BaBe(べいぶ) |Wiki【もしもし辞書】
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BaBe
BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。 表記は "BaBe" が正しく、"Babe"、"BABE" は誤り。片仮名表記は、2ndシングルまでは「ベイヴ」と表記されていた。 1987年に、当時流行だったマイケル・フォーチュナティのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ジャズダンス教室で結成されたユニットが元になっているため、当時としては他に類を見ない激しいダンスを踊りながら歌う「歌って踊る」スタイルで人気を得た。そのため、ダンスパフォーマンスを売りにする女性アイドルグループの元祖となった。二階堂ゆかりの結婚により1990年3月31日に解散。 活動当時の所属事務所はエスワン・カンパニー。別名義:Vis-à-Vis(ヴィザヴィ)。前身ユニット:ブレイカーズ → ハートブレイカーズ。 近藤智子(こんどう ともこ、 (1966-02-17) 1966年2月17日(58歳) - )
二階堂ゆかり(にかいどう ゆかり、 (1965-08-29) 1965年8月29日(58歳) - )
近藤と二階堂の2人は、それぞれ別のアマチュアバンドでボーカルとして活動していた。「アルバイトをしながら好きなことを探そうと思っていた」近藤と、「短大に行って保母さんになろうと思っていた」二階堂は、高校卒業後から通い出したジャズダンス教室「一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー」で出会う。(教室に入ったのは二階堂の方が先だった。なお、1985年11月中旬に教室が移転。移転後の所在地は東京都渋谷区宇田川町25-4 ダッキープラザビル6F) 1984年、ダンス教室内で近藤と二階堂の2名に対し、「ブレイカーズ」のユニット名が与えられる。そして同年11月17日公開の映画『ザ・オーディション』に、「ブレイカーズ」名義で出演。 1985年10月、同ジャズダンス教室が主催した『ダンシングミュージカル フィナーレには花束を』に近藤と二階堂が出演。そして、ミュージカルで共演したセイントフォーの所属事務所「日芸プロジェクト」(当時の所在地:文京区音羽1-24-10)にスカウトされ、近藤、二階堂、そして映画『ザ・オーディション』に出演していた年下の佐伯万里子を加えた3名で、ダンスボーカルユニット「ハートブレイカーズ」を結成。センターポジションは近藤。デモテープを作成したり、各地のイベントや学園祭でライブ活動を行ったり、ラジオ番組出演、雑誌掲載などの仕事を行う。 1986年、斉藤さおり(後の麻倉あきら)がデビューする際にライブに帯同し、「斉藤さおり&ハートブレイカーズ」名義で活動。 その後、近藤、二階堂の2名で「エスワン・カンパニー」(当時の所在地:港区赤坂5-1-5 管野ビル4F → 1988年夏より赤坂6-3-16 赤坂瀬戸ビル3F)に移籍し、新ユニット「BaBe」として1987年2月21日にレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「DANCIN' ANGELS」。 マネージメントは古米浩平(ふるまい こうへい)や藤原正剛(ふじわら せいごう)が務めた。公式ファンクラブ名は「BaBe & THE GANG」で、約2,000名の会員がいた。この他、ファンによる私設のサークル「BaBe LaBo」も1989年春に作られ、BaBeのライブ後には会員による情報交換、抽選会、記念撮影などの集会が開かれたり、1990年4月まで会報も毎月発行されていた(発行された会報は計10冊で、100名以上の会員がいた)。 デビュー時はいわゆるアイドルとして活動し数々の歌番組・バラエティ番組へのテレビ出演は無論のこと、その年の新人賞レースにも参戦していた。しかし、翌年からアーティスト指向に方向転換し、活動のフィールドをラジオ番組やライブハウス出演などに比重を移す。後半のアルバム『Brand-new』(1989年)や『CONTRAST』(1990年)では作詞にも挑戦している。 1990年1月中旬より二階堂が風邪をこじらせ、それが肺炎となり、同年2月4日より一週間ほど都内の病院に入院。本来であれば、同年3月11日(東京・恵比寿ファクトリーI)、3月28日(大阪)、3月29日(福岡)、4月15日(名古屋)と、春のライブツアーが開催される予定だったが、同年2月にリハーサルの遅れを理由に延期を発表。既に販売されたチケットの代金も払い戻された。 1990年2月17日、近藤の誕生日でもある日に、二階堂が入籍。相手は、二階堂が高校時代から7年に渡って交際してきた1歳年上の男性。 1990年2月18日付の『スポーツニッポン』の芸能欄にて、二階堂が妊娠4ヶ月で入籍したことにより、同年3月一杯でBaBeが解散することが報じられた。翌19日付の『東京中日スポーツ』や、同2月発売の雑誌『週刊明星』(1990年3月8日号)でも追報。2人は当初「BaBeはどちらかが結婚する時が解散する時」としていたという。 1990年3月、二階堂が挙式。この模様は、『スポーツニッポン』(3月25日付)、『週刊明星』(4月12日号)、『女性セブン』にて報じられた。 BaBe解散後、1990年8月に二階堂が第一子を出産。その後も子供をもうけ、計3人の子供を育てた。一方、近藤はしばらくソロで活動。斉藤満喜子のプロデュースやラジオ出演、関西ローカルのテレビ出演などをしていたが、やがて近藤も結婚を機に芸能活動を引退した。
二階堂はデビュー前、モスバーガー や、すかいらーく武蔵野西久保店でアルバイトをしていた。武蔵野西久保店は、(株)すかいらーくの本部横に所在していたこともあり、人事部の目に留まり店舗ビデオマニュアル「welcomeすかいらーく」に出演している。二階堂が起用されたビデオマニュアルは1992年頃まで全国の店舗で使用された。しかし、I Don't Know!のプロモーションビデオはデニーズで撮影されている。一方、近藤は高校時代から玉川高島屋、元禄寿司、東急ストア、レストランなど様々な所でアルバイトをしていた。 著名なダンサー兼振付師として知られる五十嵐薫子(のちの香瑠鼓)が、石井明美に次いで振付をしたのがBaBeである。BaBeに本格的なダンスを教えるために、ジャズダンスのレッスンを受けさせた後に、「Give Me Up」の振付を教えた。しかし、そもそも二階堂と近藤はデビュー前にジャズダンススクールで出会っていて、ミュージカルにも出演した程度の基礎はあった(近藤は痩せたくて、ジャズダンススクールに通っていたと語っている)。香瑠鼓はその後、Wink(鈴木早智子・相田翔子)の振付も担当している。 その風貌から、近藤は「富田靖子のNG」、二階堂は「クロマティに似ている」と言われたことがあった。 BaBeが解散する直前の1990年3月5日、ニッポン放送のラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』の、リスナーが意見を投稿するコーナー「悪魔で生ラジオ」にて、解散後の近藤を憂う「どうするどうなる BaBeの近藤」のテーマが取り扱われた。そして翌週の3月12日には近藤が緊急ゲスト出演し、今後の身の振り方を相談した。 なお、同ラジオ番組では、芸能人・著名人の変な言動を集めて競わせ、番付を付けていくコーナー「夜霧の横綱審議会」でも、1988年に近藤の発言が度々取り上げられ、その結果、近藤は「関脇」に認定された。 2017年7月11日、二階堂が、歌手デビューした長女の満月あいりと共に『ノンストップ!』(フジテレビ)に出演し、27年ぶりにテレビに登場した。二階堂は、前記の年齢詐称や低月給を補うためのアルバイトの件などを述べ、また、番組中に近藤へ電話をして、解散後も交流があることを語った。 Hold Me! (EXTENDED DANCE VERSION)(1987年)
Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜(大阪「ひらかたパーク」のCMソング) It's So Wonderful (You're The Part Of Mine)(Extended Med. Club Mix)(1988年)
白井良明の楽曲 「No!Blood!」(白井の1stソロアルバム『City of Love』に収録。1988年6月21日) 斉藤由貴のシングル 「夢の中へ」(1989年4月21日) 斉藤満喜子のシングル 「鏡の中のBaby Face」(1990年7月11日) - 近藤のみ参加 愛するままに It's So Wonderful (You're The Part Of Mine) いじわる天気 Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜 BaBe - Night Tempo presents ザ・昭和グルーヴ(2020年2月14日、デジタルリリース)
I Don't Know (Night Tempo Showa Groove Mix) Hey Bravo!(1987年8月21日、40分)
The Boy is Mine (Live) Somebody Loves You 〜明日の恋人〜 じゃじゃ馬ならし(近藤ソロ) ひとりぼっちのWarriors I Don't Know! My Shiny Rain(二階堂ソロ) ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜 (Live) Give Me Up NG集 おまけ「I Don't Know!」フリツケ プロジェクトA子3 シンデレラ♥ラプソディ(OVA、1988年6月21日) Thank You(1990年6月21日、45分) - 解散後の作品
She has a dream WAKE UP!(インクスティック芝浦ファクトリーでのライブ風景を使用したPV) Get a Chance! TONIGHT! Hold Me! Somebody Loves You 〜明日の恋人〜 I Don't Know! Give Me Up Brand-new Generation NG集 CDV GOLD 〜 Mujaki Genki Suteki(1987年9月21日) I Don't Know! The Boy is Mine ひとりぼっちのWarriors ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜 Give Me Up 1987年6月26日:第6回 メガロポリス歌謡祭新人賞(テレビ東京)優秀新人賞 1987年10月16日:全日本歌謡音楽祭(テレビ朝日)新人奨励賞 1987年10月17日:銀座音楽祭(フジテレビ)最優秀新人賞 1987年10月30日:輝け! 第18回 日本歌謡大賞(フジテレビ)放送音楽新人賞 1987年11月25日:第29回 日本レコード大賞 (TBS) 新人賞 1987年12月4日: 第20回 日本有線大賞 (TBS) 新人賞 1987年12月10日:第20回 全日本有線放送大賞(読売テレビ・日本テレビ)新人賞 1987年12月15日:第16回 FNS歌謡祭(フジテレビ)最優秀新人賞 ※ 在京キー局のテレビ番組の放送日は首都圏のもの。地方の系列局の放送日は異なる場合がある。 あまえないでョ!(フジテレビ、1987年2月12日) - 第5話にてクラブで歌うシンガー役 父と娘の季節(日本テレビ、1990年12月20日) - BaBe解散後に近藤が、長野県松本市の信用金庫に勤めるなおみ(田中美佐子が演じるOLの従妹)役で出演 アッコにおまかせ!(TBS、1987年11月29日) さんまのまんま(関西テレビ、1988年3月7日;フジテレビ、1988年3月9日深夜〈首都圏〉) ねるとん紅鯨団(フジテレビ、1988年4月9日) 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ、1988年4月11日:テレフォンショッキング;1988年6月 - 9月:レギュラー) 火曜ワイドスペシャル - 所さんの大わらい!うちら陽気なミュージシャン (フジテレビ、1988年4月19日、「アイドル声あてクイズ」に出演) 欽ちゃんのどこまで笑うの!?(テレビ朝日、1988年5月3日) Lady's Knight(日本テレビ、1988年10月15日 - 1989年3月25日) パオパオチャンネル(テレビ朝日) - ウッチャンナンチャンと共に金曜レギュラー。BaBeは番組の途中で降板したが、最終回の1989年9月29日に再び出演した。 ビショップinナイト Live King(ABCテレビ、1990年4月24日 - 1991年) - 解散後、近藤が原田伸郎と共に司会を務めた音楽オーディション番組。 なにわ友あれ赤井英和(毎日放送) - 引退後の二階堂がゲスト出演。 ノンストップ!(フジテレビ、2017年7月11日) - 引退後の二階堂が実娘と共にゲスト出演。近藤も電話でのみ出演。 他多数 ザ・オーディション(1984年11月17日、東宝東和) 一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー第3回公演 「ダンシングミュージカル フィナーレには花束を」(1985年10月4日 - 5日、全3回公演、新橋・ヤクルトホール。作・演出・作詞・振付:一の宮はじめ) - デビュー前の出演作。近藤は「とも子役」、二階堂は「ゆかり役」。小林千絵やセイントフォーと共演。 カモン・BaBeのハロームービー夢工場(ニッポン放送) - 嘉門達夫と共演の番組 ジャジャ馬BaBeのハロームービー(ニッポン放送) ABC東京発 アーチストNOW(ABCラジオ、1988年4月 - ) - パール兄弟のサエキけんぞうと共に水曜レギュラー Lo-Dライブコンサート(1988年5月28日、エフエム東京) - 麹町のエフエム東京ホール(キャパ350人)での公開生放送ライブ。司会:井上堯之、田中美登里。 デーモン小暮のオールナイトニッポン(ニッポン放送)
1990年3月5日 - ゲスト出演ではないが、解散後の近藤の身の振り方に対し、リスナーが意見を投稿するコーナー「悪魔で生ラジオ」にて、解散後の近藤を憂う「どうするどうなる BaBeの近藤」のテーマが取り扱われる。 1990年3月12日 - 近藤がゲスト出演し、解散後の身の振り方を相談。 BaBeのハートを狙い撃ち( - 1989年3月) BaBeのGood Luck(1989年11月28日 - 1990年1月23日、毎月第4火曜日の深夜の5分番組、エフエム福岡) BaBeのBang the Beat(1989年11月28日 - 1990年1月23日、毎月第4火曜日の深夜の放送、エフエム福岡) MBSヤングタウン・キンド館(MBSラジオ、1989年7月 - 1990年4月6日〔二階堂のみ3月2日までの出演〕) - 金曜深夜に東野幸治・石田靖と共演 小林豊のスーパーギャング(TBSラジオ) - 解散後に近藤がレギュラー ABCミュージックパラダイス(ABCラジオ、1991年10月 - 1992年3月) - 解散後、近藤が山田雅人と共に月曜レギュラーとして出演 高田純次の男・夕焼けまわり道(ニッポン放送) - 解散後に近藤がレギュラー 森永製菓 キャラメル「Hi-SOFT」(1988年) 京阪電気鉄道 ひらかたパーク 「ジェットコースター ビッグファルコン」、「ひらかた大菊人形 武田信玄」(関西ローカル)
1987年5月31日 - 日本青年館 1987年8月20日 - 京都会館 1987年10月29日 - 新宿歌舞伎町のディスコ「XENON(ゼノン)」 1988年1月31日 - 中野サンプラザ 1988年3月21日 - 大阪厚生年金会館 大ホール DANCE & LIVE FACTORY「BaBe, FRIDAY NIGHT LIVE!」 BaBeフレッシュサウンズコンサート(1988年8月24日、倉敷市児島駅前「瀬戸大橋架橋記念博覧会」) SUNPU博アイドルステージ(1989年3月26日、静岡市・駿府公園「SUNPU博'89」) Brand-new heart(1989年4月 - 、BaBe初の全国ツアー) Sun downconcert(1989年5月、国立代々木競技場「国際スポーツフェア」) 世界デザイン博覧会 オープニングイベント(1989年7月、名古屋市・白鳥センチュリープラザ しろとりステージ) Bang! THE Beat '89 Bang! THE Beat '89 vol.2「共感」(このツアーは男性ダンサーを1名ゲストに迎えて開催)
1989年12月6日 - 名古屋 1989年12月10日 - 恵比寿ファクトリーI 1989年12月19日 他、福岡などでも開催。 この他、CLUB CITTA'など数か所 1987年10月22日 - 徳山大学 1987年10月25日 - 東北学院大学 1987年10月31日 - 北九州大学(近藤は体調不良で欠席。二階堂が単独でコンサートを行った) 1987年11月2日 - 大分医科大学 1987年11月3日 - 早稲田大学 1987年11月4日 - 金沢大学 1987年11月5日 - 中央大学 1987年11月7日 - 三重大学 1987年11月8日 - 中京女子大学 1987年11月14日 - 東洋女子短期大学、東洋英和女学院大学短期大学部、東京外国語大学 1987年11月21日 - 産業能率短期大学 1987年11月22日 - 電気通信大学 1987年11月23日 - 駿河台大学 1988年 - 三重県立四日市工業高等学校(ライブの途中で公演中止) 1989年11月3日 - 高岡短期大学「第4回 創己祭」(富山県高岡市) 1989年10月 - 多摩そごうのオープニングイベント 『BaBeのおもしろ絵本 Oh!SUSUME(オ・ス・ス・メ)』近代映画社、1988年4月。ISBN 4-76-481511-7。 Catch the BaBe(音楽雑誌『Hundred』。1989年12月号 - 1990年3月号。発行:プラネット) ^ 作曲家の都倉俊一が経営していた芸能事務所で、当時は南野陽子などが在籍していた。 ^ 近藤の「こんちゃん」、二階堂の「にかちゃん」の呼び方は、テレビ朝日『パオパオチャンネル』内でウッチャンナンチャンの2人が命名したあだ名。 ^ 名称は「KOOL & THE GANG」をもじったもの。ファンクラブの会報名も、同名の『BaBe & THE GANG』。 ^ 活動時は年齢を2つサバ読みしていた。 ^ 『読売新聞』1987年3月5日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年3月号p.190)および夕刊第16面(同前p.206)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年5月17日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.656)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年5月21日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.836)および夕刊第16面(同前p.854)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年5月25日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年5月号p.1002)および夕刊第16面(同前p.1026)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月6日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.1154)および夕刊第16面(同前p.1174)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月1日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号.24)および夕刊第16面(同前p.48)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月4日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.166)および夕刊第16面(同前p.182)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月8日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.326)および夕刊第12面(同前p.346)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月11日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.466)および夕刊第16面(同前p.482)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月15日朝刊第14面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.583)および夕刊第16面(同前p.618)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月17日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.696)および夕刊第16面(同前p.712)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年6月18日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年6月号p.740)および夕刊第16面(同前p.756)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『週刊TVガイド』1987.7.4-7.10番組表p.70に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 「音楽」(『週刊TVガイド』1987.7.4-7.10)p.44に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年7月19日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年7月号p.836)のテレビ番組表に「ベイブ新曲」として放送定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月5日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.162)および夕刊第16面(同前p.178)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月6日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.202)のテレビ番組表に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月6日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.202)および夕刊第12面(同前p.214)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月10日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.354)および夕刊第12面(同前p.366)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月13日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.462)および夕刊第12面(同前p.474)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年8月17日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1987年8月号p.618)および夕刊第16面(同前p.640)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年10月17日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年10月号p.774)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年10月28日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年10月号p.1316)および夕刊第16面(同前p.1332)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年11月16日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年11月号p.680)および夕刊第20面(同前p.708)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年11月22日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年11月号p.984)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年12月4日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.176)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年12月4日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.176)および夕刊第20面(同前p.196)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1987年12月27日朝刊第20面(『読売新聞縮刷版』1987年12月号p.1156)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年1月3日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.112)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年1月20日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.834)および夕刊第16面(同前p.852)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年1月31日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年1月号p.1324)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年2月6日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年2月号p.254)および夕刊第12面(同前p.274)のテレビ番組表に「ベイブとピヨコ隊」として放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年2月21日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年2月号p.922)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年3月5日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年3月号p.216)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月1日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.24)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月18日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.244)のテレビ番組表に「ベイブも吹き出す珍プレー特集」として放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月11日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.388)および夕刊第16面(同前p.406)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月21日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.872)および夕刊第16面(同前p.892)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年5月30日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.1294)および夕刊第20面(同前p.1322)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1988年第23号)p.39(各地方版共通)に放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月30日号)pp.8-9にBaBeの共演者・大西結花、島田奈美の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年6月11日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年6月号p.512)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年5月30日号)p.8にBaBeの共演者・麻田華子の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年8月12日朝刊第24面(『読売新聞縮刷版』1988年8月号p.478)および夕刊第12面(同前p.490)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年8月27日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年8月号p.1162)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年8月15日号)pp.8-9にBaBeの共演者・岩井由紀子、佐野量子、立花理佐の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年9月17日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年9月号p.826)および夕刊第16面(同前p.846)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年9月25日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年9月号p.1238)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「WEEKLY SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年10月24日号)p.8にBaBeの共演者・小川範子の収録予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年11月7日号)pp.8-9にBaBeの共演者・島田奈美、西田ひかるの収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年12月17日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年12月号p.810)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1988年第51号)p.43に放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1988年11月28日号)p.8にBaBeの共演者・国実百合、佐野量子の収録予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1989年第1号の番組表p.141に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年2月11日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年2月号p.508)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年1月23日号)p.16にBaBeの共演者・藤谷美紀の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月4日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.196)および夕刊第12面(同前p.212)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月10日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.510)および夕刊第20面(同前p.534)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月11日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.566)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1989年第11号)p.55(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 「STAR SCHEDULE」(『ORICON WEEKLY』1989年2月20日号)pp.16-17にBaBeの共演者・Wink、小川範子、国実百合、佐野量子、仲村知夏、西村知美の収録予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年3月22日夕刊第20面(『読売新聞縮刷版』1989年3月号p.1122)のテレビ番組表に放送・出演予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1989年第15号の深夜番組表p.78に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1989年第20号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 『朝日新聞』大阪版1988年3月7日朝刊第24面のテレビ番組表に「「今年は漫才で新人賞を狙ってみたら!?」ベイブ」として番組放送予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年4月9日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年4月号p.416)および夕刊第12面(同前p.428)のテレビ番組表に番組放送予定と「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1988年4月19日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年4月号p.886)および夕刊第16面(同前p.910)のテレビ番組表に番組放送予定と「アイドル声あてクイズ」および「ベイブ」の記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年5月3日朝刊第28面(『読売新聞縮刷版』1988年5月号p.100)のテレビ番組表に「騒然、ベイブ大暴れ」として番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『週刊明星』1987年2月5日号p.20。 ^ 『明星』1987年5月号p.228。 ^ 『ラジオパラダイス』1988年1月号pp.4-5。 ^ 『Oh!SUSUME』 1988, p.69。 ^ 『近代映画』1988年9月号pp.134-135。 ^ 『Oh!SUSUME』 1988, p.115。 ^ 『週刊明星』1987年4月23日号p.67。 ^ 『週刊明星』1987年11月5日号p.67。 ^ PV集ビデオ『Thank You』(ポニーキャニオン、1990年6月21日)。 ^ 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 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