ジョン=ボウカーの情報(JohnBriteBowker) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ジョン=ボウカーの情報まとめ
ジョン=ボウカー(John Brite Bowker)さんの誕生日は1983年7月8日です。
選手としての特徴、人物などについてまとめました。趣味に関する情報もありますね。ジョン=ボウカーの現在の年齢は40歳のようです。
ジョン=ボウカーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ジョン・ブライト・ボウカー(John Brite Bowker , 1983年7月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左投左打。 愛称は「ポパイ」。 2012年シーズンにおいてクライマックスシリーズ10打数5安打、日本シリーズではパ・リーグMVP投手吉川光夫から2試合2本塁打放つなど巨人(読売ジャイアンツ)3年ぶり22回目の日本一に大きく貢献した。 巨人在籍2年、NPB通算3シーズンしかいなかった上、シーズンを通して活躍したことは一度もない。にもかかわらず上記の活躍で強烈なインパクトを野球ファンに残した。 2004年のMLBドラフトにおいて3巡目(全体100位)でサンフランシスコ・ジャイアンツに指名され、7月19日に入団した。マイナーリーグで経験を積んだ後、2008年4月12日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビュー。6回の打席で3ランを放ち、ジャイアンツの選手としては史上8人目のデビュー戦で本塁打を打った選手となった。翌日の試合でも本塁打を打ち、チーム史上初のデビューから2試合連続本塁打を記録し、「バリー・ボンズの後継者」と呼ばれた。このシーズンは一塁手および右翼手の準レギュラーとして活躍し、1年目にして111試合に出場した。 2009年はメジャーで結果が出なかった一方で、AAA級フレズノ・グリズリーズで104試合に出場し、21本塁打83打点10盗塁、打率.342と活躍。同年のAAA級最優秀打者に選ばれた。 2010年はスプリング・トレーニングで6本塁打を放つなど活躍し、開幕ロースター入りした。しかし、41試合に出場し3本塁打8打点、打率.207と低迷した。6月2日にAAA級フレズノへ降格。 2010年7月31日にハビアー・ロペスとのトレードで、ジョー・マルティネス(英語版)と共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。26試合に出場し2本塁打13打点、打率.232だった。 2011年も開幕ロースター入りしたが、4月27日にDFAとなった。5月4日にAAA級AAA級インディアナポリス・インディアンズへ降格。106試合に出場して打率.306、15本塁打76打点だった。8月29日にトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍。 2012年1月13日に読売ジャイアンツと1年契約を結んだ。背番号は36。巨人が自前で獲得した左打ちの外国人野手は1992年のロイド・モスビー以来20年ぶりとなる。オープン戦で好成績を残したことから開幕から2番(打順)・左翼手で開幕スタメン出場し9回には初安打を放った。5月8日には来日初本塁打を放ったが、その後は不振が続き6月以降は一軍と二軍を何度も行き来した。69試合で打率1割台と低迷したが、シーズン終盤に昇格して3試合で8打数4安打と結果を残したため、クライマックスシリーズにも出場した。クライマックスシリーズでも10打数5安打を放ち、北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは2本塁打(いずれも吉川光夫から)7打点の成績で巨人の日本一に貢献し、シーズン打率1割台ながらも日本シリーズ優秀選手に選ばれた。この活躍が評価され、オフには巨人と再契約を結び、背番号が42になった。 2013年は外国人枠の争いを制し2年連続で開幕一軍入り。4月4日の横浜DeNAベイスターズ戦では、井納翔一から満塁ホームランを放つなど、前年とは違い4月途中までで6本塁打21打点の活躍をみせチームの開幕ダッシュに貢献したが、4月25日の対横浜DeNAベイスターズ戦の2回裏、三塁に帰塁した際に指を痛め途中交代。右手小指骨折で翌日登録抹消された。6月5日に一軍復帰し。8月17日の中日戦で「4番左翼」としてスタメン出場し、ジャイアンツの第78代4番打者となった。中盤以降はやや調子を落とし、代打や途中出場が多くなった。この年は103試合、14本塁打、打率.262を記録するも11月30日、巨人の保留者名簿から外れ、自由契約となった。 2014年は当初メキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツと契約していたが、5月3日に不調のアンドリュー・ジョーンズとケガで離脱中のケビン・ユーキリスに変わる助っ人として、東北楽天ゴールデンイーグルスと契約。シーズン終了までの契約で、背番号は巨人に在籍していた前年に続いて42。就労ビザ発給翌日の5月8日に、イースタン・リーグの千葉ロッテマリーンズ戦へスタメンで出場すると、第1打席でNPBへの復帰後初本塁打を放った。5月9日に一軍へ登録されると、当日のロッテ戦から、5番打者として連日スタメンに起用。3試合目の出場になった5月11日の同カード第1打席で、一軍では復帰後初安打・初打点となる3点本塁打を放った。しかし、その後は二軍落ちし、65試合の出場で低調な成績に終わった。オフの12月2日、自由契約公示された。 2015年1月21日に古巣のサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶ。6月11日にトレードでピッツバーグ・パイレーツ傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスに移籍。オフに解雇となる。 2016年2月26日にBCリーグの福島ホープスへ入団し、主力選手としてプレーしていたが、2018年10月30日に退団が発表された。 選手としての特徴安打の4割以上を右翼方向へ運ぶプルヒッターで、メジャー時代には左打者不利と名高いAT&Tパークでスプラッシュ・ヒット(同球場右翼席後方の海に飛び込む特大ホームラン)を記録した程のパワーと速球に対応できるスイングスピード、バットコントロールを持つが、変化球の見極めと外角低めを弱点とする。また、マイナーではシーズン100三振以上を3度記録するなど三振が多い。左投手を苦手としており、2011年にはマイナーで対右投手打率.377、12本塁打、OPS.920を記録したのに対し、対左投手では打率.234、3本塁打、OPS.611 守備では一塁手、右翼手、左翼手をこなせる。NPB時代の1軍公式戦では1度も失策を記録していない。 人物趣味は野球で全力プレーをモットーとし、試合で対戦した投手の球種や配球をメモしたり、巨人時代の同僚のスコット・マシソンと共に休日返上で練習に励むなど、非常に真面目で研究熱心な努力家であった。不振に陥った際にも腐ることなく練習に取り組む前向きな姿勢を見せ、原監督からは「彼(ボウカー)も日本に来て苦しんでいる。必死で戦っているから。彼に少しでも投げるようなところがあれば別だが、非常に前向きにやっている。何とか手助けして、本来の姿に戻って欲しい」と復活を期待されていた。不本意な成績に終わった巨人での1年目終了後、「ファンを裏切ったままでは帰れない」として前年比50%ダウンの年俸3000万円で契約を更新した。 サンフランシスコ・ジャイアンツ時代に、当時のチームメイトであった藪恵壹と仲が良かったこともあり、親日家である。 2024/06/06 14:40更新
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John Brite Bowker
ジョン=ボウカーと同じ誕生日7月8日生まれの人
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