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「新社会党(しんしゃかいとう) 」とは

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新社会党

新社会党(しんしゃかいとう、英語: New Socialist Party of Japan)は、日本の政治団体。日本社会党は1995年(平成7年)に自民・さきがけとともに村山富市内閣を発足した際、村山政権が・核の否定・小選挙区制・消費増税・自衛隊は違憲の政策を容認する姿勢に転換、新自由主義の推進と 憲法改悪に直結するとそれに反対し、平和・人権・正義・環境の旗印を掲げ、賛同する全国各地の仲間たちと当時日本社会党だった山口哲夫(参)、矢田部理(参)、小森龍邦(衆)、岡﨑ひろみ(衆)、栗原君子(参)という5人の国会議員が日本社会党から離党し、結党した政党。社会主義を掲げている。略称は新社党、社会党。

政策的には日本国憲法の護持・非武装中立・社義経済、消税廃止を主張

社民主を「大資本の配を前提にして軍事力の行使を認」と資本義の枠内になして批、「資本主義を温存する(資本主義社会の枠内での)『福祉国家』ではなく社会主義国家を」と主張するなど、かつての労農派マルクス主義、社会党左派の流れをくみ、理論的には向坂逸郎の死後分裂した社会主義協会(坂牛派・細川派)の色彩が強い。

これまでの選政党党候補を推薦しているが、東京都知事選挙で民主党系無所属の浅野史郎を支援したり、廿日市市長選挙で自由民主党と共同で現職やその後継候補を推薦したりしている。国政選挙でも「よりまし」として愛媛などのように民主党系候補を支援することもあった。第24回参議院議員通常選挙では、日本共産党の候補も推薦している。

党員数が少ないため独自の運動を展開するのは困難な状態にあるが、労働運動では全労協(特に国労の一部など)、連合の一部(自治労、日教組、旧全国一般など)、全労連の一部(京都総評、兵庫労連など)と共闘関係。護憲運動では「憲法を生かす会」を組織。

機関紙として「週刊新社会」を発行している。

党史

日本社会党は1995年(平成7年)に自民・さきがけとともに村山内閣を発足した際、それまで反対してきた自衛隊・日米安保条約・小選挙区制・原発などを容認する姿勢に転換した。社会党は前年成立した細川内閣においても与党であったが、小選挙区比例代表並立制導入などを目的とした公職選挙法改正案(政治改革法案)採決で党内から相当数の造反者を出していた。この方針転換により党内からの反発が相次いだ。

1996年(平成8年)1月1日、日本社会党参議院議員の矢田部理らは新社会党を結成、衆議院議員2人(小森龍邦、岡崎宏美)、参議院議員3人(矢田部・栗原君子・山口哲夫)が参加した。国会における会派の名称は衆・参ともに「新社会党・平和連合」とした。矢田部らは離党届を提出したが、社民党は受理せず除名処分とした。委員長に矢田部、副委員長に岡崎と小森、書記長に山口(元釧路市長)が就任した。社会党元副委員長の和田静夫は顧問に就任、しかしその後自由連合に鞍替えした。新党護憲リベラルを経て憲法みどり農の連帯を結成した翫正敏らも入党。元々護憲リベラルのメンバーと小森は「新党民主フォーラム」という護憲新党準備団体を共同で結成しており、親和性が高かった。他には元議員として上野建一や稲村稔夫、金子みつら、地方議員では当時中野区議会議員だった江原栄昭(後に都委員長に就任)らが入党している。

1996年の衆議院総選挙・1998年の参議院選挙といずれも全員落選し、国会での議席を失った。また、いずれの選挙でも得票率が2%に満たず、政党要件を喪失。これまで受けていた政党交付金も支給されなくなった。なお、主な資金源は交付金であったが、この制度については特に憲法上問題とはしていなかった。交付金打ち切り後は党費・個人献金・団体献金・機関紙購読料などが主な資金源である。

2000年の衆議院総選挙・2001年の参議院選挙でも議席回復に失敗。また、反基地闘争で共闘関係にある沖縄社会大衆党の新垣重雄を東京都選挙区で推薦したが、当選には至らなかった。2003年の衆議院総選挙では、初めて社民党と本格的な選挙協力を行い、無所属で候補を擁立したが及ばなかった。2004年の参議院選挙でも公認候補を立てず、原和美らを無所属で擁立した。しかし、他党候補の推薦を除き、当選者は得られなかった。原は2005年の衆議院総選挙、2009年の衆議院総選挙でも兵庫1区より無所属で立候補したが、落選した。

2007年の参議院選挙では、平和運動団体である「キリスト者平和ネット」や「みどりのテーブル」の一部の活動家などと合同で、確認団体「9条ネット」を立ち上げ、栗原を含む9人の比例区候補と、元神戸市議で党副委員長兼兵庫県本部委員長の原和美を選挙区候補として計10人の擁立を発表した。しかし、選挙結果は比例代表273,755票(得票率0.46%)で、議席獲得には至らなかった。原を擁立した兵庫以外の選挙区では民主党・社民党系候補や野党系無所属候補を支援し、東京都選挙区から立候補した無所属川田龍平、愛媛選挙区から立候補した無所属友近聡朗(民主・社民・国民新党と共同推薦)らの当選に尽力した。

2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙では社民党と共闘し、原が社民党に移籍、比例代表から立候補した。原は選挙前に社民党幹事会で入党が了承されたが新社会党への離党届は受理されずに執行部預かりとなり、選挙後は新社会党と社民党の二重党籍となっている。原は個人得票で4位に留まり落選した。

党幹部でメディア露出も頻繁だった原を社民党に移籍させたことや、それに伴い本来規約で禁止されている多重党籍を執行部が積極的に認めていることなどについては批判もあり、2011年(平成23年)、新社会党結党以来初の中央執行委員長選挙になった。本部に批判的な江原栄昭が出馬したが落選し、松枝佳宏が当選した(選挙結果は、松枝得票率が74.7%、江原得票率が20.3%、白票3.8%、無効票1.2%で投票率は77.9%)。2012年6月、委員長の松枝と社民党党首の福島瑞穂が会談し、来る衆議院選挙と参議院選挙において社民党と選挙協力を行う旨の協定を取り交わした。同年12月の東京都知事選挙には支持候補として日本未来の党、共産党、社民党、東京・生活者ネットワークとともに前日本弁護士連合会長で新人の宇都宮健児を擁立した。

2013年(平成25年)1月の委員長選挙において、江原ら本部に批判的な党員53名が推す細川正が立候補したが、松枝(兵庫県本部推薦)が再選された(選挙結果は、松枝の得票率が81.4%、細川正の得票率が18.6%、白票が5.5%、無効票が0.2%で投票率は81.0%)。2013年参議院議員選挙では、社民党、社大党、みどりの風の候補を推薦・支持し、また無所属の山本太郎を支援した。

2014年衆議院議員選挙では社民党支持を決定した。

2015年(平成27年)も委員長選挙となり、前回に引き続き松枝と細川の一騎打ちとなったが、松枝佳宏が三選した(選挙結果は、松枝の得票率が79.7%、細川の得票率が15.9%、無効票4.4%で投票率は81.0%)。なお、中央執行委員長選挙では都道府県別の党員数は公表しているにもかかわらず、投票数は明らかにしておらず、江原や細川らは批判している。

2016年参議院議員選挙では、選挙区は1人区の野党統一候補を中心に、社民党、民進党、共産党、無所属候補を推薦・支持し、比例代表は社民党を支援した。また、その直後の2016年東京都知事選挙でも野党統一候補の支持に回った。

2017年衆議院議員選挙では、衆院選では17年ぶりに公認候補擁立(兵庫9区、菊地憲之・党兵庫県本部書記長)を発表。野党共闘の枠組みに加わることを表明した。その後民進党は共闘を放棄して希望の党への合流を図ったが、共産党 と社民党 は菊地の推薦を決めた。民進党からリベラル系議員が分離する形で結成された立憲民主党は全国的には野党共闘の枠組みに参加したが、菊地の推薦は行なっていない。ただし、菊地は無所属での立候補とし、代わりに、新社会党は兵庫8区で共産党の堀内照文(前職、比例重複)を推薦、の体制で選挙を戦ったが、両者ともに落選した。

2019年3月、統一地方選挙大阪府議会議員選挙茨木市選挙区に党所属の茨木市議会議員であった山下慶喜が自由党・社民党・新社会党推薦無所属で立候補するも次点落選した。山下は2021年1月の茨木市議会議員選挙に無所属で立候補し当選。その後再び党所属議員となっている。

2021年5月、埼玉県北葛飾郡松伏町長選挙に党所属の松伏町議会議員であった鈴木勉が野党系無所属で立候補するも、保守系の現職に敗れ落選した。

同年8月、社民党、緑の党、新社会党などのリベラル・革新勢力を機軸として、さらなる立憲野党勢力の野党の連携を後押しする「共同テーブル」が設立された。共同テーブルは「いのちの安全保障確立に向けて非正規社会からの脱却を目指す」ことを理念とするネットワークとなることを目指している。呼びかけ人として佐高信、杉浦ひとみ、上原公子、室井佑月、竹信三恵子、前田朗、纐纈厚、白石孝(NPO法人官製ワーキングプア研究会理事長)、清水雅彦らが参加した。

2021年衆議院議員選挙では、新社会党としては独自候補を擁立しなかったが、各地で野党統一候補を支援している。特に新潟県では複数の選挙区で新社会党の党員が合同選対の要職に就任している。その他、大阪9区では社民党の大椿裕子を支援し、山形、高知、熊本等の地域でも活動している。各地の比例ブロックは社民党との政策協定を結び同党の候補者を推薦した。

2022年2月26日、新社会党第27回定期全国大会において岡崎宏美委員長は、同年7月の第26回参議院議員通常選挙について、2021年2月に社民党から「社民党の政党要件を利用した比例代表統一名簿での候補者擁立」の呼びかけがあったことを明らかにした。岡崎委員長は、党としてこれに応じ社民党の比例名簿に新社会党の候補者を登載する意向を示した。両党の合流については否定した。岡崎委員長は統一名簿での共闘について、新社会党の党員であることを明確にし、新社会党が独自性を維持して選挙を行うことを求めるといい、「(党中央本部執行部副委員長であった原和美が党規約に違反する形で社民党に移籍した)2010年の参院選と同様の扱いは受け入れられない」「(比例名簿の)党名変更についてはギリギリまで求め交渉を続ける」と述べた。中央本部執行部から岡崎委員長の次女の岡崎彩子(おかざきさいこ)・党兵庫県本部書記次長を擁立する方針が示されたが、一部の県本部からはこの共闘方針に異論も出された。一方、社民党は3月9日の常任幹事会において、新社会党青年女性委員会代表も兼任した岡崎彩子を社民党の比例代表候補として公認することを決定し、社民党の福島瑞穂党首による定例会見で岡崎彩子の出馬会見も行われた。この決定を報じた社民党の機関紙「社会新報」では、岡崎宏美新社会党委員長と大椿裕子社民党副党首も同席した写真が掲載された。同年6月22日の公示日、比例名簿の名称は「社会民主党」で届出。同年7月10日の投開票の結果、社民党の比例代表獲得議席は1、現職の福島瑞穂党首は当選し、政党用件の維持に成功したものの岡崎は得票順3位(17466票)で落選した。

他党の評価

現在の社民党についての評価は、変節しているという評価ではあるが、護憲派による平和共同候補擁立を軸に選挙共闘を積極的に呼びかけ、それに応じない場合も自主的に支援・投票し続けている。また、社民党との将来の合併を見越して「社会党」への改称を試みたが、多くの党員の反対により否決された。一方、当時社民党の幹事長だった又市征治は「『戻ってらっしゃい』と言っている。『村山政権のときに安保・自衛隊を認めた』と、馬鹿みたいな話をまだしている。」(稲村守「社民党幹事長、九条ネットネット代表を交え討論-平和憲法60周年滋賀集会」(『社会通信』No.1002 2007年6月15日号)に引用された又市幹事長の談話)と新社会党を批判している。

2010年(平成22年)参院選に、前副委員長の原和美を擁立することを社民党が決定したことで、新社会党が社民党に合流することにつながるのではないかという声があがったが、社民党の重野安正幹事長は「そういう議論はみじんもありません」と否定している。こうした社民への協力、さらには再合流路線には、党内の反対は根強く、「選挙のたびに毎回、社民党の下請けをし続けるだけでは、新社会党の存在意義は薄れるばかり」という批判もある。

また、日本共産党に対しても積極的に共闘を呼びかけてきたが、以前はぞんざいに扱われることが多く、一部地方選挙での協力関係にとどまってきた。しかし、2015年制定の安保法制に対して共産党が同法廃止の一点共闘を打ち出してからは、国政選挙でも他の野党とともに共産党候補を推薦し、2017年の衆院選では上記のように共産党側も新社会党公認候補を推薦している。

※文章がおかしな場合がありますがご了承ください。

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