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セバスチャン=ローブの情報 (SebastienLoeb)
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セバスチャン=ローブの情報(SebastienLoeb) ラリードライバー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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セバスチャン=ローブさんについて調べます

■名前・氏名
セバスチャン=ローブ
(読み:Sebastien Loeb)
■職業
ラリードライバー
■セバスチャン=ローブの誕生日・生年月日
1974年2月26日 (年齢50歳)
寅年(とら年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和49年)1974年生まれの人の年齢早見表

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セバスチャン=ローブの情報まとめ

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セバスチャン=ローブ(Sebastien Loeb)さんの誕生日は1974年2月26日です。

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現在、卒業、引退、事故、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。セバスチャン=ローブの現在の年齢は50歳のようです。

セバスチャン=ローブのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

2022 アクロポリス・ラリーギリシャ

セバスチャン・ローブ(Sébastien Loeb, 1974年2月26日 - )は、フランスバ=ラン県アグノー出身のラリー、レースカードライバー。2004年 - 2012年の世界ラリー選手権(WRC)チャンピオン。通算優勝記録保持者(80勝)。ダカール連続ポディウムフィニッシャー。2位を3回、3位を2回獲得している。ダカール・ラリー4輪部門のステージ連勝、(1イベントの)ステージ優勝数記録保持者。初めて参戦したパイクス・ピークでは、いきなり総合優勝したうえ、更に史上初の9分切り(コースレコードを1分半以上も短縮した)を果たした元レコードホルダー(現在2位)。なお、未だにガソリン車でのレコードは保持している。2021年エクストリームE初代同一ポイント副チャンピオン。全戦の予選で勝利したエクストリームE最速のドライバー。2022年の世界ラリーレイド選手権(W2RC)シリーズ2位、エクストリームEチャンピオン。F1及びF2テストドライバー。2014年-2015年世界ツーリングカー選手権(WTCC)シリーズ3位。4つのFIA世界選手権で優勝している唯一無二の存在。

WRC以外の世界、リージョナル、国際選手権では、W2RC、パイクスピーク、エクストリームE、世界RX、XゲームスRX部門、WTCC、FIA GTシリーズ、ミトジェット、その他GTレースでも数々の優勝を記録している。また他国のラリー選手権にも度々ゲスト参戦し、ラリー2車両やR5車両ではほぼプラクティス無しの状態でも総合優勝を勝ち取っていく。他にもフランス国内のラリーでは、RGTカテゴリー初参戦でクラス優勝どころか総合優勝を飾った。更にアンドロス・トロフィーやアンドロスe-トロフィー、またル・マンの総合順位でもポディウムフィニッシュを果たしている(アンドロスシリーズでは6 - 7割程の確率)。更にカートの国内戦でも優勝やポディウムを獲得している。

そのうえ4度のRoC王者で、RoC優勝記録(同一)や、決勝進出記録保持者でもある。更に同イベントでは唯一全ての路面(ターマック、グラベル(ミックス)、スノー&アイス)を制しているドライバーである。2輪の競技では国内のトライアルに出場したり、モト2のマシンをテストライドした経験もあり、元体操選手(国内5位)としての身体能力の高さを披露した。これらの実績、他を全く寄せ付けない対応力から同郷のレースカードライバーであり、マイガソリンの共同建設者のバレンティン・シモネットやヨーロッパの箱車のモータースポーツファン、レッドブル、『ラリープラス』などのメディアによって『史上最高のレースカードライバー』や『生きるレジェンド』、『世界最強の万能ドライバー』等と呼ばれている。

シトロエンのエースドライバーとして長らく活躍し、WRCでは前人未到の9連覇・通算79勝(勝率44%)という金字塔を打ち建てた。2006年のWRCでは、残り4戦時点で腕の骨折により負傷欠場したが、それまでに築いたポイントのアドバンテージにより、タイトルを防衛したという一幕もあった。勝率は最も高かった年で2008年の73%(15戦中11勝)。一線を退いてからも定期的にスポット参戦しており、2022年のラリー・モンテカルロではMスポーツフォードから通算80勝目を記録。最年長優勝記録を47歳331日に更新した。更にこの時はWRCによる大幅な規定改定にともないハイブリッドが導入されて以降初であったため、新時代初の勝者となった。またこの勝利はローブがシトロエン以外のマニュファクチャラーでの初勝利となった。

オールラウンドレーサーとしての顔も持ち合わせており、ツーリングカーレース、GTレース、耐久レース、ラリークロス、アンドロス・トロフィー(英語版)、アンドロス・eトロフィー、ラリーレイド、エクストリームE、レーシングカートなどの様々なカテゴリーにも参戦し、他を全く寄せ付けない対応力から『史上最高のレースカードライバー』と呼ばれる。WRCの他に世界ツーリングカー選手権(WTCC)、世界ラリークロス選手権(World RX)、世界ラリーレイド選手権(W2RC)でも優勝を果たした経験を持ち、国際自動車連盟(FIA)管轄の世界選手権4カテゴリーで勝利記録を持つ唯一のドライバーでもある。W2RCでは通算4回、WTCCでは通算20回、World RXでは通算17回の表彰台を獲得している。また、2021年のエクストリームEのシリーズ2位(獲得ポイントはトップタイ)、2022年のエクストリームEのチャンピオンでもある。

フォーミュラカーにおいてもF1及びF2でテストドライブ経験もあり、F1のテストでは他の若手フォーミュラドライバーと変わらない走りを見せた(18人中8番手タイム)。2009年にはレッドブル・レーシングのジュニアチームであるスクーデリア・トロ・ロッソから、アブダビGPでのデビューの可能性が噂されたが、FIAが「サーキットレースでの経験が少ない」という理由をもとにスーパーライセンスを発給しなかったこともあり、実戦デビューは実現していない。

2009年頃からはF1や他のサーキットレースのトレーニングのためか国内のレーシングカートの大会も何度か出場しており、表彰台、優勝を獲得した経験もある。

2輪の競技ではフランス国内のトライアルや、モト2クラスのマシンのテストライド経験もあり、元ジュニア体操選手としての身体能力を2輪のモータースポーツファンに披露した。

父が体操のチャンピオンだったこともあり、3歳から体操選手を目指していたという異色の経歴の持ち主である。アルザス地方では4度の総合優勝、国内選手権でも5位になったこともあるが、年齢的にピークとなる時期がオリンピックと合わないので体操競技を断念したと後に語っている。今でもラリーでチャンピオンを決めた時など節目節目でバック宙パフォーマンスをみせる。

高校を卒業後に配電工として働き始めると、ルノー・5ターボに給料の全てを突っ込み、走り屋のような生活をしていた。そして才能を試すべく1995年からフランスのASN(英: Authority Sport Nationale)であるフランス・モータースポーツ連盟(英語版)(日本のASNは日本自動車連盟)が主催するラリードライバー育成プログラムの選考会である「ラリー・ジューヌ」へと参加。ベストタイムを叩き出すも、なぜか選出してもらうことができなかった。

そんなローブが地元のアンビジョン・スポーツオートの目に留まり、1997年に地域ラリーの1,300ccと1,600ccクラスでプジョーをドライブし優秀な成績を収めた。ダニエル・エレナともこの頃に知り合っている。1998年からサクソトロフィーに参加して、1999年にはタイトルを獲得。シトロエン・スポールのギ・フレクランに見出され、2001年にはWRC併催イベントであるスーパー1600カップ(後のジュニア世界ラリー選手権)で5勝してこれを制覇する一方、シトロエン・クサラWRCでスポット参戦したWRCサンレモでは、トップのジル・パニッツィから11.4秒差の2位を獲得した。

2002年にはクサラWRCを駆って9戦に参戦。開幕戦のモンテカルロでいきなりトップフィニッシュをするが、チームがタイヤ交換禁止のサービスでタイヤを交換したことが発覚。ペナルティを受け2位となり、初優勝は幻となる。それでも、同年のラリー・ドイツでWRC初優勝を飾る。

2003年には、開幕戦モンテカルロで前年の雪辱を果たす優勝を上げ、一躍タイトル争いに加わり、シーズン3勝を上げる。しかし第13戦カタルーニャでは終盤まで首位を守りながら、タイヤ選択のミスで最終ステージに31秒差を逆転され2位に終わる。最終戦ラリーGBではマニファクチャラーズタイトルを優先するチーム事情から限界まで攻められず、ペター・ソルベルグに逆転を許し、1ポイント差でドライバーズチャンピオンを逃した。

2004年にはディディエ・オリオールが持つシーズン最多勝記録タイとなる6勝を上げる一方、安定した走りで着実にポイントを獲得し、ソルベルグ以下を大きく引き離し、自身初となるドライバーズチャンピオンを獲得した。フランス人のWRCチャンピオンはオリオール以来2人目。

2005年は、当シーズン限りでのWRCからの一時撤退が明らかにされていたチーム事情からマシン開発の停滞や戦闘力低下が懸念されたが、シーズンが開幕すると、リピートステージでの走行に重点を置いて開発されたミシュランの新型グラベルタイヤが威力を発揮し、得意のターマックだけでなくグラベルでも他チーム/ドライバーを圧倒。新記録となる6連勝を含め、シーズン最多勝記録を塗り替える10勝を上げ、2年連続のドライバーズチャンピオンに輝いた。地元フランスで行われた第14戦ツール・ド・コルスではWRC史上初めて全てのスペシャル・ステージ(SS)でトップタイムをマークする「完全優勝」を果たした。

2006年は、シトロエンがワークス活動を休止したが、プライベーターのクロノスチームから引続きクサラで参戦。苦戦を予想されたが、第9戦ドイツでは史上初の同一イベント5連勝を達成し、第11戦日本においてカルロス・サインツの持つ通算勝利記録26を更新する27勝目を達成した。第12戦キプロスで勝利しチャンピオンに王手をかけた2日後、マウンテンバイクを乗車中に転倒し右上腕を骨折。残り4戦の出場を断念し、タイトル防衛が危ぶまれた。しかし、第14戦オーストラリアにおいて、ドライバーズランキング2位のマーカス・グロンホルムが5位に終わったことで2006年シーズンのドライバーズチャンピオンが決定した。この時、ローブは自宅からインターネット中継で「不思議な気分だ」と語った。この年は、エントリーしたレースの全てでポディウムに立った。

2007年は、シトロエンワークスが新型マシンシトロエン・C4 WRCで復帰。第11戦ニュージーランドでは、グロンホルムと最終ステージのスーパーSSまで決着がもつれ込み、0.3秒差で優勝を逃した。グロンホルムの日本・アイルランドでの2戦連続リタイアもあり、最終戦ラリーGBでトミ・マキネン以来史上二人目となる4年連続チャンピオンを獲得した。

2008年は、フォードのミッコ・ヒルボネンと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、全15戦中11勝を記録し、自身の持っていたシーズン最多勝記録を更新。第14戦日本で史上初の5年連続チャンピオンを獲得した。

2009年も、フォードのヒルボネンとのチャンピオン争いは大接戦となった。1ポイントのリードを許して迎えた最終戦ラリーGB、ローブが優勝して逆に1ポイント差をつけて6年連続チャンピオンを獲得した。

2010年は、次世代の若手選手の挑戦を受けたが、フォードのヤリ=マティ・ラトバラとシーズン後半のグラベルでチームメイトとなったセバスチャン・オジェを引き離し、地元アルザス地方での初開催となった第11戦フランスで7年連続チャンピオンを達成した。なおこの年はWRC史上「最も圧倒的なシーズン(理論上獲得可能なポイント総数に対する、王者が実際に獲得したポイント数の割合が84.92%で歴代1位)」となり、2022年現在も更新されていない。

2011年は、新WRカー規定で開発されたシトロエン・DS3 WRCで参戦。この年はフォードのヒルボネンとチームメイトとなったオジェの急成長により、タイトル争いはさらに接戦となった。アクロポリスではチームオーダーを巡る一件によってオジェとの関係が悪化したが、ローブはシトロエン上層部と2年の契約延長を結び、オジェはフォルクスワーゲンへと移籍したため、チームの絶対的No.1に返り咲いた。シーズン後半はヒルボネンに8ポイント差まで迫られたが、最終戦ラリーGBでヒルボネンが先にリタイアしたため、8年連続のドライバーズチャンピオンが決定した。

2012年は、オジェに代わって加入したヒルボネンのサポートを受けた。9月27日、パリモーターショーで行われた記者会見の席上で、2013年は引き続きシトロエンチームには留まるものの、モンテカルロなど一部のイベントのみに出場する方針が発表され、事実上WRCの一線から退くことが明らかになった。第11戦フランスにて9年連続の、自身最後となるドライバーズチャンピオンを獲得した。

2013年は開幕戦モンテカルロ、第2戦スウェーデン、第5戦アルゼンチン、第11戦フランスのみ出場。フォルクスワーゲンのエースとなったオジェと最後の「セバスチャン対決」を演じ、モンテカルロとアルゼンチンで優勝して、通算勝利回数が78勝に達した。WRC引退の場として選んだ地元フランスでは、最終日に横転事故を起こしてリタイア。出生地アグノーでのステージを迎える前の幕切れとなったが、ラリー終了後には偉大な英雄を讃えるセレモニーが行なわれた。

WTCC転向後の2015年、モンテカルロにシトロエンからスポット参戦し、2年ぶりのWRC復帰を果たす。序盤からトップをキープするが、DAY2 SS8にて左リアをヒットし破損。 SSは完走するも、規定時間内にサービスへ戻ることが出来なかった為、DAYリタイアとなり順位を落とし、ラリー2規定にてDAY3に復帰し最終的に8位でフィニッシュした。

2017年はシトロエン・C3 WRCのプライベートテストに参加し、2018年はシトロエンからWRC3戦にスポット参戦することが決定した。3年ぶりのWRC出場となったメキシコではパンクで後退するまで一時総合首位を走行。3戦目のスペインでは最終日にタイヤ選択が的中してトップに浮上し、2013年のアルゼンチン以来5年半ぶりとなるWRC通算79勝目を記録した。

2019年もスポット参戦が囁かれたが、2018年シーズン終了後にメインスポンサーのアブダビがスポンサーを降りたため、一転シトロエンからの参戦が困難になった。また同年主戦場であったラリーレイドやラリークロスからもプジョーが撤退したことにより、PSAでの居場所は事実上無くなった。2018年12月に韓国のヒュンダイとのパートタイム参戦契約を結び、17年間に渡るPSAとの蜜月の日々に別れを告げた。

この年はシトロエン時代のチームメイトダニ・ソルドとシートを共有し6戦に参戦。固定ナンバー導入で「19」を選択した。第6戦チリではオジェと激しい2位争いを繰り広げたが、僅差で敗れ3位となった。第13戦スペインは初日首位に立ったが、その後はペースが上がらず4位に終わった。

2020年も引き続きヒュンダイから6戦に参戦。前年の固定ナンバーは「19」だったが、この年から自身のチャンピオン獲得数である「9」に変更した。第5戦トルコでは表彰台に上った。そして、エクストリームEに参戦するためにチームを離れることになった。

2021年は9月に行われたラリー・モンブランヌではエレナとともにプジョー・306 Maxiを駆り、ヒストリッククラスながら現役のWR5車両やラリー2マシンらとベストタイムを競り合い、最終ステージまで総合3位を走行した(最終ステージでメカニカルトラブルが発生し、総合6位でフィニッシュ)。ヒストリック部門では圧倒的な速さで勝利した。

2022年はMスポーツからフォード・プーマ ラリー1でスポット参戦。コドライバーは長年の友人で普段は数学教師の女性であるイザベラ・ガルミッシュへと交代。固定ナンバーは再び「9」から「19」に変更した。同じくスポット参戦に切り替えたばかりのオジェと開幕戦モンテカルロでデッドヒートを繰り広げた末、初めて組んだコドライバーとのデビュー戦で47歳で通算80勝目、モンテカルロは8勝目という金字塔を打ち立てて、普段ラリーに興味のないレースファンたちの耳目をも集めた。さらに驚くべきことに、この時のローブは前週にダカール・ラリーを終えて2位表彰台を獲得したばかりで、累計19日間、39時間のタイムアタックの末の殊勲であった。また自身初のシトロエン以外のマニュファクチャラーでの勝利となった。その後もWRCにスポット参戦するが、サファリ以外はすべてで首位走行中、冷却系や電気系統のトラブルに悩まされリタイアしている。

2023年はヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)への復帰を目指すアゾレス・ラリーの主催者が資金負担の上、ゲストとしてローブを招致。ローブはぶつけ本番でシュコダ・ファビアRS Rally2をドライブし、半分のSSでトップタイムを獲得し、優勝した。その他、フランスラリー選手権のラリーシャルルマーニュに26年ぶりにフォルクスワーゲンポロGTIラリー2で出走、総合優勝を果たした。

2024年は、誕生日にグウェン・ラグルエのマシン・ポルシェ911RGT+をテストドライブした。6月にサラザンモータースポーツからフランスのラン・トロフィ・イベントに、ガールフレンドでラリーコ・ドライバー&レースカードライバーでもあるラウレーネ・ゴデイと組んで参加。ここでも総合優勝を果たした。ステージではジャンクションのいくつかで、ドーナツターンを披露して観客を沸かせた。このイベントでの路面はグラベルとターマックとのミックスだった。9月5日から7日にかけてはフランスラリー選手権のラリーモンブランへ参戦。アルピーヌA110RGT+を駆る。初のRGTマシンであったが、数々のラリー2マシンを下し、総合優勝を果たした。

2014年、ローブはWTCCに転向し、シトロエンワークスチームのC-エリゼWTCCに乗る。シトロエンはWTCC初参戦ながらシリーズを完全支配し、ローブは開幕戦モロッコのレース2で初優勝を飾る。最終的にチームメイトのイヴァン・ミュラーとホセ・マリア・ロペスに次ぐランキング3位で初年度を終えた。

2015年も同じ体制でWTCCに参戦。年間勝利数を前年の2勝から4勝に増やすが、ロペス、ミュラーに次ぐランキング3位は変わらなかった。2016年からダカールラリーへ挑戦するため、15年間栄光を共にしてきたシトロエンとの関係を終え、同じPSAグループに属するプジョー・スポールよりダカールラリーに参戦することを決めた。

2016年はレギュラーシリーズとしてWorld RXに参戦。プジョーが支援するハンセン・モータースポーツ (Hansen Motorsport) に所属し、プジョー・208 WRXをドライブ。WRC時代の好敵手ペター・ソルベルグ(2014・2015年World RX王者)と再び同じ場所で戦うことになる。第10戦ラトビアで初優勝し、フルウェットの路面でラリー経験が役立ったと語った。この年の年間ランキングは5位。

2017年以降も継続参戦したがフォルクスワーゲンとヨハン・クリストファーソンが猛威を振るったため、2018年に1勝をもぎ取るのが限界であった(最高ランキング4位)。2018年を持ってプジョーは撤退したため、ローブのラリークロスのキャリアも一旦の幕が引かれた。World RXでは現在までで2勝と少ないが、表彰台に上る確率は5割を超える。

2023年4月17日 スペシャル・ワン・レーシングから5年ぶりにWorld RXにフル参戦することが発表された。使用マシンはランチア・デルタEVO e-RX。彼自身もこのデルタがWRCで活躍していた頃に育ったということもあり、憧れのマシンだったことが語られた。

彼にとって電動RX初となった開幕戦ポルトガルで、早速『史上最高のドライバー』と呼ばれる理由の一つである対応力を見せつけ、いきなりヒート2のレース1で勝利をもぎ取った。しかし、まだ未完成のマシン(マシン自体のデビューは昨シーズンの最終戦で、しかも1台のみであったため他チームより情報が圧倒的に少ない)だったこともあり、決勝のグリッドの枠は最後の一枠をとるのが精いっぱいだった。決勝レースでは、一時4位まで順位を上げたが、パンクにより最終的には最下位まで落ちてしまった。

2016年からダカール・ラリーにも挑戦。シトロエンと同一グループのプジョーより、2008 DKR Maxiをドライブする。ナビゲーターはWRC時代のダニエル・エレナとのコンビを再結成した。4つのステージを制すなど総合首位を争うが、転倒の影響などがあり総合9位で完走した。

2017年はマシンがプジョー・3008 DKR Maxiにモデルチェンジ。チームメイトの「ミスター・ダカール」ことステファン・ペテランセルと激しい優勝争いを展開したが、終盤のパンクなどで惜しくも5分遅れの2位となる。

2018年も同じ体制でダカールに継続参戦。4日目はトップタイムであったが、5日目砂丘で他車を避けた際深みに転げ落ち、エレナが尾骨を骨折。リタイアを余儀なくされた。

2019年はプジョーのワークスが撤退するが、グループPSAと関わりが深く、ローブ自身もWRCデビュー前の育成時代から関わっていたプライベーターのPHスポールから3008 DKRで参戦。4度のステージ優勝を記録し、総合3位でフィニッシュした。

2020年は欠場し、2021年はバーレーン・レイド・エクストリーム(BRX)より、プロドライブ・ハンターを駆りダカールへ復帰。しかしリタイアに終わる。この大会直後、プロドライブの意向によりダニエル・エレナとのコンビを解消させられてしまった。

2022年はW2RCが発足した年であり、ローブは前年同様の体制の上、この選手権にフル参戦となる。ナビゲーターはエレナに代わって経験豊富なベルギー人のファビアン・ルルカンが就き、マシンはハンターT1+となった。新コンビのデビュー戦であり開幕戦のダカールではアウディ・MINI勢が脱落する中、プロドライブに初のステージウィンをもたらしながらTOYOTA GAZOO Racingのナッサー・アル=アティヤにただ一人肉迫し、通算2度目となる総合2位でフィニッシュした。第4戦のラリーモロッコでは、初日は2度のパンクに見舞われながらも2日目ではその遅れを挽回。総合首位に立った。しかし、その2日後の4日目は204キロ地点で機械のトラブルが発生、修復できずデイリタイアに終わる。最終日の7日目、モロッコで2回目のステージウィン。ポイントロスを最小限に食い止めた。最終戦アンダルシアラリーでは、3日目ステージはキャンセルとなったが、初日から首位を守り抜き総合優勝を果たした。このイベントは彼にとってW2RC及びラリーレイドイベントでの初勝利となった。しかし年間ランキングではアル=アティヤに惜しくも敗れ、2位に終わった。

2023年ダカールは前半にトラブルやパンクが相次ぎ早々に優勝争いから姿を消したが、休息日以降のステージは最終日以外全て勝利してアリ・バタネンの所持していた四輪部門のステージ連勝記録5を6に塗り替える活躍を見せ、総合2位まで挽回してフィニッシュした。合計7度のステージ優勝したことにより、W2RCのランキングでは首位に立った。

同年ソノラ・ラリーで骨折後にプロドライブ離脱の噂もあったが、2025年からプロドライブが運営するルノー傘下のダチアのワークスチームでドライブすることが2023年7月に発表された。これにより残留が確定するとともに、フランスメーカーと再び関わりを持つこととなった。

2024年W2RCのエントリーはせずダカールラリーに出走。今大会最初のステージベストが4日目と出遅れてしまう。全体的に浮き沈みも激しく、最終的には48時間ステージを含めた5度もステージベスト(優勝したカルロス・サインツは1度もベストを出せず、2位のメビウスもベストは1度のみ)を取りながらも総合3位に甘んじ、今年も念願のダカール制覇に届かなかった(3年連続ポディウム)。4月上旬、W2RCポルトガルにプロドライブからではなくレッドブルオフロードジュニアチームからT3クラスに電撃参戦。4日目に初のステージ優勝するもパンクやトラブルによって後退した順位は取り戻せなかった。クラス11位で完走。10月中旬、半年ぶりにW2RCに登場。ラリー・ド・モロッコにダチアから参戦した。初日から出遅れ、12位からの出だしとなる。しかし2日目で挽回し、3番手タイムを記録して総合5位に浮上した。3日目にはステージ優勝を記録、総合3位に浮上した。4日目は6番手タイムとなり、順位を4番手に落とすも、最終日再びステージ優勝を記録し、総合2位でラリーを終えた。このイベントはダチアにとってはデビュー戦であり、今回からローブのチームメイトであるナッサー・アル・アティヤーが優勝したため、ダチアはこのデビュー戦をワンツーフィニッシュで終えた。

ローブはWRC王者時代より、スケジュールが重ならない範囲で他のカテゴリのレースに出場していた。プジョー・シトロエングループ(PSA)のモータースポーツの顔として活躍する一方、ラリーレイドやヒルクライム、RoC参戦、ラリークロス、アンドロス・トロフィー、ツーリングカー、GTレース、耐久レース、ル・マン参戦、F1&F2テスト走行、ワンメイクレース、カートレース参戦、プライベートチーム(次項)設立など個人としてもレースに情熱を注ぐ姿勢がうかがえる。2輪のモータースポーツでは国内のトライアルや、モト2マシンのテスト走行もこなしていた。

2011年末にローブはル・マン再参戦を視野に入れ、プライベートチームのセバスチャン・ローブ・レーシング (SLR) を設立。

以降同チームは時にはローブを擁して、時にはローブとは独立して色々なカテゴリーのラリー、ラリーレイド、ヒルクライム、RX、アンドロストロフィー、ツーリングカー、GT、ELMSなど様々なカテゴリに参戦している。

モータースポーツのトップカテゴリでは異例の9年連続チャンピオンという長期覇権を築き上げ、圧倒的な強さから「ラリー界のシューマッハ」とも呼ばれる。同世代のよきライバルであるペター・ソルベルグと比較すると、ドライビングスタイルに派手さがない正確なグリップ走法はカメラマン泣かせといわれた。WRCでは後輪を滑らすドリフト走法が主流派だったが、ローブの登場以後、タイヤのグリップ力を無駄なく使いきるドライビングスタイルでなければ勝てなくなったといわれる。ただし最初からマシンを曲げておいて後から姿勢を調節できるドリフトに比べると、ターンインの速度やコーナーの曲率を見誤った場合はリカバリーが効きづらいというリスクと隣合わせであり、結果を出すためには高度で精密なドライビング技術が要求される走り方でもある。

攻め所と慎重さの判断にも優れ、極めてミスが少ない上に、どのようなコンディションも苦手としない。元々はターマック(舗装路面)系のドライバーだったが、WRCでは路面を選ばないオールラウンダーとして才能を開花させた。中でも雪のラリー・スウェーデンを、史上初めて北欧系ドライバー以外で制したことは特筆される。ル・マン24時間での総合2位など、ラリーとは性質が異なるサーキットレースでもその才能を発揮している。

物静かな甘いマスクにブルーの澄んだ瞳は人々を惹き付け、女性ファンも多いが、派手な言動は少なく真面目で控えめ。勝っても負けてもほとんど感情的にならず淡々としており、冷静かつ正確なドライビングと相まって「アイスクール・セブ」の異名がついた。一方プライベートではインタビューの日でもギリギリまで寝ていたことがあるなど、極めて自然体である。

2005年にガールフレンドのセブリーヌと結婚し、2007年には公式サイトで懐妊が報告された。セブリーヌとはペアを組んでローカルラリーに参加することがある。2009年にはフランス選手権最終戦ラリー・デュ・ヴァールにセブリーヌをコ・ドライバーとして出場。セブリーヌのナビゲートミスにより3分のペナルティを受けDAY2でトップから34秒遅れの2位。「明日はドライバーに頑張ってもらわなくちゃ」というセブリーヌのコメント通り、DAY3で2位に大差をつけて圧勝した。

コロナ禍では娘のために庭に作ったトランポリンで、自分も宙返りを楽しむ様子をSNSにアップしていた。

2007年秋、シトロエンはC4 2.0 VTSの特別使用車として「C4 by LOEB」を限定生産した。

2009年5月、5度の世界チャンピオンなどフランスに対する功績からレジオンドヌール勲章を授与された。

PlayStation 3のドライビングシミュレーター「グランツーリスモ5」に本人役として出演。「セバスチャン・ローブ ラリーチャレンジ」と題したステージのオープニングで、グラベルステージの走り方などについて解説している。

2016年には、「セバスチャン・ローブ ラリー evo」というローブが監修、及び彼の経験に基づいて開発されたラリーゲームが、MILESTONE社より発売された 日本ではPlayStation 4用が日本語版として発売された。「リチャード・バーンズラリー」でもあったように、林道など実際の道を最先端の画像能力で表現し、天候の変化などによる路面の変化も忠実に再現されている。

(key)

太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)

^ 日本ではセバスティアン・ローブや、セバスチャン・ロエブと書くメディアもある。

^ Valentin Simonet [@salentinsimonet] (2016年10月2日). "9 times WRC World Champion, WTCC winner, FIA GT winner, podium at Le Mans 24h and now ... World Rallycross winner !!". Instagramより2025年1月9日閲覧。

^ 『RALLY PLUS 特別編集 WRC入門講座』三栄書房〈ニューズムック〉、2018年6月8日、65頁。ISBN 978-4-7796-3615-8。 

^ “【世界最強の万能ドライバー】セバスチャン・ローブ:DTMデビューを語る”. Red Bull (2022年5月12日). 2025年1月9日閲覧。

^ BIOGRAPHY Slices of life, Sébastien Loeb’s career

^ SÉBASTIEN LOEB RACING, UNE AVENTURE HUMAINE

^ THE WRC’S MOST DOMINANT CAMPAIGNS

^ ローブ、2013年はスポット参戦 - RALLYPLUS.NET・2012年9月28日

^ "大記録達成! セバスチャン・ローブ、9年連続WRCチャンピオンを獲得! シトロエンも5年連続・通算8回目のマニュファクチャラーズタイトルを決める". 日本ミシュランタイヤ.(2012年10月10日)2013年12月16日閲覧。

^ "世界ラリー選手権(WRC)ラリー ド フランス ~セバスチャン・ローブ、輝かしい歴史に幕~". シトロエン.(2013年10月7日)2013年12月16日閲覧。

^ "Citroen team boss Yves Matton is taking plenty of positives from Sebastien Loeb’s performance on the opening two days of Rallye Monte-Carlo." wrc.com

^ "Final Results Rallye Monte-Carlo." wrc.com

^ ”セバスチャン・ローブ、2018年のWRCスポット参戦が決定”. Rally+.net (2017年12月20日). 2018年10月28日閲覧。

^ ”ローブが逆転優勝、通算79勝を達成”. J SPORTS. (2018年10月28日) 2018年10月28日閲覧。

^ エクストリームE:WRC9冠王者セバスチャン・ローブ見参。ルイス・ハミルトンのX44から参戦決定 - auto sport. (2020年12月11日) 2020年12月11日閲覧

^ ラリーモンブラン・モルジヌに参戦のセバスチャン・ローブがプジョー306マキシで6位フィニッシュ

^ 【ダカール表彰台&WRC開幕戦優勝】セバスチャン・ローブが振り返る1月の偉業 2022年1月、セバスチャン・ローブはダカール・ラリー2022総合2位獲得からわずか9日後に通算8回目のWRCモンテカルロ・ラリー優勝を成し遂げた。信じがたい偉業が生まれた1カ月を振り返る。

^ アゾレスラリーを満喫したセバスチャン・ローブ、直近のWRC参戦は「予定なし」

^ “ローブ、シトロエンとの15年に渡る関係に終止符”. AUTOSPORT.web. (2015年11月21日). http://archive.as-web.jp/news/info.php?c_id=6&no=69679 2017年3月24日閲覧。 

^ “ローブ、雨のラトビアで世界RX初優勝を達成”. ラリーXモバイル. (2016年10月3日). http://rallyx.net/news/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96%E3%80%81%E9%9B%A8%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%A7%E4%B8%96%E7%95%8CRX%E5%88%9D%E5%84%AA%E5%8B%9D%E3%82%92%E9%81%94%E6%88%90-13714/ 2017年3月24日閲覧。 

^ “WRC王者ローブ、プジョーからダカールラリー挑戦”. AUTOSPORT.web. (2015年9月20日). http://archive.as-web.jp/news/info.php?c_id=6&no=68448#page2 2017年3月24日閲覧。 

^ “【ダカール】2位のローブ「ラリー中不運が続いたが良い経験になった」”. Motorsport.com. (2017年1月16日). https://jp.motorsport.com/dakar/news/%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB-2%E4%BD%8D%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96-%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%B8%AD%E4%B8%8D%E9%81%8B%E3%81%8C%E7%B6%9A%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%8C%E8%89%AF%E3%81%84%E7%B5%8C%E9%A8%93%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F-865793/ 2017年3月24日閲覧。 

^ 深い砂の餌食になったローブ「ダカールで勝つ最後のチャンスを失った」 Motorsports.com 2018年1月12日

^ "WRC王者ローブが、F1マシンを全開ドライブ!". Web CG.(2007年12月9日)2013年12月17日閲覧。

^ “セバスチャン・ローブ:YouTube映像 ベスト7!”. Redbull.com (201). 2017年3月24日閲覧。

^ "セバスチャン・ローブ 「F1参戦のチャンスはもうないだろう」". F1-Gate.com.(2009年10月22日)2013年12月17日閲覧。

^ "ローブ、来季F1出場に関し、USF1にコンタクト". オートスポーツweb.(2009年8月26日)2013年12月17日閲覧。

^ "2013年パイクスピークはローブ&プジョーが圧倒的なコースレコードを樹立【動画】". clicccar.(20年月日)2013年7月11日閲覧。

^ ハミルトン率いるX44が初優勝、初代王座はロズベルグ代表のRXRが獲得/エクストリームE最終戦

^ "ローブ、2年後に転身!? 自身のレースチームを組織". .(2011年10月31日)2013年12月17日閲覧。

^ "セバスチャン・ローブ". WRC JAPAN.

^ "[エキゾーストNOTE] “パーシャル引退”のローブ、ラリー王者の新たな挑戦は 4/6". MSN産経ニュース.(2012年10月14日)2013年12月18日閲覧。

^ 古賀敬介 "Perfectionist セバスチャン・ロウブ". ahead magazine archives.(2013年8月)2014年1月27日閲覧。

^ 『WRC PLUS 2005 Vol.』P26-29

^ WRC:セバスチャン・ローブがトランポリンデビューも「娘のほうが上手」シリーズ再開に向けたコメントも

^ Loeb receives French knighthood

絶対王者

セバスチャン・ローブ ラリー EVO

Sébastien Loeb - 公式ウェブサイト

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Sébastien Loeb (eWRC-results.com)

1977年 S・ムナーリ (FIA Cup)

1978年 M・アレン (FIA Cup)

1979年 B・ワルデガルド

1980年 W・ロール

1981年 A・バタネン

1982年 W・ロール

1983年 H・ミッコラ

1984年 S・ブロンクビスト

1985年 T・サロネン

1986年 J・カンクネン

1987年 J・カンクネン

1988年 M・ビアシオン

1989年 M・ビアシオン

1990年 C・サインツ

1991年 J・カンクネン

1992年 C・サインツ

1993年 J・カンクネン

1994年 D・オリオール

1995年 C・マクレー

1996年 T・マキネン

1997年 T・マキネン

1998年 T・マキネン

1999年 T・マキネン

2000年 M・グロンホルム

2001年 R・バーンズ

2002年 M・グロンホルム

2003年 P・ソルベルグ

2004年 S・ローブ

2005年 S・ローブ

2006年 S・ローブ

2007年 S・ローブ

2008年 S・ローブ

2009年 S・ローブ

2010年 S・ローブ

2011年 S・ローブ

2012年 S・ローブ

2013年 S・オジェ

2014年 S・オジェ

2015年 S・オジェ

2016年 S・オジェ

2017年 S・オジェ

2018年 S・オジェ

2019年 O・タナック

2020年 S・オジェ

2021年 S・オジェ

2022年 K・ロバンペラ

2023年 K・ロバンペラ

2024年 T・ヌービル

2013 ロバート・クビサ

2014 ナッサー・アル=アティヤ

2015 ナッサー・アル=アティヤ

2016 エサペッカ・ラッピ

2017 ポンタス・ティデマンド

2018 ヤン・コペッキー

2019 ピア・ルイス・ルーベ

2020 マッズ・オストベルグ

2021 アンドレアス・ミケルセン

2022 エミル・リンドホルム

2023 アンドレアス・ミケルセン

2013 セバスチャン・シャードネット

2014 ステファン・ルフェーブル

2015 クエンティン・ギルバード

2016 シモーネ・テンペスティーニ

2017 ニル・ソランス

2018 エンリコ・ブラゾッリ

2020 ヤリ・フットゥネン

2021 ヨアン・ロッセル

2022 ラウリ・ヨーナ

2023 ローペ・コルホネン

2001 セバスチャン・ローブ

2002 ダニエル・ソラ

2003 ブライス・ティラバッシ

2004 パー・ガンナー・アンダーソン

2005 ダニ・ソルド

2006 パトリック・サンデル

2007 パー・ガンナー・アンダーソン

2008 セバスチャン・オジェ

2009 マルティン・プロコップ

2010アーロン・ブルカルト

2011 クレイグ・ブリーン

2012 エルフィン・エバンス

2013 ポンタス・ティデマンド

2014 ステファン・ルフェーブル

2015 クエンティン・ギルバード

2016 シモーネ・テンペスティーニ

2017 ニル・ソランス

2018 エミール・ベルクヴィスト

2019 ジャン・ソランス

2020 フランシス・レナルス

2021 サミ・パヤリ

2022 ロバート・ヴィヴレス

2023 ウィリアム・クレイグトン

2002 カラムジット・シン

2003 マーチン・ロウ

2004 ナイオール・マクシェア

2005 新井敏弘

2006 ナッサー・アル=アティヤ

2007 新井敏弘

2008 アンドレアス・アイグナー

2009 アーミンド・アラウージョ

2010 アーミンド・アラウージョ

2011 ヘイデン・パッドン

2012 ベニート・ゲラ

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フランスのラリードライバー

世界ラリー選手権のドライバー

世界ラリーレイド選手権のドライバー

ル・マン24時間レースのドライバー

世界ツーリングカー選手権のドライバー

ドイツツーリングカー選手権のドライバー

ダカール・ラリー

レーシングチームのオーナー

現代-起亜自動車グループの人物

レジオンドヌール勲章受章者

バ=ラン県出身の人物

1974年生

存命人物

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2025/01/23 03:13更新

Sebastien Loeb


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