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東方神起

東方神起(とうほうしんき、朝: 동방신기、簡: 东方神起 繁: 東方神起)は、ユンホとチャンミンの2人からなる韓国の男性ボーカルユニット 。2003年に結成され、2004年に韓国で「アカペラ・ダンスグループ」 でデビューし、2005年に日本デビュー。2010年までは5人組ボーカルグループで活動していたが、2009年7月メンバーのうちジェジュン、ジュンス、ユチョンの3人が所属事務所に対する専属契約効力停止の訴訟を起こし、5人での活動が無期限休止され、翌2011年1月より2人での活動を再開。

グループ名は「東方の神が起きる」という意味で名付けられたものであり、漢字の通用する中国、韓国、日本を中心に世界に広く知られるグループになるようにという思いが込められている。公式のラテン文字表記は「TVXQ!」(ティー・ブイ・エックス・キュー。TVXQ )。これは「東方神起」の中国語読みをローマ字表記したつもりの「Tong Vfang Xien Qi」の頭字語から名付けられたものである。日本では、これに代わり日本語読みのローマ字表記「Tohoshinki」が使われている。

メンバーはコーラス、アカペラ、ダンスをこなし、全員がメインボーカルを担当できる形式を採っている。また、一部楽曲では作詞・作曲・編曲も手掛けている。スタイル的にはユ・ヨンジンが生み出した「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) を継承している。

公式グローバル・ファンクラブの名前は「Cassiopeia」(カシオペア)で、これとは別に日本には「Bigeast」(ビギスト)という公式ファンクラブもある。グループカラー(応援色、風船色)は「パールレッド」。

メンバー

名前の表記と生年月日は、公式サイトの「PROFILE」に準拠。

2010年に事務所を離籍したジェジュン、ユチョン、ジュンスの3名は、後にJYJとしての活動を開始した。

来歴

2003年、韓国大手芸能事務所のSMエンタテインメント(以下「SM」)が、それまで韓国アイドル界で一般的であった役割分担を廃し、メンバー全員がメイン・ボーカルを務められる「アカペラ・ダンス」という新たなスタイルのボーイバンドを企画。自社に所属する練習生の中から様々な組み合わせが検討された結果、それぞれソロや別グループでメインボーカルとしてデビューの準備を進めていたジュンス、ユンホ、チャンミン、ジェジュン、ユチョンの5人が選抜され、事務所では『ドリームチーム』(金英敏)と呼ばれるグループが誕生した。当時、SM内では中国本格進出の切り札として位置付けられていたことから、中国風の漢字4文字のグループ名と芸名が与えられ、同年12月26日にSBSの特別番組で初披露されたのち、翌2004年1月14日にシングル『HUG』でCDデビューを果たした。

デビューには総額80億ウォンに上る多額の投資がなされたが、このころの韓国歌謡界は1990年代後半から続いていた第1次アイドルブームが下火となり、ピなどソロ歌手が全盛を極めていたため、デビュー当初は活躍できる余地はないと見る向きが多かった。しかし、デビュー曲は『SBS人気歌謡』の「ミュティズンソング」に3週連続で選ばれ、同年末の主要音楽賞でも本賞や歌手賞を受賞するなど、予想を覆す活躍で瞬く間に同国のトップグループへと伸し上がった。彼らの成功が与えた影響は大きく、SS501など他のアイドルグループの結成を促す効果をもたらして、のちの韓国アイドル界再興の端緒をも開くこととなった。

2004年3月に台湾で1stシングルのライセンス盤を発売したのを皮切りに海外進出を開始させ、同年11月にはグループ結成時からの目標であった中国進出の手始めとして、現地で中国限定の中国人メンバーを選抜するためのオーディション番組を製作することを発表した。同時期に40億ウォン を投じて日本での活動もスタートさせ、翌2005年4月にはSMの提携先であるエイベックスのレーベル「rhythm zone」から日本語曲「Stay With Me Tonight」で正式に日本デビューを果たした。日本ではアイドル色を薄めてアーティスト色を強めたイメージで売り出し、またJ-POP歌手として継続的に活動するため、当時日本でブームとなっていた韓流からは距離を置いて活動をした。

日本でのデビュー後、2005年9月に韓国で2集(2ndアルバム)『RISING SUN』を発表し、同月に蚕室総合運動場主競技場で5万人以上の観客を集めるショーケース・ライブを開催。その後、翌2006年2月にはソウル・オリンピック公園体操競技場でグループ初となる単独公演、同年5月から6月には日本で初めてとなるライブツアー、翌7月と9月にはマレーシアとタイで「ライジング・サン・ファースト・アジア・ツアー」と題した韓国国外では初となる大規模公演を成功させた。

タイ公演を終えると、すぐに韓国で3集『“O”-正・反・合』を発表。プロモーション中にユンホがファンを装った女から接着剤が入った飲料水を飲まされるという災難に見舞われたものの、同アルバムは年間1位となる30万枚超の売上を記録して、同年のゴールデンディスク賞で大賞を受賞した。また、このほかMKMFでは「今年の最高アーティスト賞」、ソウル歌謡大賞やSBS歌謡大典では大賞を受賞し、韓国の主要音楽賞を制覇する活躍を見せた。

その間、中国への本格進出はメンバーの追加が先延ばしになる など事実上頓挫していたが、日本での活動は不祥事でジェジュンが一時活動を自粛するハプニングがあったものの 継続的に進められていた。しかし、歌える環境が整っていないステージに立たされるなど、デビュー後すぐにトップスターとなった韓国では経験してこなかった歌手としての地道な活動の連続に、メンバーらは戸惑いや苦々しさを感じていた。それでも、「とにかく日本で実績を残してから韓国に帰らなければ」との思いを抱きながら、その後も活動を進めた結果、徐々に知名度や人気が高まり、2007年6月には日本武道館での2日連続公演を成功させ、翌2008年1月にはシングル『Purple Line』で初めてオリコン週間シングルランキングの1位を獲得する などの成果を収めるようになっていった。

そして、自身初の日本でのアリーナツアー と前年からソウル、台湾、マレーシア、タイ、中国で断続的に行われていた2度目のアジアツアーを同年6月までに終えると、3か月後の9月には日本での成功を引っ提げて、韓国でのオリジナル・アルバムとしては2年ぶりとなる4集『MIROTIC』を発表し、史上初 となるソウル広場でのショーケース・ライブをもって韓国への本格復帰を果たした。かなりのブランクがあったことから復帰前はメンバー間に不安が広がっていたが、現地のトレンドに合わせるため、これまで東方神起の代名詞となっていた「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) の要素を弱め、より大衆性の強い楽曲で勝負を賭けた ことが功を奏してファン層が拡大し、本作4集は市場全体のフィジカル・セールスが落ち込むなか46万枚を売り上げて、自身2度目となるゴールデンディスク賞の大賞を獲得した。ジェジュンは、この成功を「国民的アイドルグループから生まれ変わったようだ」と評した。

日本では、2008年末に自身初となる日本レコード大賞ノミネート(優秀作品賞受賞) とNHK紅白歌合戦出場 を果たすと、翌2009年3月には新たにバーニングパブリッシャーズのバックアップ を受けてアルバム『The Secret Code』をリリースし、東方神起の作品としては初めて日本レコード協会からプラチナ認定を受けるヒットへと導いた。その余勢を駆って、同年7月には韓国出身歌手としてはピやリュ・シウォンに続き3組目となる、デビュー以来の目標 であった東京ドーム公演を2日連続で開催し、これを成功させた。

その間、日本以外でも、日本での活動の合間を縫って2009年2月からソウル、タイ、中国を巡回するアジアツアーを開始した。このほか、2008年末にジェジュンが主演映画の撮影を行い、翌2009年7月にはユンホやチャンミンも韓国でテレビドラマへの主演が決まるなど、それまであまり見られなかったソロ活動にも本格的に挑戦し始めた。

そんな中、ジュンス、ジェジュン、ユチョンの3人が急激に関係が悪化していたSMからの離脱を図るべく、2009年7月末、専属契約内の契約期間や収益配分に関する規定の不当性を訴えて、SMとの専属契約の効力停止を求める仮処分をソウル中央地方法院に申請。これにより、東方神起は突如、分裂の危機に立たされた。同裁判所は残る2人に対する信義とファンクラブ会員への公人としての責任を重んじるべきとして、和解を勧告した。3人側は「契約内容に画期的な変更があるならば可能性はある」としたが、SM側は「合意のもとで更新してきた契約」という立場を固守した為、調停に失敗。結局、同年10月に同裁判所は専属契約に公序良俗に反する規定があるとして一部を認容、専属契約の効力を一部停止して、SMとの契約は残るものの、本案訴訟が終結するまで3人のSM以外での芸能活動を認める仮処分を決定した。この直後、ユンホとチャンミンは東方神起を作り上げたSM以外で活動するつもりはないとして3人に復帰を呼び掛けたが、訴訟を取り下げることになるこの要求を3人は聞き入れることなくSMと決別し、同年11月から独自の活動を開始した。このため、グループ活動はアジアツアーが中止になるなどエイベックスの管理下にある日本を除いて休止状態に陥った。

分裂した訴訟組、残留組双方の関係がその後悪化している旨、日本側所属事務所社長からのTwitter情報等を基に報道がなされたが、3人側が本案訴訟を提起しなかったため事態に進展が見られず、2010年に入ると日本でも作品がリリースされるのみでグループとしての活動は行われなくなった。そして、2010年4月3日、エイベックス側が日本でのグループ活動休止を発表し、これをもって東方神起は活動全面休止に至った。

その後、エイベックスと独自に契約を結んで新ユニット「JUNSU/JEJUNG/YUCHUN」を結成したジュンス、ジェジュン、ユチョンの3人とは対照的に、ユンホとチャンミンの2人はしばらくの間、揃って表舞台に立つことはなかった。しかし、3人の活動は新所属事務所の代表者の前科をエイベックス側がコンプライアンス上の問題と看做し始めるに当たり、2010年9月に休止。また翌10月にグループ「JYJ」として正式に韓国での活動を始める など事務所への復帰の可能性が見えない状況が続いたことから、同年11月、SMは5人での活動を断念し、ユンホとチャンミンだけで東方神起の活動を再開することを表明。同時に、一旦訴訟組に付いていたエイベックスもSMとの関係を再構築し、2人となった東方神起の日本での活動を支援することを明らかにした。そして2011年1月、東方神起は、韓国で「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) に回帰した歌をタイトル曲にした5集『Keep Your Head Down』を、また日本で同タイトル曲の日本語版シングル『Why? (Keep Your Head Down)』 を発表し、新たな活動を開始した。 この2人だけで東方神起の名を使うという状況に対して、JYJの3人は事務所を離れたとはいえ我々もまだ東方神起であるとして遺憾を表している。加えて、ユンホとチャンミンは、分裂の原因であるJYJとSMの対立が解消されるまで、サイクルの早い韓国ではすでに忘れられつつあるグループを誰かが守らなければならないと、2人での活動再開の事情を説明した。

2013年12月、デビュー10周年を記念して「Time Slip」というタイトルに合わせて、2人は東方神起のこれまでの活動をファンと振り返りながら10周年記念コンサートを行った。デビュー曲「HUG」から「Catch Me」などヒット曲をはじめ、日本でリリースした曲、季節感のあるキャロルなど多彩なステージを披露し、ファンへ感謝の気持ちとさらなる活動への期待を伝えた。

2014年12月、「TVXQ! SPECIAL LIVE TOUR -T1ST0RY-」を開催。公演タイトルの「T1ST0RY」は東方神起の歴史を網羅する意味で、“東方神起(TVXQ!)”と“HISTORY”、デビュー10周年を意味する数字を組み合わせて造られた言葉である。ソウル公演を皮切りに同ツアーをスタートさせた後、翌15年2月から日本でも兵役前最後となるライブツアーを行った。2015年6月14日にライブツアー「T1ST0RY」のアンコール・コンサート「T1ST0RY - &...!」をソウルにて行ったのを最後に、2人の兵役義務のため東方神起の活動は事実上休止となった。

2017年4月にユンホが除隊、続いてチャンミンも8月に除隊。約2年に及ぶ兵役を終了した2人は、2017年8月21・22日の2日間でソウル・東京・香港をまわる『東方神起 ASIA PRESS TOUR』を行って今後の大まかな活動予定について発表。これを機にグループとしての活動を再開した。

その後、9月下旬にユンホとチャンミンそれぞれのソロ曲を韓国でリリース。9月30日からは除隊後初のライブイベント『TVXQ! Special Comeback Live - YouR PresenT』を開催して、韓国と中国のファンと再会を果たした。

以降は日本での活動に専念。10月25日に自身4枚目、2人体制では初となるベスト・アルバム『FINE COLLECTION 〜Begin Again〜』を発売し、11月から翌年の1月まで日本全国5大ドームを廻る『TOHOSHINKI LIVE TOUR 2017 ~Begin Again~』を開催して日本のファンとも再開を果たした。

日本でのツアーが終わると、2018年3月28日に8集『NEW CHAPTER #1 : THE CHANCE OF LOVE』を発表して韓国歌謡界にカムバックした。活動休止をしていた東方神起にとって、今回が約4年ぶりとなる本格的なカムバックであった。アルバムはHANTEOチャート、シンナラレイコードなど韓国国内のアルバムチャート日間1位を獲得し、iTunes総合アルバムチャートでも全世界13地域で1位となった。さらにガオンチャートでも週間1位を獲得して国内外に"王の帰還"を知らせた。5月から8月にかけてこのアルバムを引っさげて、約3年ぶりとなるアジアツアー『TVXQ! CONCERT -CIRCLE- #welcome』を行った。

2018年6月8〜10日にかけて、自身2度目となる日産スタジアムでの公演を行った。同公演は2017年に開催された日本5大ドームツアーのスペシャル・エディションとして行われ、3日間で22万人を動員した。同会場での3日間の公演はアーティスト史上初である。その後はアジアツアーを行いながらも日本での新たな活動の準備を行い、9月19日には再始動後初のオリジナル・アルバム『TOMORROW』を発売。その一週間後から10会場33公演の日本全国アリーナ&東阪ドームツアー『TOHOSHINKI LIVE TOUR 2018 〜TOMORROW〜』 を開催した。

2018年12月26日、デビュー15周年を迎える。韓国で記念アルバム『NEW CHAPTER #2 : THE TRUTH OF LOVE』を発売し、さらにその当日に高麗大学の化汀体育館においてデビュー15周年記念ファンミーティング『TVXQ! Special Day 'The Truth of Love'』を開いて、ファンと貴重な時間を共有した。2019年3月から7月までアジアツアーの追加公演を行った他、ソロ活動も活発化。ユンホは韓国では初となるミニ・アルバムを発売し、チャンミンはバラエティ番組に複数出演するなど、2019年上半期は韓国をメインに活動を展開した。

2019年下半期は日本での本格的な活動を予定。7月末にはおよそ8カ月ぶりとなるシングルが発売され、11月から日本5大ドームツアーが始まることが現時点で決定している。

※文章がおかしな場合がありますがご了承ください。

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