スリーファンキーズ(3Funkies) |Wiki【もしもし辞書】
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スリーファンキーズ
スリーファンキーズ(3 Funkies)は、1960年代に活躍した日本の男性アイドルコーラスグループ。 スリー・ファンキーズやThree Funkysと表記する場合もある。 愛称は「スリファン」。 代表曲は『浮気なスー(悲しき恋の物語)』(ディオン&ザ・ベルモンツのカバー)、『涙のムーディー・リバー』、『ナカナカ見つからない』等。 当時の所属事務所は第一プロダクション。 長沢純 (リーダー)(ながさわ じゅん、本名:長澤 毅〔ながさわ つよし〕、1941年6月17日 - )
手塚しげお (てづか しげお、1942年1月27日 - 2004年2月4日)
早瀬雅男 (はやせ まさお、1948年3月14日 - )
鎌田実 (かまた みのる)
高橋元太郎 (たかはし げんたろう、本名:風間 元太郎、1941年1月15日 - )
高倉一志 (たかくら ひとし)
スリーファンキーズは男性3人組のグループだが、メンバーの脱退・加入を繰り返したためメンバー構成は3期に分かれる。 長沢純 高橋元太郎 高倉一志 長沢純 高倉一志 手塚しげお 長沢純 手塚しげお 早瀬雅男 概要日本の男性アイドルグループの元祖と位置付けられる存在で、1962年にデビューした「ジャニーズ」と共に、このジャンルの確立に多大な影響を与えた。 略歴1960年1月、銀座のジャズ喫茶「テネシー」が行なったロック歌手募集に、長沢純、高橋元太郎、鎌田実の所属するそれぞれ別々のカントリー&ウエスタンバンドが合格した。ちなみに高橋は当時、高橋わたるの芸名で「ワゴンスターズ」というエレキバンドに所属していた。 ある日、テネシーでのステージを観ていた日本テレビの売れっ子ディレクターによって、3つのバンドの中から長沢、高橋、鎌田の3名がそれぞれピックアップされる。そして、「お前ら、3人だからスリーファンキーズでいいか」と命名され、第一プロダクションに所属し、1961年2月、生放送のテレビ番組(番組名不明、司会はロイ・ジェームス。ホステス役は、後に小澤征爾夫人となった入江美樹)にてテレビデビューした。 長沢純曰く「音楽の基礎を学んでいた訳ではなかったので、出演者というより見学者の気分」でメインの出演者のバックで身体を動かしたり口パクでステージを行っていたのだが、身近な雰囲気が逆に視聴者に受け入れられて「あの後ろで踊っている男の子3人組について教えて欲しい」という問い合わせが日本テレビに殺到した。 1961年夏に鎌田が抜け、高倉一志が加入。 同年8月、「日劇ウエスタンカーニバル」に初登場。 1962年1月、東芝音楽工業(後の東芝EMI→ユニバーサルミュージック)からアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。 同年3月、初の記念リサイタルを開催。 同年5月、1stシングル『でさのよツイスト』発売。 同年6月、高橋元太郎が脱退。 同年8月、テレビ番組『矢車剣之助』で活躍していた手塚茂夫(途中から手塚しげお)が加わり、第二期黄金時代を築く。 同年、「なんば花月」のこけら落し公演を、坂本スミ子らと務める。 1965年2月、高倉一志が抜け、早瀬高明(途中から早瀬雅男)が新たに加入。 1966年2月に解散。 |
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