もしもし情報局 > 4月16日 > 俳優、映画監督

チャールズ=チャップリンの情報 (CharlesChaplin)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【12月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

チャールズ=チャップリンの情報(CharlesChaplin) 俳優、映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

チャールズ=チャップリンさんについて調べます

■名前・氏名
チャールズ=チャップリン
(読み:Charles Chaplin)
■職業
俳優、映画監督
■チャールズ=チャップリンの誕生日・生年月日
1889年4月16日 (年齢1977年没)
丑年(うし年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
不明

チャールズ=チャップリンと同じ1889年生まれの有名人・芸能人

チャールズ=チャップリンと同じ4月16日生まれの有名人・芸能人

チャールズ=チャップリンと同じ出身地の人


チャールズ=チャップリンの情報まとめ

もしもしロボ

チャールズ=チャップリン(Charles Chaplin)さんの誕生日は1889年4月16日です。

もしもしロボ

映画、現在、結婚、病気、兄弟、父親、退社、子役、離婚、ドラマ、事件、引退、家族、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1977年に亡くなられているようです。

チャールズ=チャップリンのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

チャールズ・スペンサー・チャップリン(英: Sir Charles Spencer Chaplin, KBE、1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、イギリス出身の映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、作曲家である。サイレント映画時代に名声を博したコメディアンで、山高帽に大きなドタ靴、ちょび髭にステッキという扮装のキャラクター「小さな放浪者(英語版)」を通じて世界的な人気者になり、映画史の中で最も重要な人物のひとりと考えられている。ドタバタにペーソスを組み合わせた作風が特徴的で、作品の多くには自伝的要素や社会的及び政治的テーマが取り入れられている。チャップリンのキャリアは70年以上にわたるが、その間にさまざまな称賛と論争の対象となった。

チャップリンの子供時代は貧困と苦難に満ちており、救貧院に何度も収容される生活を送った。やがて舞台俳優や芸人としてミュージック・ホールなどの舞台に立ち、19歳で名門のフレッド・カーノー(英語版)劇団と契約した。そのアメリカ巡業中に映画業界からスカウトされ、1914年にキーストン社で映画デビューした。チャップリンはすぐに小さな放浪者を演じ始め、自分の映画を監督した。その後はエッサネイ社、ミューチュアル社(英語版)、ファースト・ナショナル社(英語版)と移籍を重ね、1919年にはユナイテッド・アーティスツを共同設立し、自分の映画を完全に管理できるようにした。1920年代に長編映画を作り始め、『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)などを発表した。『独裁者』(1940年)からはトーキーに完全移行したが、1940年代に私生活のスキャンダルと共産主義的傾向の疑いで非難され、人気は急速に低下した。1952年に『ライムライト』のプレミア上映のためロンドンへ渡航中、アメリカへの再入国許可を取り消され、それ以後は亡くなるまでスイスに定住した。しかし1972年の第44回アカデミー賞で「今世紀が生んだ芸術である映画の製作における計り知れない功績」により名誉賞を受賞、アメリカでの授賞式に招かれた。

1889年4月16日、チャールズ・スペンサー・チャップリン(以下チャップリン)は父のチャールズ・チャップリン・シニア(以下チャールズ)と母のハンナ・チャップリンとの間に生まれた。チャップリンは自伝で、ロンドン南部のウォルワース(現在のサザーク区)のイースト・ストリート(英語版)で生まれたとしているが、公式の出生記録は存在していない。両親は4年前に結婚したが、ハンナはその時までに非嫡出子のシドニーを出産していた。両親は共にミュージック・ホールの芸人で、チャールズは人気歌手だったが、ハンナは芽の出ない女優だった。1891年までに両親は別居し、翌1892年にハンナは夫の芸人仲間のレオ・ドライデン(英語版)との間にジョージ・ウィーラー・ドライデンを出産したが、生後6ヶ月のジョージをレオが強引に引き取ってしまう。それから30年近くもチャップリンの前に姿を見せることはなかった。

幼少期のチャップリンは、現在のランベス区内のケニントン(英語版)でハンナとシドニーと生活していたが、ハンナには時折の洋裁や看護で小銭を稼ぐ以外に収入がなく、チャールズは養育費さえも支払わなかった。貧困とハンナの病気入院により、チャップリンは7歳の時にシドニーとランベス救貧院(英語版)に収容され、すぐにハンウェル(英語版)にある孤児や貧困児のための学校に移された。1898年1月にチャップリンは同校を退校し、ハンナとシドニーと屋根裏部屋を転々とする生活を送ったが、やがてそれも打つ手がなくなり、7月に三人ともランベス救貧院に収容された。救貧院では親子兄弟といえどもばらばらに収容されたが、8月12日に三人で申し合わせて退院手続きをとり、ケニントン・パークで久しぶりに一緒に一日を過ごした。三人はシドニーが手に入れた9ペンスで昼食をとり、新聞紙を丸めたボールでキャッチボールをしたりして、親子水入らずの時間を楽しんだあと、夕方に救貧院に再収容された。チャップリンは収容後すぐにノーウッド(英語版)にある貧困児のための学校に移された。

1898年9月、ハンナは栄養失調と梅毒を原因とする精神病を発症したため、ケイン・ヒル精神病院(英語版)に収容された。それに伴いチャップリンとシドニーはノーウッドの学校を退校し、ケニントンに住んでいた父のチャールズに引き取られた。チャップリンはそれまでに父の姿を2回しか見ていなかった。チャールズは重度のアルコール依存症に陥っており、そこでの生活は児童虐待防止協会が訪問するほど悪いものだった。11月にハンナは病状が落ち着いたため退院し、チャップリンとシドニーは父のもとを離れ、再び三人で生活を始めた。チャールズは1901年に肝硬変のため38歳で亡くなった。

チャップリンの初舞台は5歳の時だった。オールダーショットの劇場で舞台に立っていたハンナが出演中に喉をつぶして野次を浴びてしまい、支配人はチャップリンが舞台袖でさまざまな芸でハンナの友人たちを笑わせているのを見て、急遽代役として舞台に立たせることにした。チャップリンは舞台で歌を歌って大喝采を浴びた。この舞台出演は一時的なものだったが、チャップリンは9歳までにハンナの教えで舞台に興味を持つようになった。自伝では「母はわたしに舞台に対する興味を植え付けだした。自分には才能があると、わたしが思い込むように仕向けた」と述べている。1898年末、チャップリンは父親とのつながりを通じて、木靴ダンスのエイト・ランカシア・ラッズ(英語版)の座員となり、1899年から1900年にかけてイギリス中のミュージック・ホールを巡業した。チャップリンは懸命に働き、舞台も人気を得ていたが、やがてダンスだけでは満足せず、コメディアンになることを夢見るようになった。

チャップリンはエイト・ランカシア・ラッズと行動を共にした数年間、巡業先の学校を転々として通っていたが、13歳までに学業を断念した。チャップリンは俳優になるという目標を持ちながら、生活のために食品雑貨店の使いの小僧、診療所の受付、豪邸のボーイ、ガラス工場や印刷所の工員など、さまざまな仕事を経験した。1903年5月にハンナは病気が再発し、再びケイン・ヒル精神病院に送られた。8ヶ月後にハンナは退院したが、1905年3月に再び病状が悪化したため入院し、それ以降は病状が完全に回復することはなかった。自伝では「もはや諦めて母の運命を受け容れるしかなかった」と述べている。ハンナは1928年8月に亡くなり、チャップリンはその後数週間もショックで立ち直れなかったという。

1903年にハンナが入院した直後、チャップリンはウエスト・エンドにある俳優周旋所に名前を登録した。まもなく興行主チャールズ・フローマンの事務所の紹介で、俳優H・A・セインツベリー(英語版)の舞台『ロンドン子ジムのロマンス』の少年サム役を与えられた。舞台は1903年7月に開幕し、チャップリンのコミカルで快活な演技は批評家の賞賛を受けたが、舞台自体は成功せず2週間で打ち切られた。続いてフローマンが興行する『シャーロック・ホームズ(英語版)』でビリー役を演じ、3度の全国巡業に参加した。1905年9月の3度目の巡業中には、ホームズ役者で有名なウィリアム・ジレットの舞台に出演するためロンドンに呼ばれ、10月から12月にかけてジレット主演の『シャーロック・ホームズ』でビリー役を演じた。1906年初頭に4度目の『シャーロック・ホームズ』の全国巡業に参加し、これを最後に2年半以上演じてきたビリー役と別れを告げた。

チャップリンはすぐに新しい劇団で仕事を見つけ、1906年3月にスケッチ・コメディー『修繕』の巡業にシドニーとともに参加した。同年5月にはケイシーズ・コート・サーカスの子供グループに参加し、1907年7月に退団するまで花形コメディアンとして活躍した。しかし、チャップリンは次の仕事先を見つけるのに苦労し、しばらく失業状態となった。この頃にユダヤ人のコメディアンとして一人で舞台に立とうと試みたが、テスト公演をしたのがユダヤ人地区の劇場にもかかわらず、反ユダヤ的なギャグを含む出し物をしたため、観客の野次を浴びて大失敗した。

一方、シドニーは1906年にコメディの名門フレッド・カーノー(英語版)劇団に入り、その花形コメディアンになっていた。1908年2月、シドニーは失業中のチャップリンに仕事を与えるようカーノーに頼み、チャップリンは2週間のテスト出演のチャンスを貰った。カーノーは当初、チャップリンを「青白くて発育の悪い、無愛想な若者」「舞台もろくにできないぐらいの恥ずかしがり屋」と見なしていた。しかし、チャップリンはロンドンのコロシアム劇場で行われたテスト出演で、アドリブのギャグで笑いを取ったことが認められ、2月21日にカーノーと契約を交わした。

カーノー劇団でのチャップリンは脇役を演じることから始まり、1909年に主役級を演じるようになった。なかでも『啞鳥』におけるドタバタを巻き起こす酔っ払いが当たり役だった。1910年4月には新作寸劇『恐れ知らずのジミー』の主役で成功を収め、批評家の注目を集めた。同年10月、チャップリンはカーノー劇団のアメリカ巡業に参加し、批評家から「これまでに見た中で最高のパントマイム芸人の一人」と評された。最も成功した演目は『イギリス・ミュージックホールの一夜』(『啞鳥』の改題)で、その演技でアメリカでの名声を獲得した。アメリカ巡業は21ヶ月も続き、1912年6月にイギリスに帰国したが、10月には再びアメリカ巡業に参加した。

1913年、チャップリンは2度目のアメリカ巡業中にニューヨーク映画会社(英語版)の支配人アダム・ケッセル(英語版)から、傘下のキーストン社と契約する話を受けた。キーストン社はテンポの早いドタバタの短編喜劇を量産していた会社で、すでに退社した人気スターのフレッド・メイス(英語版)の穴を埋める俳優を探していた。チャップリンはキーストン社の作風をあまり好まなかったが、舞台の仕事に変わるものを求めていたこともあり、9月25日に週給150ドルで契約を交わした。12月初旬にチャップリンはスタジオがあるロサンゼルスに到着し、撮影所長のマック・セネットと対面した。セネットはチャップリンの容貌が若すぎることに不安を感じたが、チャップリンは「老けづくりなら簡単にできる」と返事した。

1914年1月末までチャップリンは映画に使われず、その間は映画製作の技術を学ぶための見学に充てられた。チャップリンの映画デビュー作は、2月2日公開の『成功争ひ』である。この作品でチャップリンが演じたのは、洒落たフロックコートにシルクハット、モノクルを付け、八の字髭を生やした扮装の、女たらしの詐欺師である。チャップリンはこの作品を嫌ったが、マスコミはその演技に早くも注目し、「第一級のコメディアン」と賞賛する業界紙もあった。チャップリンは2本目の出演作のために、セネットの指示で喜劇の扮装を決めることになり、トレードマークとなる「小さな放浪者(英語版)」の扮装を作り上げた。チャップリンの自伝によると、衣裳部屋に行く途中でふとだぶだぶのズボン、大きなドタ靴、ステッキと山高帽という組み合わせを思いついたという。自伝では扮装の狙いについて、以下のように述べている。

その2本目の作品は『メーベルの窮境』(1914年2月9日公開)であるが、それよりも後に撮影された『ヴェニスの子供自動車競走』の方が2日早く公開されたため、『ヴェニスの~』が小さな放浪者の扮装を初めて観客に披露した作品となった。チャップリンはこれを自身の映画のキャラクターに採用し、自分からギャグを提案したりもしたが、監督のヘンリー・レアマンやジョージ・ニコルズ(英語版)とは意見が合わず、対立を繰り返した。11本目の出演作『メーベルの身替り運転』では、監督兼主演のメイベル・ノーマンドと衝突したことで解雇寸前にまで至ったが、ニューヨークから「チャップリン映画が大当たりしているから、至急もっと彼の作品をよこせ」との電報が届いたため、チャップリンの解雇は回避され、彼に対するセネットたち周囲の態度も軟化した。チャップリンはそれに乗じて、作品が失敗したら1500ドルを支払うという条件で、自分で映画を監督することをセネットに認めさせた。

チャップリンの監督デビュー作は、1914年4月20日公開の『恋の二十分』である。監督2作目の『とんだ災難』はその時点までで最も成功したキーストン社作品の1本となった。その後、チャップリンは1週間に1本のペースで新作の短編映画を監督・主演し、ショットの組み立てやストーリー構成などの映画技術を貪欲に身に付けていった。自伝ではこの時期を「いちばん張りのあったすばらしい時期」としている。チャップリンの人気も高まり、その名前が出ただけで大ヒットが約束されるようになると、キーストン社内でのチャップリンの発言力も高まった。同年11月、セネットが監督した長編コメディ『醜女の深情け』で主演のマリー・ドレスラーの相手役を演じたが、これが他監督のもとで出演した最後の公式映画となった。同年末、チャップリンはセネットと契約更新の話をし、週給1000ドルを要求するが拒否され、契約更新の話もそれで打ち切られた。

キーストン社と契約満了をもって退社が確定したチャップリンは、週給1250ドルのギャラと1万ドルのボーナスを提示してきたシカゴのエッサネイ社に移籍し、1914年12月下旬にスタジオに参加した。チャップリンはレオ・ホワイトやベン・ターピンなどの俳優を集めてグループを作り、同社2作目の『アルコール夜通し転宅』ではサンフランシスコのカフェで見つけたエドナ・パーヴァイアンスを相手役に採用した。パーヴァイアンスとは8年間に35本の映画で共演し、1917年までプライベートでも親密な関係を築いた。チャップリンはそれまで会社の製作慣習に従い、流れ作業のように映画を作り続けてきたが、この頃から慣習には従わない姿勢を打ち出し、より時間をかけて映画を作るようになった。『アルコール夜通し転宅』と次作の『チャップリンの拳闘』とでは封切り日に27日の間があり、それ以後の作品はさらに封切りの間隔が広がった。

この時期にチャップリンは小さな放浪者のキャラクターを変え始めた。キーストン社時代のキャラクターは、女性や子供をいじめたりする卑劣で残酷な役柄や、性的にいやらしい性格であるものが多かった。しかし、エッサネイ社時代になると、より穏やかでロマンティックな性格に変化した。1915年4月公開の『チャップリンの失恋』はキャラクターの変化のターニングポイントとなる作品と考えられている。この作品では放浪者がヒロインに失恋し、ラストシーンで一本道をとぼとぼと歩き去る姿が描かれている。このシーンはその後の作品でも数通りに変化させて使用された。チャップリン研究家の大野裕之は、この作品を「孤独な放浪者のロマンスというチャップリン・スタイルの芽生え」であるとしている。同年8月公開の『チャップリンの掃除番』には悲しげな結末にペーソスが加えられたが、映画史家のデイヴィッド・ロビンソン(英語版)はそれがコメディ映画の革新であるとしている。映画学者のサイモン・ルービッシュは、エッサネイ社時代のチャップリンは「小さな放浪者を定義するテーマとスタイルを見つけた」と述べている。

1915年にチャップリンの人気は爆発的に上昇し、その人気にあやかって人形や玩具などの関連商品が売られたり、新聞に漫画や詩が掲載されたり、チャップリンについての曲が作られたりした。同年7月にモーション・ピクチャー・マガジン(英語版)のジャーナリストは、チャップリンの真似をする「チャップリニティス」がアメリカ全土で広まったと書いた。チャップリンの人気は世界的に高まり、映画業界で最初の国際的なスターとなった。12月にエッサネイ社との契約が切れ、自分の価値を認識していたチャップリンは次の契約先に15万ドルのボーナスを要求した。ユニバーサル、フォックス、ヴァイタグラフ(英語版)などの映画会社からオファーを受けたが、最終的にチャップリンが選んだのは、最も高額な条件を提示してきたミューチュアル社(英語版)だった。

1916年2月、チャップリンは年収67万ドル(週給1万ドルで合計52万ドル+ボーナス15万ドル)でミューチュアル社と契約を結び、世界で最も給料が高い人物のひとりとなった。その高額な給料は大衆に衝撃を与え、マスコミで広く報道された。社長のジョーン・R・フロイラー(英語版)は「私たちがチャップリンにこれだけ巨額の金が払えるのは、大衆がチャップリンを求めており、そのために金を払うからである」と説明した。チャップリンはロサンゼルスに自分専用のスタジオを与えられ、3月にローン・スター・スタジオとして開設した。自身の俳優集団には、エッサネイ社からパーヴァイアンスやホワイトを引き連れ、その後の作品で大きな役割を占めることになるアルバート・オースチンとエリック・キャンベル、そして腹心の友となるヘンリー・バーグマンを新たに加えた。

この頃からチャップリンは「低俗なドタバタ喜劇」という外部からの批判に応え喜劇のスタイルを変えようとしていた。「エリザベス朝のユーモアの表現形式、道化芝居やドタバタ喜劇の粗雑な形式」から離れて「もっと手の込んだより 繊細な演出」への移行を志向したのである。

チャップリンはミューチュアル社と、4週間に1本のペースで2巻物の映画を作ることを約束し、1916年中に公開した8本はすべてこの約束に従っていた。しかし、1917年に入るとこれまで以上に時間をかけて映画を作るようになり、同年に公開した『チャップリンの勇敢』『チャップリンの霊泉』『チャップリンの移民』『チャップリンの冒険』の4本を作るのに10ヶ月を要した。これらの作品は多くの専門家により、チャップリンの最良の作品のひとつと見なされている。チャップリンは自伝で、ミューチュアル社時代がキャリアの中で最も幸福な時期だったとしている。

チャップリンは第一次世界大戦で戦わなかったとして、イギリスのメディアに攻撃された。チャップリンはアメリカで徴兵登録を行い、「祖国の命令には進んで従うつもりである」と声明を出したが、結局どちらの国からも召喚されなかった。こうした批判にもかかわらず、チャップリンは前線の兵士にも人気があった。

ミューチュアル社はチャップリンの生産本数の減少に腹を立てず、契約は友好的な関係のまま終了した(ミューチュアル社は新たな8本の映画に対し100万ドルの支払いを提示したが、チャップリンは独立を選んだ)。チャップリンは契約スケジュールに縛られた映画作りによる品質低下を懸念し、これまで以上に独立することを望んだ。チャップリンのマネージャーだったシドニーは、「今後どんな契約を結ぶとしても必ず条項にしたいものがひとつある。それはチャップリンには必要なだけの時間と、望み通りの予算が与えられるということである。私たちが目指すのは量ではなくて質なのだ」と表明した。1917年6月17日、チャップリンは新しく設立されたファースト・ナショナル社(英語版)と「100万ドル契約」と広く呼ばれた配給契約を結んだ。この契約ではチャップリン自らがプロデューサーとなり、会社のために8本の映画を完成させる代わりに、作品1本あたり12万5000ドルの前金を受け取ることが決定した。

チャップリンはハリウッドのサンセット大通りとラ・ブレア通り(英語版)が交差する角に面した5エーカーの土地に、自前のスタジオであるチャップリン・スタジオ(英語版)を建設し、1918年1月に完成した。このスタジオは地域の外観にうるさい近隣住民を安心させるため、イギリスの田舎のコテージが並んだような外見をもつように設計された。こうしてチャップリンは自由な映画製作環境を手に入れ、以前よりも膨大な時間と労力をかけて映画を作るようになった。また、それまでは1巻物や2巻物の短編映画を主に作っていたが、この頃からは3巻物の中編映画を作るようになった。新しい契約先での最初の作品は、同年4月公開の『犬の生活』である。この作品でチャップリンは小さな放浪者を一種のピエロとして扱い、コメディ映画に複雑な人間的感情を与えた。大野は、この作品で心優しい小さな放浪者のキャラクターが完成したとしている。この作品でチャップリンの芸術的評価は決定的なものとなり、フランスの映画批評家ルイ・デリュックは「映画史上初のトータルな芸術作」と呼んだ。

1918年4月、チャップリンはダグラス・フェアバンクスやメアリー・ピックフォードとともに、第一次世界大戦のための自由公債(英語版)募集ツアーに駆り出され、約1ヶ月間アメリカ国内を遊説した。ワシントンD.C.で演説した時には、興奮の余り演壇から足を滑らし、当時海軍次官補をしていたフランクリン・ルーズベルトの頭上に転げ落ちたという。さらにチャップリンはアメリカ政府のために、公債購入促進を訴える短編プロパガンダ映画『公債』を自費で製作した。次作の『担へ銃』では戦争をコメディ化し、小さな放浪者を塹壕の兵士に変えた。周囲は悲惨な戦争からコメディを作ることに反対したが、喜劇と悲劇の近似性を意識していたチャップリンの考えは揺るがなかった。この作品は大戦の休戦協定の締結直前に公開され、チャップリン映画として当時最高の興行記録を打ち立てた。

『担へ銃』の公開後、チャップリンはより高品質な映画を作るため、ファースト・ナショナル社に製作費の増額を要求したが拒否された。作品の品質低下の懸念に加え、映画会社が結託してスターのギャラを下げようとしているという噂話を心配したチャップリンは、 1919年2月5日にフェアバンクス、ピックフォード、D・W・グリフィスとともに、新会社ユナイテッド・アーティスツを設立した。同社は共同設立者の4人がそれぞれ独立製作した映画を配給する会社で、雇用主の束縛なしに自由に映画を作ることができるうえに、これまで雇用主に吸い上げられていた利益も手にすることができた。チャップリンはこの新会社での映画作りを望み、ファースト・ナショナル社に契約解除を求めたが拒否され、残る6本の契約を消化しなければならなくなった。

ユナイテッド・アーティスツの設立前、チャップリンは最初の結婚をした。17歳の女優ミルドレッド・ハリスはチャップリンとの間の子を妊娠したことを明らかにし、チャップリンはスキャンダルを回避するため、1918年10月にロサンゼルスで秘密裏に結婚したが、すぐに妊娠は嘘であることが判明した。チャップリンは結婚生活に気分が乗らず、結婚が創作力に悪影響を及ぼすと考えていた。事実、11月に次回作『サニーサイド』の撮影を始めたが、アイデアが湧かなくてスランプに陥り、自伝では「虫歯を抜くような苦労をして作り上げた」と述べている。1919年にミルドレッドは本当に妊娠し、7月7日に奇形児の息子ノーマン・スペンサー・チャップリンを出産したが、わずか3日後に死亡した。

チャップリンの幼少時代の貧困経験は、次の映画『キッド』に影響を与えたと考えられており、それは小さな放浪者を捨て子の保護者に変えた。チャップリンは劇場で見つけた4歳の子役俳優ジャッキー・クーガンと契約し、1919年7月に撮影を始めた。撮影は順調に進んだが、これまで以上の大作になることが分かり、早く新作を求めるファースト・ナショナル社をなだめるため、数週間撮影を中断して急拵えで『一日の行楽』を製作した。『キッド』の製作は約1年かかったが、その間にミルドレッドとの結婚生活は破綻した。1920年8月に彼女は離婚訴訟を起こし、『キッド』の撮影済みフィルムを差し押さえようとした。チャップリンはそれから逃れるため、州を越えてソルトレイクシティに避難して編集作業を行い、完成後の11月に離婚が成立した。『キッド』はチャップリンの最初の長編映画で、「笑い」に「涙」を組み合わせたチャップリン特有のスタイルを完成させた。1921年2月に公開されると大ヒットし、3年以内に50ヶ国以上で配給された。

ファースト・ナショナル社との契約を終えたチャップリンは、ようやく独立したプロデューサーとして自前のスタジオで映画を作り、自分の会社で配給するというワンマン体制を手に入れ、完全に自由な映画作りを行うことができた。そこでチャップリンはパーヴァイアンスを一本立ちしたスターに仕立てるため、ロマンティックなドラマ映画『巴里の女性』を製作した。この作品でチャップリンは監督に徹し、主演はせずにノンクレジットでカメオ出演するにとどまった。チャップリンは俳優に抑制のきいた自然な演技を求め、新しいリアルな演技スタイルを取り入れた。作品は1923年9月に公開され、その革新的で洗練された表現方法で批評家から高い賞賛を受けた。しかし、一般観客はチャップリンが出てこないチャップリン映画に興味がなく、興行的に失敗した。作品の出来栄えに誇りを持っていたチャップリンはこの結果に失望し、すぐに作品を劇場から撤退させた。

チャップリンは次回作でコメディに戻り、『キッド』以上の作品、それも偉大な叙事詩を作ろうと考えた。そこでクロンダイクのゴールドラッシュの写真とドナー隊の悲劇に触発されて『黄金狂時代』を製作した。この作品では小さな放浪者が孤独な金鉱探しになり、逆境に直面しながら黄金と恋を求める姿が描かれている。飢えをしのぐために靴を食べるシーンや、ロールパンのダンス、崖から落ちる山小屋のシーンなど、チャップリン映画で最も有名なシーンのいくつかも含まれている。撮影は1924年2月に開始したが、600人のエキストラを動員したり、豪華なセットや特殊効果を使用したりするなど、製作はより大規模なものになった。撮影日数は約14ヶ月もかかり、製作費は92万ドルを計上した。1925年8月に公開されると全米で500万ドルの興行収入を記録し、サイレント映画で最も高収入をあげた映画の1本となった。ジャーナリストのジェフリー・マクナブは、この作品を「チャップリン映画の典型」と呼んでいる。

『黄金狂時代』の撮影中、チャップリンは16歳の女優リタ・グレイと2度目の結婚をした。1924年9月、リタはミルドレッドの時と同じように、チャップリンとの子を妊娠したことを明らかにした。カリフォルニア州法では未成年女性と関係を持つと強姦罪が適用され、最高30年の刑が科せられたため、リタの両親はそれをタネにチャップリンに結婚を強要した。そのためチャップリンは結婚を余儀なくされ、11月26日にメキシコで内密に結婚式を挙げた。リタは『黄金狂時代』のヒロイン役に予定されていたが、結婚により降板し、代わりにジョージア・ヘイルが演じることになった。リタとの間には、チャールズ・チャップリン・ジュニア(1925年5月5日生)とシドニー・アール・チャップリン(1926年3月30日生)の二人の息子をもうけた。

リタとの結婚生活は不幸であり、チャップリンは妻と会うのを避けるためスタジオで仕事に没頭した。1926年11月末、リタは息子を連れて家出し、翌1927年1月に離婚訴訟を起こした。訴訟書類はチャップリンだけでなくその関係者も相手取り、チャップリンを誹謗中傷する内容が書かれていた。この事件は大見出しのニュースとなり、全米各地でチャップリン映画のボイコットが起きたため、チャップリンは神経衰弱に陥った。8月にチャップリンの弁護士は、その種のものではアメリカの裁判史上最高の金額である60万ドルの和解金を支払うことに同意し、リタとの離婚が成立した。チャップリンは心労で一夜にして白髪になったが、幸いにも事件はすぐに忘れられ、チャップリンの人気にほとんど影響を与えることはなかった。

離婚訴訟が起きる前に、チャップリンは新作『サーカス』の撮影を始めていた。この作品は猿に囲まれて綱渡りをするというアイデアから物語が作られ、小さな放浪者をサーカスのスターに変えた。撮影は離婚訴訟のため8ヶ月間中断され、撮影中もさまざまなトラブルに直面した。この時の大きなストレスは長年にわたり感じ続け、自伝でもこの作品について言及されていない。作品は1927年10月に完成し、1928年1月にプレミア上映が行われて好評を博した。1929年、チャップリンは第1回アカデミー賞で「『サーカス』の脚本・演技・演出・製作で示した優れた才能」に対して名誉賞を受賞したが、授賞式は欠席した。

『サーカス』が公開された頃、ハリウッドではトーキーの導入が進んでいた。しかし、チャップリンはトーキーについて否定的な立場をとり、トーキーはサイレント映画の芸術性を損なわせてしまうと考えていた。また、チャップリンは小さな放浪者に言葉を入れることで、その国際的魅力と世界共通言語としてのパントマイムの普遍性が失われることを恐れ、自身に成功をもたらしたこの方式を変えることに躊躇した。そのためチャップリンはトーキーの流行に従うのを拒否し、サイレント映画を作り続けることにした。それにもかかわらず、この決断はチャップリンを不安にさせ、次回作である『街の灯』の製作中もずっと悩み続けた。

チャップリンは約1年かけて『街の灯』のストーリー作りに取り組み、1928年末に撮影を始めた。この作品は小さな放浪者がヴァージニア・チェリル演じる盲目の花売り娘を愛し、彼女の視力を回復させるための手術代を調達しようと奮闘する姿が描かれている。撮影は約21ヶ月間も続けられ、チャップリンは自伝で「完璧を望むあまり、神経衰弱気味になっていた」と述べている。チャップリンがサウンド技術で見つけた利点のひとつは、自分で作曲した映画音楽を録音する機会を得たことだった。以前から映画音楽の作曲に関心を抱いていたチャップリンは、この作品のためにオリジナルの伴奏音楽を作曲し、サウンド版として公開することにした。

1930年12月に『街の灯』の編集作業が終了したが、この頃にはサイレント映画は時代遅れになっていた。1931年1月に行われた一般向け試写は成功しなかったが、その翌日のマスコミ向け試写では好意的な評価を受けた。あるジャーナリストは「それが可能な人物は世界中でチャップリンだけだろう。彼は、『観客へのアピール』と呼ばれる独特のものを、話す映画へとなびく大衆の好みに挑めるくらい十分に備えているただ一人の人物である」と書いた。同月末に正式公開されると高い人気を集め、最終的に300万ドルを超える収益を上げるほどの興行的成功を収めた。英国映画協会は、批評家のジェームズ・エイジーがラストシーンを「映画の中で最高の演技で最高のシーン」と賞賛したことを引用して、チャップリンの最高の作品と評価した。

ロサンゼルスに戻ったチャップリンは、トーキー導入で大きく変化したハリウッドに嫌気がさした。自伝では当時の心境を「まったくの混迷、将来の計画もなんにもない。ただ不安なばかりで、底知れぬ孤独にさいなまれていた」と回想している。チャップリンは引退して中国に移住することも考えたが、1932年7月にポーレット・ゴダードと出会ったことで孤独感が解消され、二人はすぐに親密な関係を築いた。しかし、チャップリンはなかなか次回作に取りかかろうとはせず、旅行記『コメディアンが見た世界』の執筆に集中した。チャップリンは世界旅行をして以来、恐慌後の世界情勢に関心を持つようになった。実際にチャップリンは、経済問題に関する論文「経済解決論」を執筆したり(この中でワークシェアリングの実施、労働者の最低賃金のアップによる家計の刺激、関税の引き下げ、欧州の通貨統合などを提唱)、ニューディール政策の熱熱な支持者として、1933年に全国産業復興法を支持するラジオ番組に出演したりしている。アメリカの労働状況の悪化はチャップリンを悩ませ、機械化が失業率を高めるのではないかと恐れた。こうした懸念から次回作の『モダン・タイムス』が構想された。

1934年10月に『モダン・タイムス』の撮影が始まり、約10ヶ月半かけて終了した。チャップリンはトーキーで作ることを考えていたが、リハーサル中に気が変わり、前作と同様に効果音と伴奏音楽を採用し、会話シーンはほとんど使わなかった。しかし、小さな放浪者がデタラメ語で「ティティナ」を歌うシーンで、チャップリンは初めて映画で肉声を披露した。大野は、この作品を「機械文明に抵抗して個人の幸福を求める物語」としており、『キッド』以来の政治的言及と社会的リアリズムが取り入れられた。チャップリンはこの問題を重視しないようにしたにもかかわらず、こうした側面が多くのマスコミの注目を引き付けた。作品は1936年2月に公開されたが、一部の大衆観客は政治的要素を嫌ったため、アメリカでの興行収入は前作の半分にも満たない150万ドルにとどまり(資料によっては180万ドルに達するともされる。1936年の興行収入の第5位)、評価も賛否両論となった。それでも現代ではチャップリンの最も優れた長編映画のひとつと見なされている。

『モダン・タイムス』の公開直後、チャップリンはポーレットとともにアジア旅行に出発し、香港や日本などを訪問した。チャップリンとポーレットはお互いの関係について言及することはなく、正式な夫婦であったかどうかは明らかにしていない。その後、チャップリンは旅行中の1936年に広東で結婚したことを明らかにした。ポーレットは『モダン・タイムス』と次回作の『独裁者』でヒロイン役を演じたが、二人はそれぞれの仕事に重点を置いていたため、お互いの気持ちは離れていった。1942年にメキシコで二人の離婚が成立したが、その後もお互いの関係は良好だった。

チャップリンは、1930年代の世界の政治的緊張とファシズムの台頭に不安を感じ、これらの問題を自分の仕事から遠ざけることはできないと考えていた。この頃、各国のメディアではチャップリンとアドルフ・ヒトラーとの類似点が話題に取り上げられた。二人はわずか4日違いで生まれ、どちらも社会の底辺の出身から世界的な有名人となり、鼻の下に歯ブラシのような口髭を付けていた。こうした類似性は、チャップリンに次の映画『独裁者』のアイデアを提供した。この作品ではヒトラーを直接的に風刺し、ファシズムを攻撃した。

チャップリンは『独裁者』の脚本執筆に2年も費やし、イギリスがドイツに宣戦布告した6日後の1939年9月に撮影を始めた。チャップリンは政治的メッセージを伝えるために適した方法であることから、この作品をサイレントではなくオール・トーキーで製作したが、この時にはもはやトーキーを導入する以外に選択肢はなかった。ヒトラーを主題にしたコメディを作ることは大きな物議を醸すと思われたが、チャップリンの経済的独立はそのリスクを冒すことを可能にした。チャップリンは自伝で「ヒトラーという男は、笑いものにしてやらなければならないのだ」と述べている。チャップリンは小さな放浪者を、同じ服装のユダヤ人の床屋に置き換えて、反ユダヤ主義のナチスを攻撃した。さらにチャップリンは、ヒトラーをパロディ化した独裁者のアデノイド・ヒンケルも演じた。

『独裁者』の製作には約1年かかり、1940年10月に公開された。この作品はニューヨーク・タイムズの批評家から「今年最も熱狂的に待望された映画」と呼ばれるなど多くの注目を集め、それまでのチャップリン映画で最高の興行収入を記録した。しかし、結末のシーンは人気がなく、論争を引き起こした。その結末シーンでは、チャップリンが床屋のキャラクターを捨てて、カメラ目線で戦争とファシズムに反対する5分間の演説をした。映画史家のチャールズ・J・マーランドは、この説教がチャップリンの人気の低下を引き起こしたと考え、「今後、映画ファンはチャップリンから政治的側面を切り離すことができなくなった」と述べている。『独裁者』は第13回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、脚本賞など5部門でノミネートされた。

1940年代半ば、チャップリンは自身の公的イメージに大きな影響を与えた一連の裁判に関わり、それにほとんどの時間を費やした。1941年にチャップリンはポール・ヴィンセント・キャロル(英語版)原作の戯曲『影と実体(英語版)』の映画化を企画し、その主演女優として無名のジョーン・バリーと契約した。しかし、バリーは精神的に不安定で奇行が目立ったため、1942年5月に契約を解消した。その後、バリーは2度もチャップリン家に侵入して逮捕され、1943年にはチャップリンの子供を妊娠していると発表した。チャップリンはこれを否定したため、バリーはチャップリンに対して子供の父権認知の訴訟を起こした。

チャップリンの政治的傾向を長年にわたり疑っていた連邦捜査局(FBI)は、チャップリンの評判を傷つけるためのネガティブ・キャンペーンの一環として、このスキャンダルに関する4件の罪状でチャップリンを訴えた。これらの中で最も問題になったのが、性的目的で州を越えて女性を移動させることを禁じるマン法(英語版)に違反したという申し立てである。歴史家のオットー・フリードリックは、これを「時代遅れの法」による「馬鹿げた訴追」と呼んでいるが、チャップリンが有罪となった場合は23年の懲役刑になる可能性があった。他の3件の告発は法廷に持ち込むのに十分な証拠がなかったが、マン法違反の裁判は1944年3月21日に始まり、2週間後の4月4日に無罪となった。この事件はトップ級のニュースとして報道され、ニューズウィークは「1921年のロスコー・アーバックル事件の裁判以来の最大のスキャンダル」と呼んだ。

キャロル・アンと名付けられたバリーの子供(1943年10月生)の父権認知の裁判は、1944年12月に開廷した。原告側弁護士はチャップリンを不道徳であると強く非難し、1945年4月の判決でチャップリンが父親であることが認定された。血液検査では「O型のチャップリンとA型のジョーンから、B型のキャロル・アンが生まれる可能性はない」と結論付けられていたが、裁判が行われたカリフォルニア州では、血液検査は裁判の証拠として認められなかった。チャップリンは判決に従って、キャロル・アンが21歳になるまで養育費を支払うことになった。この裁判でチャップリンは、FBIの影響を受けたメディアから過度な批判を受けた。

この裁判でチャップリンが受けた打撃は大きかったが、そんな傷心の彼を慰めたのは4番目の妻であるウーナ・オニールだった。1942年10月にチャップリンはタレントエージェントを介してウーナと初めて出会い、1943年6月16日に結婚した。チャップリンは自伝で、ウーナとの出会いは「長きにわたるであろう私の最良の幸福のはじまり」と述べている。しかし、二人が結婚したのはバリーが父権認知訴訟を起こしてから2週間後のことであり、それはチャップリンをめぐる論争を高めることになった。チャップリンは亡くなるまでウーナと連れ添い、8人の子供をもうけた。その子供たちは上からジェラルディン(1944年7月生)、マイケル・ジョン(英語版)(1946年3月生)、ジョゼフィン・ハンナ(英語版)(1949年3月生)、ヴィクトリア(英語版)(1951年5月生)、ユージン・アンソニー(英語版)(1953年8月生)、ジェーン・セシル(1957年5月生)、アネット・エミリー(1959年12月生)、クリストファー・ジェイムズ(英語版)(1962年7月生)である。

チャップリンはバリーの裁判で「自分の創作意欲をひどく傷つけられた」と感じ、再び映画製作を始めるまでには時間がかかった。チャップリンの新作は『殺人狂時代』で、フランスの失職した元銀行家ヴェルドゥが家族を養うために裕福な未亡人と結婚して殺害するという内容のブラックコメディである。このアイデアを思いついたきっかけは、1942年秋にオーソン・ウェルズがチャップリン主演でフランスの連続殺人犯アンリ・デジレ・ランドリューが主人公の映画を作りたいと提案したことだった。チャップリンはこの申し出を断ったが、このアイデアがすばらしい喜劇になると考えた。そこでウェルズに原案料として5,000ドルを支払い、当時進めていた『影と実体』の企画を棚上げして、4年がかりで完成させた。

チャップリンは『殺人狂時代』で再び政治的姿勢を主張し、資本主義や戦争における大量破壊兵器の使用を批判した。そのため1947年4月に公開されると物議を醸した。プレミア上映ではブーイングされ、ボイコットの呼びかけもあった。この作品はアメリカで批評的にも興行的にも失敗した最初のチャップリン映画だったが、海外では高い成功を収め、第20回アカデミー賞では脚本賞にノミネートされた。チャップリンはこの作品に誇りを持っており、自伝では「『殺人狂時代』は自分の作品中でも最高の傑作、実によくできた作品だと信じている」と述べている。

『殺人狂時代』に対する否定的反応は、チャップリンの公のイメージが変化した結果だった。チャップリンはバリーとのスキャンダルの被害に加えて、政治的姿勢が共産主義的であると公に非難された。チャップリンの政治活動は、第二次世界大戦中にソビエト連邦を支援するために第二戦線を開くことを呼びかける演説を行い、さまざまなアメリカの親ソ組織を支援した時に激化した。また、ハンス・アイスラーやベルトルト・ブレヒトなどの共産主義者とされる著名人と交友があり、ロサンゼルスでソ連外交官が主催したレセプションにも出席した。1940年代のアメリカの政治情勢では、そのような活動は「危険なほど進歩主義的で不道徳」と見なされた。FBIはチャップリンの国外追放を考え、1947年に公式な調査を開始した。

チャップリンは共産主義者であることを否定し、代わりに自分を「平和主義者」と呼んだが、イデオロギーを抑圧する政府のやり方は自由権を侵害していて容認できないと主張した。チャップリンはこの問題について沈黙を拒否し、共産党員の裁判と下院非米活動委員会の活動に公然と抗議した。チャップリンの活動はマスコミで広く報道され、冷戦の恐れが高まるにつれて、チャップリンがアメリカ市民権を取らなかったことにも疑問が投げかけられ、国外追放を求める声も上がった。例えば、1947年6月に非米活動委員会の委員であるジョーン・E・ランキン(英語版)議員は、「チャップリンがハリウッドにいること自体が、アメリカの体制には有害なのです…今すぐ彼を国外追放処分にして追放すべきであります」と発言した。同年9月、チャップリンは非米活動委員会から召喚状を受け取ったが、証言するために出頭されることはなかった(チャップリンが放浪紳士の扮装で出廷する、と声明を出すと出頭は沙汰止みとなった)。

チャップリンは『殺人狂時代』の失敗後も政治的活動を続けたが、次回作の『ライムライト』は忘れられたミュージック・ホールのコメディアンと若いバレリーナが主人公の作品で、政治的テーマからかけ離れていた。この作品はチャップリンの子供時代と両親の人生だけでなく、アメリカでの人気の喪失をほのめかしており、非常に自伝的なものになった。出演者にはチャップリンの5人の子供や異父弟のウィーラー・ドライデンなどの家族が含まれていた。チャップリンは3年間も脚本に取り組み、1951年11月に撮影を始めた。チャップリンのパントマイムシーンの相手役にはバスター・キートンが出演したが、サイレント映画時代に人気を分けた二人が共演したのはこれ限りだった。

チャップリンは『ライムライト』のワールド・プレミアを、作品の舞台となったロンドンで開催することに決めたが、ロサンゼルスを去ればもう戻ってくることはないだろうと予感した。1952年9月17日、チャップリンは家族とクイーン・エリザベスに乗船し、イギリスへ向けてニューヨークを出航した。その2日後、アメリカ合衆国司法長官のジェームズ・P・マクグラネリー(英語版)はチャップリンの再入国許可を取り消し、アメリカに戻るには政治的問題と道徳的行動に関する審問を受けなければならないと述べた。マクグラネリーは「チャップリンを国外追放した根拠を明らかにすれば、チャップリン側の防御を助けることになる」と述べたが、マーランドは1980年代に開示されたFBIの記録に基づき、アメリカ政府はチャップリンの再入国を阻止するための証拠を持っていなかったと結論付けた。チャップリンは船上で再入国許可取り消しの知らせを受け取り、アメリカとの関係を断ち切ることに決めた。

偽牧師(1923年)

巴里の女性(1923年)

黄金狂時代(1925年)

サーカス(1928年)

街の灯(1931年)

モダン・タイムス(1936年)

独裁者(1940年)

殺人狂時代(1947年)

ライムライト(1952年)

ニューヨークの王様(1957年)

伯爵夫人(1967年)

チャップリンは生涯に多くの賞と栄誉を受けた。1931年にフランス政府からレジオンドヌール勲章のシュバリエの称号を授けられた。1962年にオックスフォード大学とダラム大学から名誉博士号を与えられ、1965年にはイングマール・ベルイマンとともにエラスムス賞を受賞した。1971年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章のコマンドゥールの称号を授けられ、1975年にはエリザベス2世から大英帝国勲章のナイト・コマンダー(英語版)(KBE)の称号を与えられた。映画業界からは、1957年に映画芸術への顕著な貢献に対してジョージ・イーストマン賞(英語版)を受賞し、1971年の第25回カンヌ国際映画祭ではチャップリンの全作品に対して特別賞を贈られ、1972年のヴェネツィア国際映画祭では栄誉金獅子賞を受賞した。同年にリンカーン・センター映画協会から生涯功労賞を受賞し、同賞はそれ以来「チャップリン賞」の名称で毎年映画人に贈られている。また、1972年にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームで星を獲得したが、それまではチャップリンの政治的問題のために除外されていた。

以下の表は、チャップリンが受賞した、もしくはノミネートされた映画賞(作品自体に与えられた賞を含む)の一覧である。

父:チャールズ・チャップリン・シニア(1863年 - 1901年、舞台俳優)

母:ハンナ・チャップリン(1865年 - 1928年、舞台女優)

異父兄:シドニー・チャップリン(1885年 - 1965年、俳優)

異父弟:ウィーラー・ドライデン(1892年 - 1957年、俳優)

最初の妻:ミルドレッド・ハリス(1901年 - 1944年、女優)

    長男:ノーマン・スペンサー・チャップリン(1919年、生後3日で死去)

    2番目の妻:リタ・グレイ(1908年 - 1995年、女優)

      次男:チャールズ・チャップリン・ジュニア(1925年 - 1968年、俳優)

      三男:シドニー・アール・チャップリン(1926年 - 2009年、俳優)

      3番目の妻:ポーレット・ゴダード(1910年 - 1990年、女優)

      4番目の妻:ウーナ・オニール(1925年 - 1991年、ユージン・オニールの娘)

        長女:ジェラルディン・チャップリン(1944年 - 、女優)
          孫:ウーナ・チャップリン(1986年 - 、女優)

          四男:マイケル・チャップリン(英語版)(1946年3月7日 - 、俳優)

            孫:ドロレス・チャップリン(フランス語版)(1970年 - 、女優)

            孫:カルメン・チャップリン(1972年 - 、女優)

            次女:ジョゼフィン・チャップリン(英語版)(1949年 - 2023年、女優)

            三女:ヴィクトリア・チャップリン(英語版)(1951年 - 、女優)

              孫:ジェームス・ティエレ(英語版)(1974年 - 、俳優)

              五男:ユージン・アンソニー・チャップリン(英語版)(1953年 - 、レコーディング・エンジニア)

                孫:キエラ・チャップリン(英語版)(1982年 - 、モデル)

                四女:ジェーン・セシル・チャップリン(1957年 - )

                五女:アネット・エミリー・チャップリン(1959年 - )

                六男:クリストファー・チャップリン (英語版)(1962年 - 、作曲家・俳優)

                現行の著作権法(1970年〈昭和45年〉制定)では、映画の著作物は公表後70年が経過するまで著作権によって保護される。ただし、個人の著作名義で独創性のある映画(劇映画など)で、旧法による保護期間と比べて旧法による保護期間の方が長い映画の著作物は、旧著作権法による保護期間(著作者の死後38年)を優先して適用するとされる。

                チャップリン映画の著作権を侵害しているとして保護期間が争われた事件で、2008年(平成20年)に東京地方裁判所は、旧法による保護期間を適用すべきとの判断を下した。チャップリン個人名義の9本の作品について、チャップリンが死去した1977年から38年の2015年までが旧法による保護期間となるとして、「独裁者」(1940年)までの7本の作品は、旧法による保護期間が公表後70年よりも長いのでこれを適用し、「殺人狂時代」(1947年)と「ライムライト」(1952年)は公表後70年の方(それぞれ2017年〈平成29年〉と2022年〈令和4年〉まで)が旧法の保護期間よりも長いのでそれによるべきとされた。

                2009年(平成21年)、最高裁判所は被告の上告を棄却し、判決が確定した。

                『活動狂』(1928年、斎藤寅次郎監督) - チャップリンが忍術映画を見て、その真似をするという設定のドタバタ喜劇。

                『チャーリー』(1993年、リチャード・アッテンボロー監督) - チャップリンの生涯を描いた伝記映画で、ロバート・ダウニー・Jrがチャップリンを演じた。

                『ブロンドと柩の謎』(2001年、ピーター・ボグダノヴィッチ監督) - エディー・イザードがチャップリンを演じた。

                『ダンシング・チャップリン』(2011年、周防正行監督) - フランスの振付師ローラン・プティによる、チャップリンを題材にしたバレエの舞台を映像化した作品。

                『チャップリンからの贈りもの』(2014年、グザヴィエ・ボーヴォワ監督) - チャップリンの遺体が誘拐された実話をもとに、その犯人を主人公にしたフィクション作品。

                Chaplin: Home, Sweet Home』(2014年、ジェイソン・アリン監督) - チャップリンのパフォーマーであるジェイソン・アリンの独演による短編映画

                Charlie and the Windmill(1915)

                Charlie and the Indians(1915)

                Dreamy Dud Sees Charlie Chaplin(1915)

                Charlie's White Elephant(1916)

                How Charlie Captured the Kaiser(1918)

                Over the Rhine with Charlie(1918)

                Charlie in Turkey(1919)

                Charlie Treats 'Em Rough(1919)

                Charley Out West(1919)

                Charley on the Farm (1919)

                Charley at the Beach(1919)

                『チャップリン暗殺計画 世界の喜劇王を救ったのは誰か?』(1980年、重延浩 他演出) - 1932年来日中のチャップリンに対する暗殺計画の騒ぎに巻き込まれた士官候補生、若き映画人らの奮闘ぶりを描く。

                Young Charlie Chaplin』(1989年、Baz Taylor監督) - 若き日のチャップリンが貧苦の中で俳優として成功しようと苦闘する姿を描く。

                Baggy Pants and the Nitwits』(1977年、NBC) - チャップリンの小さな放浪者の扮装をした擬人化猫を主人公とするアニメシリーズ。

                『チャップリン&CO(英語版)』(2011年、フランス3) - チャップリンの小さな放浪者が主人公のCGアニメーションシリーズ。

                Chaplin, A Memory as Entertainment』(1981年発表・1993年初演) - チャップリンの半生を描くミュージカル。

                Limelight: The Story of Chaplin』(2006年発表・2010年初演、トーマス・ミーハン、クリストファー・カーティス作) - チャップリンの人生に基づくミュージカル。2012年にブロードウェイで『Chaplin: The Musical』のタイトルで上演。

                『音楽劇 スマイル・オブ・チャップリン SMILE of CHAPLIN』(2013年4月6日公演、大野裕之脚本・演出) - チャップリンに仕えた日本人秘書・高野虎市が語る歌を織り交ぜた3人芝居。

                『チャップリンを撃て』日下圭介著、講談社ノベルス、1986年9月、ISBN 4061812661。

                『五月十五日のチャップリン』川田武著、光文社文庫、2005年5月、ISBN 433473880X。

                『チャップリン謀殺計画』松田十刻著、原書房、1998年4月、ISBN 4562030801。

                『チャップリン謀殺指令』松田十刻著、新人物往来社、2010年5月、ISBN 978-4404038517。上記『チャップリン謀殺計画』の改題、改稿。

                『ライムライト』(『天切り松闇がたり』 第5巻)浅田次郎著、集英社、2016年8月、ISBN 978-4-08-745475-8。

                『チャップリン暗殺指令』土橋章宏著、文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4163906690。

                『泣いてチャップリン』森毅著、幻冬舎メディアコンサルティング、2019年4月、ISBN 978-4344922396。

                The Führer and the Tramp』Sean McArdle・Jon Judyc著、2021年。ISBN 978-1954412064 - 歴史改変グラフィックノベル。チャップリンが『独裁者』の撮影中にヒトラー・ナチスと戦う物語。

                『Charlie Chaplin』(マルク・シャガール)

                『Charlie Chaplin』(マルク・シャガール) - 上記の同タイトル作品とは別作品。

                『チャップリン』(岡本一平)

                Charlie Chaplin's Comic Capers』ステュアート・カロザーズ・エルジー・クリスラー・シーガー著、Chicago Herald、1915年 - 1917年

                Charlie Chaplin』Bertie Brown著、英国の週刊漫画誌"Funny Wonder" に連載。Amalgamated Press、1915年 – 1944年。また、同誌は1926年チャップリンを表紙絵に使い始めた。

                『チャップリン』森田拳次著、講談社、1970年

                『チャップリン』パク・ヨナ文、クレパス絵、猪川なと訳、岩崎書店、2014年

                『喜劇王 チャップリン』藤波俊彦著、小学館小学8年生 2023年2月24日発売号・春のパワーアップ号

                Those Charlie Chaplin feet』作詞:エドガー・レスリー(英語版)、作曲:アーチー・ゴットラー(英語版)

                『チャップリン』歌:羽衣歌子、作詞:不詳、作曲:マークラス

                『ハロウ!チャーリー』歌:藤田正夫、作詞:伊藤和夫、作曲:橋本国彦

                『孤独の放浪者』歌:徳山璉、作詞:伊藤和夫、作曲:橋本国彦

                『いらっしゃいチャップリン』歌:二村定一・永岡志津子、作詞:サトウハチロー、作曲:平岡均之

                デューダのテレビCM(2014年) - 綾野剛が『独裁者』のラストシーンの演説の一部を語る。

                Charlie Chaplin,The Missing Pieces』 - パズルゲーム。B Df’rent Games発売。

                Felix in Hollywood(1923年)

                『バレエ・メカニック』(1924年、フェルナン・レジェ&ダッドリー・マーフィー(英語版)監督) - 実験映画。キュビズム風にデザインされたアニメーションのチャップリンが映し出される。

                『サンタのオモチャ工房(英語版)』(1932年、ウィルフレッド・ジャクソン監督) - 『シリー・シンフォニー』シリーズの1作。チャップリンは、サンタクロースのオモチャ工房で作られる動く人形の一つとして登場する。

                『ミッキーの名優オンパレード(英語版)』(1933年、バート・ジレット監督) - ミッキーマウス主演の新作アニメがハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターでプレミア上映され大勢の映画スターが鑑賞する。チャップリンも出席しステージ上でミッキーと握手を交わす。

                『ミッキーのポロゲーム』(1936年、デイヴィッド・ハンド監督) - ディズニーアニメのキャラクターチームとチャップリンを含む喜劇スターチームがポロの試合を繰り広げる。

                『赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD』(2017年 - 2021年 、山本おさむ作) - 第2章『ハリウッド・テン』vol.6『チャーリー』で赤狩り時代におけるチャップリンの受難が描かれる。

                『昭和天皇物語』(2017年 - 、能條純一作) - 第74話『宴の前日』でチャップリン初来日時の軍人等による襲撃の謀議やチャップリンの皇居遥拝などが描かれる。

                郵便局のテレビCM(1989年) - MMC貯金のテレビCM。チャップリンの放浪者のキャラクターがアニメーションで登場。当時、郵便局はキャンペーンにチャップリンの放浪者のキャラクターを使用していた。

                『ぎふ長良川の鵜飼』(2005年) - (財)岐阜法人岐阜観光コンベンション協会による観光ポスター。訪日時に鵜飼いを見物したチャップリンの写真が掲載されている。

                『夢見る人を、はじめる人に。』 - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)の2019年テレビCM。のんとJason Allin(チャップリンのパフォーマー)演じるチャップリンが共演。

                『超時間対談』(1981年) - 様々な著名人同士の架空の対談のアンソロジー。チャップリンと虫明亜呂無との対談を収載。

                『放浪紳士チャーリー』(1975年、リチャード・パターソン監督) - ヴヴェイの自宅で撮影されたシーンを含む。

                『知られざるチャップリン(英語版)(原題"Unknown Chaplin")』(1982年、ケヴィン・ブラウンロー、デイヴィッド・ギル監督)(外部リンクに、インターネットアーカイブに収録された当該作品へのリンクあり)

                  『生誕100年~知られざるチャップリン』(1989年)NHKスペシャル。上記『知られざるチャップリン』の一部を紹介。解説者として淀川長治、コメンテイターとして萩本欽一が出演。

                  『おしゃべり人物伝』第27回「チャップリン」 ―笑わない喜劇の王様―(1984年)

                  『チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート』(2003年、リチャード・シッケル監督) - ウディ・アレンやジョニー・デップなどのインタビュー映像を含む。

                  Charlie Chaplin: The Forgotten Years』(2003年、フェリス・ゼノーニ監督)

                  Chaplin, la légende du siècle』(2014年、フレデリック・マーティン監督)- フランスのテレビドキュメンタリー。

                  Chaplin vs. Keaton – Duel of Legends』(2015年、サイモン・バックス監督)チャップリンとバスター・キートンの個性と人生を比較対照しながら描いている。

                    『喜劇王対決 チャップリンvsキートン』(2017年初放映)NHK-BS1。上記作品の日本語訳追加版。

                    Chaplin à Bali』(2017年、ラファエル・ミレー(フランス語版)監督) - フランス・シンガポール共同制作のドキュメンタリー。チャップリンのバリ島旅行を描く。

                    Chaplin vs. the FBI』(2019年) - フランスのドキュメンタリー。日本ではNHKで『チャップリン対FBI 赤狩りフーバーとの50年』のタイトルで同年に放映。

                    『ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い』(2022年、岩田真治監督) - 日本のテレビドキュメンタリー。NHK放送。

                    『蝙蝠の安さん』(1931年、木村錦花作、読売新聞連載) - 『街の灯』の翻案。

                    『ライムライト』(1974年、ロジェ・グルニエ作、谷亀利一訳、早川書房・ハヤカワNV文庫) - 映画『ライムライト』の内容を小説化したもの。

                    『蝙蝠の安さん』(1933年、秋山耕作監督) - 『街の灯』の翻案。

                    『ただ君だけ』 - 『街の灯』をモチーフにして制作された映画。2011年公開。リメイク版として『オンリー・ユー 光を求めて(英語版)』(2014年、トルコ)、『きみの瞳が問いかけている』(2020年、日本)がある。

                    『太秦ライムライト』(2014年、落合賢監督) - 『ライムライト』をモチーフにした作品。

                    『蝙蝠の安さん』(1931年、2019年) - 『街の灯』を翻案した歌舞伎。2019年は大野裕之脚本考証、十代目松本幸四郎主演で再演された。

                    『リズム』(2013年、大野裕之演出) - チャップリンが1938年に発表した短編小説『リズム』を元に書き下ろした短編舞台。

                    『ライムライト』(2015年、2019年、2024年荻田浩一演出、大野裕之脚本) - 『ライムライト』の舞台化。主演は石丸幹二。

                    『イヤミはひとり風の中』(1967年) - 『街の灯』の翻案作品。赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』の1エピソード。

                      『イヤミはひとり風の中』(1990年) - OVA版。

                      『イヤミはひとり風の中』(2018年) - TVアニメ版。『おそ松さん』第2期第18話。

                      『下町のチビ太キッドの物語』 - 『キッド』の翻案作品。赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』の1エピソード。チャップリンに似た衣装の男(赤塚不二夫の『モジャモジャおじちゃん』の主人公モジャモジャおじちゃんを流用)が捨て子のチビ太を拾って育てるストーリー。

                        『チビ太のまぶたの母ザンス』(1988年) - 上述のエピソードのアニメ版。アニメ『おそ松くん』第2作第79話。チビ太の育ての親はデカパンに変更され、ストーリーにも変更が加えられている。

                        Charlot les temps modernes』(1973年) - Philippe Magniaux作。『モダン・タイムス』の漫画化作品。

                        Les Aventures de Charlot : La Ruée vers l'or』(1974年) - Philippe Magniaux作。『黄金狂時代』の漫画化作品。

                        『喜劇の王様たち(When Comedy Was King)』 -ロバート・ヤングソン(英語版)監督。ハロルド・ロイドを除く当時の代表的コメディアンのほとんどが見られる。1960年。

                        『喜劇の大将(30 Years of Fun)』 - ロバート・ヤングソン監督。1962年。

                        『喜劇王チャップリン(The Funniest Man in the World)』 - バーノン・P・ベッカー(英語版)監督。1968年。チャップリンの足跡を、その作品を折りまぜて編集。その社会的背景の歴史をふくめて描く。

                        『シネブラボー!(Cine Bravo!)』 - ロバート・ヤングソン製作。1972年。

                        『僕の旅』高瀬毅訳、中央公論社、1930年。

                        『チャップリン自伝』中野好夫訳、新潮社、1966年。

                          文庫版『チャップリン自伝〈上〉 若き日々』中野好夫訳、新潮文庫、1981年。ISBN 978-4102185018。
                            『チャップリン自伝〈下〉 栄光の日々』中野好夫訳、新潮文庫、1992年。ISBN 978-4102185025。

                            新訳版『チャップリン自伝 若き日々』中里京子訳、新潮文庫、2017年。ISBN 978-4102185032。

                              『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』中里京子訳、新潮文庫、2018年。ISBN 978-4102185049。

                              デイヴィッド・ロビンソンと共著『小説ライムライト チャップリンの映画世界』上岡伸雄、南條竹則訳、集英社、2017年。ISBN 978-4087710359。

                              大野裕之『チャップリン再入門』日本放送出版協会〈生活人新書〉、2005年4月。ISBN 978-4140881415。 

                              大野裕之『チャップリンの影 日本人秘書 高野虎市』講談社、2009年12月。ISBN 978-4063397598。 

                              大野裕之『チャップリン 作品とその生涯』中央公論新社〈中公文庫〉、2017年4月。ISBN 978-4122064010。 

                              大野裕之 『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』大和書房、2022年11月。ISBN 978-4479393962。

                              マック・セネット 著、新野敏也監訳、石野たき子 訳『〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る』作品社、2014年3月。ISBN 978-4861824722。 

                              千葉伸夫『チャプリンが日本を走った』(新装版)青蛙房、2017年5月。ISBN 978-4790508908。 

                              チャールズ・チャップリン 著、中野好夫 訳『チャップリン自伝』新潮社、1966年11月。ISBN 978-4105050016。 

                              山本喜久男『日本映画における外国映画の影響 比較映画史研究』早稲田大学出版部、1983年3月。 

                              デイヴィッド・ロビンソン 著、宮本高晴、高田恵子 訳『チャップリン』 上、文藝春秋、1993年4月。ISBN 978-4163474304。 

                              デイヴィッド・ロビンソン 著、宮本高晴、高田恵子 訳『チャップリン』 下、文藝春秋、1993年4月。ISBN 978-4163474403。 

                              Bloom, Claire (1982). Limelight and After. London: Weidenfeld & Nicolson. ISBN 978-0-297-78051-9 

                              Brownlow, Kevin (2010). The Search for Charlie Chaplin. London: UKA Press. ISBN 978-1-905796-24-3 

                              Cousins, Mark (2004). The Story of Film: An Odyssey. London: Pavilion Books. ISBN 978-1-86205-574-2 

                              Dale, Alan S. (2000). Comedy is a Man in Trouble: Slapstick in American Movies. Minneapolis, MN: University of Minnesota Press. ISBN 978-0-8166-3658-7. https://archive.org/details/comedyismanintro00alan 

                              Epstein, Jerry (1988). Remembering Charlie. London: Bloomsbury. ISBN 978-0-7475-0266-1 

                              Friedrich, Otto (1986). City of Nets: A Portrait of Hollywood in the 1940s. Berkeley, CA: University of California Press. ISBN 978-0-520-20949-7 

                              Hansmeyer, Christian (1999). Charlie Chaplin's Techniques for the Creation of Comic Effect in his Films. Portsmouth: University of Portsmouth. ISBN 978-3-638-78719-2 

                              Kamin, Dan (2011). The Comedy of Charlie Chaplin: Artistry in Motion. Lanham, MD: Scarecrow Press. ISBN 978-0-8108-7780-1 

                              Kemp, Philip, ed. (2011). Cinema: The Whole Story. London: Thames & Hudson. ISBN 978-0-500-28947-1 

                              Larcher, Jérôme (2011). Masters of Cinema: Charlie Chaplin. London: Cahiers du Cinéma. ISBN 978-2-86642-606-4 

                              Louvish, Simon (2010). Chaplin: The Tramp's Odyssey. London: Faber and Faber. ISBN 978-0-571-23769-2 

                              Lynn, Kenneth S. (1997). Charlie Chaplin and His Times. New York: Simon & Schuster. ISBN 978-0-684-80851-2 

                              Maland, Charles J. (1989). Chaplin and American Culture. Princeton, NJ: Princeton University Press. ISBN 978-0-691-02860-6 

                              Maland, Charles J. (2007). City Lights. London: British Film Institute. ISBN 978-1-84457-175-8 

                              Marriot, A. J. (2005). Chaplin: Stage by Stage. Hitchin, Herts: Marriot Publishing. ISBN 978-0-9521308-1-9 

                              Mast, Gerald (1985). A Short History of the Movies: Third Edition. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-281462-3 

                              McCaffrey, Donald W., ed. (1971). Focus on Chaplin. Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall. ISBN 978-0-13-128207-0 

                              Nowell-Smith, Geoffrey, ed (1997). Oxford History of World Cinema. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-874242-5. https://archive.org/details/oxfordhistoryofw00geof 

                              Raksin, David; Berg, Charles M. (1979). “Music Composed by Charles Chaplin: Auteur or Collaborateur?”. Journal of the University Film Association 31 (1): 47-50. 

                              Sarris, Andrew (1998). You Ain't Heard Nothin' Yet: The American Talking Film – History and Memory, 1927–1949. New York: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-503883-5. https://archive.org/details/youaintheardnoth00sarr 

                              Sbardellati, John; Shaw, Tony (2003). “Booting a Tramp: Charlie Chaplin, the FBI, and the Construction of the Subversive Image in Red Scare America” (PDF). Pacific Historical Review 72 (4): 495-530. doi:10.1525/phr.2003.72.4.495. ISSN 0030-8684. https://web.viu.ca/davies/H323Vietnam/CharlieChaplin.McCarthyism.pdf. 

                              Schickel, Richard, ed. (2006). The Essential Chaplin – Perspectives on the Life and Art of the Great Comedian. Chicago, Illinois: Ivan R. Dee. ISBN 978-1-56663-682-7 

                              Simmons, Sherwin (2001). “Chaplin Smiles on the Wall: Berlin Dada and Wish-Images of Popular Culture”. New German Critique (84): 3-34. doi:10.2307/827796. JSTOR 827796. 

                              Thompson, Kristin (2001). “Lubitsch, Acting and the Silent Romantic Comedy”. Film History 13 (4): 390-408. doi:10.2979/FIL.2001.13.4.390. 

                              Vance, Jeffrey (2003). Chaplin: Genius of the Cinema. New York: Harry N. Abrams. ISBN 978-0-8109-4532-6. https://archive.org/details/chaplingeniusofc00vanc 

                              Weissman, Stephen M. (2009). Chaplin: A Life. London: JR Books. ISBN 978-1-906779-50-4 

                              Williams, Gregory Paul (2006). The Story of Hollywood: An Illustrated History. Los Angeles, CA: B L Press. ISBN 978-0-9776299-0-9 

                              伊藤千尋『凛凛チャップリン』新日本出版社、2020年4月。ISBN 978-4406064071。

                              岩崎昶『チャーリー・チャップリン』講談社現代新書、1973年1月。ISBN 978-4061157354。

                              江藤文夫『チャップリンの仕事』みすず書房、1989年6月。ISBN 978-4622042327。

                              大野裕之『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』日本放送出版協会、2007年3月。ISBN 978-4140811832。

                              大野裕之『チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男』メディアファクトリー、2007年11月。ISBN 978-4840120906。

                              大野裕之『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』岩波書店、2015年6月。ISBN 978-4000238861。

                              大野裕之『ディズニーとチャップリン エンタメビジネスを生んだ巨人』光文社〈光文社新書〉、2021年6月。ISBN 978-4334045470。

                              大野裕之『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』大和書房、2022年11月。ISBN 978-4479393962。

                              奥村残月『チャップリンの喜劇振り』芳文堂、1917年。

                              銀河協会 編『チャップリンの世界 その人と作品』英知出版、1978年3月。

                              小藤田千栄子 編『世界の映画作家19 チャールズ・チャップリン』キネマ旬報社、1973年2月。

                              小藤田千栄子 編『世界の映画作家26 バスター・キートンと喜劇の黄金時代』キネマ旬報社、1975年1月。

                              ジョルジュ・サドゥール『チャップリン その映画とその時代』鈴木力衛、清水馨訳、岩波書店、1966年1月。

                              チャールズ・チャップリン・ジュニア、N.&M.ロー『わが父チャップリン 息子が見た喜劇王の素顔』木槿三郎訳、恒文社、1975年1月。

                              橋本勝『チャップリン』現代書館〈For beginnersシリーズ〉、1986年3月。ISBN 978-4768400371。

                              林冬子、清水馨編『チャップリン その愛と神話』芳賀書店〈デラックス・シネアルバム〉、1978年4月。ISBN 978-4826105071。

                              デイヴィッド・ロビンソン『チャップリンの愛した女たち』宮本高晴・高田恵子訳、文藝春秋〈文春文庫〉、1993年。ISBN 978-4167309220

                              ロバート・パリッシュ『わがハリウッド年代記 チャップリン、フォードたちの素顔』鈴木圭介訳、筑摩書房〈リュミエール叢書〉、1995年3月。ISBN 978-4480873002。

                              パム・ブラウン『チャップリン』橘高弓枝訳、偕成社〈伝記 世界を変えた人々12〉、1993年4月。ISBN 978-4035421207。

                              淀川長治『私のチャップリン』筑摩書房〈ちくま文庫〉、1995年4月。ISBN 978-4480030207。単行初版はPHP(1977年)

                              淀川長治 ほか『チャップリンのために』大野裕之 編、とっても便利出版部、2000年11月。ISBN 978-4925095020。

                              ^ シドニーの父親の身元は確かではないが、ホークスという金持ちの出版業者であるとされている。

                              ^ チャップリンがエイト・ランカシア・ラッズを退団した正確な時期ははっきりとしていないが、映画史家のA.J.マリオットは調査に基づいて、その時期を1900年12月としている。

                              ^ ウィリアム・ジレットは、シャーロック・ホームズの舞台をアーサー・コナン・ドイルと共作し、1899年の初演以来ホームズを演じていた。1905年にジレットは新作喜劇『クラリス』をデューク・オブ・ヨーク劇場で上演したが不評で、急遽『苦境に立つシャーロック・ホームズ』を公演に追加し、チャップリンはこの作品でビリー役に抜擢された。公演は失敗したため数日で終了し、『シャーロック・ホームズ』の再演に引き継がれると、チャップリンも引き続きビリー役を演じた。

                              ^ このアメリカ巡業には、のちにローレル&ハーディで知られるスタン・ローレルが「スタン・ジェファソン」の芸名で参加していた。

                              ^ キーストン社がチャップリンを見出した経緯は諸説ある。マック・セネットによると、ニューヨークの劇場で『イギリス・ミュージックホールの一夜』に出演したチャップリンを見て、彼を引き入れるようケッセルに頼んだという。チャップリンも自伝でこの話を採用している。これ以外の説では、ケッセルがニューヨークの劇場で発見したという説や、ニューヨーク映画会社重役のハリー・エイトキン(英語版)が発見したという説がある。

                              ^ チャップリンが持っている竹のステッキは、当時の特徴的な紳士用品だった。19世紀半ばから20世紀初頭のイギリス紳士の間では、ステッキの材質に竹や籐を使うのがポピュラーで、特にしなやかで丈夫な日本製の竹が流行した。チャップリンが使用したステッキは、滋賀県草津市産の竹根鞭細工で、これはイギリスでも広く普及したものだった。

                              ^ イギリス大使館はチャップリンの主張を裏書きするように、「チャップリンはその気になりさえすればいつでも志願兵になることはできる。しかし、彼は現在、大金を稼いで戦時公債に出資することで前線で戦うのと同じほど国家のために尽くしている」と述べている。

                              ^ 主なチャップリンの模倣者には、ビリー・ウェストやビリー・リッチー(英語版)がいる。リッチーは自分が放浪者の扮装の考案者だと主張し、チャップリンに対して訴訟を起こしたことで知られる。ハロルド・ロイドもチャップリンを模倣したロンサム・リュークなる人物を演じていた。

                              ^ 大野によるとヒトラーは実際のところは立派な中流階級家庭の出身で「貧困の家庭から身を立てた英雄」として自らの生涯を捏造しようとしたという。

                              ^ 1910年代に名声を得た頃から、チャップリンはユダヤ人であるという憶測が広まったが、それを示す証拠は存在しない。大野によると、公的な記録に基づいて、父母双方の家系を4代遡ってもユダヤ人はいないが、母方の祖母がロマであるという。1915年にチャップリンは、記者の「あなたはユダヤ人か」という質問に対し、「残念ながらそんな幸運には恵まれていない」と答えている。しかし、ナチスはチャップリンがユダヤ人であると思い込んでいたため、『黄金狂時代』の国内上映を禁止し、チャップリンを攻撃した。チャップリンは『独裁者』でユダヤ人を演じることでこれに反撃し、「私は世界中のユダヤ人のためにこの映画を作った」と発言した。しかし、自伝では「もしあのナチス収容所の実態を知っていたら、『独裁者』はできていなかったかもしれないし、ナチどもの殺人狂を笑いものにする勇気も出なかったかもしれない」と述べている。

                              ^ 検察官は、チャップリンが1942年10月にニューヨークに行った時に、性的目的でバリーをロサンゼルスからニューヨークへ移動させ、彼女にニューヨークまでの旅費を支払ったことが、マン法に違反していると主張した。二人はニューヨークで会ったことは認めたが、バリーはそこで性的関係を結んだと主張した。チャップリンは1942年5月以降に関係を持ったことはないと主張した。

                              ^ チャップリンは1940年代以前からFBIに注目されており、報告書で最初に言及されたのは1922年だった。1946年9月にFBI長官のジョン・エドガー・フーヴァーは、チャップリンに関する特別な報告書の作成を要求したが、FBIロサンゼルス支局の反応は遅く、翌年春に活発な調査を始めた。FBIはチャップリンがイギリス人ではなくフランスまたは東ヨーロッパで生まれ、本名がイズレイル・ゾーンシュタインであるという誤った申し立てを調査するためMI5に協力を求めたが、MI5はそのような証拠を発見できなかった。

                              ^ 1947年11月、チャップリンはパブロ・ピカソに、ハンス・アイスラーの国外追放に抗議するためのデモをパリのアメリカ大使館前で行うよう要請し、12月に国外追放手続きの中止を求める請願書に署名した。チャップリンは1948年アメリカ合衆国大統領選挙でヘンリー・A・ウォレスを支持し、1949年に起きたピークスキル暴動に抗議する請願書に署名した。

                              ^ アーヴィング・バーリンのようにフルスコアの読めない作曲家はまだ珍しくなかった。

                              ^ 『ライムライト』は1952年に公開されたが、ロサンゼルスではボイコットのため1週間以上公開されなかったため、1972年に再公開されるまでアカデミー賞のノミネート基準を満たしていなかった。

                              ^ 当時鑑賞した小林信彦は「映画というものは、こんなに面白いものかと驚歎した。」という(『世界の喜劇人』第2部第3章『異端者チャーリー』)。

                              ^ 同年10月の『新青年』には、チャップリンが銀座を散策する様子を松山虔三が捉えた写真記事が掲載されている。

                              ^ 2003年(平成15年)までは公表後50年

                              ^ なお、この裁判では触れられていないが、サンフランシスコ講和条約発効以後に公表された「ライムライト」を除く8作品は、戦時加算の対象となりうる。

                              ^ チャップリン 1966, pp. 4–5.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 32.

                              ^ チャップリン 1966, p. 7.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 26.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 28–30.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 36, 38–39.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 40–41.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 20–22.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 43–44.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 48–49, 426.

                              ^ 大野 2017, pp. 16–18.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 426.

                              ^ Weissman 2009, pp. 49–50.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 28–29.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 51–52.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 36–38.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 62.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 12–13.

                              ^ Marriot 2005, p. 4.

                              ^ Marriot 2005, p. 213.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 40–41.

                              ^ Louvish 2010, p. 19.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 66–69.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 58–59, 79.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 81–82, 84–85, 428–429.

                              ^ チャップリン 1966, p. 92.

                              ^ 大野 2005, p. 87.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 72–75, 428.

                              ^ Marriot 2005, pp. 42–44.

                              ^ Marriot 2005, p. 217.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 86–88.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 92.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 94–100.

                              ^ Marriot 2005, p. 71.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 99.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 101–102.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 108–109.

                              ^ Kamin 2011, p. 12.

                              ^ Marriot 2005, p. 85.

                              ^ Marriot 2005, pp. 103, 109.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 115–116.

                              ^ Name, Your Museum. “[Charles Chaplin as the drunkard in” (英語). www.charliechaplinarchive.org. 2024年9月13日閲覧。

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 118–120.

                              ^ Marriot 2005, pp. 126–128.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 110, 123.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 131.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 132, 431–432.

                              ^ セネット 2014, pp. 195–196.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 153–154.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 138–139.

                              ^ 大野 2005, p. 21.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 140–141.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 145–147.

                              ^ チャップリン 1966, p. 156.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 160–161.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 148.

                              ^ セネット 2014, p. 214.

                              ^ “チャップリンのトレードマーク!そのステッキはなんと草津市産”. 草津市ホームページ (2018年8月6日). 2020年12月13日閲覧。

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 151–152.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 148, 158, 160.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 166–171.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 161.

                              ^ 大野 2017, p. 53.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 162.

                              ^ Kamin 2011, p. xi.

                              ^ Maland 1989, p. 5.

                              ^ 大野 2005, p. 26.

                              ^ 大野 2017, p. 56.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 168.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 172.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 175–176.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 180, 183, 277–278.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 184–186.

                              ^ Maland 1989, p. 20.

                              ^ Maland 1989, pp. 6, 14–18.

                              ^ Maland 1989, pp. 21–24.

                              ^ 大野 2005, pp. 27–29.

                              ^ ジョルジュ・サドゥール 著、丸尾定、村山匡一郎、出口丈人、小松弘 訳『世界映画全史7:無声映画芸術の開花 アメリカ映画の世界制覇〈1〉 1914-1920』国書刊行会、1997年7月、97頁。 

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 189–190.

                              ^ Louvish 2010, p. 87.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 196.

                              ^ Maland 1989, p. 10.

                              ^ Maland 1989, p. 8.

                              ^ Louvish 2010, p. 74.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 201–202.

                              ^ Goodwins, Fred. “Charlie Chaplin’s Red Letter Days At Work with the Comic Genius”. Manchester Metropolitan University. pp. 91-92. 2024年6月1日閲覧。 “Finally ..., each offering him the 10,000 dollars (£2000) a week, until Mutual finally closed the bidding by signing him up at that figure with the additional bonus of 150,000 dollars (£30,000) referred to last week. Charlie Chaplin’s salary for the year 1916-17 is, therefore, 520,000 dollars plus 150,000 dollars, making a total of 670,000 dollars (roughly £134,000) for twelve month’s work, turning out twelve pictures during the year.”

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 201–206.

                              ^ Larcher 2011, p. 29.

                              ^ 大野 2017, pp. 73–74.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 212–213, 224–225.

                              ^ 五十嵐由香「批評言説におけるチャップリンの喜劇役者から芸術家への変容 ─映画『キッド』(1921)を巡って─」『東洋大学人間科学総合研究所紀要』第24巻、2022年5月18日、201–211頁、doi:10.34428/00013665、ISSN 1349-2276。 p.204

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 229–230, 437.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 243.

                              ^ Vance 2003, p. 203.

                              ^ Brownlow 2010, p. 45.

                              ^ Louvish 2010, p. 104.

                              ^ “"The Happiest Days of My Life": Mutual”. Charlie Chaplin. British Film Institute. 22 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。28 April 2012閲覧。

                              ^ チャップリン 1966, p. 211.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 236–239.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 265.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 270.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 272–273.

                              ^ セネット 2014, p. 213.

                              ^ スティーブン・ジェイ・シュナイダー編『501映画スター』講談社、2009年3月、52頁。 

                              ^ “It’s Mutual: Charlie Chaplin Shorts, 1916–1917”. silentfilm.org. 2023年11月3日閲覧。

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 279–280.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 281, 437.

                              ^ “Independence Won: First National”. Charlie Chaplin. British Film Institute. 24 March 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。5 May 2012閲覧。

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 284–285, 438.

                              ^ チャップリン 1966, p. 235.

                              ^ 大野 2005, p. 58.

                              ^ チャップリン 1966, p. 241.

                              ^ 大野 2017, p. 118.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 288.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 297, 300, 438.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 245–246.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 305.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 250–251.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 302–303.

                              ^ 大野 2005, p. 61.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 252–254.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 334.

                              ^ チャップリン 1966, p. 256.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 307–309, 439.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 263–264.

                              ^ 大野 2009, pp. 80–81.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 315–316.

                              ^ Louvish 2010, p. 148.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 319–320.

                              ^ 大野 2005, pp. 61–62.

                              ^ 大野 2009, pp. 89–91.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 330.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 335.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 340–341, 442.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 350–357.

                              ^ “The Most Famous Man in the World”. Charlie Chaplin. BFI. 2012年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月26日閲覧。

                              ^ チャップリン 1966, pp. 322–323.

                              ^ Chaplin, Charlie (1922). My wonderful visit. London: Hurst & Blackett. https://openlibrary.org/books/OL13522516M/My_wonderful_visit 

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 361, 366, 443.

                              ^ 大野 2017, p. 158.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 345, 347.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 386–387.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 387, 398.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 395, 397–398.

                              ^ Louvish 2010, p. 193.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 400.

                              ^ チャップリン 1966, p. 352.

                              ^ 大野 2005, pp. 76–78.

                              ^ Kemp 2011, pp. 63–64.

                              ^ Louvish 2010, p. 200.

                              ^ Schickel 2006, p. 19.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 10, 18–20.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 33.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 21.

                              ^ Vance 2003, p. 170.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 26.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 32, 48.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 51, 53.

                              ^ 大野 2009, p. 108.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 56.

                              ^ Louvish 2010, pp. 220–221.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 59.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 58, 60, 63–64.

                              ^ Maland 1989, pp. 99–105.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 445.

                              ^ 大野 2017, pp. 177, 188.

                              ^ 大野 2017, pp. 180–183.

                              ^ Brownlow 2010, p. 73.

                              ^ Louvish 2010, p. 224.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 63–65.

                              ^ チャップリン 1966, p. 385.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 72.

                              ^ Maland 2007, p. 29.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 73.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 83.

                              ^ Maland 2007, pp. 33–34, 41.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 447–449.

                              ^ チャップリン 1966, p. 387.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 98–100.

                              ^ 大野 2017, p. 202.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 98.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 101–103.

                              ^ Maland 2007, pp. 108–110.

                              ^ “United Artists and the Great Features”. Charlie Chaplin. British Film Institute. 6 April 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。21 June 2012閲覧。

                              ^ Louvish 2010, p. 243.

                              ^ 大野 2009, pp. 158–163.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 112.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 130–133.

                              ^ 大野 2017, p. 236.

                              ^ チャップリン 1966, p. 442.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 141.

                              ^ Maland 1989, p. 147.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 147–148.

                              ^ Louvish 2010, p. 256.

                              ^ 「第3章 チャップリンから学ぶビジネス」『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』大和書房、2022年11月。ISBN 9784479393962。 

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 153–156.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 162–163.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 164–165.

                              ^ 大野 2017, pp. 242–243.

                              ^ 大野 2017, p. 244.

                              ^ Maland 1989, p. 150.

                              ^ Finler, Joel Waldo (2003). The Hollywood Story. Wallflower Press. pp. 356–357. ISBN 978-1-903364-66-6 

                              ^ Maland 1989, p. 157.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 172.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 451.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 167–168.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 184.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 215–216.

                              ^ Maland 1989, p. 159.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 185–188.

                              ^ 大野 2017, p. 248.

                              ^ 大野裕之『チャップリンとヒトラー』岩波書店、2015年6月、3頁。 

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 185–188; Maland 1989, pp. 165, 170; Schickel 2006, p. 28; Louvish 2010, p. 271; Larcher 2011, p. 67; Kemp 2011, p. 158.

                              ^ チャップリン 1966, p. 458.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 198.

                              ^ Maland 1989, p. 165.

                              ^ Maland 1989, p. 164.

                              ^ チャップリン 1966, p. 459.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 199–200.

                              ^ 大野 2017, pp. 18–19.

                              ^ Maland 1989, pp. 172–173.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 452–453.

                              ^ Maland 1989, pp. 169, 178–179.

                              ^ 大野 2017, p. 274.

                              ^ Maland 1989, p. 176.

                              ^ Schickel 2006, pp. 30–31.

                              ^ Maland 1989, pp. 178–181.

                              ^ Louvish 2010, p. 282.

                              ^ “THE 13TH ACADEMY AWARDS” (英語). oscar.org. 2020年1月23日閲覧。

                              ^ Maland 1989, pp. 197–198.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 219.

                              ^ Maland 1989, pp. 198–201.

                              ^ Nowell-Smith 1997, p. 85.

                              ^ Maland 1989, pp. 204–206.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 230–231.

                              ^ Friedrich 1986, pp. 190, 393.

                              ^ Maland 1989, pp. 214–215.

                              ^ “Tentative Jury in Chaplin Case – British Nationality Of Actor Made Issue”. The San Bernardino Daily Sun. Associated Press (San Bernardino, California) 50: p. 1. (22 March 1944) 

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 230, 233.

                              ^ Louvish 2010, p. xiii.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 236.

                              ^ Maland 1989, pp. 207–213.

                              ^ Sbardellati & Shaw 2003, p. 508.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 237.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 225–226, 229–230.

                              ^ チャップリン 1966, p. 497.

                              ^ Louvish 2010, p. 135.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 454–460.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 509–510.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 227.

                              ^ 大野 2017, pp. 290–294.

                              ^ チャップリン 1966, p. 495.

                              ^ Sbardellati & Shaw 2003, p. 501.

                              ^ Louvish 2010, p. 304.

                              ^ Louvish 2010, pp. 296–297.

                              ^ Larcher 2011, p. 77.

                              ^ Sbardellati & Shaw 2003, p. 503.

                              ^ Maland 1989, pp. 235–245, 250.

                              ^ “THE 20TH ACADEMY AWARDS” (英語). oscar.org. 2020年1月23日閲覧。

                              ^ チャップリン 1966, p. 531.

                              ^ Maland 1989, p. 251.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 248–249.

                              ^ Friedrich 1986, p. 287.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 222–224.

                              ^ Maland 1989, pp. 221–226, 253–254.

                              ^ Larcher 2011, p. 75.

                              ^ Sbardellati & Shaw 2003, p. 506.

                              ^ Maland 1989, pp. 265–266.

                              ^ 大野 2017, pp. 288–289.

                              ^ Norton-Taylor, Richard (17 February 2012). “MI5 Spied on Charlie Chaplin after the FBI Asked for Help to Banish Him from US”. The Guardian (London). オリジナルの2 July 2010時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100702232703/http://www.guardian.co.uk/culture/2009/nov/05/charlie-chaplin-ebay-reel-tin 17 February 2012閲覧。 

                              ^ チャップリン 1966, p. 525.

                              ^ Maland 1989, p. 238.

                              ^ Louvish 2010, p. 310.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 256–257.

                              ^ Maland 1989, pp. 255–256.

                              ^ Larcher 2011, p. 80.

                              ^ Sbardellati & Shaw 2003, p. 510.

                              ^ Friedrich 1986, p. 286.

                              ^ Maland 1989, p. 261.

                              ^ 大野裕之「第5章 チャップリンVSヒトラー 武器としての笑い」『ビジネスと人生に効く教養としてのチャップリン』大和書房、2022年。ISBN 9784479393962。「対して、チャップリンは「放浪紳士チャーリー」の扮装で出廷すると声明を出します。テレビ中継もされる公聴会に、もし放浪紳士の扮装で出廷されると完全にチャップリンのショーにになってしまうー委員会はそのことを恐れ、結局尋問は行われませんでした。」 

                              ^ Maland 1989, pp. 256–257.

                              ^ Maland 1989, pp. 288–290.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 261–262.

                              ^ Louvish 2010, p. 312.

                              ^ Maland 1989, p. 293.

                              ^ Louvish 2010, p. 317.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 283.

                              ^ Louvish 2010, p. 326.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 287.

                              ^ Maland 1989, pp. 280–287.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 292.

                              ^ チャップリン 1966, p. 542.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 289.

                              ^ Louvish 2010, p. 330.

                              ^ Maland 1989, pp. 295–298, 307–311.

                              ^ Maland 1989, p. 189.

                              ^ Larcher 2011, p. 89.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 297.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 298–299.

                              ^ Dale Bechtel (2002年). “Film Legend Found Peace on Lake Geneva”. swissinfo.ch/eng. Vevey. 9 December 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。5 December 2014閲覧。

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 301–302.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 303–304.

                              ^ Louvish 2010, pp. xiv–xv.

                              ^ Larcher 2011, pp. 89–90.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 305–308.

                              ^ Louvish 2010, p. 341.

                              ^ Maland 1989, pp. 320–322.

                              ^ Chaplin, Charlie; Hayes, Kevin (2005). Charlie Chaplin: Interviews. Univ. Press of Mississippi. p. 121 

                              ^ Epstein 1988, p. 137.

                              ^ 大野 2017, p. 328.

                              ^ Lynn 1997, p. 506.

                              ^ Louvish 2010, pp. 341–342.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 310.

                              ^ Louvish 2010, p. 347.

                              ^ Maland 1989, p. 326.

                              ^ 大野 2017, p. 333.

                              ^ Lynn 1997, pp. 507–508.

                              ^ Lynn 1997, p. 509.

                              ^ Maland 1989, p. 330.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 323–327.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 327–329.

                              ^ Lynn 1997, pp. 510–512.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 329–331.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 334.

                              ^ 大野 2017, p. 335.

                              ^ Epstein 1988, pp. 192–196.

                              ^ Lynn 1997, p. 518.

                              ^ Maland 1989, p. 335.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 344.

                              ^ Epstein 1988, pp. 203.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 346–348.

                              ^ 大野 2017, p. 340.

                              ^ “Charlie Chaplin Prepares for Return to United States after Two Decades”. A&E Television Networks. 5 December 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。7 June 2010閲覧。

                              ^ Maland 1989, p. 347.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 351–352.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 353–355.

                              ^ Thomas, David (26 December 2002). “When Chaplin Played Father”. The Telegraph. オリジナルの15 July 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120715051303/http://www.telegraph.co.uk/culture/film/3587749/When-Chaplin-played-father.html 26 June 2012閲覧。 

                              ^ Lynn 1997, pp. 534–536.

                              ^ “1975 New Year Honours” (英語). The London Gazette. 2020年3月19日閲覧。

                              ^ “Little Tramp Becomes Sir Charles”. Daily News (New York). (5 March 1975). オリジナルの3 March 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160303192525/http://www.nydailynews.com/entertainment/movies/charlie-chaplin-knighted-queens-elizabeth-1975-article-1.2548959 

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 356.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 357–358.

                              ^ Vance 2003, p. 359.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 359.

                              ^ “Yasser Arafat: 10 Other People Who Have Been Exhumed”. BBC. (27 November 2012). オリジナルの27 November 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121127151521/http://www.bbc.co.uk/news/magazine-20507503 27 November 2012閲覧。 

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 42.

                              ^ チャップリン 1966, pp. 44–45.

                              ^ Weissman 2009, pp. 82–83, 88.

                              ^ Louvish 2010, p. 38.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 121.

                              ^ Lynn 1997, pp. 99–100.

                              ^ Brownlow 2010, p. 22.

                              ^ Louvish 2010, p. 122.

                              ^ Louvish 2010, pp. 48–49.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 323, 327–329.

                              ^ 大野 2017, p. 115.

                              ^ Brownlow 2010, p. 7.

                              ^ Louvish 2010, p. 103.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 216–217.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 222, 246, 385; ロビンソン(下) 1993, p. 192.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 216–217, 222.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 192.

                              ^ 大野 2017, pp. 93, 203.

                              ^ Louvish 2010, p. 168.

                              ^ Brownlow 2010, p. 187.

                              ^ Louvish 2010, p. 182.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 157.

                              ^ Louvish 2010, p. 228.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 295–296.

                              ^ Cousins 2004, p. 71.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 226, 296, 386; ロビンソン(下) 1993, pp. 63, 84–85.

                              ^ Brownlow 2010, pp. 59, 75, 82, 92, 147.

                              ^ Brownlow 2010, p. 82.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 226, 296.

                              ^ 大野 2017, pp. 91–92.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 417.

                              ^ Brownlow 2010, p. 157.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 321.

                              ^ Brownlow 2010, pp. 59, 98, 138, 154.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 181, 255, 296.

                              ^ Maland 1989, p. 353.

                              ^ “Chaplin's Writing and Directing Collaborators”. British Film Institute. 14 February 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。27 June 2012閲覧。

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 268.

                              ^ Brownlow 2010, p. 30.

                              ^ Kemp 2011, p. 63.

                              ^ Mast 1985, pp. 83–92.

                              ^ Kamin 2011, pp. 6–7.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 257.

                              ^ Hansmeyer 1999, p. 4.

                              ^ 大野 2017, p. 120.

                              ^ Dale 2000, p. 17.

                              ^ 大野 2017, pp. 205–207.

                              ^ Dale 2000, pp. 9, 19–20.

                              ^ Louvish 2010, p. 203.

                              ^ Louvish 2010, p. 204.

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 302; ロビンソン(下) 1993, pp. 7–8.

                              ^ 大野 2017, p. 3.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 319.

                              ^ Larcher 2011, pp. 62–89.

                              ^ Weissman 2009, pp. 439–445.

                              ^ Bloom 1982, p. 107.

                              ^ NHK『チャップリン 世紀を超える』(2006年、BShi)

                              ^ 大野裕之「第4章 チャップリンが予知していた未来」『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』大和書房、2022年11月。ISBN 9784479393962。 

                              ^ Mast 1985, pp. 123–128.

                              ^ Epstein 1988, pp. 84–85.

                              ^ Louvish 2010, pp. 185, 298.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 280.

                              ^ チャップリン 1966, p. 290.

                              ^ Brownlow 2010, p. 91.

                              ^ Kamin 2011, p. 35.

                              ^ McCaffrey 1971, pp. 82–95.

                              ^ Kamin 2011, p. 29.

                              ^ 大野 2005, p. 184.

                              ^ Raksin & Berg 1979, pp. 47–50.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 169–170, 209.

                              ^ Vance, Jeffrey (4 August 2003). "Chaplin the Composer: An Excerpt from Chaplin: Genius of the Cinema". Variety Special Advertising Supplement, pp. 20–21.

                              ^ Kamin 2011, p. 198.

                              ^ 大野 2017, p. 336.

                              ^ Weston, Jay (10 April 2012). “Charlie Chaplin's Limelight at the Academy After 60 Years”. HuffPost. オリジナルの13 May 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130513093513/http://www.huffingtonpost.com/jay-weston/charlie-chaplin-limelight_b_1938236.html 2 February 2013閲覧。 

                              ^ Sarris 1998, p. 139.

                              ^ “Charlie Chaplin”. British Film Institute. 22 June 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。7 October 2012閲覧。

                              ^ Quittner, Joshua (8 June 1998). “TIME 100: Charlie Chaplin”. Time Magazine. 23 May 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。11 November 2013閲覧。

                              ^ “AFI's 100 YEARS...100 STARS” (英語). AFI. 2021年2月3日閲覧。

                              ^ Hansmeyer 1999, p. 3.

                              ^ Louvish 2010, p. xvii.

                              ^ “Chaplin – First, Last, And Always”. Indiewire. オリジナルの25 May 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130525165601/http://blogs.indiewire.com/leonardmaltin/chaplinfirst_last_and_always 7 October 2012閲覧。 

                              ^ Schickel 2006, p. 41.

                              ^ “Record Price for Chaplin Hat Set”. BBC. オリジナルの23 April 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120423104143/http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5116474.stm 7 October 2012閲覧。 

                              ^ Kemp 2011, pp. 8, 22.

                              ^ Cousins 2004, p. 72.

                              ^ Schickel 2006, pp. 3–4.

                              ^ Kamin 2011, p. xiv.

                              ^ Cousins 2004, p. 36.

                              ^ Cousins 2004, p. 70.

                              ^ Schickel 2006, pp. 7, 13.

                              ^ Presented by Paul Merton, directed by Tom Cholmondeley (1 June 2006). "Charlie Chaplin". Silent Clowns. British Broadcasting Corporation. BBC Four。

                              ^ Thompson 2001, pp. 398–399.

                              ^ Mast 1985, p. 100.

                              ^ Brownlow 2010, p. 77.

                              ^ Mark Cousins (10 September 2011). "Episode 2 - The Hollywood Dream". The Story of Film: An Odyssey. 該当時間: 27:51–28:35. Channel 4. More4。

                              ^ Cardullo, Bert (2009). Vittorio De Sica: Actor, Director, Auteur. Cambridge: Cambridge Scholars Publishing. pp. 16, 212 

                              ^ “Attenborough Introduction”. Charlie Chaplin. British Film Institute. 5 November 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。11 February 2013閲覧。

                              ^ Lasica, Tom (March 1993). “Tarkovsky's Choice”. Sight & Sound 3 (3). オリジナルの2014-02-14時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140214101036/http://people.ucalgary.ca/~tstronds/nostalghia.com/TheTopics/Tarkovsky-TopTen.html 1 February 2014閲覧。. 

                              ^ Canemaker, John (1996). Felix: The Twisted Tale of the World's Most Famous Cat. Cambridge, MA: Da Capo Press. pp. 38, 78 

                              ^ Jackson, Kathy Merlock (2003). “Mickey and the Tramp: Walt Disney's Debt to Charlie Chaplin”. The Journal of American Culture 26 (1): 439-444. 

                              ^ Simmons 2001, pp. 3–34.

                              ^ Poullain-Majchrzak, Ania (18 April 2016). “Chaplin's World museum opens its doors in Switzerland”. Reuters. http://uk.reuters.com/article/us-chaplin-museum-idUKKCN0XF212 

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 462–463.

                              ^ “Vevey: Les Tours "Chaplin" Ont Été Inaugurées”. RTS.ch (8 October 2011). 28 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。22 July 2012閲覧。

                              ^ “Charlie Chaplin”. Blue Plaque Places. 1 May 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。20 July 2017閲覧。

                              ^ “Chaplin Film Festival” (英語). ChaplinFilmFestival.Com. 2021年1月28日閲覧。

                              ^ Schmadel, Lutz D (2003). Dictionary of Minor Planet Names (5 ed.). New York: Springer Verlag. p. 305 

                              ^ Maland 1989, pp. 362–370.

                              ^ “Google Doodles a Video Honouring Charlie Chaplin”. CNN-News18 (15 April 2011). 9 May 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。15 April 2011閲覧。

                              ^ “Charlie Chaplin Stamps”. Blogger. 2 November 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。8 February 2013閲覧。

                              ^ “Chaplin Office / Association Chaplin” (英語). Charlie Chaplin Archive. 2021年1月28日閲覧。

                              ^ “Chaplin Archive” (英語). Charlie Chaplin. BFI. 2012年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月28日閲覧。

                              ^ “The Chaplin Office” (英語). charliechaplin.com. 2021年1月28日閲覧。

                              ^ “Fondazione Cineteca di Bologna” (英語). Charlie Chaplin Archive. Cineteca di Bologna. 2021年1月28日閲覧。

                              ^ 大野 2005, pp. 3–4.

                              ^ “The BFI Charles Chaplin Conference July 2005”. Charlie Chaplin. British Film Institute. 5 November 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。11 February 2013閲覧。

                              ^ 山本 1983, pp. 309–310.

                              ^ 大野 2017, p. 226.

                              ^ 山本 1983, pp. 302–303.

                              ^ 大野 2017, pp. 227–228.

                              ^ 御園京平『活辨時代』岩波書店、1990年3月、54-58頁。 

                              ^ 鷲﨑, 秀一「芥川龍之介「片恋」論 : チャップリン流行下における〈西洋の曾我の家〉表象から」『日本語と日本文学』第38巻、2004年2月29日、22–32頁。 

                              ^ 田中純一郎『日本映画発達史Ⅰ 活動写真時代』中央公論社、1975年12月、265頁。 

                              ^ 大野 2009, pp. 126–127.

                              ^ 山本 1983, pp. 305–307.

                              ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社、2012年5月、6,11,97,171頁。 

                              ^ 映画鑑賞記録サービス KINENOTE|キネマ旬報社”. www.kinenote.com. 2022年10月22日閲覧。

                              ^ 千葉 2017, pp. 33–35.

                              ^ 芥川龍之介. “澄江堂雑記”. 青空文庫. 2020年12月5日閲覧。 “十七 チヤプリン  社会主義者と名のついたものはボルシエヴイツキたると然らざるとを問はず、悉く危険視されるやうである。殊にこの間の大地震の時にはいろいろその為に祟られたらしい。しかし社会主義者と云へば、あのチヤアリイ・チヤプリンもやはり社会主義者の一人である。もし社会主義者を迫害するとすれば、チヤプリンも亦迫害しなければなるまい。試みに某憲兵大尉の為にチヤプリンが殺されたことを想像して見給へ。家鴨歩きをしてゐるうちに突き殺されたことを想像して見給へ。苟も一たびフイルムの上に彼の姿を眺めたものは義憤を発せずにはゐられないであらう。この義憤を現実に移しさへすれば、――兎に角諸君もブラツク・リストの一人になることだけは確かである。”

                              ^ 千葉 2017, p. 193.

                              ^ 大野 2009, p. 315.

                              ^ “7 /30上映『ノスフェラトゥ』フィルム寄贈者、水上浩さまからお便り|コラム|スタッフブログ|おもちゃ映画ミュージアム”. おもちゃ映画ミュージアム. おもちゃ映画ミュージアム. 2023年1月22日閲覧。 “戦災都市の富山で水上さんが初めてご覧になったアメリカ映画が、ディアナ・ダービン主演の『春の序曲』とチャップリンの『黄金狂時代』(1942年、チャップリン自身で音楽を作曲して、ナレーションを入れて再編集したサウンド版)。チャップリンのとてつもない面白さに、戦後の食糧難で空きっ腹だった小学生の水上さんのお腹の皮は、いやが上にもよじれによじれてしまったそう。”

                              ^ 映画鑑賞記録サービス KINENOTE|キネマ旬報社”. www.kinenote.com. キネマ旬報社. 2023年1月22日閲覧。

                              ^ “戦後初リバイバル公開版チャップリンの『モダンタイムス』立て看板ポスター(昭和二十九年)”. ushovostic.bond. IL-SHOP 株式会社アイループ. 2023年1月22日閲覧。

                              ^ 大野 2009, p. 325.

                              ^ NHK. “データベースで探す”. NHKクロニクル. 2023年10月21日閲覧。

                              ^ “チャップリン・ザ・ルーツ 傑作短編集・完全デジタルリマスター”. 2020年12月5日閲覧。

                              ^ “没後45年・令和初のチャップリン映画祭開催! 「キッド」「サーカス」は初の4Kリマスター上映 : 映画ニュース”. 映画.com. 映画.com. 2024年8月24日閲覧。

                              ^ “日本チャップリン協会について”. 日本チャップリン協会. 2021年1月28日閲覧。

                              ^ 山本 1983, p. 309.

                              ^ “地獄船”. www.shochiku.co.jp. 松竹. 2023年12月16日閲覧。

                              ^ 山本 1983, pp. 241–242.

                              ^ 大野 2017, p. 230.

                              ^ 阪上由紀 (2014). 宝塚歌劇における「主題歌」とその役割 : 歴史と展開 (博士(芸術学) 甲第516号). Vol. 関西学院大学. NDLJP:8953057。

                              ^ 斎藤寅次郎『日本の喜劇王 斎藤寅次郎自伝』清流出版、2005年7月、313頁。 

                              ^ 石子順『平和の探求・手塚治虫の原点』新日本出版社、2007年、47頁。 

                              ^ “おそ松くん全集12巻 ビローンと笑って百万円 赤塚不二夫 曙コミック フジオプロ”. LY Corporation. 2024年8月31日閲覧。 “チャップリンは私にとって、最も尊敬に値する人物です。私は彼の映画が大好きで、私の作品にも少なからぬ影響を与えたようです。”

                              ^ “爆笑問題の太田さん「チャップリンのように影響を与えたい」”. Reuters (2007年4月27日). 2021年2月7日閲覧。

                              ^ “知恵蔵mini「茶風林」の項目”. コトバンク. 2021年2月7日閲覧。

                              ^ “プッチャリン | スタンダップコメディー パフォーマーズ検索なび”. パフォーマーズ検索なび. 2023年11月21日閲覧。

                              ^ ロビンソン(上) 1993, p. 240.

                              ^ 大野 2017, pp. 222–223.

                              ^ 大野 2009, p. 97.

                              ^ 大野 2009, pp. 132–133.

                              ^ 大野 2009, p. 205.

                              ^ ロビンソン(下) 1993, pp. 221–222.

                              ^ Charles Chaplain Jr. (1960). My Father Charlie Chaplin. Random House. p. 258. "When Syd and I came back from school that summer of ’42, we found English servants in our old home. They were capable but aloof, and Syd and I could never get used to them after the friendly folksy Japanese, with whom we had grown up and who had seemed like part of our family. Dad missed the Japanese, too — their lightning-quick efficiency and the intuitive care with' which Frank had spoiled him. “They’re pretty good,” he would say someti.nes〔ママ〕 of the I'nglish〔ママ〕. “Only they’re so slow. It takes hours now just to serve me a little cake.”" 

                              ^ 大野 2005, pp. 105–106.

                              ^ 大野 2017, pp. 213–215.

                              ^ 千葉 2017, pp. 73–74.

                              ^ 千葉 2017, pp. 81–82.

                              ^ 大野 2009, pp. 179–180.

                              ^ 大野裕之「第6章 五・一五事件」『チャップリンが見たファシズム 喜劇王の世界旅行 1931-1932』中央公論新社、2024年。ISBN 978-4-12-110153-2。 

                              ^ 大野 2009, pp. 183–184.

                              ^ 大野 2009, pp. 185–187.

                              ^ “Charlie Chaplin narrowly escaped assassination by Japanese 'terrorists' in 1932” (英語). Japan Today (2017年6月12日). 2024年1月10日閲覧。 “May 15, Inukai's secretary issued the invitation to Chaplin to attend a welcoming reception that evening. Chaplin typically had a low opinion of politicians but he appeared to be in high spirits and agreed to attend. Had he attended, he might have been killed. Just half an hour after receiving the invitation, he suddenly told his traveling companions, "I'd prefer not to go to the reception. I'd rather go and watch sumo." He was driven to the sumo arena in Ryogoku, accompanied by the prime minister's son, Takeru.”

                              ^ hidakashimpo (2013年5月15日). “81年前の5月15日を思う - 日高新報”. 2022年10月18日閲覧。

                              ^ 千葉 2017, pp. 101, 149.

                              ^ 大野 2009, pp. 196–197.

                              ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年12月3日). “【秘話開封 歌舞伎とチャップリン】「いつまでもこのような芸術は残してほしい」 来日の度に観劇…チャップリンと歌舞伎は“相思相愛”(1/2ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2023年10月7日閲覧。

                              ^ “【深掘り 蝙蝠の安さん〈上〉】映画は上映前?! 新聞小説が歌舞伎になった「安さん」と戦前のチャップリン熱狂時代”. 紡ぐプロジェクト (2019年12月3日). 2022年10月27日閲覧。

                              ^ “企画展 曾我廼家五郎 - 「喜劇」の誕生”. 日本芸術文化振興会. 2022年12月5日閲覧。

                              ^ 千葉 2017, pp. 101–102, 116, 138, 144.

                              ^ 「第3章 チャップリンから学ぶビジネス」『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』大和書房、2022年11月。ISBN 9784479393962。 

                              ^ チャップリン 1966, p. 439.

                              ^ “昭和7年7月 - 永井荷風『断腸亭日乗』Wiki”. yonosuke.net. 2022年10月16日閲覧。

                              ^ “Charlie Chaplin assassination plot ?.... - RareNewspapers.com”. www.rarenewspapers.com. 2023年11月4日閲覧。

                              ^ 千葉 2017, pp. 173–183.

                              ^ “喜劇王チャプリン、84年前の珍道中 京都・奈良観光やめて向かった先は… | M's KOBE - 神戸新聞NEXT”. www.kobe-np.co.jp (2020年3月17日). 2022年10月16日閲覧。

                              ^ 神奈川近代文学館特別展「永遠に『新青年』なるもの-ミステリー・ファッション・スポーツ-」より

                              ^ 千葉 2017, pp. 184–192.

                              ^ “世界に誇る長良川鵜飼へ”. 1300年以上の歴史と伝統. ぎふ長良川の鵜飼. 2024年6月2日閲覧。

                              ^ “【深掘り 蝙蝠の安さん〈上〉】映画は上映前?! 新聞小説が歌舞伎になった「安さん」と戦前のチャップリン熱狂時代”. 紡ぐプロジェクト (2019年12月4日). 2024年6月2日閲覧。

                              ^ 大野 2009, pp. 315–318.

                              ^ 千葉 2017, pp. 232–234.

                              ^ 国立国会図書館. “チャップリンが4度目に来日したとき、変わり果てた鵜飼の姿に落胆したというが、これについて記した新聞記...”. レファレンス協同データベース. 2022年12月5日閲覧。

                              ^ 千葉 2017, p. 236.

                              ^ “【映画通が一度は行きたい京都】割烹料亭「浜作」 チャップリンも感嘆!世代を超えた包丁技”. zakzak. 産経新聞社. 2023年1月20日閲覧。

                              ^ “南座では吉田文五郎丈と交歓。人形浄瑠璃には特に深い興味を覚えたらしく、 見学予定時間をはるかに超過した。左はウーナ夫人。”. 週刊現代 昭和36年8月13日号. 

                              ^ 大野裕之「第5章 チャップリンVSヒトラー 武器としての笑い」『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』大和書房、2022年。ISBN 9784479393962。 

                              ^ “Complete National Film Registry Listing” (英語). Library of Congress. 2021年1月29日閲覧。

                              ^ “THE PILGRIM” (英語). mk2 Films. 2024年6月4日閲覧。 “long feature-film”

                              ^ Lisa Stein Haven. “Charlie Chaplin : Chaplin et la Légion d'Honneur”. www.charliechaplin.com. Roy Export SAS. 2024年9月5日閲覧。

                              ^ ロビンソン(上) 1993, pp. 460–461.

                              ^ “George Eastman Award”. George Eastman Museum. 2021年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月2日閲覧。

                              ^ E. Segal, Martin (30 March 2012). “40 Years Ago – The Birth of the Chaplin Award”. Lincoln Center Film Society. 2 May 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。25 June 2012閲覧。

                              ^ Williams 2006, p. 311.

                              ^ “New York Film Critics Circle Awards (1940)”. IMDb. 2023年12月30日閲覧。 “Refused to accept the award.”

                              ^ “1940 Awards” (英語). New York Film Critics Circle. 2020年1月23日閲覧。

                              ^ “Awards” (英語). IMDb. 2021年1月23日閲覧。

                              ^ “1947 Award Winners” (英語). National Board of Review. 2021年1月23日閲覧。

                              ^ “amerikanske film” (dk). Bodilprisen. 2021年1月23日閲覧。

                              ^ “Æres-Bodil” (dk). Bodilprisen. 2021年1月23日閲覧。

                              ^ “ブルーリボン賞ヒストリー 第3回”. シネマ報知. 2009年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月23日閲覧。

                              ^ “Film in 1953” (英語). BAFTA Awards. 2021年1月23日閲覧。

                              ^ “Film” (英語). BAFTA Awards. 2021年1月23日閲覧。

                              ^ “26 DGA AWARDS” (英語). dga.org. 2021年1月23日閲覧。

                              ^ 映画「ライムライト」等の保護期間が、旧著作権法の適用により満了していないとされた事例”. 2023年6月14日閲覧。

                              ^ “チャップリン映画の著作権(2008年2月号) 著作権Q&A|公募/コンテスト情報誌 月刊公募ガイド”. www.koubo.co.jp. 2023年6月14日閲覧。

                              ^ “チャップリン格安DVD事件”. 2023年6月15日閲覧。

                              ^ “平成20年 (受) 889号 著作権侵害差止等請求事件|著作権判例データベース”. tyosaku.hanrei.jp. 2023年6月14日閲覧。

                              ^ “活動狂”. www.shochiku.co.jp. 松竹. 2024年10月6日閲覧。

                              ^ 大野裕之「第5章 エジプト、インド、シンガポール、バリ島 そして、チャップリン暗殺計画 日本でのチャップリン人気」『チャップリンが見たファシズム : 喜劇王の世界旅行1931-1932』中央公論新社、2024年7月8日。ISBN 978-4-12-110153-2。 

                              ^ “Robert Downey, Jr. profile, Finding Your Roots”. PBS. 23 November 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。9 February 2013閲覧。

                              ^ “The Cat's Meow – Cast”. The New York Times. オリジナルの24 November 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151124051810/http://www.nytimes.com/movies/movie/251894/The-Cat-s-Meow/cast 9 November 2013閲覧。 

                              ^ “ダンシング・チャップリン”. 映画.com. 2021年1月30日閲覧。

                              ^ “チャップリンからの贈りもの”. 映画.com. 2021年1月27日閲覧。

                              ^ Allin, Jason (2014-01-21), Chaplin: Home, Sweet Home, Jason Allin, https://www.imdb.com/title/tt3516590/?ref_=nm_knf_t_1 2023年10月31日閲覧。 

                              ^ (日本語) CHAPLIN: Home, Sweet Home Movie, https://www.youtube.com/watch?v=m1dQyZW3Rps 2023年10月31日閲覧。 

                              ^ “Charlie on the Windmill (1915)” (英語). Century Film Project (2016年2月24日). 2022年11月19日閲覧。

                              ^ “Charlie and the Indians (1915)” (英語). Century Film Project (2016年3月1日). 2022年11月19日閲覧。

                              ^ Carlson, Wallace A. (1915-08-18), Dreamy Dud Sees Charlie Chaplin, The Essanay Film Manufacturing Company, https://www.imdb.com/title/tt0005221/ 2022年11月19日閲覧。 

                              ^ “Charlie’s White Elephant (1916)” (英語). Century Film Project (2021年1月16日). 2022年11月19日閲覧。

                              ^ Sullivan, Pat (1918-09-03), How Charlie Captured the Kaiser, Keen Cartoon Corporation, Nestor Film Company, https://www.imdb.com/title/tt0370756/ 2022年11月19日閲覧。 

                              ^ Sullivan, Pat (1918-12-21), Over the Rhine with Charlie, Keen Cartoon Corporation, Nestor Film Company, https://www.imdb.com/title/tt0371054/ 2022年11月19日閲覧。 

                              ^ Sullivan, Pat (1919-01-29), Charlie in Turkey, Keen Cartoon Corporation, Nestor Film Company, https://www.imdb.com/title/tt0370399/ 2022年11月19日閲覧。 

                              ^ Sullivan, Pat (1919-03-19), Charlie Treats 'Em Rough, Nestor Film Company, Keen Cartoon Corporation, https://www.imdb.com/title/tt0330135/?ref_=kw_li_tt 2022年11月19日閲覧。 

                              ^ Sullivan, Pat, Charley Out West, Keen Cartoon Corporation, Nestor Film Company, https://www.imdb.com/title/tt1369475/ 2022年11月19日閲覧。 

                              ^ “Charlie on the Farm (1919)” (英語). Century Film Project (2020年12月6日). 2022年11月19日閲覧。

                              ^ Sullivan, Pat, Charley at the Beach, Keen Cartoon Corporation, Nestor Film Company, https://www.imdb.com/title/tt1369476/ 2022年11月19日閲覧。 

                              ^ “チャップリン暗殺計画 - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇”. テレビドラマデータベース. 2022年10月18日閲覧。

                              ^ Dickson, Jeremy (2012年10月1日). “New global TV deals for Chaplin and Co.”. Kidscreen. 2020年1月30日閲覧。

                              ^ “Limelight – The Story of Charlie Chaplin”. La Jolla Playhouse. 21 July 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。25 June 2012閲覧。

                              ^ “Chaplin – A Musical”. Barrymore Theatre. 15 June 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。25 June 2012閲覧。

                              ^ “音楽劇 スマイル・オブ・チャップリン SMILE of CHAPLIN | 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術!”. CoRich舞台芸術!. 2022年10月28日閲覧。

                              ^ “天切り松 闇がたり 5 ライムライト/浅田 次郎 | 集英社 ― SHUEISHA ―”. 集英社 ― SHUEISHA ―. 2023年11月25日閲覧。

                              ^ “Marc Chagall Charlie Chaplin - Posters.md — fototapet, tablouri canvas, postere, rame” (ルーマニア語). posters.md. 2023年1月8日閲覧。

                              ^ “Marc Chagall | CHARLIE CHAPLIN | MutualArt” (英語). www.mutualart.com. 2023年1月8日閲覧。

                              ^ “川崎市岡本太郎美術館年報 平成16年度 (2004.4~2005.3) Ⅰ 事業報告 収集作品及び資料、修復作品、貸出作品”. 川崎市岡本太郎美術館. 2024年10月10日閲覧。

                              ^ “Stuart Carothers” (英語). lambiek.net. 2023年10月30日閲覧。

                              ^ “Bertie Brown” (英語). lambiek.net. 2023年11月1日閲覧。

                              ^ Stringer, Lew (2011年10月24日). “Blimey! It's another blog about comics!: Charlie Chaplin in The Funny Wonder”. Blimey! The Blog of British Comics!. 2014年2月4日閲覧。

                              ^ 森田拳次 (1970-08-20). チャップリン 伝記マンガ 2. 講談社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000129140-00 

                              ^ 『チャップリン - 株式会社岩崎書店 このサイトは、子どもの本の岩崎書店のサイトです。』。https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b192214.html。 

                              ^ “小学8年生 2023年02月24日発売号”. 雑誌/定期購読の予約はFujisan. 2023年9月3日閲覧。

                              ^ “『小学8年生』春のパワーアップ号! フシギな科学実験やワクワク体験が盛りだくさん!”. 『小学8年生』 (2023年4月26日). 2023年9月3日閲覧。

                              ^ “チャップリン/羽衣 歌子 収録アルバム『日本の流行歌スターたち(26) 羽衣歌子 エロ感時代の歌〜ティティナ』 試聴・音楽ダウンロード 【mysound】”. mysound. 2023年8月23日閲覧。

                              ^ 東京都古書籍商業協同組合『ハロウチャーリー 孤独の放浪者(伊藤和夫詩:橋本国彦曲) / 曙堂 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」』。https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=3693397。 

                              ^ (日本語) 【ゆっくり解説】昭和7年(1932年)5月、チャップリンが日本にやってきた!当時の新聞記事から日本滞在中のチャップリンの様子を見てみよう!【第121号】, https://www.youtube.com/watch?v=U7eFUcbP740 2023年8月23日閲覧。 

                              ^ (日本語) 【ゆっくり解説】昭和7年(1932年)5月、チャップリンが日本にやってきた!当時の新聞記事から日本滞在中のチャップリンの様子を見てみよう!【第121号】, https://www.youtube.com/watch?v=U7eFUcbP740 2023年8月23日閲覧。 

                              ^ “レコード世界史と日本レコード産業の黎明”. 2023年8月23日閲覧。

                              ^ “転職サービス「DODA」新TV-CM 偉人の「名言」を通じて転職を決意する人を応援 “心の着火”を綾野剛さんがセリフなしで熱演 「キング牧師×綾野剛」篇、「チャップリン×綾野剛」篇 7月28日(月)からオンエア開始”. パーソルキャリア株式会社. 2023年10月30日閲覧。

                              ^ “Charlie Chaplin : New Chaplin Video Game” (英語). Charlie Chaplin: Official Site. Roy Export SAS. 2024年9月1日閲覧。

                              ^ Felix In Hollywood [1923], http://archive.org/details/FelixInHollywood1923 2023年6月16日閲覧。 

                              ^ “喜劇映画研究会 2001年 20世紀を編集する/アメリカの世紀を超えて”. www.kigeki-eikenn.com. 喜劇映画研究会. 2023年1月25日閲覧。 “映画の中には、"シャルロ・キュビスト"と称される、キュビズム風で、いかにもレジェといった感じにデザインされたチャップリンが登場する(シャルロは、フランスにおけるチャップリンの愛称)。”

                              ^ “What is Charlie Chaplin Doing in Ballet Mechanique? – Flicker Alley” (英語). Flicker Alley. 2023年1月25日閲覧。

                              ^ Fernand Léger (1924) (French), Ballet Mécanique - Fernand Léger (1924), https://archive.org/details/BalletMcanique 2023年1月25日閲覧。 

                              ^ “Charlie Chaplin” (英語). Disney Wiki. 2024年10月10日閲覧。

                              ^ 株式会社つみき (2024年10月9日). “映画『サンタのオモチャ工房』の感想・レビュー[540件 | Filmarks]”. filmarks.com. 2024年10月10日閲覧。

                              ^ “ミッキーマウスに学ぶ「すべてうまくいく考え方」♡劣等感を感じるときこそチャンス!”. with online - 講談社公式 - | 恋も仕事もわたしらしく. 2022年12月30日閲覧。

                              ^ Disney, Disney Animated Shorts 253 Episodes, http://archive.org/details/disneyanimatedshorts 2023年5月26日閲覧。 ショートアニメの№243。

                              ^ Disney, Disney Animated Shorts 253 Episodes, http://archive.org/details/disneyanimatedshorts 2023年5月26日閲覧。 [1]ショートアニメの№55。

                              ^ “ヤフオク! - 非売品 郵便局 MMC貯金 チャップリン POST ポス...”. vrf.wowma.world. 2023年4月3日閲覧。

                              ^ “ぎふ長良川の鵜飼 〜拝啓チャップリン様〜 | yossy's”. yossy's | 名古屋のアートディレクター/グラフィックデザイナーYossyのポートフォリオサイト (2012年3月3日). 2023年4月3日閲覧。

                              ^ “長良川鵜飼とチャップリン - 長良川観光ホテル 石金ブログ”. goo blog. 2023年4月3日閲覧。

                              ^ “CAMPFIRE、のん出演のテレビCM「夢見る人を、はじめる人に。」 放映開始”. NB Press Online. 2023年4月3日閲覧。

                              ^ “超時間対談 | gohon - 古本 ごほん powered by BASE”. gohon - 古本 ごほん. 2023年7月11日閲覧。

                              ^ ロビンソン(下) 1993, p. 418.

                              ^ NHK. “データベースで探す”. NHKクロニクル. 2022年11月19日閲覧。

                              ^ NHK. “データベースで探す”. NHKクロニクル. 日本放送協会. 2024年7月31日閲覧。

                              ^ “Charlie: The Life And Art Of Charles Chaplin” (英語). TCM.com (2004年2月27日). 2021年1月27日閲覧。

                              ^ “Charlie Chaplin - The Forgotten Years” (英語). Variety. 2021年1月30日閲覧。

                              ^ “Chaplin, la légende du siècle” (英語). IMDb. 2021年1月30日閲覧。

                              ^ “Chaplin vs. Keaton - Duel of Legends”. amazon.co.uk. 2024年8月1日閲覧。

                              ^ Inc, Natasha. “チャップリンVSキートン、喜劇王2人を比較するドキュメンタリーがNHK BSで放送”. 映画ナタリー. 2024年8月1日閲覧。

                              ^ “チャップリン対FBI 赤狩りフーバーとの50年”. BS世界のドキュメンタリー. 2022年10月9日閲覧。

                              ^ “ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い”. 映像の世紀バタフライエフェクト. 2022年10月9日閲覧。

                              ^ “【深掘り 蝙蝠の安さん〈上〉】映画は上映前?! 新聞小説が歌舞伎になった「安さん」と戦前のチャップリン熱狂時代”. 紡ぐプロジェクト (2019年12月3日). 2023年4月16日閲覧。

                              ^ “NV初版 ライムライト ロジェ・グルニエ 谷亀利一 チャップリン 1974 早川書房 [1084794599 - 200円 :]”. new.welovelmk.life. 2023年6月14日閲覧。

                              ^ “蝙蝠の安さん”. www.shochiku.co.jp. 2022年10月23日閲覧。

                              ^ 映画『きみの瞳が問いかけている』 公式サイト”. 映画『きみの瞳が問いかけている』 公式サイト. GAGA. 2022年11月14日閲覧。

                              ^ 映画【太秦ライムライト】 オフィシャルサイト 福本清三×山本千尋”. 太秦ライムライト. 2022年10月23日閲覧。

                              ^ hiroyuki, ono (英語). From Chaplin to Kabuki. http://chaplin.bfi.org.uk/programme/conference/pdf/ono-hiroyuki.pdf. 

                              ^ “国立劇場12月歌舞伎『近江源氏先陣館―盛綱陣屋―』『蝙蝠の安さん』特設サイト”. 国立劇場12月歌舞伎『近江源氏先陣館―盛綱陣屋―』『蝙蝠の安さん』特設サイト. 2022年10月23日閲覧。

                              ^ Name, Your Museum. “Rhythm : A Story of Men in Macabre Movement / Charles Chaplin - ECCI00314841” (英語). www.charliechaplinarchive.org. 2022年11月19日閲覧。

                              ^ “チャールズ・チャップリン「チャップリン・ザ・ワールド」 | 演劇ニュース | シアターリーグ”. www.moon-light.ne.jp. 2022年10月23日閲覧。

                              ^ “シアタークリエ『音楽劇 ライムライト』”. www.tohostage.com. 2022年10月23日閲覧。

                              ^ “『おそ松くん』エピソード 赤塚先生お気に入り『おそ松くん』2 | 赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!”. 2023年4月16日閲覧。

                              ^ “株式会社ぴえろ 公式サイト”. pierrot.jp. 2023年4月16日閲覧。

                              ^ “「おそ松さん」2期18話 原作傑作回 イヤミと少女の戦後浪花節をよくぞ作ってくれた”. エキサイトニュース. 2023年4月16日閲覧。

                              ^ aucfan. “赤塚不二夫 おそ松くん全集 全31の19巻 下町のチビ太キッドの物語 フジオプロ 曙出版 昭和44/7 初版”. オークファン. 2023年4月18日閲覧。

                              ^ “モジャモジャおじちゃん | 赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!”. 2023年4月18日閲覧。

                              ^ “デカパン”. 赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!. 2023年1月3日閲覧。

                              ^ “Charlot les temps modernes - Philippe Magniaux” (フランス語). Babelio. 2024年8月23日閲覧。

                              ^ “Les Aventures de Charlot : La Ruée vers l'or” (フランス語). Babelio. 2024年8月23日閲覧。

                              ^ “秘密結社 鷹の爪MAX #6 街の灯”. GYAO!. Yahoo! JAPAN. 2022年10月27日閲覧。

                              ^ 新潮社、SHINCHO ONLINE BOOKS、『世界の喜劇人』小林信彦著、「第二部 喜劇映画の衰退 序章 遥かなる喝采」

                              ^ When Comedy Was King, (1960), https://archive.org/details/when-comedy-was-king 2023年1月15日閲覧。 

                              ^ Robert Youngson Production; Carousel Films (1962), 30 Years of Fun, Internet Archive, New York, NY : Carousel Films, https://archive.org/details/30yearsoffun_201705 2023年1月15日閲覧。 

                              ^ Youngson, Robert (1963-02-10), 30 Years of Fun, Robert Youngson Productions, https://www.imdb.com/title/tt0056799/ 2023年1月15日閲覧。 

                              ^ “喜劇王チャップリン : 作品情報”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2023年1月15日閲覧。

                              ^ “シネブラボー! : 作品情報”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2023年1月15日閲覧。

                              ^ Chaplin, Charlie、高瀬毅『僕の旅』中央公論社、東京、1930年。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001653661-00。 

                              ^ 裕之, 1974-, 大野 (2022). ビジネスと人生に効く教養としてのチャップリン. 東京: 大和書房. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I032451999-00 

                              ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2024年11月9日閲覧。

                              ^ “世界の映画作家 (キネマ旬報社): 1973|書誌詳細|国立国会図書館サーチ”. iss.ndl.go.jp. 2022年12月6日閲覧。

                              ^ 小藤田千栄子 (1973). チャ-ルズ・チャップリン. 東京: キネマ旬報社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I091929274-00 

                              ^ 小藤田千栄子 (1975). バスタ-・キ-トンと喜劇の黄金時代. 東京: キネマ旬報社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I092186990-00 

                              ^ 世界の映画作家 26 : バスター・キートンと喜劇の黄金時代. キネマ旬報社. (1975-01). https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I108130947-00 

                                Association Chaplin(英語)

                                Charles Chaplin - IMDb(英語)

                                Charlie Chaplin - オールムービー(英語)

                                Charlie Chaplin | Public Domain Movies

                                チャールズ・チャップリン - allcinema

                                チャールズ・チャップリン - KINENOTE

                                『チャップリン』 - コトバンク

                                日本チャップリン協会Web

                                Charlie Chaplin Archive

                                Unknown Chaplin - IMDb(英語)

                                Unknown Chaplin - インターネットアーカイブ

                                Hollywood Pt. 08 Comedy a Serious Business - インターネット・アーカイブ。テムズ・テレビジョンの『Hollywood』で採り上げられたサイレント・スラップスティックコメディのドキュメンタリー。チャップリンとマックス・ランデーとの出会いやジャッキー・クーガンへのインタビューが含まれている。

                                “My Friend Charlie”–A 1952 Buster Keaton Interview - バスター・キートンがチャップリンについて語ったインタビュー記事(1952年)。

                                Chaplin: Film by Film

                                The Faux Charlot - ウェイバックマシン(2021年7月17日アーカイブ分) - チャップリンの模倣者を紹介するサイト。チャーリー・アップリンやビリー・ウェストなど初期の模倣者として知られた俳優も紹介している。

                                秘話開封 歌舞伎とチャップリン - zakzak

                                1930年代の東京歌舞伎と若き日の戸板康二 - チャップリン名義(文責浅利鶴雄)の「日本の『カブキ』」という文章が引用され、チャップリンが見た歌舞伎の印象、演目の題名が紹介されている。

                                第23回 戦前期外国映画の日本版ポスター(1) - チャップリンの短編映画などを上映する「チヤプリン大会」のポスターを掲載。その中で大阪毎日新聞に掲載されたチャップリン名義の、日本の子どもたちに宛てたメッセージが紹介されている。

                                Charles Chaplin - インターネットアーカイブ

                                Chaplin is " For The Ages "

                                Oscar Honorífico a Charles Chaplin - 1972 - インターネットアーカイブ。1972年のアカデミー名誉賞受賞時の映像。

                                My Father Charlie Chaplin - インターネットアーカイブ。邦訳に『わが父チャップリン―息子が見た喜劇王の素顔』がある。

                                My Wonderful Visit  By Charlie Chaplin - 1921年のヨーロッパ旅行の旅行記。

                                DE ACTORES A HERÓIS DE PAPEL (12) - CHARLOT / CHARLIE CHAPLIN - チャップリンのキャリアと、チャップリンを題材としたコミックを紹介しているウェッブページ。

                                恋の二十分

                                とんだ災難

                                多忙な一日

                                彼女の友人である追いはぎ

                                メーベルの結婚生活

                                笑ひのガス

                                チャップリンの道具方

                                チャップリンの画工

                                レクリエーション

                                男か女か

                                チャップリンの独身

                                両夫婦

                                新米雑役夫

                                髭のあと

                                チャップリンとパン屋

                                アルコール自動車競争の巻

                                アルコール先生ピアノの巻

                                他人の外套

                                夫婦交換騒動

                                アルコール先生原始時代の巻

                                チャップリンの役者

                                アルコール夜通し転宅

                                チャップリンの拳闘

                                アルコール先生公園の巻

                                チャップリンの駈落

                                チャップリンの失恋

                                アルコール先生海水浴の巻

                                チャップリンのお仕事

                                チャップリンの女装

                                チャップリンの掃除番

                                チャップリンの船乗り生活

                                チャップリンの寄席見物

                                チャップリンのカルメン

                                チャップリンの悔悟

                                チャップリンの替玉

                                チャップリンの消防夫

                                チャップリンの放浪者

                                午前一時

                                チャップリンの伯爵

                                チャップリンの番頭

                                チャップリンの舞台裏

                                チャップリンのスケート

                                チャップリンの勇敢

                                チャップリンの霊泉

                                チャップリンの移民

                                チャップリンの冒険

                                犬の生活

                                公債

                                担へ銃

                                サニーサイド

                                一日の行楽

                                キッド

                                のらくら

                                給料日

                                偽牧師

                                巴里の女性

                                黄金狂時代

                                サーカス

                                街の灯

                                モダン・タイムス

                                独裁者

                                殺人狂時代

                                ライムライト

                                ニューヨークの王様

                                伯爵夫人

                                三つ巴事件(未承認作品)

                                教授(未公開)

                                チャップリン・レヴュー(再編集作品)

                                フリーク(未完成)

                                チャールズ・ロートン(1935)

                                ウォルター・ヒューストン(1936)

                                ポール・ムニ(1937)

                                ジェームズ・キャグニー(1938)

                                ジェームズ・ステュアート(1939)

                                チャールズ・チャップリン(1940)

                                ゲイリー・クーパー(1941)

                                ジェームズ・キャグニー(1942)

                                ポール・ルーカス(1943)

                                バリー・フィッツジェラルド(1944)

                                レイ・ミランド(1945)

                                ローレンス・オリヴィエ(1946、1948)

                                ウィリアム・パウエル(1947)

                                ブロデリック・クロフォード(1949)

                                グレゴリー・ペック(1950)

                                アーサー・ケネディ(1951)

                                ラルフ・リチャードソン(1952)

                                バート・ランカスター(1953)

                                マーロン・ブランド(1954)

                                アーネスト・ボーグナイン(1955)

                                カーク・ダグラス(1956)

                                アレック・ギネス(1957)

                                デヴィッド・ニーヴン(1958)

                                ジェームズ・ステュアート(1959)

                                バート・ランカスター(1960)

                                マクシミリアン・シェル(1961)

                                受賞者なし(1962)

                                アルバート・フィニー(1963)

                                レックス・ハリソン(1964)

                                オスカー・ウェルナー(1965)

                                ポール・スコフィールド(1966)

                                ロッド・スタイガー(1967)

                                アラン・アーキン(1968)

                                ジョン・ヴォイト(1969、1978)

                                ジョージ・C・スコット(1970)

                                ジーン・ハックマン(1971)

                                ローレンス・オリヴィエ(1972)

                                マーロン・ブランド(1973)

                                ジャック・ニコルソン(1974、1975)

                                ロバート・デ・ニーロ(1976、1980)

                                ジョン・ギールグッド(1977)

                                ダスティン・ホフマン(1979)

                                バート・ランカスター(1981)

                                ベン・キングズレー(1982)

                                ロバート・デュヴァル(1983)

                                スティーヴ・マーティン(1984)

                                ジャック・ニコルソン(1985、1987)

                                ボブ・ホスキンス(1986)

                                ジェレミー・アイアンズ(1988)

                                ダニエル・デイ=ルイス(1989)

                                ロバート・デ・ニーロ(1990)

                                アンソニー・ホプキンス(1991)

                                デンゼル・ワシントン(1992)

                                デヴィッド・シューリス(1993)

                                ポール・ニューマン(1994)

                                ニコラス・ケイジ(1995)

                                ジェフリー・ラッシュ(1996)

                                ピーター・フォンダ(1997)

                                ニック・ノルティ(1998)

                                リチャード・ファーンズワース(1999)

                                トム・ハンクス(2000)

                                トム・ウィルキンソン(2001)

                                ダニエル・デイ=ルイス(2002)

                                ビル・マーレイ(2003)

                                ポール・ジアマッティ(2004)

                                ヒース・レジャー(2005)

                                フォレスト・ウィテカー(2006)

                                ダニエル・デイ=ルイス(2007)

                                ショーン・ペン(2008)

                                ジョージ・クルーニー(2009)

                                コリン・ファース(2010)

                                ブラッド・ピット(2011)

                                ダニエル・デイ=ルイス(2012)

                                ロバート・レッドフォード(2013)

                                ティモシー・スポール(2014)

                                マイケル・キートン(2015)

                                ケイシー・アフレック(2016)

                                ティモシー・シャラメ(2017)

                                イーサン・ホーク(2018)

                                アントニオ・バンデラス(2019)

                                デルロイ・リンドー(2020)

                                ベネディクト・カンバーバッチ (2021)

                                コリン・ファレル (2022)

                                フランツ・ロゴフスキ (2023)

                                ルイス・シルヴァーズ(1934)

                                マックス・スタイナー(1935)

                                レオ・F・フォーブスタイン(1936)

                                チャールズ・プレヴィン(1937)

                                エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト / アルフレッド・ニューマン(1938)

                                ハーバート・ストサート / リチャード・ヘイグマン&フランク・ハーリング&ジョン・レイポルド&レオ・シューケン(1939)

                                リー・ハーライン&ポール・J・スミス&ネッド・ワシントン / アルフレッド・ニューマン(1940)

                                バーナード・ハーマン / フランク・チャーチル&オリバー・ウォレス(1941)

                                マックス・スタイナー / レイ・ハインドルフ&ハインツ・ロームヘルト(1942)

                                アルフレッド・ニューマン / レイ・ハインドルフ(1943)

                                マックス・スタイナー / モーリス・ストロフ&カーメン・ドラゴン(1944)

                                ロージャ・ミクローシュ / ジョージ・ストール(1945)

                                ヒューゴー・フリードホーファー / モーリス・ストロフ(1946)

                                ロージャ・ミクローシュ / アルフレッド・ニューマン(1947)

                                ブライアン・イースデイル / ジョニー・グリーン&ロジャー・イーデンス(1948)

                                アーロン・コープランド / ロジャー・イーデンス&レニー・ヘイトン(1949)

                                フランツ・ワックスマン / アドルフ・ドイチュ&ロジャー・イーデンス(1950)

                                フランツ・ワックスマン / ジョニー・グリーン&ソール・チャップリン(1951)

                                ディミトリ・ティオムキン / アルフレッド・ニューマン(1952)

                                ブロニスラウ・ケイパー / アルフレッド・ニューマン(1953)

                                ディミトリ・ティオムキン / アドルフ・ドイチュ&ソール・チャップリン(1954)

                                アルフレッド・ニューマン / ロバート・ラッセル・ベネット&ジェイ・ブラックトン&アドルフ・ドイチュ(1955)

                                ヴィクター・ヤング / アルフレッド・ニューマン&ケン・ダービー(1956)

                                マルコム・アーノルド(1957)

                                ディミトリ・ティオムキン / アンドレ・プレヴィン(1958)

                                ロージャ・ミクローシュ / アンドレ・プレヴィン&ケン・ダービー(1959)

                                アーネスト・ゴールド / モーリス・ストロフ&ハリー・サクマン(1960)

                                ヘンリー・マンシーニ / ソール・チャップリン&ジョニー・グリーン&シド・ラミン&アーウィン・コスタル(1961)

                                モーリス・ジャール / レイ・ハインドルフ(1962)

                                ジョン・アディソン / アンドレ・プレヴィン(1963)

                                リチャード・M・シャーマン&ロバート・B・シャーマン / アンドレ・プレヴィン(1964)

                                モーリス・ジャール / アーウィン・コスタル(1965)

                                ジョン・バリー / ケン・ソーン(1966)

                                エルマー・バーンスタイン / アルフレッド・ニューマン&ケン・ダービー(1967)

                                ジョン・バリー / ジョニー・グリーン(1968)

                                バート・バカラック / レニー・ヘイトン&ライオネル・ニューマン(1969)

                                フランシス・レイ / ザ・ビートルズ(1970)

                                ミシェル・ルグラン / ジョン・ウィリアムズ(1971)

                                チャールズ・チャップリン&レイモンド・ラッシュ&ラリー・ラッセル / ラルフ・バーンズ(1972)

                                マーヴィン・ハムリッシュ / マーヴィン・ハムリッシュ(1973)

                                ニーノ・ロータ&カーマイン・コッポラ / ネルソン・リドル(1974)

                                ジョン・ウィリアムズ / レナード・ローゼンマン(1975)

                                ジェリー・ゴールドスミス / レナード・ローゼンマン(1976)

                                ジョン・ウィリアムズ / ジョナサン・チューニック(1977)

                                ジョルジオ・モロダー / ジョー・レンゼッティ(1978)

                                ジョルジュ・ドルリュー / ラルフ・バーンズ(1979)

                                マイケル・ゴア(1980)

                                ヴァンゲリス(1981)

                                ジョン・ウィリアムズ / ヘンリー・マンシーニ&レスリー・ブリッカス(1982)

                                ビル・コンティ / ミシェル・ルグラン&アラン・バーグマン&マリリン・バーグマン(1983)

                                モーリス・ジャール / プリンス(1984)

                                ジョン・バリー(1985)

                                ハービー・ハンコック(1986)

                                坂本龍一&デヴィッド・バーン&蘇聡(1987)

                                デイヴ・グルーシン(1988)

                                アラン・メンケン(1989)

                                ジョン・バリー(1990)

                                アラン・メンケン(1991)

                                アラン・メンケン(1992)

                                ジョン・ウィリアムズ(1993)

                                ハンス・ジマー(1994)

                                ルイス・エンリケス・バカロフ / アラン・メンケン&スティーヴン・シュワルツ(1995)

                                ガブリエル・ヤレド / レイチェル・ポートマン(1996)

                                ジェームズ・ホーナー / アン・ダッドリー(1997)

                                ニコラ・ピオヴァーニ / スティーヴン・ウォーベック(1998)

                                ジョン・コリリアーノ(1999)

                                譚盾(2000)

                                ハワード・ショア(2001)

                                エリオット・ゴールデンサール(2002)

                                ハワード・ショア(2003)

                                ヤン・A・P・カチュマレク(2004)

                                グスターボ・サンタオラヤ(2005)

                                グスターボ・サンタオラヤ(2006)

                                ダリオ・マリアネッリ(2007)

                                A・R・ラフマーン(2008)

                                マイケル・ジアッチーノ(2009)

                                トレント・レズナー&アッティカス・ロス(2010)

                                ルドヴィック・ブールス(2011)

                                マイケル・ダナ(2012)

                                スティーヴン・プライス(2013)

                                アレクサンドル・デスプラ(2014)

                                エンニオ・モリコーネ(2015)

                                ジャスティン・ハーウィッツ(2016)

                                アレクサンドル・デスプラ(2017)

                                ルドウィグ・ゴランソン(2018)

                                ヒドゥル・グドナドッティル(2019)

                                トレント・レズナー&アッティカス・ロス&ジョン・バティステ(2020)

                                ハンス・ジマー(2021)

                                フォルカー・ベルテルマン(2022)

                                ルドウィグ・ゴランソン(2023)

                                ワーナー・ブラザース / チャールズ・チャップリン(1928)

                                ウォルト・ディズニー(1932)

                                シャーリー・テンプル(1934)

                                D・W・グリフィス(1935)

                                The March of Time / W・ハワード・グリーン(英語版)&ハロルド・ロッソン(英語版)(1936)

                                エドガー・バーゲン(英語版) / W・ハワード・グリーン(英語版) / 近代美術館映画ライブラリ(英語版) / マック・セネット(1937)

                                J・アーサー・ボール / ウォルト・ディズニー / ディアナ・ダービン&ミッキー・ルーニー / ゴードン・ジェニングス(英語版)&ジャン・ドメラ(英語版)&デヴラクス・ジェニングス&アーミン・ロバーツ&アート・スミス&ファーシオット・エドワード(英語版)&ロイヤル・グリッグス&ローレン・L・ライダー&ハリー・D・ミルス&ルイス・メセンコップ(英語版)&ウォルター・オバースト / オリヴァー・T・マーシュ(英語版)&アレン・デーヴィー / ハリー・ワーナー(1938)

                                ダグラス・フェアバンクス / ジュディ・ガーランド / ウィリアム・キャメロン・メンジース(英語版) / 映画救済基金(英語版) (ジーン・ハーショルト&ラルフ・モーガン(英語版)&ラルフ・ブロック(英語版)&コンラッド・ネイジェル(英語版))/ テクニカラー社(1939)

                                ボブ・ホープ / ネイサン・レヴィンソン(1940)

                                ウォルト・ディズニー&ウィリアム・E・ギャリティ&ジョン・N・A・ホーキンス&RCA製造社 / レオポルド・ストコフスキーとそのアソシエイト / レイ・スコット / イギリス情報省(英語版)(1941)

                                シャルル・ボワイエ / ノエル・カワード / メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(1942)

                                ジョージ・パル(1943)

                                ボブ・ホープ / マーガレット・オブライエン(1944)

                                リパブリック・スタジオ&ダニエル・J・ブルームバーグ(英語版)&リパブリック・スタジオ音響部 / ウォルター・ウェンジャー / The House I Live In / ペギー・アン・ガーナー(1945)

                                ハロルド・ラッセル / ローレンス・オリヴィエ / エルンスト・ルビッチ / クロード・ジャーマン・Jr(英語版)(1946)

                                ジェームズ・バスケット / トーマス・アーマット&ウィリアム・ニコラス・セリグ(英語版)&アルバート・E・スミス(英語版)&ジョージ・カーク・スパウアー(英語版) / Bill and Coo / 『靴みがき』(1947)

                                ウォルター・ウェンジャー / 『聖バンサン(英語版)』 / シド・グローマン / アドルフ・ズーカー / ジーン・ハーショルト(1948)

                                ジーン・ハーショルト / フレッド・アステア / セシル・B・デミル / 『自転車泥棒』(1949)

                                ルイス・B・メイヤー / ジョージ・マーフィ / 『鉄格子の彼方』(1950)

                                ジーン・ケリー / 『羅生門』(1951)

                                メリアン・C・クーパー / ボブ・ホープ / ハロルド・ロイド / ジョージ・ミッチェル / ジョセフ・M・シェンク / 『禁じられた遊び』(1952)

                                20世紀フォックス・フィルム・コーポレーション / ベル&ハウエル社 / ジョセフ・ブリーン(英語版) / ピート・スミス(英語版)(1953)

                                ボシュロム&オプティカル社 / ダニー・ケイ / ケンプ・ナイヴァー / グレタ・ガルボ / ジョン・ホワイトリー(英語版) / ヴィンセント・ウィンター(英語版) / 『地獄門』(1954)

                                『宮本武蔵』(1955)

                                エディ・カンター(1956)

                                映画テレビ技術者協会 / ギルバート・M・"ブロンコ・ビリー"・アンダーソン(英語版) / チャールズ・ブラケット(英語版) / B・B・カヘン(英語版)(1957)

                                モーリス・シュヴァリエ(1958)

                                バスター・キートン / リー・ド・フォレスト(1959)

                                ゲイリー・クーパー / スタン・ローレル / ヘイリー・ミルズ(1960)

                                ウィリアム・L・ヘンドリックス(英語版) / フレッド・L・メッツラー / ジェローム・ロビンズ(1961)

                                ウィリアム・J・タトル(英語版)(1964)

                                ボブ・ホープ(1965)

                                ヤキマ・カヌート(英語版) / Y・フランク・フリーマン(1966)

                                アーサー・フリード(1967)

                                ジョン・チェンバース / オナ・ホワイト(英語版)(1968)

                                ケーリー・グラント(1969)

                                リリアン・ギッシュ / オーソン・ウェルズ(1970)

                                チャールズ・チャップリン(1971)

                                チャールズ・S・ボーレン / エドワード・G・ロビンソン(1972)

                                アンリ・ラングロワ / グルーチョ・マルクス(1973)

                                ハワード・ホークス / ジャン・ルノワール(1974)

                                メアリー・ピックフォード(1975)

                                マーガレット・ブース(1977)

                                ウォルター・ランツ / ローレンス・オリヴィエ / キング・ヴィダー / 近代美術館映画部門(1978)

                                ハル・エリアス / アレック・ギネス(1979)

                                ヘンリー・フォンダ(1980)

                                バーバラ・スタンウィック(1981)

                                ミッキー・ルーニー(1982)

                                ハル・ローチ(英語版)(1983)

                                ジェームズ・ステュアート / 国立芸術基金(1984)

                                ポール・ニューマン / アレックス・ノース(1985)

                                ラルフ・ベラミー(1986)

                                イーストマン・コダック社 / カナダ国立映画庁(1988)

                                黒澤明(1989)

                                ソフィア・ローレン / マーナ・ロイ(1990)

                                サタジット・レイ(1991)

                                フェデリコ・フェリーニ(1992)

                                デボラ・カー(1993)

                                ミケランジェロ・アントニオーニ(1994)

                                カーク・ダグラス / チャック・ジョーンズ(1995)

                                マイケル・キッド(英語版)(1996)

                                スタンリー・ドーネン(1997)

                                エリア・カザン(1998)

                                アンジェイ・ワイダ(1999)

                                ジャック・カーディフ / アーネスト・レーマン(2000)

                                シドニー・ポワチエ / ロバート・レッドフォード(2001)

                                ピーター・オトゥール(2002)

                                ブレイク・エドワーズ(2003)

                                シドニー・ルメット(2004)

                                ロバート・アルトマン(2005)

                                エンニオ・モリコーネ(2006)

                                ロバート・F・ボイル(英語版)(2007)

                                ローレン・バコール / ロジャー・コーマン / ゴードン・ウィリス(2009)

                                ケヴィン・ブラウンロー / ジャン=リュック・ゴダール / イーライ・ウォラック(2010)

                                ジェームズ・アール・ジョーンズ / ディック・スミス(2011)

                                D・A・ペネベイカー / ハル・ニーダム / ジョージ・スティーヴンス・Jr(英語版)(2012)

                                アンジェラ・ランズベリー / スティーヴ・マーティン / ピエロ・トージ(英語版)(2013)

                                ジャン=クロード・カリエール / 宮崎駿 / モーリン・オハラ(2014)

                                スパイク・リー / ジーナ・ローランズ(2015)

                                ジャッキー・チェン / リン・スタルマスター(英語版) / アン・V・コーツ / フレデリック・ワイズマン(2016)

                                チャールズ・バーネット(英語版) / オーウェン・ロイズマン / ドナルド・サザーランド / アニエス・ヴァルダ(2017)

                                マーヴィン・レヴィ / ラロ・シフリン / シシリー・タイソン(2018)

                                デイヴィッド・リンチ / ウェス・ステュディ / リナ・ウェルトミューラー(2019)

                                サミュエル・L・ジャクソン / リヴ・ウルマン / エレイン・メイ(2021)

                                ユーザン・パルシー / ダイアン・ウォーレン / ピーター・ウィアー(2022)

                                アンジェラ・バセット / メル・ブルックス / キャロル・リトルトン(2023)

                                クインシー・ジョーンズ / ジュリエット・テイラー(英語版)(2024)

                                ウィンストン・チャーチル

                                イザムバード・キングダム・ブルネル

                                ダイアナ

                                チャールズ・ダーウィン

                                ウィリアム・シェイクスピア

                                アイザック・ニュートン

                                エリザベス1世

                                ジョン・レノン

                                ホレーショ・ネルソン

                                オリバー・クロムウェル

                                アーネスト・シャクルトン

                                ジェームズ・クック

                                ロバート・ベーデン=パウエル

                                アルフレッド大王

                                アーサー・ウェルズリー

                                マーガレット・サッチャー

                                マイケル・クロフォード

                                ヴィクトリア

                                ポール・マッカートニー

                                アレクサンダー・フレミング

                                アラン・チューリング

                                マイケル・ファラデー

                                オワイン・グリンドゥール

                                エリザベス2世

                                スティーヴン・ホーキング

                                ウィリアム・ティンダル

                                エメリン・パンクハースト

                                ウィリアム・ウィルバーフォース

                                デヴィッド・ボウイ

                                ガイ・フォークス

                                レナード・チェシャー

                                エリック・モーカム(英語版)

                                デビッド・ベッカム

                                トマス・ペイン

                                ブーディカ

                                スティーヴ・レッドグレーヴ

                                トマス・モア

                                ウィリアム・ブレイク

                                ジョン・ハリソン

                                ヘンリー8世

                                チャールズ・ディケンズ

                                フランク・ホイットル

                                ジョン・ピール

                                ジョン・ロジー・ベアード

                                アナイリン・ベヴァン

                                ボーイ・ジョージ

                                ダグラス・バーダー

                                ウィリアム・ウォレス

                                フランシス・ドレーク

                                ジョン・ウェスレー

                                アーサー王

                                フローレンス・ナイチンゲール

                                トーマス・エドワード・ロレンス

                                ロバート・スコット

                                イーノック・パウエル(英語版)

                                クリフ・リチャード

                                アレクサンダー・グラハム・ベル

                                フレディ・マーキュリー

                                ジュリー・アンドリュース

                                エドワード・エルガー

                                エリザベス王太后

                                ジョージ・ハリスン

                                デイビッド・アッテンボロー

                                ジェームズ・コノリー

                                ジョージ・スチーブンソン

                                チャールズ・チャップリン

                                トニー・ブレア

                                ウィリアム・キャクストン

                                ボビー・ムーア

                                ジェイン・オースティン

                                ウィリアム・ブース

                                ヘンリー5世

                                アレイスター・クロウリー

                                ロバート1世

                                ボブ・ゲルドフ

                                無名戦士

                                ロビー・ウィリアムズ

                                エドワード・ジェンナー

                                デビッド・ロイド・ジョージ

                                チャールズ・バベッジ

                                ジェフリー・チョーサー

                                リチャード3世

                                J・K・ローリング

                                ジェームズ・ワット

                                リチャード・ブランソン

                                ボノ

                                ジョン・ライドン

                                バーナード・モントゴメリー

                                ドナルド・キャンベル(英語版)

                                ヘンリー2世

                                ジェームズ・クラーク・マクスウェル

                                J・R・R・トールキン

                                ウォルター・ローリー

                                エドワード1世

                                バーンズ・ウォリス

                                リチャード・バートン

                                トニー・ベン

                                デイヴィッド・リヴィングストン

                                ティム・バーナーズ=リー

                                マリー・ストープス

                                FAST

                                ISNI

                                VIAF

                                WorldCat

                                ノルウェー

                                チリ

                                スペイン

                                フランス

                                BnF data

                                カタルーニャ

                                ドイツ

                                イタリア

                                イスラエル

                                フィンランド

                                ベルギー

                                アメリカ

                                スウェーデン

                                ラトビア

                                日本

                                チェコ

                                オーストラリア

                                ギリシャ

                                韓国

                                ルーマニア

                                クロアチア

                                オランダ

                                ポーランド

                                ポルトガル

                                バチカン

                                CiNii Books

                                CiNii Research

                                ベルリン芸術アカデミー

                                MusicBrainz

                                ニューヨーク近代美術館

                                ULAN

                                Deutsche Synchronkartei

                                ドイッチェ・ビオグラフィー

                                Trove(オーストラリア)

                                  1

                                  スイス歴史辞典

                                  公文書館(アメリカ)

                                  RISM

                                  SNAC

                                  IdRef

                                  ^ “あの「チャップリン」模倣俳優を軒並み訴えたワケ”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社 (2022年11月13日). 2023年1月12日閲覧。 “ドイツでは「チャーリー・カップリン」、メキシコでは「チャーリー・アップリン」などと、ふざけているのかと怒りたくなるような名前の映画俳優が多数誕生したのです。”

                                  ^ Charlot, The Faux. “Charles Amador, or 'Charlie Aplin'...” (英語). 2020年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月12日閲覧。

                                  ^ Charlot, The Faux. “Billy West” (英語). 2020年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月12日閲覧。

                                  ^ Charles, 1925-, Chaplin; N, Rau; M, 1889-, Rau; 三郎, 1901-, 木槿 (1975). わが父チャップリン : 息子が見た喜劇王の素顔. 東京: 恒文社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001279633-00 

                                  チャーリー・チャップリン

                                  19世紀イングランドのコメディアン

                                  20世紀イングランドのコメディアン

                                  19世紀イングランドの俳優

                                  20世紀イングランドの俳優

                                  19世紀の脚本家

                                  20世紀の脚本家

                                  イングランドの男優

                                  イングランドの映画監督

                                  イングランドの脚本家

                                  イングランドの自伝作家

                                  イングランドのアナキスト

                                  サイレント映画の俳優

                                  サイレント映画の監督

                                  アメリカ芸術文学アカデミー会員

                                  イギリスの反資本主義者

                                  ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム

                                  アカデミー賞受賞者

                                  アカデミー賞名誉賞受賞者

                                  英国アカデミー賞受賞者

                                  エラスムス賞

                                  大英帝国勲章ナイト・コマンダー

                                  レジオンドヌール勲章受章者

                                  訪日外国人

                                  イギリスの映画音楽の作曲家

                                  チャップリン家

                                  在アメリカ合衆国イギリス人

                                  サザーク区出身の人物

                                  1889年生

                                  1977年没

                                  外部リンクがリンク切れになっている記事/2024年9月

                                  プロジェクト人物伝項目

                                  ウィキデータにあるallcinema人物識別子

                                  ウィキデータにあるKINENOTE ID

                                  良質な記事

                                  FAST識別子が指定されている記事

                                  ISNI識別子が指定されている記事

                                  VIAF識別子が指定されている記事

                                  WorldCat Entities識別子が指定されている記事

                                  BIBSYS識別子が指定されている記事

                                  BNC識別子が指定されている記事

                                  BNE識別子が指定されている記事

                                  BNF識別子が指定されている記事

                                  BNFdata識別子が指定されている記事

                                  CANTICN識別子が指定されている記事

                                  GND識別子が指定されている記事

                                  ICCU識別子が指定されている記事

                                  J9U識別子が指定されている記事

                                  KANTO識別子が指定されている記事

                                  KBR識別子が指定されている記事

                                  LCCN識別子が指定されている記事

                                  Libris識別子が指定されている記事

                                  LNB識別子が指定されている記事

                                  NDL識別子が指定されている記事

                                  NKC識別子が指定されている記事

                                  NLA識別子が指定されている記事

                                  NLG識別子が指定されている記事

                                  NLK識別子が指定されている記事

                                  NLR識別子が指定されている記事

                                  NSK識別子が指定されている記事

                                  NTA識別子が指定されている記事

                                  PLWABN識別子が指定されている記事

                                  PortugalA識別子が指定されている記事

                                  VcBA識別子が指定されている記事

                                  CINII識別子が指定されている記事

                                  CRID識別子が指定されている記事

                                  ADK識別子が指定されている記事

                                  MusicBrainz識別子が指定されている記事

                                  MoMA識別子が指定されている記事

                                  ULAN識別子が指定されている記事

                                  Deutsche Synchronkartei識別子が指定されている記事

                                  DTBIO識別子が指定されている記事

                                  Trove識別子が指定されている記事

                                  HDS識別子が指定されている記事

                                  NARA識別子が指定されている記事

                                  RISM識別子が指定されている記事

                                  SNAC-ID識別子が指定されている記事

                                  SUDOC識別子が指定されている記事

                                  ISBNマジックリンクを使用しているページ

2024/11/26 15:18更新

Charles Chaplin


チャールズ=チャップリンと同じ誕生日4月16日生まれの人

大西 順子_(ミュージシャン)(おおにし じゅんこ)
1967年4月16日生まれの有名人 京都出身

大西 順子(おおにし じゅんこ、1967年4月16日 - )は、日本のジャズ・ピアニスト。京都府城陽市出身。 1967年京都府久世郡城陽町(現・城陽市)生まれ。4歳からピアノを始める。東京都立国立高…

ウィレム1世_(オラニエ公)(Willem I)
1533年4月16日生まれの有名人 出身

ウィレム1世(Willem I, 1533年4月24日 - 1584年7月10日)は、オラニエ公。八十年戦争勃発時の中心人物で、オランダ独立国家(ネーデルラント連邦共和国)の事実上の初代君主。ホラント…

永井 良和(ながい よしかず)
1952年4月16日生まれの有名人 埼玉出身

永井 良和(ながい よしかず、1952年4月16日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)出身。息子の永井俊太も元サッカー選手。 浦和南高校時代から快速…

岡崎 慎司(おかざき しんじ)
1986年4月16日生まれの有名人 兵庫出身

岡崎 慎司(おかざき しんじ、1986年4月16日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。現在はドイツ6部リーグのFCバサラ・マ…

三上 大樹(みかみ ひろき)
1986年4月16日生まれの有名人 神奈川出身

三上 大樹(みかみ ひろき、1986年4月16日 - 2024年10月5日)は、テレビ朝日のアナウンサー。 神奈川県横須賀市出身。神奈川県立横須賀高等学校から早稲田大学スポーツ科学部へ進学。高校時代…


類家 明日香(るいけ あすか)
1985年4月16日生まれの有名人 岩手出身

類家 明日香(るいけ あすか、1985年4月16日 - )は、日本の元グラビアアイドル、女優である。本名同じ。 岩手県盛岡市出身。ジャパン・ミュージックエンターテインメントに所属していた。盛岡大学附…

友利恵(ゆりえ)
1991年4月16日生まれの有名人 大阪出身

友利恵(ゆりえ、1991年4月16日 - )は、日本の女優、グラビアアイドル、タレント。旧芸名は緑 友利恵(みどり ゆりえ)。本名、名引 友利恵(なびき ゆりえ)。 大阪府出身。ホリプロ所属。 2…

山口 厚子(やまぐち あつこ)
1996年4月16日生まれの有名人 福岡出身

山口 厚子(やまぐち あつこ、1996年〈平成8年〉4月16日 - )は、日本のモデル である。 福岡県八女市出身、愛称はあっちゃん。ファンネームはA’chuU。 小学6年生の頃に長谷川潤に憧れいつ…

蜂谷 晏海(はちや あみ)
1992年4月16日生まれの有名人 三重出身

蜂谷 晏海(はちや あみ、1992年〈平成4年〉4月16日 - )は、日本のモデル、女優。三重県北牟婁郡紀北町出身。panorama所属。夫はスピードワゴンの井戸田潤。 2012年、アツギイメージガ…

上倉万奈(かみくら まな)
1984年4月16日生まれの有名人 長野出身

上倉万奈(かみくら まな、1984年4月16日 - )は、日本を拠点に活動するタレント、モデル。 現在は、本名の「小宮山知紗」名義でフリーアナウンサーとして活動している。 長野県出身。 長野県屋代…


エヴァンス 未希(えヴぁんす みき)
1996年4月16日生まれの有名人 神奈川出身

エヴァンス 未希(エヴァンス みき、1996年4月16日 - )は、日本のタレント、ガールズバンド「凸凹凸凹-ルリロリ-」の前進バンド「姫carat」の元メンバー。神奈川県出身。 熱血BO-SO T…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


チャールズ=チャップリンと近い名前の人

リチャード=ロジャース_(建築家)(Richard George Rogers)
1933年7月23日生まれの有名人 出身

リチャード・ロジャース(Richard George Rogers, CH FRIBA FCSD FREng RA, 1933年7月23日 - 2021年12月18日)…

リチャード=ロジャース_(作曲家)(Richard Charles Rodgers)
1902年6月28日生まれの有名人 出身

リチャード・チャールズ・ロジャース(Richard Charles Rodgers, 1902年6月28日 - 1979年12月30日)は、アメリカ合衆国の作曲家。ミュージカルの作曲で広く知られる。ブ…

リチャード=ライト_(小説家)(Richard Nathaniel Wright)
1908年9月4日生まれの有名人 出身

リチャード・ライト(Richard Wright, 1908年9月4日 - 1960年11月28日)は、アメリカ合衆国の小説家。ミシシッピ州出身。 20世紀アメリカ黒人文学の先駆者として知られ、ブラッ…

リチャード=ライト_(音楽家)(Richard William Wright)
1943年7月28日生まれの有名人 出身

リチャード・ライト(英語: Richard Wright、1943年7月28日 - 2008年9月15日)は、イギリスのミュージシャン。愛称は「リック (Rick)」。 ロックバンド「ピンク…


草間 リチャード 敬太(くさま りちゃーど けいた)
【Aぇ!group】
1996年1月11日生まれの有名人 京都出身

草間 リチャード 敬太(くさま リチャード けいた、 (1996-01-11) 1996年1月11日 -)は、日本のアイドル、タレント、俳優。男性アイドルグループ・Aぇ! groupのメンバー。愛称は…

チャールズ=トムソン=リーズ=ウィルソン(Charles Thomson Ress Wilson)
1869年2月14日生まれの有名人 出身

チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン(Charles Thomson Rees Wilson, CH FRS, 1869年2月14日 - 1959年11月15日)は、スコットランドの気象学…

チャールズ=ネスビット=ウィルソン(Charles Nesbitt Wilson)
1933年6月1日生まれの有名人 出身

チャールズ・ネスビット・ウィルソン(英語:Charles Nesbitt Wilson、1933年6月1日 - 2010年2月10日)は、アメリカ合衆国の政治家。通称はチャーリー・ウィルソン(Char…

渡辺 奈緒美(わたなべ なおみ)
1984年4月6日生まれの有名人 新潟出身

渡辺 奈緒美(わたなべ なおみ、Naomi Watanabe1984年4月6日 - )は、新潟県出身のタレント、モデル、ダンサー。 NAOMI名義での活動を行うこともある。 2002年「第11代ポ…

渡辺 早織(わたなべ さおり)
1988年1月19日生まれの有名人 東京出身

渡辺 早織(わたなべ さおり、1988年1月19日 - )は、日本の女性タレント、モデル、女優、リポーター。 東京都出身。中央大学商学部卒。ABP inc.所属。 集英社『non-no』にてノンノ…


和合 麻美(わごう あさみ)
1988年1月27日生まれの有名人 愛知出身

和合 麻美(わごう あさみ、1988年1月27日 - )は、主に中京圏で活動する女性ファッションモデル、タレントである。 愛知県豊川市出身。豊川高等学校卒業。ネクストステージエンターテイメントに所属…

若原 麻希(わかはら まき)
11月16日生まれの有名人 京都出身

若原 麻希(わかはら まき、1985年11月16日 - )は、日本のグラビアアイドル。京都府出身。血液型B型。夢幻堂株式会社所属。 アイドルユニットKNU23のメンバーとしてデビュー。現在KNU23…

若田部 遥(わかたべ はるか)
【HKT48】
1998年9月26日生まれの有名人 福岡出身

若田部 遥(わかたべ はるか、1998年〈平成10年〉9月26日 - )は、日本のジャーナリスト。フジテレビジョン報道局報道センター記者。元アイドルであり、女性アイドルグループ・HKT48の元メンバー…

横山 美雪(よこやま みゆき)
1989年11月15日生まれの有名人 出身

横山 美雪(よこやま みゆき、1989年11月15日 - )は、日本の元女優、元タレント、元AV女優。東京都出身。 2008年8月に『新人!kawaii*専属デビュ→ スタア発掘☆ものすごい美少女♪…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
チャールズ=チャップリン
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

palet 放課後プリンセス Da-iCE GEM さんみゅ~ GALETTe E-girls 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「チャールズ=チャップリン」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました