大阪パフォーマンスドール(おおさかぱふぉーまんすどーる) |Wiki【もしもし辞書】
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大阪パフォーマンスドール
大阪パフォーマンスドール(おおさかパフォーマンスドール、英: Osaka Performance Doll、略称OPD、後に略称そのままのOPDに改称)は、東京パフォーマンスドール(TPD)の姉妹グループとして、吉本興業が大阪府在住の女性を対象としてオーディションを行い1993年4月に結成した女性アイドルグループである。ライブアイドルの先駆けとして大阪府にあった劇場であるうめだ花月を定期公演の会場として活動していた。 当時のアイドルグループとしては先駆け的にダンスボーカルパフォーマンスを行い、TPDと共に後のアイドルグループの原型となった。約800人がオーディションに参加し、最終的に19人の加入が決定した。更にその後の中村龍史の指導による厳しいレッスンにおける評価を経て、上位5人がメディア露出やCDリリースを担うフロントメンバー「F/Unit(エフ・ユニット)」として選出された。大人びた作風のTPDとは異なり、OPDの作風は大阪らしい快活でポップでダイナミックな作風が特徴で、特に初期はディストーションの掛かったエレキギターの音色を積極的に導入してロックの風味付けが行われた曲が多い。そして2ndアルバム以降、当時最先端の様々なクラブサウンドを投入し、アイドルでありながらコアな要素を強めて行った。TPDを発案してプロデュースした中村龍史がOPDでもプロデュースを担当した。AKB48のルーツであるTPDの姉妹グループとして大阪を拠点に定期公演を行った点で、同じく吉本興業グループが参与するNMB48のルーツのような存在である。標準語の楽曲が多いが、大阪弁ラップ曲の『あかん!』に代表されるように大阪弁を活用した楽曲もあり、先駆け的にローカルアイドルとしての役割を担っていた。初期はうめだ花月で定期公演を行っていたが、後に定期公演を縮小し、全国ツアーやテレビ番組出演に移行していった。併せて、街頭でのゲリラライブも行った。Wコウジ(今田耕司・東野幸治)との共演でも有名である。TPDと同じく、従来のアイドルにはない数々の先駆的な試みを行った。 「家から通える芸能界」を合言葉に、大阪府在住者を対象にオーディションを行い1993年4月に結成。メンバーの過去のダンス経験が不足していることもあって暫くの間、デビューに向けた準備として中村龍史の指導の下で非常に厳しいレッスンを行い、実力の評価に基づき厳選されフロントに立つことを許された5人のCDメンバー「F/Unit」と、その他大勢のライブメンバーにふるい分けが行われた。また、デビュー前の段階で数名がOPDを脱退した。1993年8月2日、大阪府大阪市の吉本会館B1Fにあった吉本興業が運営するディスコ「Desse Jenny(デッセ・ジェニー)」でデビュー記者会見を行う。続いて1993年8月16日、東京パフォーマンスドールの日本武道館公演の前座で1曲のみではあるがライブパフォーマンスを初披露する。その後、1993年8月21日の「24時間テレビ 愛の歌声は地球を救う16」への出演を経て、1993年10月9日には活動初期の定期公演の会場となるうめだ花月で初ワンマンライブ「Dance Re-Mix」を行い、メディア露出やライブ活動を継続した。1994年3月~4月、F/Unit+2(F/Unitに重元直美と中村亜紀を追加)という限られたメンバーであるが、初のライブツアーとなる「Spring Tour '94」を東名阪で開催。1994年5月以降、大阪で毎週土曜日にストリートゲリラライブを開催。更には1994年8月25日にOPD初の海外ライブとして、上海で上海パフォーマンスドール(SPD)のメンバーを最終決定するオーディション番組(日本でも放送)にTPDと共に出演し、最終決戦で選ばれたばかりのSPDと競演した。1995年11月3日には大連に赴いて再度SPDと競演している。また、1994年6月22日に発売した「チェリー・パレード」と「あかん!」ではラップパートを初導入、1994年11月2日に発売した「So BLUE So Funny」という曲ではヒップホップグループであるRHYMESTERとのコラボレーションを行い、当時の女性アイドルグループとしては珍しいヒップホップ曲を制作している。しかし、デビュー時点で第二次アイドル冬の時代に突入していたためCDの売れ行きは芳しく無く(最高でもデビューシングルのオリコンランキング57位)、1994年末以降はオリコンランキング圏外が連続するようになり、次第に個々の活動が目立つようにもなった。オリコンランキングの順位が振るわなくなった時期である1994年10月1日から1995年3月16日にかけては、売れないアイドルを集めた特別番組である『今田東野ナイナイの芸能界ダメならぬがねば!!』と後継深夜番組の『天使のU・B・U・G』に出演し、武内由紀子が日直MCを務めた際にメンバー自身がCDの売上枚数が厳しい状況にあることを伝えている。1996年には名称を略称そのままの「OPD」に改名し、3月30日の東京 ON AIR EAST(現Spotify O-EAST)公演をもって第1期F/Unitの古谷文乃と稲葉貴子(後の(s)pirit colorメンバー)が卒業し、その後に第2期として大幅なメンバー・チェンジを行なったものの、1997年に自然消滅(当時は公表していないが、よしもと大博覧会の出演前に最後のライブ出演を通告され、定期的に行っていたダンスレッスンも何の前触れもなく無くなったとのこと)という形になった。1996年頃にゴスペラーズと共演したこともある。事実上の最終ワンマンライブは、1996年6月11日~13日,16日の4日間で東名阪と福岡を巡るOPD SPECIAL LIVE COLLECTION 「♂(ボーイ)と♀(ガール)はマグネット。ピタッ!」という、ハガキ抽選による招待制ライブツアーの最終日公演で、その後は自然消滅までの間、細々と東京ドームで開催された「よしもと大博覧会」に出演したのみである。しかし、リーダーの武内由紀子によれば、解散は明言していないため、OPDの存在自体については中途半端な状態が継続しているとのことである。グループとしての活動は殆ど無くなったが、OPDのメンバーはデビュー30周年の2023年に至るもLINEグループで常時情報交換を行っており、「家族」として助け合う関係性を維持している。1990年代の第二次アイドル冬の時代にあって、努力の甲斐もなく、J-POP全体から見た人気度で言えばB級的な立場にあったTPDよりも更に人気が低く冷遇されたため、メンバーにおいては非常に辛い思い出となっており、活動再開についてはかなり消極的である。過去の復活としては、リアルタイムにOPDを体験したファン向けの復活トークイベントが2018年の1度,復活ライブが2008年と2023年に2度行われたのみである。但し、(s)pirit colorのライブでは会場の近くに住んでいるメンバーをゲストに呼んで1~2曲ほど歌唱することはある。 また、リーダーを務めた武内由紀子の述懐によると、既に活動実績がある東京パフォーマンスドールと比較して扱いは低く、衣装などの嵩張る荷物であってもボストンバッグに詰めて自分たちで運ぶ必要があり、また移動は全て鉄道であり、衣装はパジャマのような簡易なものが用意されるかあるいは本家の東京パフォーマンスドールで着古した衣装を借りることが多かったと言う。 OPD単独のライブやMVを収録した映像作品は発売されておらず、資料用の記録映像を確認できる関係者か、リアルタイムでライブを体験したファン以外がOPD単独としてのパフォーマンスを観ることは不可能である。但し、前座として出演した1993年8月17日のTPDの武道館ライブ「Thats The Revue」の映像作品には、舞台裏での姿のみが僅かに収録されている。また、1994年8月7日のTPDの横浜アリーナライブである「That's the REVUE 1994」の映像作品である「VIDEO Cha-DANCE Vol.12」でもOPDメドレーとバックダンサーとしてのパフォーマンスが確認できる。公式に発売された現役時代のOPDの映像は、前述の2点のみとなる。後に映像の商品化の要望は寄せられているが、現役当時の単独ライブの映像はVHSのため品質が悪く、30周年限定復活ライブの映像はホームビデオによる正面1カメラのみで収録されていたりと、商品化には難のある映像しか残されていないため実現していない。 1990年代からのファンのために限定復活を行っているが、メンバーの家庭が忙しいだけでなく準備の負担も大きいため相応の理由が必要であり、復活の間隔はかなり長くなっている。 いつも古谷文乃の家にOPDメンバーが集まって食事会を行うほど仲が良く、その会話の中で復活の話が度々持ち上がるとのことである。 2008年、デビュー15周年記念として『2008限定 大阪パフォーマンスドール夏祭り!!〜15年目の夜だから〜』で、11年振りのライブを開催した。メンバーは、武内由紀子,稲葉貴子,古谷文乃,上田美穂,中野公美子,重元直美の6名。
東京公演(8月17日(日)、SHIBUYA BOXX) 2008年8月13日(水)、「満月の夜だから」 「恋がまぶしくて」 「笑顔に大接近」の着うた、着うたフルが配信された。 2009年1月11日(日)、期間限定復活を記念してソニーミュージックショップの「オーダーメイドファクトリー」にて、OPDの全楽曲が収録された3枚組のCDアルバム『OPD ALL SONGS COLLECTION』が発売された。 2018年8月31日(金)、結成25周年を記念し、OPDトークイベント『25年目の夜だから~喋るで!歌わへんで!~』が渋谷で開催された。ライブは行わなかったが、中野公美子のみはライブを熱望していた。 2023年、結成30周年を記念してOPDが7月21日(金)から11月18日(土)までの期間で限定復活し、タワーレコードとのタイアップで下記のような過去に無い規模の大型企画を展開した。復活の経緯としては、東京在住のメンバーが古谷文乃の家に度々集まっており、その際に30周年の復活が決まったということである。なお、武内由紀子と古谷文乃が、加齢に伴う体力の低下からOPDとしてのライブパフォーマンスは今回の限定復活が最後であることを予告している。ライブとミニトーク&サイン会は東京のみでの開催であったため、関西からもファンが駆け付けた。
11月1日(水)には全ての過去楽曲を配信で再リリースした。 10月31日(火)から11月19日(日)にかけてはタワーレコード渋谷店3階で「OPD POP UP SHOP」を実施し、同期間はタワーレコード梅田NU茶屋町店でもオリジナルグッズの販売を行う。販売するM∞CARD+オリジナルグッズは下記の通りである。M∞CARDに収録されるMVは、OPDとしては一般流通が初めてとなる単独での映像作品である。
B-type 特典/ MV+メンバーソロ写真5種(ランダム) OPD 30th anniversary Photo Book 「thanks a lot♡♡♡」(24Pステッカー1枚付き、全2種)各1,600円(税込) 武内由紀子デザインロゴTシャツ ホワイト M.L.XL /ブラック M.L.XL 各3,500円(税込) ポスター 2種 各600円 10月31日(火)から11月12日(日)にかけては特典会のミニトーク&サイン会の開催のために、タワーレコード渋谷店限定でM∞CARD+対象グッズ3,000円以上のセットでの購入者に対して1人1会計1枚の「イベント参加抽選券」とセット数分の「サイン会参加券」を配布する。「イベント参加抽選券」については11月14日(火)18:00頃にタワーレコード渋谷店のホームページかSNSで当落が発表される。 11月11日(土)にはタワーレコード渋谷店B1階のCUTUP STUDIOでのライブ『OPD 30th × TOWER RECORDS Premium Live〜30年目の夜だから〜』(運営者の都合により東京の14:00開演,18:00開演の全2回公演のみ)を開催した。 11月15日(水)12時台にはラジオ大阪『OBCグッドアフタヌーン!』に古谷文乃,上田美穂がゲスト出演し、その後にタワーレコード梅田NU茶屋町店の「OPD POP UP SHOP」を訪問する。 11月18日(土)には「イベント参加抽選券」の抽選当選者を対象に、特典会のミニトーク&サイン会をタワーレコード渋谷店5階のイベントスペースにて1部は12:45から,2部は14:00から行う。サイン会では運営が用意するポストカードもしくは購入したポスターを持参した場合はポスターにサインを行う。ミニトーク&サイン会の終了をもってOPDは活動を再度停止する。 2024年3月16日(土)、稲葉貴子の50歳の誕生日を記念するイベント『稲葉貴子 バースデーライブ ’24 〜Ultra Attchu Fes!〜』の一部において、東京在住の稲葉貴子,古谷文乃,武内由紀子,中野公美子の4名でライブを行う。 メンバー総勢20名程度のメンバーが居るが、その中にも「CDメンバー」と「ライブメンバー」の区別がある。 下記5名はデビューに向けた中村龍史の指導による厳しいレッスンの過程で選抜されたCD制作・マスメディア露出を行う「CDメンバー」で、5人の名字の頭文字を取り、英単語としての意味が通るように並べ替えて「F/Unit(エフ・ユニット)」と称した。レッスンの過程で見極められた最も実力があるメンバーであるため、ライブでもフロントメンバーの役割を担った。発売された作品には標準語の楽曲が多いが、日常会話では全員が大阪弁を用いている。各々家庭が忙しいが、グループの自然消滅後も元メンバー同士での「親戚家族」のような交流は続いている。グループの自然消滅後は上田美穂を除いて東京在住であり、大阪で活動するグループという意味合いは薄れている。 武内由紀子( (1973-03-19) 1973年3月19日(51歳)) 稲葉貴子( (1974-03-13) 1974年3月13日(50歳))(1996年3月30日脱退) F/Unitの現役時代において下記3名は同年齢の高校生であったため、HIGH-SCHOOL TRIOというサブユニットとして扱われることがあった(例えば1stアルバム『d-Culture』の歌詞カードの歌唱順における表記など)。 古谷文乃( (1977-08-06) 1977年8月6日(46歳))(1996年3月30日脱退) 上田美穂( (1977-12-14) 1977年12月14日(46歳)) 中野公美子( (1977-03-03) 1977年3月3日(47歳)) 以下の2名はF/Unitメンバーではなく「+α」としての扱いであるが、1994年からF/Unitと同様にメディア露出や東名阪ライブツアーやCD制作に参加するようになった(この7名のグループは「F/Unit+2」と称した)。 重元直美 中村亜紀 以下のメンバーはライブを中心に活動。 村岡美香(1994年脱退) 鈴木里佳(1994年脱退) 西村奈保美(1994年脱退) - 演歌歌手として活動後、嫁ぎ先でパン販売業を営んでいる。 松本淳子(1995年脱退) - 息子はDDTプロレスリング所属のプロレスラー・夢虹。 梶本愛 - 後に吉本新喜劇に入団後、寿退団。 坂田朗子 - 後に吉本新喜劇に入団。2000年頃退団。 竹下恵理 西元康恵 山野香恵 - 吉本退社後に、多聞福音教会で受洗してクリスチャンとなり、ゴスペルシンガーとして、西日本を中心にプロテスタント教会でコンサートを開いている。また、関西を拠点とする「劇団パロディフライ」にも参加していた。 ※1996年3月30日の古谷文乃と稲葉貴子の卒業に伴い、メンバー構成が変更された。メンバーは第1期F/Unitの3人(武内・上田・中野)に加え、F/Unit+2で追加されていた以下の2人。メンバーの名前の頭文字が変わったため、第1期にあった「F/Unit」という名称は廃止されたが、「F/Unit」に代わるフロントメンバー用の名称が付けられる事はなかった。 重元直美(1996年加入) - 次長課長の河本準一と結婚し引退。 中村亜紀(1996年加入) - ソロでシングル3枚、アルバム1枚をリリース。 水野由加里 - ただし、本人はブログで自分は第1次追加メンバーではなく、第2期メンバーであると述べている。グリーンチャンネルのレポーターなどJRAのコンテンツに出演。 森宏子(1994年脱退) - 第2回『ミスヤングマガジン』でグランプリに選ばれ、「森ひろこ」としてグラビアタレントとして活動。 河本奈津子 - 「奈津子」として2000年4月にソロデビュー。シングル4枚をリリース。 大山ルミ - キーヤキッス追加メンバーとして解散まで所属。「Dydo MIU Racing Team」のキャンペーンガールとして活動。その後妹とともに大山姉妹として活動。 大山恵理乃 - 実姉・大山ルミと同じく、後に「キーヤキッス」→「大山姉妹」として活動。 松本美由紀 南田千鶴 - 『MAXハニー』(奈良テレビ・三重テレビ)のメンバーやビクトリーチャンネルに出演。 宮内潤子 森田有子 山本美子 - 後に「YOPPY」としてモデルやタレント業の他、バンド「THE★SCANTY」を結成。その後ブランドショップを経営。 CD下記作品は、CDデビュー30周年となる2023年11月1日にベストアルバム『OPD ALL SONGS COLLECTION』を除いてネット配信済み。 |
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