期に二分される。

前期、後期ともに長与千種とライオネス飛鳥によるタッグチームである。初期活動期は、アイドルレスラーとして『炎の聖書』などのレコードをリリースするなど当時の女子プロレスにおいて絶大な人気を誇った。ダンプ松本、クレーン・ユウ(ユウ引退後はブル中野)、阿部四郎らの「極悪同盟」と激しい抗争を繰り広げた。

タッグ結成のきっかけは、長与が先輩レスラーとの軋轢や、自身のファイトスタイルが受け入れられないことに失望し、引退するつもりでいた矢先に「どうせ辞めるのならやりたいことをやって辞めよう」と考え、当時同じように悩んでいた飛鳥と意気投合し、1984年8月に飛鳥と「クラッシュ・ギャルズ」を結成したことによるものである。長与・飛鳥ともそれまではジャガー横田率いる「ダイナミック・ジャガーズ」の一員であった。それまでの女子プロレスに対して、男子プロレスのエッセンスを取り入れたファイトスタイルで、前田日明がクラッシャーとあだ名されていたことをうけて、「私たちはクラッシュ・ギャル(原文ママ)になる」と『週刊プロレス』誌上で宣言をした。当時のファイトスタイルは前田を意識したものであり、共同トレーニングや誌面対談もたびたび組まれていた。ふたりのトレーナーにはデイリースポーツの仲介で、極真会館の空手家でキックボクサーの山崎照朝がつき、殴打技や蹴り技を指導した。女子プロレスの新たな世界を作り出し、ベビーフェイスのタッグチームとして、ヒールの極悪同盟との抗争で女性ファンの人気を博し、ビューティ・ペア以来の大ブームを作り出すが、次第に人気の比重が長与に偏り、飛鳥が熟考の末に芸能活動の引退を申し出たため、1985年5月にはクラッシュ・ギャルズとしての活動を一時休止していた。

1989年に長与が引退し、1990年に飛鳥も引退したことにより、クラッシュ・ギャルズは解散となる。

その後、長与が復帰したことで、同じく飛鳥も復帰。それぞれが違う団体で活動もしており、飛鳥もヒールに転向していたため、再結成の機会が中々訪れなかったが、10年後の1999年に飛鳥がGAEA JAPANのマットに登場したが、完全にヒール化していた飛鳥はGAEA JAPANの運営権その他を含む会社の全権利を賭けることを要求し、1999年4月4日、横浜文化体育館にて長与vs飛鳥10年ぶりの一騎討ちとなる。飛鳥の勝利によって団体の全権利を獲得した。

その後1999年9月15日、横浜文化体育館にて米国で肉体改造をした長与は飛鳥に勝利し、全権奪回に成功する。試合後、長与はクラッシュ・ギャルズ再結成を望んだが、これを飛鳥は拒否。

様々な抗争を繰り広げつつも、長与と飛鳥が握手するシーンやバラエティ番組で両者が再会し、歌を歌ったりしたが再結成には至らなかった。

2000年5月14日、有明コロシアムにて開催されたGAEA JAPAN旗揚げ5周年大会にて、クラッシュ2000として遂に復活。チーム名はその前日『トゥナイト2』に出演した両者が成り行きで司会者から「クラッシュ2000というのはどうか」と聞かれ、「じゃあ、それで。」と決まった。2005年4月3日、横浜文化体育館にてクラッシュ2000ファイナルマッチ&ライオネス飛鳥引退試合により、クラッシュ2000を永久封印する。その一週間後、2005年4月10日、後楽園ホールで長与が引退と同時にGAEA JAPANを解散することとなる。

2023年10月1日に『CRUSH GALS 40th Anniversary スペシャルライブ-THE TOP-』が横浜武道館で開催された。

全てビクターからリリース。

SQUARE JUNGLE(1984年10月5日)

〜熱血の記録〜 ドキュメント!(1985年2月21日)

HEALTHY(1985年9月5日)

BEST OF CRUSHGALS CRUSH A GO GO!!(1985年11月21日)

TWIN BEAT(1986年9月5日)

FOREVER CRUSH GALS(1987年3月14日)

サイコー!ワンダーランド(1988年8月10日)※ミニアルバム

BEAT GOES ON(1988年12月16日)※ミニアルバム

メモリアル・コレクション〜クラッシュ・ザ・ベスト〜(1989年11月21日)

オレたちひょうきん族(1984年、1985年)- ひょうきんベストテンにて数回出演

毎度おさわがせします 第1シリーズ(1985年、TBS系)本人役で準レギュラー出演。

森田一義アワー 笑っていいとも!(1985年2月26日)- テレフォンショッキング

'85FNS歌謡祭(フジテレビ系)優秀歌謡音楽賞を受賞し、第4弾シングル「東京爆発娘!」を歌唱。

夜のヒットスタジオDELUXE(フジテレビ系)2回出演し、「日本美人」などを歌唱。

TVオバケてれもんじゃ 第1話「ザンゲの神様 クラッシュも真っ青!!」(1985年、フジテレビ系)

お正月だよ!クイズダービー(1986年、TBS系)紋付き袴を着用し、賭け手として出場。

ライオンのごきげんよう(フジテレビ系)

めちゃ×2イケてるッ!(フジテレビ系)「格闘女神MECHA」コーナーで“極楽同盟”と対戦。

行列のできる相談所(日本テレビ、2023年8月20日)

クラッシュギャルズ旋風(文化放送)

2009年7月9日の「NOSAWA BOM-BA-YE 5」(NOSAWA自主興行)では、クラッシュ・ギャルズ結成25周年を記念し、長与みのる&ライオネス高山によるオマージュユニット「クラッシュ2009」が結成された。対戦相手もダンプ菊&ブル坂井による極悪同盟のオマージュで、レフェリーも阿部四郎が務めた(阿部はこの試合を最後にレフェリー引退)。

プロレスリングWAVEでは、渋谷シュウとチェリーのタッグチームとしてクラッシュ・ギャルズを捩った「クラシック・ギャルズ」が活動しており、2人が揃って入場時に着用するTシャツには長与の直筆サインが入れられている。

デビュー時からクラッシュ・ギャルズの2人とは仲良しでライバルでもあるダンプ松本は、プライベートでは2人共お互いに仲が良くないと度々インタビュー等で語っている。

1985年のクラッシュ・ギャルズ

^ 長与と飛鳥の関係にヒビ…クラッシュ分裂、そして電撃引退表明 東スポWeb 2021年01月06日 07時00分 (2021年3月16日閲覧)

^ CRUSH GALS 40th Anniversary スペシャルライブ

^ 飛鳥・千種の伝説タッグ再び! クラッシュ・ギャルズ結成40周年イベントは最速先行受付中 - SPICE

^ Sunday WAVE vol.18 株式会社ZABUN・プロレスリングWAVE 2014年6月23日閲覧

1984年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手

ビューティ・ペア - 1970年代後半に活躍した女子プロレスラーのタッグチーム。ジャッキー佐藤、マキ上田。

クラッシュ・ギャルズ -THE TOP- 公式 (@CrushGals2023) - X(旧Twitter)

日本の女子プロレスラーのユニット

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